②
後ろ手で扉を閉めた格好のまま、カティはまた、ため息を吐く。入る前に感じていたとおり、やはりこの委員会室は異質な空間だった。だが、もう二度とここを訪れることは無いだろう。未だ騒ぎ続ける部屋の方を一瞥し、カティはすぐに廊下を歩き始める。
今は放課後。教室に鞄を置いたまま委員会室を訪れたため、一度教室に戻ってそれを拾うと、気分を切り替えて彼女の友人がいる教室へ向かう。まだ放課後になってからそう時間が経っていないはずだし、もしかしたら彼らがまだいるかもしれない。つい一週間前に友人になったばかりの面々を思い返し、カティは朗らかな笑みを浮かべる。そのどれも、彼女にとっては今や親友とも呼べる存在だ。過ごした時間は短いが、その間に経験した密度の濃い体験が、彼女に強い絆を築かせていた。
そんな友人たちの中に、ある少年の姿を思い浮かべ、弾むように進めていた歩みが少しだけ遅くなる。記憶の中で笑う少年とは、あの頃からあまり話をしていない。こうして幾度か放課後に彼らの教室へ向かうようにしているのだが、都合がつくことが少なく、その中でもとりわけ関わりの少ないのが彼だった。他の友人らとは、同性であるという気安さから同じ時間を過ごすことも多いのだが、彼は異性だ。そのために色んな行動が躊躇われ、結果として少し疎遠になってしまったような気がする。
(こんなつもりじゃなかったのになぁ……)
先週に起こったある事件以降、カティはずっとその少年に少なくない好意を抱いている。それは明確な形なって表れるほどに大きなものではなかったが、それでも十代と言う年頃であれば、大切に育てていきたいと思えるものだった。だからこそ、限りある時間の中で触れ合う機会を多くしたいと願っているのだが、まるで都合が合わない。そもそも、その少年は何故か一日の大半を妹と過ごすほどのシスコンであるため、二人の時間を作ることなど皆無のように思われた。
(うぅ……柊くんのシスコン。椿のブラコン……)
その少年、柊零余と妹である椿の名前を呼び、内心で悪態をつく。だが、こんな言葉が彼らに何の意味も為さないことは、カティが良く知っていた。それどころか彼らは、それを喜んで受け入れ、肯定するほどに筋金入りなのである。カティのもう一人の友人などは、彼らをシスブラコンビなどと揶揄するほどだ。
そんな思いを引きずったまま彼らの教室を訪れると、ちょうど彼女の友人の一人、桜庭恋が出てくるところだった。何より目立つフードつきのパーカーと男子用の学生服を着たこの美少年のようにも見える生徒は、歴とした少女である。常に棒つきキャンディーを嗜好品のように咥え、気だるげな瞳が特徴的であり、フードからこぼれる髪色はプラチナブロンドだ。顔立ちは確かな日本人のものだが、その髪色はまるで純正の外国人のような輝きを放っている。その髪は枝毛の一つも無く綺麗に流れており、思わずカティが嫉妬してしまうほどだ。そうした女らしさにはまるで気にかけているように見えないにもかかわらず、この少女はずるいと思う。
「お、カティじゃん。どした?」
そんなカティの思いなど露知らず、気楽な調子で恋が声をかけてくる。あの事件後に発覚したことだが、この少女は一般人と呼ぶにはいささか語弊のある立場らしい。それを本人が明確に口にすることはなかったが、本来であればこんな風にフォルセティに通う人間ではないとか。それでも本人が好んでこの学園に通い、教えられるまでもない教育を受けているのは、何故なのだろう。その辺りはカティも色々と考えていたが、恋が口に出さないので正直気にしないで置くことにしている。カティにも秘密があったように、恋にもそれ相応の秘密があるのだろう。
