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猫との新しい生活とギフト 下

 中学時代の大げんかの原因は、真希の発言だ。


――大さんって、師匠が独身時代から飼ってる猫なんだってね。お祖母ちゃんがそう言ってたよ。


 どういう話の流れだったのか、この発言の前のことはもうすっかり忘れてしまったが、この後のことはよく覚えている。


――真希の嘘つき!


 初対面のときからずっと真希には完全服従していた俺が、はじめて自分から真希に喧嘩を売ったのだ。

 小学校低学年の場合、男女の体格差はほとんど無い。むしろ早熟な女子の方が強かったりする。真希に逆らっても口では勝てないし、気弱だった俺には暴力に訴えることなんてできるはずがない。できるのは、ただしゃがみ込んでしくしく泣くことだけだ。……我ながら情けないなあ、ちくしょう。

 その関係性は中学になっても変わらなかったが、このときは違った。

 俺は徹底抗戦した。

 真希になにを言われても泣かずに、ただ、嘘つき! と繰り返した。

 なにがなんでも俺が引こうとしないせいで、喧嘩は平行線を辿った。

 嘘つき! 嘘じゃないもの! とお互いに同じ言葉を応酬し続けることにも飽きて、やがて口喧嘩は止んだが、その後一週間ほど互いに口をきかなかった。

 で、最終的に真希が折れた。


――私の勘違いだったみたい! ごめんなさいね!


 そんなことちっとも思ってないくせに、ぷっくりと頬を膨らませた真希が地団駄を踏みながら謝る。

 これが謝罪ではなく、停戦交渉だとわかっていた俺は、真希の偽物の謝罪を受け入れた。

 真希と話ができないのは淋しかったし、喧嘩したふたりの間に挟まれた堅司が、どちらにも付けずにおろおろしているのも可哀想だったから。


 この時、俺が真希の大さんに関する発言をどうしても認めることができなかったのは、怖かったからだ。

 大さんが、祖父の独身時代から飼われている猫だとするのなら、この時点でもう五十年以上(・・・・・)飼われていることになる。


 そんなことありえない(・・・・・)


 俺にとって、大さんはちょっと大きいだけの普通の猫だった。

 普通の猫でなきゃいけなかった。

 おかしなことは沢山あったけど、それでも俺はそれらすべてに目をつぶっていた。

 おかしいと認めてしまったら、怖くなって大さんと一緒にはいられなくなる。

 それだけは嫌だったからだ。



   ◇ ◆ ◇



 

「ねえ、どうしてもダメなの? あの子が大さんだったら怖い?」


 怒りと心配とが入り交じった複雑怪奇な表情で真希が聞いてくる。

 俺は深く溜め息をついた。


「……いや。もう怖くない」


 あの頃は怖かった。

 強風で揺れる木の葉でさえ怖かった俺だ。大さんが普通の猫じゃなく、五十年以上生きているような得体の知れない存在だったら、怖くて側にいることさえできなくなっていただろう。

 でも、今はもう怖くない。


 俺は一度、俺にとって一番恐ろしい魔物、『死』に大さんを奪われた。

 大さんは、『死』によって、俺が手を伸ばしてももう届かない場所に連れ去られた。

 もう呼んでも答えてくれない。側に寄り添って温めてもくれない。

 もう一度、あのふかふかの毛並みを撫でることができるなら、俺はなんだってするのに……。

 ずっと、ずっとそう思って、後悔していた。

 どんな形であれ、もう一度大さんを取り戻せるのなら、もう怖いなんて思わない。

 『死』に奪われた祖母が幽霊として戻ったことを怖いとは思わなかったように、むしろ嬉しいと思ってしまったように、大さんが戻ってきてくれたのなら心から嬉しいと思える。


 ただ、心の中に小さなシコリがひとつ残っていた。


「だったら素直に認めなさいよ。あの子は大さんなの。大さん二世だなんて変な呼び方しないで! 可哀想でしょ」


 ホッと安心した顔で真希が威張る。

 俺はそれにやっぱり溜め息をついた。


「死んでなかったんなら、大さんはなんで俺の前から姿を消したんだ? 俺、大さんを何度も呼んだし、あんなに探し回ったのに……。なんで今まで戻ってきてくれなかったんだ?」


