第十九話 ここが最後の分水嶺だ
翌朝のことだ。
情報収集を任せていた執事の一人が、公式な情報だけでなく、気になる市井の噂も仕入れてきた。
唐突に浮かび上がった、火事の詳細と一人の被害者の名前だ。
「つまり、オリアーヌは焼身自殺した、ということ?」
口を固く結んだまま、執事はこくりと頷く。
元はアルバートの従者だったが、主人に代わってあちこちに出向いて調べてくる——貴族令嬢の居場所から新しい蒸留酒の最安値まで——ことを得意としていた者だ。噂に踊らされるような性質ではないし、屋敷にこの執事以上に街中の情報収集に長けている者はいない。
となると、この執事の仕入れてきた噂は、こういう自己評価になる。
「……おそらく、誰かが意図して流した噂です。王都外周部のボロ屋敷で焼けて身元不明ながらもアクセサリの類から貴族令嬢と推定され、それも当国の貴族ではない娘が自殺を図るなど、あり得ないことばかりです。西の大陸なら貴族令嬢が来れば必ず王家の歓待を受けますし、東の大陸の貴族なら自殺は教義的に御法度です。第一、貴族令嬢がボロ屋敷に一人いること自体、おかしい。人為的に仕組まれたことへ、誰かが物語を追加した。私はそう見ています」
ただし、と執事はもう一点付け加える。
「噂は尾鰭をつけていくものです。先日の舞踏会で、辱めを受けて王都から逃げ出してしまいたかった、などとかの令嬢が言っていたということも流布され、クレランシャ伯爵家へも非難が起きています」
「そもそもオリアーヌがどこの貴族令嬢なのかも分かっていないのに、ね」
私の指摘に、もう一度、執事は深く頷いた。
「ご苦労様。あなたは十分な働きをしてくれたわ、今日は休んでけっこう。またお願いすることもあるでしょうから、よろしく頼むわ」
労われた執事は、素早く私の前から辞した。
現状、私には噂に対して打てる手はない。この騒ぎで下手に声を上げることはできないし、推移を見守るほかない。
であれば、他の手を探すか、守りに入るに足る根拠を見つけなければならない。
私は客室へ向かい、ノックなしで扉を開け放つ。今日の長兄は、ベッドから腰まで落として、両足しかベッドに乗っていない格好でぼんやりと寝ぼけていた。
私が近づくと、長兄はそのまま朝の挨拶をする。
「おはよう、今日も美人だな、妹よ」
「おはようございます。お兄様、火事の件について」
「すでに先手は打った。だからもう少し寝かせてくれ」
そう言って、長兄はうとりと目を閉じようとする。
しゃがんだ私は長兄の顔を両手で挟み、左右に振る。
「どういうことですの? きちんと説明してくださいまし」
「うあああ〜」
起こされたことを不満げにしつつも、長兄はのそのそ私の後ろをついてきて、食堂で朝食を摂りはじめた。
今日の朝食は数種類の溶かしたチーズバゲットサンドに、プレスコーヒー、イチジクのタルトだ。特にタルトは大きく、ふんだんに使ったイチジクペーストとブドウの果肉が絶妙だ。
「昨日、火事の様子を見に行ったとき、王宮騎士団の重鎮に会ったからこちらの推測も含めて全部話しておいたんだ。火事の下手人に関わりがあるかもしれないから、全力で追ってくれとも伝えた」
「まあ」
「それで、俺はこの屋敷にいるから状況をあとで教えてくれとも言ってあるし、あと王女殿下の身辺警護も厳重にするよう……ふあ〜」
まだ眠たげな長兄は、コーヒーカップを傾け、一気飲みしていた。
先手を打ったという言葉は、事実のようだ。これ以上有効な手立てのない私たちではなく、外部の信頼が置ける人物、それも上層部の治安関係者に情報をまとめて引き継いだことは最善手と言えるだろう。
それに、長兄は王宮騎士団でもそれなりな地位にいる。一介の貴族にすぎない私やプルケリアが伝えるよりも、王宮側も真剣に向き合ってくれることだろう。
「で、オリアーヌの正体も気の利いた王宮の大臣が調べてくれるだろうさ。お前の名前も出しておいたし、動かないと後でケツを蹴っ飛ばされると震え上がっているだろう」
私は気の利いた大臣に何人か顔見知りがいるが、長兄の発言で大体の目星はついた。
