【第1話】月が呼んでいる(その1)
初めまして、籠目雪乃です。
小説家になろうでの初投稿作品です。
この物語は、異世界恋愛を軸にした作品です。
人に合わせることしかできなかった少女が、異世界で「自分で選ぶ」ことを覚えていく物語です。
どうぞお楽しみください。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「じゃ、また明日ね」
クラスメイトの一人が澪にそう言って、机の脚を鳴らしながら、別のグループの輪へ駆けていく。
「うん、また明日」
澪は反射的に、口角を持ち上げた。嘘ではない。ただ、少しだけ、型どおりだった。
星野澪、十八歳。高校三年生。窓際から二列目、後ろから二番目の席。誰にでも合わせられる程度には愛想がよく、誰の一番にもならない程度に、距離を保っている――それが、この三年間かけて澪が組み上げてきた、自分の「立ち位置」だった。
弁当箱の蓋を閉じながら、澪はふと、教室の中央で盛り上がる別のグループへ目をやった。誰かの恋バナに、皆が身を乗り出して笑っている。ああ、またその話、と思う。興味なんてない。ないはずなのに、澪の口はいつの間にか「え、それでそれで?」と、聞き役の相槌を用意していた。輪に入ろうと思えば、入れる。愛想笑いも、相槌も、澪はもう手に馴染んだ道具として持っている。
――ただ、少しだけ面倒だ、とも思う。
そう思った自分に、澪はすぐ蓋をした。面倒だなんて、贅沢な悩みだ。誰かと一緒にいられるだけで、ありがたいと思うべきなのに。
輪の中心にいる二人の女子が、肩を寄せ合って笑い声を上げる。あんなふうに、遠慮なく笑える相手が澪にもいるだろうか。――いる、と思う。たぶん。でも、あの距離の近さは、澪の知っているそれとは、何かが違う気がした。
(いいなあ)
浮かんだ感情に、澪は自分で驚いた。羨ましい、と思ったのだ。仲がいいことが、ではない。あんなふうに、誰かに気を遣わずにいられることが。
――何、それ。ただの僻みじゃん。
自分の狭さに嫌気が差して、澪は弁当箱を鞄に押し込んだ。押し込みながら、もう一度だけ、その輪の方を見てしまう自分がいる。見なければいいのに、と思いながら。
(別に、私だってグループぐらいある。ただ、ちょっと種類が違うだけ)
言い訳のように、心の中で付け足す。種類が違う、とはどういうことなのか、自分でもうまく説明できなかった。
けれど、足が、いつも一歩だけ止まる。
――それ、本当に私がしたいこと?
心のどこかで、小さな声がした。澪はその声に答えず、ただ弁当箱の蓋をきちんと閉め直した。答えないことと、無視することは、少しだけ違う。澪自身、まだそのことに気づいていなかった。
「星野、また借りてた参考書、机に置いとくぞ」
声をかけてきたのは、隣の列の相楽淳だった。返す言葉より先に、澪はまた反射的な笑みを作りかけて――けれど、淳はそれ以上、何も求めてこなかった。参考書を机の上にとん、と置いただけで、もう自分の席に戻っていく。
気を遣わせている、と思わせない距離の取り方だった。ありがとう、と言おうとした声は、結局、彼の背中に届かないまま消えた。
(別に、何も気にしてないくせに)
そう自分に言い聞かせながら、澪はなぜかもう一度、淳の後ろ姿を目で追ってしまっていた。目で追って、それに気づいて、慌てて視線を参考書に落とす。
――何やってんの、私。
参考書の表紙を意味もなく指でなぞりながら、澪は自分の胸の内をもう一度覗き込んでみる。好きとか、そういうのじゃない。たぶん。でも、じゃあ何なのか、と聞かれると、答えが出てこなかった。分からないまま放っておくのが、一番楽な気がした。
* * *
小学生の頃、澪は近所の道場で剣道を習っていた。
「礼に始まり、礼に終わる」。型は厳格だった。竹刀の握り方、面のつけ方、蹲踞の姿勢――ひとつひとつに決まりがあり、逆らうことは許されなかった。それなのに、面をつけて竹刀を構えたその一瞬だけは、誰よりも自分が自分でいられる気がした。型に嵌められているはずなのに、そこにいるのは、紛れもなく澪自身だった。
「型を守ることと、自分で決めることは、両立できる」
そう教えてくれたのは、道場の先生だった。中学に上がる頃、澪は道場をやめた。周りに合わせることを覚えるにつれて、その感覚には、少しずつ蓋をするようになっていった。今も、竹刀を構えたときの、あの静かな緊張感だけは、体のどこかに残っている。呼び覚まされることのないまま。
「覚悟を決めた者の背中は、揺れない」
先生がよく口にしていた言葉だった。当時の澪には、正直、意味がよく分からなかった。今も、分かっているとは言い難い。ただ、あの言葉だけが、なぜか記憶の底にこびりついている。
* * *
放課後、下駄箱で靴を履き替えていると、淳がちょうど隣に来た。
「今日、雨降るらしいぞ。傘、持ってきてないだろ」
「え......何で分かるの」
「朝、傘立てに星野の傘、なかったから」
何でもないことのように言って、淳は自分の傘を軽く持ち上げて見せた。半分こでも、と続ける気配はなく、ただ事実を伝えただけ、という顔をしている。押しつけがましくない優しさに、澪は一瞬、返答に詰まった。
「大丈夫。コンビニで買うから」
「そう。気をつけて」
それだけだった。淳は靴を履き終えると、澪の返事を待たずに歩き出す。引き止められることも、深追いされることもない。
(もうちょっと、何か言ってくれてもいいのに)
思ってから、澪は自分の考えに戸惑った。何を言ってほしかったのか、自分でも分からない。傘を貸してほしかったわけでもない。ただ、素っ気なく歩いていくその背中に、少しだけ物足りなさを覚えた。分からないくせに、その背中を、もう一度だけ見送ってしまった。
(何であの人といると、変な感じがするんだろう)
うまく言葉にできない感覚だった。懐かしいような、それでいて、まだ知らないような。別に、好きとかそういうのじゃない。淳は他の男子と、そんなに変わらない――はずなのに、なぜか目が勝手に追いかける。他のクラスメイトが同じことをしても、きっと気にも留めないだろう。淳だから、なのか。それとも、他に理由があるのか。
澪はその感覚に名前をつけないまま、校門を出た。名前をつけてしまえば、何かが変わってしまう気がして、それが少しだけ怖かった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
澪の物語は、ここから始まります。
これから彼女が異世界で何を見て、誰と出会い、そして何を「自分で選ぶ」のか。
続きを楽しんでいただけたら嬉しいです。
籠目雪乃




