19話:その正体が明らかに
マルシクが扉を開けたが、それは内側からぐっと力強く押され、エリダヌスが姿を現わした。
今朝見た、あの銀髪のカツラ姿のまま、いきなりマルシクの胸倉を掴むと、廊下の壁にドンと押し当てた。
「こんな時間までリズベルト様を連れ歩き、何をしていたんだ」
覚醒して初めて会った時のエリダヌスを思い出させる、押し殺した冷たい声だった。
「指定した屋敷へも来ない。なぜ来ないのか言伝もない。騎士の基本の“報告”はどうなっている!?」
「も、申し訳ありません。確かにおっしゃる通りでした。保護に失敗したこと、指定のお屋敷のヘッドバトラーに、お伝えするべきでした」
「その通りだ。使用人と警備兵は皆、今か、今かと心配して待っていた。今後は怠らないように」
「はいっ」
マルシクが素直に非を認め謝罪したことで、エリダヌスの声のトーンはいつも通りに戻っているが……。報告を怠ったのは、マルシクのせいではない。主である私の不注意だ。
「エリス様、報告の件は私のミスです。マルクは」
マルシクの胸倉をエリダヌスが離したと思ったら――。
いきなりエリダヌスから、激しく強く抱きしめられ、一瞬、息をすることができなかった。
ハッとして我に返り、思いっきり息を吸い込むと、あのアクアの心地よい香りが胸いっぱいに広がる。
「無事で……無事でよかった、リズベルト……」
絞り出すような苦し気な声に、エリダヌスがどれだけ心配していたかが伝わって来る。
「ごめんなさい、エリス様。報告を入れるべきでした。マルシクが悪いわけではありません。これは私の采配ミスです」
「相変わらず優しい方ですね。でも君がわたしに謝罪すれば、マルクはより深く反省するでしょう。……それで何があったのか。夕食を摂りながら、教えていただけますか」
「はい。勿論です。それと……こんな状況ですが、お土産があります」
「お土産……?」と驚いた顔のエリダヌスに、スターチョコレートの紙袋を見せると……。一瞬、その美貌の顔がキョトンとしてしまう。
「まさかこれを買うために」「ち、違います!」
息をはき、ぽすっと私の頭に手を置くと、エリダヌスは美麗な笑顔を浮かべる。
「ともかく中に入りましょう。つい、わたしも取り乱してしまい、失礼しました」
こうして部屋の中に入ると、まるで申し合わせたかのように、すぐにラサとラナが夕食を運んでくれた。二人は夕食をテーブルに並べながら、ロメダの件を報告してくれる。だがこれはエリダヌスが知らない件。ラサとラナもそれは分かっているので、エリダヌスが理解できるように話してくれた。
「やはりマルク様の言われた通りのエアロファジーだと、医者から診断されました。身請けという急激な変化により、心身に疲れが出て、エアロファジーの症状が出たのではないかと。これぞという薬はないので、生活習慣を変えるよう、アドバイスしてもらいました。本当に、ご相談に乗っていただき、ありがとうございます!」
ラサがそう言ってお辞儀をしたところで、夕食がスタートとなった。
今回はいろいろと報告もあるので、取り分けや飲み物を注ぐのは、自分達ですることにして、ラサとラナには下がってもらうことになる。
「ではわたしから報告するのでも、よいでしょうか」
エリダヌスがナプキンを広げながら尋ねる。
これに異論はないので、マルシクと私は素直に頷く。
「宮殿に顔を出したところ、すぐにそれは陛下に報告され、私室へ呼ばれました。そこで『休暇のくせに、何をのこのこと宮殿へ来ておる!』とひとしきり説教を受けましたが、陛下もわたしが来た理由が分かっているのでしょう。『案ずる必要はない』と言われました」
「それは……どういうことですか!?」
じゃがいものポタージュを飲む手を止め、尋ねてしまう。
「宰相の息子であるルクルド・オークレーの検死が行われ、明らかになったことがあります。それはあの矢は、ただの矢ではなかったということです。毒矢。体に現れた毒の証、そこからその毒が何であるか判明しています。それは西の砂漠の民が用いる神経毒で、毒クモのものでした。そしてその毒クモを使う暗殺者ギルドで有名なのは『グジャ』という組織。彼らは“警告の暗殺組織”と言われています」
警告の暗殺組織。
通常、暗殺者ギルドは足がつかないよう、決め手となる証拠は残さない。
対して警告の暗殺組織と言われる『グジャ』は、あえて自分達の犯行と分かる痕跡を残す。その理由は脅しのためだ。『グジャ』が相手を脅したいわけではない。『グジャ』に暗殺を命じた依頼人が、ターゲットへ向けた脅しだ。
「今回のターゲットは、リズベルト様ではなかったのです」
「えっ……そうだったのですね」
「はい。実は宰相は、とある家門の不正調査を命じていました。それは秘密裏の調査でしたが、どうやら感づかれたようです。その結果『これ以上調査を続ければ、お前を殺す』という警告を宰相に与えるため、『グジャ』が雇われた。あくまで警告であることから、宰相本人ではなく、令息が狙われてしまったのです」
卒業記念舞踏会が開催されることで、警備が厳しくなるものの、普段、出入りしないような人々がウロウロすることができるのも事実。『グジャ』はそれを狙い、あの日、潜入した。しかも殺害手段は『毒』であるが、その手法は様々。今回は毒矢になったのは、舞踏会が始まって早々でルクルドが一人となり、狙いやすい状態だったからだ。もしルクルドがあの時、一人にならなければ。舞踏会の会場で、毒入りの飲み物が使われた可能性もあった。
「ルクルドが一人になったのは、私に無実を証明してくれる証人がいることを知らせるためでした。もし私が」
「「リズベルト様」」
マルシクとエリダヌスの声が見事にシンクロし、私は驚きながら二人の顔を見る。
「『もしもあの時』は実現しないので、考える必要はないです。過去に想いを馳せるのは、楽しい出来事のみにしてください。そして相手は暗殺者ギルド。なんとしても依頼人の要望に応える組織です。成功報酬だってあるのですから。ゆえにあの日、命落とすシナリオから、彼は逃れられなかった。それはリズベルト様に関係なく、です。“自分のせいで”とは、絶対に考えないでください」
エリダヌスはそう言うとこう付け加える。
「もしもを考えたら、わたしこそ咎人です。なぜもっとあの場に早く駆け付けることができなかったのか。王立騎士団の団長でありながら、守れたのはたった一人の命のみ。なんて不甲斐ないことか。そう、思うことになります。でもこれを聞いたリズベルト様は『団長のせいでありません』と言うでしょう。同じです。わたしのせいではなかった。リズベルト様のせいでもなかった。自分を責め、苦しむ必要はありません」
それは実に分かりやすい例えで、そしてしっくりとくるものだった。
さらにマルシクもこう言ってくれる。
「リズベルト様が連行されることになったのは、無実の罪を着せた男爵令嬢の嘘の証言のせいです。諸悪の根源はそこにあり、リズベルト様は巻き込まれたに過ぎないと思います。ご自身を責めないでください。リズベルト様の無罪を証明し、男爵令嬢の嘘を暴くことが、弔いになると思います」
そうだ。その通りだった。
二人の励ましで私は、自分がすべきことを理解できた。
自分を責めている場合ではない。
無罪を証明することが必要だった。
「ありがとうございます、エリス様、マルク。もう二度と私のせいで……とは考えないようにします。それでエリス様。実行犯は暗殺ギルドの『グジャ』と分かったのですよね。彼らを捕らえることは……」























































