第十五話 凛とした貴族令嬢のために
人間は自分の意見を否定されたとき、まるで自分自身そのものが否定されたかのように憤慨するものだ。
打たれ弱い貴族の青年ならば、なおのこと心中は激しい憤りで満たされていることだろう。『怒りは愚かな者の胸に宿る』のである。
そばかす顔を真っ赤にして、肩を振るわせるオズウィンは怒声を放つ。その背後から腕を掴み、赤髪の令嬢オリアーヌが健気にも青い顔を覗かせていた。
「あなたには関係ない! これは自分たち三人の問題で——」
「だったら、衆目に晒す必要はないでしょう。三人で解決しなさいな」
「クレランシャ伯爵家が黙っているはずがないでしょう!」
「家同士の争いということなら、そうすべきだわ。私たちは貴族なのだから」
ここでの彼らの真の目的は、係争事で劇のように人目を引くことにある。
そう見抜いた私は、これ以上この場で茶番を続けさせるつもりはなかった。
「それに、婚約は家同士の結びつき。婚約を解消したいのなら、それこそ家同士で話し合わねばならぬこと。お気づきかしら、何者でもない貴族の誰かさん?」
「——ッ!?」
一気に頭に血が昇ったオズウィンが一歩を踏み出そうとした瞬間、ホールに鋭い無数の足音が雪崩れ込んできた。
三十半ばほどのクレランシャ伯爵が、上品な顔をきつく引きつらせ、目には怒りの火を灯して、警備の者たちとオズウィンを取り囲む。
その流れに乗じて、私はプルケリアとともに一歩引いておいた。あとはクレランシャ伯爵に任せられる。
「カルストン伯爵夫人のおっしゃるとおりだ。オズウィン、バーラント子爵家には当主の私から話をしておこう。婚約の話はなかったことにしたいとご子息が主張した、としてね」
「伯爵、それは……!」
「残念だよ。帰りはあちらだ、おい、お連れしろ」
クレランシャ伯爵は有無を言わさぬ圧をかけ、オズウィンとオリアーヌを出口へと押し出していく。
ところが、オズウィンはプルケリアの顔を一瞥して、捨て台詞を吐いた。
「これで終わったと思わないことだ。正義はこちらにある、公の場で判断してもらうだけのことだ」
呆れたことに、正義感溢れる青年は、まだ自分の考えが正しいと思い込んでいるようだった。
その一言を、クレランシャ伯爵を含めた人々の耳に残すことがどれほど自分を不利にするか、きっと後悔することだろうが——それこそ喜劇の顛末にふさわしい。
嵐は去り、クレランシャ伯爵は招待客たちへ深く頭を下げた。
「皆様、お見苦しいところをお見せしてしまい、まことに申し訳ございません。ささやかながら、今宵はワルツの名手と名高いグローシャ子爵夫人もお見えのことですから、そちらを先に披露していただきましょう」
人々の話し声が戻ってきた。楽団の演奏もそれに合わせて再開され、舞踏会は続く。
人垣で待つ第二王女アミスへ目配せしたのち、私は震える両手を抑えようと握りしめた金髪の令嬢、プルケリアへと声をかけた。
「プルケリア」
ハッとして、顔面蒼白のプルケリアは私を見上げる。ようやく嵐が過ぎ去って、この上品な令嬢も凛と気を張り疲れたのだろう。
気の抜けたプルケリアの声は、その髪と同じくらい細かった
「あっ……カルストン伯爵夫人、でしたかしら。このたびは助けてくださり、感謝しております」
「ちょっといいかしら? 話があるの。大丈夫、あなたも今の気分のままホールにいたくないでしょう?」
震える両手を晒しながら、デビュタントに挑めるわけがない。
私はプルケリアを連れ出す口実を作ったが、プルケリアもまた乗ってきた。
「……ええ。ご配慮、痛み入りますわ」
そそくさと、意見の合った私とプルケリアはホールを出て、人払いをした近くの部屋へ入り込んだ。
休憩室を兼ねた部屋にはちょうど大きなソファがあり、深く腰掛けたプルケリアはすっかり俯いてしまっていた。
クッションを胸の前に抱かせ、隣に座った私は努めて厳しくならないよう、言葉をかける。
「では、あなたがあの令嬢を避けていたのは事実なのね?」
プルケリアは逡巡して、それから正直に頷いた。
「はい。何かと、身につけているものを羨ましがられ、しまいにはねだってくるものですから、会わないようにしようと」
「あなたが嫌がっているから、皆がお茶会やサロンに呼ばなかった、というのは?」