 それがどうしても気になる。

 『死』によって奪われたのではなかったのなら、大さん自身が俺から離れていったことになる。

 俺達は、ずっと仲良く暮らしていた。祖母が死んでからは特にだ。

 子供の頃から、大さんは俺が泣いていると、ずっと側に寄り添ってくれていた。ただ黙って俺の左側に寝そべって温めていてくれた。

 大さんを『死』に奪われたと思ったとき、俺は泣いた。高校生にもなって情けないとは思うが、そりゃもう泣きじゃくった。それでもあのとき、大さんは戻ってきてくれなかった。

 どうして戻ってきてくれなかったんだろう?

 俺には、大さんに離れていかれるような心当たりがない。

 その理由がどうしても思いつかない。


 今度は真希が溜め息をつく順番だったらしい。

 真希は深く溜め息をつくと、悲しそうな顔で俺を見た。


「私からはなにも言えないわ。想像はできるけど、確信はないから。……大さんのことはお祖母ちゃんに聞いて」

「どっちの?」

「実家のよ」

「わかった。……真希は、大さんがなんなのか知ってるのか?」

「私も知らないのよねぇ。お祖母ちゃんはなにか知ってるみたいだけど教えてくれないし……」

「そっか」


 俺は家の中の大さんに視線を向けた。

 大さんは、相変わらずふっさふさのしましま尻尾をばっさばっさ動かして、鈴ちゃんをじゃれつかせている。小さな手の平でパタパタ叩かれても、尻尾をぎゅっとつかまれても、大さんは絶対に怒らない。

 明るい中では鼈甲色に見えるまん丸な目も、ふっかふかの毛並みも、子供に優しいところも昔と同じ。

 まったく変わってない。


「大さん、悪かったな」

「なー」


 家の中に入って大きな頭を撫でると、大さんは別に気にしてないよと言わんばかりに、目を細めてぐるる(・・・)と喉を鳴らした。

 ごろごろ(・・・・)じゃなく、ぐるる(・・・)なのも昔のままだ。

 大さん、見た目は猫なのに、中身は微妙に犬が混ざってるんだよなぁ。サイズも中型犬っぽいし。

 よしよしとなで続けていると、「カッチ」と一石に声をかけられた。


「この石、くれ」


 一石はテレビの前に立っていて、テレビ台の上のキーホルダーについた石を見つめていた。


「あー、その石はダメだ。お前の父ちゃんに貰ったお守りだからな」

「そっか。これ、父ちゃんが見つけた石か。だからこんなにキラキラしてるんだな」

「キラキラ? 一石は堅司みたいに匂いがするんじゃないのか?」

「家の血と混ざって、一石は見えるほうに特化しちゃったみたいなのよね」

「……家の血?」


 またなにか変な話が出てきたぞ。

 どういうことだ? と真希を見ると、真希は「やばっ」とあからさまに口を押さえた。


「きゃあ。……あーう」


 そして大さんと遊んでいたはずの鈴ちゃんが、急になにもない空中に手を振ってはしゃぎはじめた。

 まるで、そこに見えない誰かがいるかのように、笑顔で「どーも」と頭を下げている。


「あー、勝矢。えーっと……怖い?」


 恐る恐る真希に聞かれた。


「……鈴ちゃんは怖くないし、鈴ちゃんが挨拶してるのが、うちの祖母ちゃんなら怖くない」

「そう。それならよかった」


 ほっとしたように真希が微笑む。

 ってことは、つまりこれは肯定だ。


 真希と鈴ちゃんには、祖母の姿が見えている。

 それが彼らのギフトなんだろう。


 腹を叩かれたあの日以来、俺には祖母の姿が見えてないんだけどな。

 そっかー、見えてるのかー。

 で、真希はいったいいつから見えていたんだろう?

 そして、なにをどれぐらい見ることができるんだろう?


「見えることに関しても、お祖母ちゃんに聞いて」


 聞こうか止めようか悩んでいると、真希に先を越された。


「わかった。そうする」


 俺の幼馴染みは、ふたりともちょっと変わっているらしい。

 飼い猫も変わっているから、まあいいか。


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