しかし、カティにはある邪推もあったりする。この桜庭恋と言う少女、基本的に排他的らしい。他人を寄せ付けないところが多く、所属しているクラスでも友人は零余や椿含めて後一人、二人だそうだ。友人をさほど多くは作らず、一匹狼を好んでいる節もある。そんな恋が零余たちにだけは親しく接し、信頼を置く意味。
(まさか……)
普段の言動や行動からは、とてもそんな風には見えない。だが、人間とはそんなに分かり易いものではなく、むしろ男友達のようなノリをしてはいるが、その振る舞いは逆に言えば零余と常日頃からスキンシップを交わしていると言うことでもある。カティも幾度か目にしているが、零余も異性の中で恋にだけは気安く接し、口調もカティに接するそれと比べてもずいぶんと砕けたものだ。
何より、そう何よりである。恋は、零余のことを親しげに愛称で「レイ」と呼んでいるのだ。零余自身も恋のことは呼び捨てにしており、男女の二ヶ月と言う間柄とは思えないほどの密な関係を構築している。一方でカティと言えば、未だに「カティさん」のさん付け呼びだ。最初に敬称付けされた際は、特に疑問も覚えなかったが、今はそうではない。「さん」と言う日本特有の呼び方に距離間を感じてしまう。
(大体、エドガーと戦ったときは、一回だけ呼び捨てにしたくせに)
などと思ってはみたものの、その想いが零余に届くことはない。なら意を決して呼び方を変えてもらおうか、と考えてはみるものの、今さらながらの気恥ずかしさが先行してしまい、それも上手く切り出せない。それに変な勘違いをされたくもない、と言う思いもある。カティにとって零余は、あくまでちょっと気になる男子であり、恋する男子ではないのだ。奇妙な誤解が原因で関係が拗れ、結果、望みとは違う関係性が築かれでもしたら全てが終わりだ。
(けど、これってただの言い訳よね……)
結局、全ては勇気が出ない己の不甲斐なさが呪わしい、と言う結論に至り、カティは先から続いて三度目になるため息を吐く。
そんなカティの思考を知らない恋は、目の前で唐突にため息を吐かれ、小首を傾げる。
「どうしたんだよ、ため息なんて珍しいじゃん」
「ううん、別に何でもないわ。それより恋、あなた一人なの?」
キョロキョロと恋と常にいる二人の姿を探し、カティは見つからないことに疑問を覚える。同じクラスに在籍する彼らは、下校時は常に同じだったはずだ。しかし今、帰路につく恋の隣には誰も見られない。恋も誰かを待っていると言う風もなく、すぐにでも帰る予定なのだろう。
「ん、ああ。今日は、レイと椿は休みだってよ」
「休み?」
思いがけないその言葉にカティは、そう繰り返してしまう。しかし、この六月と言う季節柄、風邪と言うことも考えられず、何より二人とも休みであることが不思議だった。どちらか一方が休むならともかく、二人とも欠席していると言うのは奇妙な話である。まさか、いくら仲が良いからと言って風邪を引いた兄妹に四六時中付きっ切りで看病するはずもないだろう。
カティの問うような視線に恋は首を振り、分からないと言った風に答える。正確な情報は伝わっていないようだ。
「残念だったな、レイと一緒に帰れなくて」
不意に、恋が冗談めかしてそう口にする。意地悪な笑みと共に放たれたその言葉に、カティ自身も予想以上に動揺してしまう。
「な、ち、違うっ。別に、そんなつもりは……!」
「いいっていいって。アタシの恋は、恋愛の恋だ。色恋お任せドンとあれ、ってな」
何故か胸を張り、握った拳をそこに叩きつける恋。そのふざけているのか本気なのか判断のつかない様子に慌てる自分が馬鹿らしくなり、カティはふっと笑みを零した。それを見て、恋も少女とは思えないほどに快活な笑顔を浮かべる。その笑顔は、可愛いや愛らしいとは違うものの、女のカティが見ても惹きこまれるような純真な色があった。
(こういう笑顔に……柊くんも……)
