第十三話 貴婦人としての仕事
ここから新章です。
戦地へ赴く夫、と聞くだけなら悲壮感が出るものだ。
ただ、その夫は外交官であり、公爵であり、占領地の後始末や統治などの差配が仕事なので、どちらかといえば敵よりも不満ある味方に刺される可能性が高いことだけは心配だった。
あとはアルバートがちゃんと仕事をしさえすれば、私としては何ら問題はない。
出立の日、仮住まいの屋敷のエントランスまでメイドたちとともに見送ったが、アルバートはといえば、後悔をたらたら口から流しながら馬車にノロノロ乗り込もうとする有様だった。
なので、私はその背中を引っ叩き、ついでに足で蹴る仕草を見せた。
「さっさと行ってらっしゃいな。死ぬ前にはちゃんと遺書を用意しておいてちょうだい、後で揉めないように」
「お前、今から戦地に向かう夫に対して……おい、尻を蹴るな! 二度と食らうか!」
背中を叩かれて咳き込みながらも、私の足を見て勢いよく前へ進んで避けたアルバートは、恨めしそうに、しかし先ほどまでの女々しさは引っ込んでいた。
「元気でけっこう。船に遅れるわよ」
「はいはい、行ってくる!」
もはやヤケクソ気味にそう言って、アルバートは使用人たちの手を借りながら起き上がっていた。
ついでに、私はさらなる追撃を試みる。
「ちなみに、私は今日の晩から舞踏会、晩餐会と予定が詰まっているの。来年用のドレスの採寸もあるし、素晴らしいトスティグ料理長の新作デザート試食会もあるわ」
「ぐっ、最後のだけは羨ましい!」
「そう言うと思って、バスケットに用意しておいたわ。馬車で食べなさい」
私はメイドの一人に目配せして、持っていたバスケットを馬車へと積み込ませた。
中身は、トスティグに作らせたプディングケーキに、新作デザート——正確には西の大陸発祥の焼き菓子——『スフォリアテッラ』という巻貝の形をしたパイ生地の中にたっぷりのフルーツとチーズのクリームが入っているものが、これでもかと詰められている。
すでに匂いで美味しさを保証する焼き菓子だ。アルバートの機嫌は一転、ふらふらと馬車へ自分から向かっていくほどになった。
その背中へ、私は最後の一押しをしておく。
「それから、セダル公爵領のことは心配するな、とお義父様から伝えるよう言いつかっているわ。失敗してもあなたが失うのは大したものじゃない、命以外はね」
アルバートの足が、ぴたりと止まった。
命があれば、やり直せる。少なくともアルバートは今回失敗しても再起を図るだけの家があり、私を含め助けてくれる家族がいる。
背水の陣は、必ずしもいつも有効なわけでない。今回は余裕を持って、堂々と仕事をしていればいいのだ。
馬車に乗り込む寸前、アルバートは踵を返し、私の前へ戻ってきた。
アルバートは右手を差し出し、私の左側へと指し示す。
「手、出せ。いいから」
意図を察した私は、左手を持ち上げ、アルバートの右手へと乗せる。
わずかに頭を下げたアルバートは、うやうやしく私の左手を掲げると、手の甲に軽くキスをした。
唇が触れた部分がくすぐったい程度の、軽さだ。これが人前で見せられる最大の譲歩だと言いたいのか、アルバートは顔を上げると憎まれ口を叩く。
「浮気するなよ」
私はおかしくて、笑ってしまった。
「あなたこそ。調子に乗って美人局に引っかからないよう注意なさい」
「それはもう懲りた」
「あらそう」
名残惜しそうに私の手を離し、今度こそアルバートは待っていた馬車へと乗り込む。
私は、左手を左右に振って、遠ざかっていく馬車を見送った。
その晩のことだ。
本来なら夫婦で招待された舞踏会に独り赴くのは、マナー違反とまでは言われない。どうしても外せない用事などいくらでもあるし、踊るためだけではなく、交流を求めてその場にいる意味もある。
それに、招待者の顔を立てる意味でも、出席することに意味があった。
クレランシャ伯爵邸で開かれたこぢんまりとした舞踏会は、伯爵のご令嬢のデビュタントも兼ねているとあって、比較的親密な関係筋を数十人ほど招いたものだった。
新築の屋敷に広いホール、シャンデリアは簡素ながらも壁面の鏡を上手く使って、明るくきらびやかな空間が演出されている。最奥の部屋からは楽団による演奏の音がエントランスまで通り、どうやら音響面でも気を遣った配置をしているようだ。
詰襟ドレスに長めのケープを羽織った私は、工夫の妙を感じながら、ホールの陣取る壁際を探していたそのときだった。
よく見知った顔、それも王宮以外で出会うのは稀な顔を見つけた。
「あら、アミス様。ごきげんよう、お久しゅうございます」
私と同じく壁際に居座ろうとしていた、赤いシルクのドレスに身を包んだ第二王女アミスへと、軽く頭を垂れて一礼する。
すると、驚きと歓喜の混じった第二王女アミスの声が響いた。
「トリッシュ!? まさかこんなところで会うなんて、来てみるものね!」
ふと周囲に目を配ってみたが、相変わらず人懐こい笑顔を見せる第二王女アミスは、私と同じく一人のようだ。
「どなたかと待ち合わせでしょうか?」
「ううん。ちょっとお忍びで、友達の舞踏会を冷やかしに来ただけよ。新しい当主——私の友達の夫ね、その人が初めて舞踏会を主催するから、目の肥えた私に色々教えてほしいって頼まれていたの」
なるほど、それならばわざわざ王女殿下がこの規模の舞踏会へ足を運ぶ理由となる。
クレランシャ伯爵はつい先日当主が代替わりしたばかり、何度となく舞踏会へ行くことはあっても自分が主催することはなかっただろう。一度の失敗が尾を引くことはよくある、その失敗を回避するためにできるかぎりの策を講じた、というわけだ。
私と第二王女アミスは、扇子を開いてホールの壁際でヒソヒソ話に興じる。
「私も今日は次期セダル公爵夫人ではなく、カルストン伯爵夫人としてまいっておりますの。夫はそちらのほうが今はまだ動きやすいようですので」
「聞いたわ、外交官就任おめでとう。あのアルバートのことだし、どうせトリッシュが気を配ってあげたんでしょう?」
「ご賢察ですわ。ただし、半分は私の仕事の結果かもしれませんが、もう半分は本人のやったことです。ひよこが歩いていると思えば可愛らしいものですから、つい世話を焼いてしまいますの」
「あはは、確かに!」
第二王女アミスの少女のような軽やかな笑いに、かつて王宮でのともに過ごした日々を思い出す。来年には彼女も別の国の王家へ嫁ぐという話が出ており、そう簡単には会えなくなる。もちろん寂しくもあり、彼女ならやっていけるという確信もある。
いつしかホールに人垣ができはじめ、そろそろ舞踏会のメインであるダンスが始まろうとしていた。
しかし、人垣の向こうが何やら騒がしい。
人々のざわつく声音に隠れ、壁際からは状況がよく分からなかった。
「何かあったのかしら。ちょっと行ってくるわ」
「私もまいりましょう」
「ありがとう、トリッシュ。心強いわ」
「いいえ、今でも私はアミス様の側仕えのつもりですもの」
それは役職ではなく、ただの心構えのようなものであり、第二王女アミスというその人ならば守りたいという思いからの言葉だった。
何があろうとも、お忍びで来ている彼女を前に立たせてはならない。
私は、騒ぎの現場へと躍り出た。




