第十一話 寒い日の朝のこと
ちょっとした政治パート
ここ三年の平和は、あっけなく幕切れとなった。
東西の大陸に挟まれた三つの島からなるアルソナ王国は、東の大陸の雄ウーリゼン帝国とルーヴァ連邦同盟による貿易戦争の余波を受け、ついには本物の戦争にも巻き込まれてしまったのだ。
ルーヴァ連邦同盟側に立って参戦した我が国の軍を率いる諸侯たちは、東の大陸沿岸にいくつかあるウーリゼン帝国領を攻め、これを陥落させた。
ところが、その手柄を立てた将軍の中には、見知った名前もあったのだ。
朝から雨が降る寒い日のことだった。
「海の向こうで、戦争が?」
新セダル公爵邸ができるまでの仮住まいのタウンハウスで、私がいつもどおり寝室で朝食を摂っていたところ、アルバートがやってきて、いつになく真剣な面持ちで先刻受け取ったばかりの急報について話しはじめた。
「ウーリゼン帝国との戦争が始まった。すでにアルソナ王国軍は動いて、ウーリゼン帝国影響下にある大陸沿岸部の自由都市や飛び地の領土を奪ったとのことで——」
手紙を見ながら、アルバートが私の様子を窺ってくる。何らかの悪い知らせか、あるいは気になることでもあるのか。話を続けるよう、私は視線で促した。
「……お前の二番目の兄、ウルフリック・イヴェルタリーがそちらで領土を獲得したそうだ。同時に、懸念材料も生まれた」
「向こうの国でも爵位をもらったとか?」
「何で知っている」
「当たりなのね」
アルバートは驚きつつも、手紙の中に入っていた新聞記事のかけらを私へ寄越す。
ほんの二、三日前の新聞で、外国語で書かれているものだった。そこには『皇帝陛下による恩赦と慈悲による領地の授与と宣誓が行われ……該当者の名簿が公布された』とあり、もう一つの記事のカケラにはずらりと並ぶ人名リストも添えられている。
当然のように、リストの上位には私の次兄ウルフリック・イヴェルタリーも記されていたことから、アルバートが『妻の静かな朝食を邪魔するだけの理由』と看做したことが分かる。
はあ、とアルバートの大きなため息が聞こえた。
「あちらもなりふり構わず、離間工作を仕掛けてきているんだ。我が国の貴族が向こうで領土を得たら、後から無理やり自国の爵位を与えて、自分たちの家臣だ、と必死にアピールしている。その中には、あちらになびく者も出てくるだろう」
実にややこしい話だが、アルソナ王国に仕える貴族であっても、ウーリゼン帝国に領土を持つこと自体は可能だ。
国境地帯にはそのような貴族も多くいるし、そもそも国境というのは後からできたものであって、建国以前からの地域の支配者に国境という分割を命じられるかどうかは状況次第なのだ。
特にウーリゼン帝国は多民族国家であり、領地は本土となる部分以外にも東の大陸各地に飛び地のように存在することから、他国に仕える者にも容易に爵位や領地を与える文化がある。
つまり、この新聞記事はその一端であり、同時にアルソナ王国の貴族にとっては滅多にないことで、現場の貴族たちは動揺し、対応に苦慮していることだろう。戦争相手のウーリゼン帝国からもらえるものはもらっておくか、頑として突き返すべきか。
その対応次第によって、ウーリゼン帝国も懐柔すべき相手が判明する、というわけだ。
アルバートはきっと分かっていることだろうが、わざわざ私を心配して話に来たわけではない。ここへは、私の意見を聞くために来たのだ。
ならば、ご期待に沿うように、私は現状を分析する。
「問題は、アルソナ王国貴族内のそうした裏切り者を処罰していくことで、我が陣営に綻びが生まれるということ」
「そうだ。それこそがあちらの狙いだ」
「味方同士の疑心暗鬼ほど、上手くいっている軍にとって致命的なものはない。特に、これだけの貴族が参戦している以上、『料理人が多すぎるとスープが台無しになる』可能性は高まる」
私の返事に、アルバートは大きく頷いた。どうやら、私たちの認識は無事共有されたようだ。
では、ここからの対処が問題だ。
私の見立てでは、目の前のアルバートは急いできたものの、慌てているようには思わない。自信満々というわけではない、けれど絶望はしていない。
私は、アルバートの脳裏に秘めた腹案を探ってみたくなった。
「アルバート、あなたには妙案がありそうね」
「妙案、というほどでもない。所詮、俺は戦の経験がない素人だ」
「それは私も同じよ。話してみなさい」
これは思考を言語化できるかのテストだ。いくら構想や分析が立派でも、きちんと道筋を立てて他者へ説明できなければ、机上の空論にさえならない。そして、誰かに促されれば話しやすくなる。それが信頼の置ける者であればなおのことだ。
少しだけ思案してから、アルバートは言葉を選びつつ、自らの頭で考えついたことを私へ開陳していく。
「向こうが我が国の貴族に爵位を与えて家臣とするなら、我が国もあちらの国ごと封建してしまえばいい。あの国は我々の家臣である、ゆえに爵位を与えられても家臣の家臣にしかならず価値はない、と」
ふぅん。私は軽く感心した。
貴族はプライドばかり高い。己の家系図や財産も大事だが、自分がどれほど偉大な者を頭上に戴いているかも大事なのだ。
アルソナ王国が古イヴェルタリー王の末裔を家臣にしているのとは逆の論理で——もしウーリゼン帝国の誘惑に負けて爵位と領地を受け取り家臣になったとしても、そのウーリゼン帝国さえもアルソナ王国の下につくものであるなら、最終的な序列は大幅に下がってしまうのだ。
そうなってしまえば、アルソナ王国が勝ったとき、うっかりウーリゼン帝国になびいてしまった貴族はどうなるか。その想像を膨らませる手伝いをすれば思いとどまりもするだろう、というアルバートの案は、間違いなく有効な手だ。
私はメイドを呼び、朝食を一旦下げさせた。サイドチェストから筆記具と便箋を取り出し、ベッド上でも使える書台に載せてペンを走らせる。
不意に、不安そうに覗き込むアルバートと目が合った。
「心配しなくていいわ、その案で行きましょう。あなたの名前を使ってお父様に入れ知恵をしておくの」
こういうとき、頼れる身内がいるというのはありがたい。
私はアルバートの案を手短にまとめ、実家イヴェルタリー伯爵家の屋敷へ急使を走らせた。
『料理人が多すぎるとスープが台無しになる』=船頭多くして船山に登る