思わず、想像の中で零余に笑いかける自分の姿を思い浮かべる。その表情に恋のような、少年のように子供らしい無垢な表情を付け足してみると、何故か曖昧に笑う零余の姿が浮かんだ。自分がいきなりそんな顔をしても駄目だと気づき、カティは無力感に打ち倒される。結局、そう言う気質の持ち主が浮かべて初めて効果があるのだろう。馬子にも衣装は、現実ではあまり通用しない。
「ってなわけでカティ。今日、これからレイの家に行こうぜ?」
「え、柊くんの?」
恋の出した唐突な提案に、カティは馬鹿な妄想を打ち消し、思案する。確かに零余の家に訪れる、と言う提案は悪くないかもしれない。病気かもしれないと心配したと言う口実も付ければ、距離を近づけることも間違いないはずだ。だが、一方で不安に思うこともある。
「迷惑、じゃない?」
零余とカティは、さほど親しくはない、とカティは思っている。零余本人がどう思っているかは別として、その思いがカティを一歩踏み出すことを躊躇わせた。一度、カティは零余の家に上がっている。だから二度目も構わないだろうと言う気持ちもある。一方で二人して休んで、本当に大変なことになっていたらどうしよう。迷惑になるかもしれないと不安に思う気持ちもある。
そんなカティの心持ちを知ってか知らずか、恋はその不安を一笑に付した。
「馬っ鹿、レイがそんなこと思うわけねーだろ。むしろ、今から行くって言ってやっといた方が困らせずに済むかもな」
「そう、よね。うん、そうよ。それに椿の友達なんだし、椿に会いに行くだけよ」
「……そう言う誤魔化しは後で尾を引くぞ~。まっ、良いけど。んじゃカティ、一応、レイにその連絡を入れてくれ」
恋の言葉に頷き、カティは携帯を取り出した。そのまま電話帳をスクロールしようとして、その動きを止める。カティは、ある重大な事実を思い出してしまった。
「私、柊くんの連絡先を知らない」
「え……マジ?」
さすがに恋も驚き、ポツリと漏らしたカティを振り返る。あの衝撃的な事件を乗り越え、多少なりとも仲良くなったはずの二人だと言う認識が恋の中で出来上がっていた分、連絡先の一つも交換していないと言う事実は彼女を心底驚かせた。同時に記憶の中でアホな表情を浮かべる友人を思い出し、何となく納得がいってしまい、心の中で頭を抱える。
「ど、どうしよう?」
何故か泣き出しそうな表情で見つめてくるカティに、恋はそっとその肩に手を乗せた。言うべき言葉は一つだけである。
「頑張れ」
「ちょっと!? 恋の恋は、恋愛の恋じゃないのっ!」
「ごめん、間違えた。恋の恋は、悲恋の恋だわ」
「ひ、れん? い、意味は分からないけど、不吉なことは伝わったわ!」
どうしようどうしよう、と繰り返すカティの姿に目を伏せ、恋はポケットから携帯を取り出す。当然、そこには零余の連絡先が入っている。だが、それを口にすることはどうしても躊躇われた。何故か、傷を負ってフラフラのボクサーに容赦のないパンチを浴びせる場面が思い浮かぶ。そんなものをカティに叩き込んでしまえば、一発KOは免れない。ここは一つ、嘘でも吐いて零余がそう言う奴だという認識を与えておくのが最善だろうと思われる。
「そ、そういや、アタシもレイと連絡先交換してなかったわ~。いやぁ、あいつはあんまりそう言うのは無頓着だからなぁ~」
「……ホント?」
震える声でカティが尋ねる。まるで希望に縋るような瞳に思わず恋は目を逸らしつつ、コクコクと頷いた。
しかし、不思議な話である。零余はあれで割と恋愛に興味のあるタイプだったはずだが、カティほどの容姿の整った相手に何のアプローチもかけていないのは何故だろう。人見知りしない性格でもあるから、ある程度仲良くなった相手であれば連絡先の一つは交換しているはずだが。考えても答えは思い浮かばず、恋はとりあえずこのどうにもならない少女をどうにかしてやろうと本気で思い始めていた。