「私はそんなことを皆様にお伝えしたりしません。あの方は、皆にそう振る舞うから嫌われているだけで、私は決して疎んじたことを公言したりしていません。態度に出ていたと言われれば、それは自信がありませんけれど……」
素直なことに、プルケリアは己の非があるかもしれない、くらいには罪悪感を覚えているようだった。
貴族の間には不文律が多い。茶会などに呼びたくない客がいるとき、色々な方便を使う。言葉巧みに「その日は用事が」、「親族が遠くから訪ねてきて」……などという断り文句は、要するに『お前を招待したくない』を意味する。
それを耳にした別の貴族が、招待されなかった客を何らかの問題がある人物としてブラックリストに入れるのは自然の成り行きだ。だからこそ、人前で招待を断ったり、断られたことを公言したりすることは、マナー違反になる。
プルケリアの婚約者オズウィンはともかく——あの赤髪のオリアーヌという令嬢に憶えはないが、貴族であることが確かなら、調べられる。
「オリアーヌ、だったかしら。東の大陸風の名前だからすぐに家名も何もかも調べられるでしょう。それから、あなたの婚約者だったオズウィン・バーラントについても。これからは貴族の家同士の争いとして騎士道法廷に訴えることになるでしょうね」
プルケリアは、白い顔をより一層青ざめさせる。貴族の仲裁機関たる騎士道法廷に上訴されるほどの貴族同士の争いは、決して内々に止まらず、どれほどの影響をもたらすか。
それを考えるだけで恐ろしいし、親にも申し訳ない気持ちでいっぱいなのだろう。
手も、足も震えが止まらない彼女の震える手を握り、顔を上向かせる。
「涙を見せてはならない。貴族として、誇りを持ちなさいな、プルケリア。それは武器にはならないの、哀れみを得るための道具なんてあなたは持ちたいの?」
細い金髪の令嬢は、聡いことに、それだけですぐに私の意図するところを察したようだ。
涙は目に溜まっていたものの、プルケリアは何度か歯を食いしばって、やっと私に応じる。
「申し訳ございません、カルストン伯爵夫人。慰めてくださって、庇ってくださって本当にありがとうございます。ここからは私たちクレランシャ伯爵家のやるべきこと、そうですね?」
辿々しくもしっかりと、凛とした声も態度も戻ってきたプルケリアは、幸いにも未来を見つめはじめた。
不安げな色の消えない顔へ、私は微笑んでみせる。
「ええ。健闘を祈るわ」
それだけで十分、彼女は貴族令嬢としてなすべきことを見つけ、それから自信を取り戻したようだった。
そろそろお暇しようと立ち上がった私は、ついでの置き土産をしておくことにした。
「ああ、そうそう。あなたからお父上に尋ねておいてくれる?」
「何をでしょう?」
「屋敷を新築しているのだけれど、少し配置や内装で困ったところがあるの。もしよろしければ知見を持つ方を我が家へ紹介していただけないかしら、と」
王都郊外北に構えようとしている新セダル公爵邸は、土地の確保はできてもまだまだ着工には時間がかかる。その間にも設計の見直しをしたい部分がどんどん増えて、困っていたことは確かだ。
クレランシャ伯爵ならば、自らの屋敷を建てた際の知見を惜しみなく披露してくれることだろう。
「承知しました。そのように、父へ伝えておきます」
「お願いね」
私はプルケリアを部屋へ残し、廊下にいた給仕へ何か温かいものを持ってくるよう伝えておく。
それからホールを通り過ぎてエントランスへと進んでいると、見慣れた顔が悪戯っぽく笑って待っていた。
「トリッシュ、もう帰るの?」
「用事ができてしまいましたので、お先に失礼しますわ」
「何かあれば連絡してちょうだいな。お茶会もしたいし、あなたの力になりたいの」
「ふふっ、ではそのときは遠慮なく。お茶会も、今年中にご招待しますわ」
「やったぁ、楽しみだわ!」
第二王女アミスは、少女のような天真爛漫さを声に表す。
第二王女アミスも、クレランシャ伯爵夫人と友情を育んできたのだから、その娘プルケリアを守りたい思いはあるのだろう。ただ、王女という立場上、表立って手を貸すわけにはいかない。
であれば、少しばかり——通りすがりのカルストン伯爵夫人が、クレランシャ伯爵家令嬢プルケリアを助けてもいいだろう。
待たせていた馬車に、寄り道先の場所を伝えると、忙しない馬蹄と車輪の音が宵闇に溶け込んでいった。