ひとまず今後の推移を見守るだけの根拠を得て、私はコーヒーで一服する。イチジクのタルトの甘さを流し、追加で溶けたゴーダチーズを塗られたバゲットへ手を伸ばした。
「結局、大問題になってしまったのね。まったく」
「しょうがないだろう? 火事はいただけない、一歩間違えれば王都が焼け野原になりかねないんだ」
こればかりはしょうがなかった。都市での火事は、被害の規模がどこまで広がるか分からない大災害だ。放火は重罪であり、たとえ外周部のボロ屋敷一軒で済んだとしても人が死んでいる。
その犠牲者がオリアーヌかどうかは、黒焦げの死体から判別する手段は現時点では存在しない。物的証拠というよりも、高価なアクセサリが現場で見つかっただけ、そして噂が流れているだけなのだ。
「ええ、となると」
「オリアーヌの焼身自殺の噂が広まっているのは、まあそういうことだ。本人が出てこない以上、今後は死人として扱うことになるが、十中八九逃亡したんだろうな」
あっさりと、長兄は状況を解明してしまった。
しかし、言っていることはもっともであり、私も異論はない。
一方で、オリアーヌがここで死んで終わり、という結末ではなく、クレランシャ伯爵家主催の舞踏会での断罪騒動と絡めて、もっと捜査の手を伸ばさせるための別の物語を与える必要がある。
「なら、私たちがやるべきことは出自不明の貴族令嬢オリアーヌを、もっと大きな事件の犯人に仕立て上げることね。こればかりは手に負えないわ、アミス様に協力してもらいましょう。無関係でもないものね」
「そうだな。それでこの事件は幕引きだ」
私としてもここから先は関わるべきではないし、関わる力はない。私たちにとってはこの一連の騒動は明確に、ここで終わるべきだ。
あとは、食堂に飛び込んできた断罪劇の被害者を納得させるだけだ。
「カルストン伯爵夫人! おはようございます! あの、オリアーヌの噂が!」
ちょうど熱々のチーズバゲットを口に放り込んだ長兄が固まり、その手に溶けたチーズが落ちた。
朝食をすでに食べているプルケリアには、コーヒーとイチジクのタルトが振る舞われた。黙々と小さなフォークでちょっとずつタルトを切り分けて食べるさまは、ゆっくり食べる小動物のようで愛らしくはある。
プルケリアにはここまでの話——火事と噂、王宮騎士団への情報提供、そしてここが一連の騒動の最終地点とすべきことを教えると、彼女は何も言わず、タルトを食べながらじっと考えているようだった。
満足するまでチーズバゲットを食べた長兄は、膨れた腹の上で腕を組み、話を再開した。
「しかしまあ、首謀者は逃げるのが早すぎる。目的を達成したのではなく、達成できなかったから速やかに撤退した、と見るのが正しいだろう。どう考えても素人の動きではないな」
当然のように、長兄はオリアーヌ——と名乗っていた断罪劇の主犯——が生きていると見ている。そもそも死ぬ理由がない上、舞踏会翌日には自分からさっさと『オリアーヌ』の人生を終わらせたのだから、ただの断罪劇の主犯にしては手際が鮮やかすぎるのだ。
となると、プルケリアへの断罪劇は主目的ではなかったのだろう。
「やっぱり、あの舞踏会で誰かの暗殺でも狙っていたのかもしれないわね。オズウィンは舞踏会に入るためのチケット役ではなく騒動を起こすための火種、その騒動を無関係の私が割って入って治めてしまったから、目的が達成できなかったのかもしれないわ」
『オリアーヌ』は貴族令嬢と名乗ってアルソナ王国内の貴族が開くお茶会などに参加し、情報収集などをこなし、オズウィンを騙してクレランシャ伯爵家令嬢プルケリアへの断罪劇を計画した。
もちろん断罪劇はメインではなく、クレランシャ伯爵家で行われる舞踏会に入ること、入ったのち何らかの目的を果たすつもりだったのではないだろうか。
だが、そこに私がいたのが運の尽きだったのだろう。
あのとき、私は第二王女アミスを表に出さないために、騒ぎを鎮圧したにすぎなかった。だが、結果的にそれは正しかったのだ。
もしあのとき、私が矢面に立って断罪劇を早期に終わらせていなければ、別の騒動も起きていたのではないか?
その可能性は十分にあり、それが避けられただけでも私の行動は間違っていなかったことになる。それ以外のことは、許容範囲の被害とすべきだろう。
「たとえば、クレランシャ伯爵家に醜聞をくっつけることもオリアーヌの目的だったとしたら、一応は達成している。でしょう?」
タルトを飲み込み、プルケリアは消極的に同意する。
「そう、ですわね。オズウィンとの婚約も解消されるでしょうし」
「あら、やっぱりそうなったの?」
「父からは、その方向で話が進んでいると聞きました。一度の失態ではあるものの、あまりにもタイミングが悪すぎてクレランシャ伯爵家として擁護できないのだ、と」
人間は、窮地に立たされたときに本性が出るという——つまりプルケリアの婚約者だったオズウィンは、家格や能力よりもその性格に問題あり、と判断されたようなものだ。
クレランシャ伯爵がそう判断したのなら、プルケリアも胸を撫で下ろしたことだろう。誰だって、婚約者を庇うことなく、見ず知らずの令嬢の涙にころっと騙されるような男と結婚などしたくない。
そんな話を聞いていたのかいなかったのか、長考から意識を戻した長兄は、さらりととんでもないことを言い放った。
「これはあくまで仮定の話だが、もしオリアーヌが東の大陸、ウーリゼン帝国あたりから派遣された対外工作の人員だったとしたら」
私とプルケリアは、ほぼ同時に長兄へ目を向ける。
長兄は慎重に、仮定であると強調しながら語る。
「仮定だ、仮定の話だぞ。もしそうだとしたら、今回の事態は、王女殿下をはじめとした要人暗殺という最悪の国難を免れ、伯爵家令嬢の断罪と痴情のもつれ、婚約解消の悪評くらいで済んだ……とも受け取れる」
プルケリアはほんの少し、顔を引きつらせていた。被害者としてはそのくらい、と言われたくはない心の傷を負っただろうが、想定される国難と比較すれば軽傷もいいところだ。致し方ない。
それ以外にも、標的とされたかもしれない可能性はある。プルケリアにとっては笑い話にならないことばかりだ。
「仮定でよければ、アルソナ王国が西の大陸との繋がりをこれ以上強化しないための妨害工作、という線もありえますわ」
「ああ、それもあるな。だったら、クレランシャ伯爵家を潰すことが手っ取り早い、そこでプルケリア嬢へと目を付けた」
その延長上で起こされた断罪劇だったとしたら、プルケリアが対処を間違えれば最悪、クレランシャ伯爵家ごと消えていただろう。
プルケリアにとってはどう転んでも酷い目に遭うため、不運ではある。
とはいえ、特権と資産を持つ貴族の一員であるならば、悪意ある人間に利用されることをいつでも想定し、防御し備えなくてはならない。
同情はする、だが本人がすでに立ち直っているように、憐れまれるための不幸話など必要ないのだ。
なので、この話は、ここでおしまいだ。
「後のことは王宮や外交官が考えることだ。貴族令嬢と名乗っていたオリアーヌ、火事や断罪などの一連の騒動との関係をどこまで追及するか。俺たちにできることはここまで、だな?」
「ええ。すっきりはしないでしょうけれど」
どんな物語も単純明快、爽快な結末が待っているわけではない。さらに現実は後味の悪い、しかも今後も影響が残っていくであろう曖昧さを持った終わりになってしまうことばかりだ。
しかし、どこかで区切りはつけなければならない。
私たちには義務がある。貴族としての家の維持、領地の安定、国家の繁栄に尽くす使命を持って生まれた身分である。ならば、一度や二度の不幸にばかり足を引っ張られているわけにはいかないのだ。
そこまで貴族令嬢プルケリアが自覚を持っているかどうか——私は見定めるために顔を向けると、歓喜とも驚愕ともつかない表情で、何かを堪えるように震えていた。
何事か。タルトが喉にでも詰まったのか。
プルケリアは、ようやく言葉を発する。
「どうして」
興奮しきった声色で、プルケリアは声を弾ませた。
「どうしてお二人とも、そこまで考えついてしまうのでしょう! 不思議でたまりません、本当に!」
どうやら、プルケリアは私たちの推理の手際に、感動していたようだ。
何を言うべきだろうか。長兄は馬鹿正直に口を滑らせかける。
「ただの経験則だぞ。イヴェルタリーも昔は色々」
「お兄様。とにかく、クレランシャ伯爵家は汚名を被るかもしれないけれど、その程度で済んだと考えてちょうだい。先のことはまだ分からないけれど、ひとまず安心していいわ。とはいえ、あと二、三日はここに通って」
「二、三日と言わず、もっと通っても?」
「……いいけれど」
凛と花咲くように、プルケリアは破顔一笑する。
その後、小さく咳払いをしてから、長兄へこう言った。
「カルストン伯爵夫人はもちろんですけれど、ウルフスタン様とももっとお話ししたいのです。よろしいでしょうか……?」
あからさまに、長兄は固まっていた。まだまだプルケリアとともに過ごす時間が累積されていくのか、とばかりに、どうしようもなく戸惑っている様子だ。
妹として、私は助け舟を出した。
「お兄様は、あなたがあまりにも細すぎるから心配なのですって」
きょとんとしたプルケリアは、自身が細いという自覚がなかったようだ。長兄に至っては、「妹よ、どうしてそんなことを言った」と顔に書いてある。
「ま、まあ、そうでしたの……」
「おい、トリッシュ!」
「だから、もっと鍛えなさい。たくさん食べて、ガラス細工みたいな体を健康的に太らせたほうがいいわ。結婚出産も見据えると余計にね」
どこにいても、貴族の女性の義務は、跡継ぎを産むことだ。母子ともに死の危険がある出産をできるかぎり安全に行うためには、母となる女性が健康であることが第一だ。
ならば、プルケリアの将来のためにも、長兄は協力すればいい。結婚しようがしまいが、彼女のためになる。
それに、プルケリアはすでにやる気十分だった。
「承知しました。では、ウルフスタン様、鍛え方を教えてください!」
「え゛え゛え゛っ……!?」
あられもない声で否定も肯定もできず頭を抱える長兄は、もう少し私の助けが必要そうだ。
(頃合いを見て、クレランシャ伯爵へお兄様とプルケリアの婚約の話を提案しておきましょう。外堀から埋めないとどうしようもないわ、我が長兄は)
強引でもイヴェルタリー伯爵家のためである。私とて、実家の繁栄と継続は願っているのだから。
次の投稿は5/10AM05:00です。ちょっとずつ調子よくなってきました。




