プロローグ
桜色は、白に近いピンク色を想像してください。
少女が走るたび、道行く人々が奇異の視線を持って振り返る。
大通りに面した道のり。早朝を少し過ぎたばかりのこの時刻、通勤途中のサラリーマンが数多く歩き、それとは逆走するように学生服を着た一団が歩いていく。それは、どこの日常にでもある一風景。特に近くに学校を持つ都市であれば、さほど珍しくも無い光景だ。その地に住まう社会人は駅に向かい、一方で駅からは学生が来る。特に何てことの無いその光景の中で、その少女だけは特殊だった。
上がりかけの太陽の光を浴びて透き通るように輝く赤みがかった白い髪、透過する海底を思わせる淡い蒼の瞳、それらを併せ持つ身体は褐色であり、その身にまるでワンピースのような白くボロボロの衣服を纏っている。地面を踏む足は何も身に着けておらず、水中で溺れたようにもがきながら走る様は、見る者を不安にさせるほど疲弊した様子を窺わせた。そんな状態でありながらも彼女は一歩も足を止めることなく、目の前を飛んでゆく光る白い鳥のような何かを追いかけ続けている。しかし、そこにはあるのは子供のような無邪気さではなく、何かもっと見る者を不安にさせる危うさがある。
その少女が向かう先にあるのは、この日本でも特殊な教育機関だ。魔術を学ぶクラティアを育成し、次代のソルシエールを輩出することを目的としたその学園の名前は、フォルセティ。魔法使いのための学校である。
すでに開かれた校門を抜け、特に引き止められることも無く、少女はその敷地内を駆ける。その足取りに迷いは無いが、少女が行き先を知っているわけではない。彼女の前にある白い鳥が、彼女の行くべき場所を教えてくれるのだ。その先に何があるのか、彼女自身も知らず、けれど足を止めることは決してない。ここで足を止めれば、彼女は二度と前に進めなくなる。
校門を抜けた先にある大きな建物を通り過ぎ、入り組んだ道を行った先には、自動で動くオートウォークがある。少女はそれを前に思わず足を止め、しばし硬直した。見慣れないその動きにごくりと唾を飲み込み、意を決して飛び乗る。途端、足に広がる奇妙な感覚に慌て、思わず尻餅をついてしまった。
「あひゃっ!」
奇妙な声を上げて少女は転ぶ。それを見つめる者は誰もいなかったが、思わず頬が熱くなってしまう。しかし、そうこうしている間にも白い鳥はどんどん先へと進み、慌てて少女は立ち上がると、一目散に追いかけた。だが、その足が白い鳥に届くより前に、何者かに肩を叩かれる。反射的に振り返れば、そこにいるのは一人の女性だ。見慣れないその女性に少女は怯えたように一歩後ずさる。そんな少女とは対照的に、女性は優しげな笑みを浮かべていた。
「きみ、ここの学生じゃないね? それにその格好……何かあったのかな?」
はっきりそうと分かるほどに優しい声音に少女は戸惑い、二の句を告げないでいる。そうしている間にもどんどん鳥は飛んでいき、少女がその事実を思い返して振り返った時には、すでに見えなくなってしまっていた。慌てて、少女は走り出す。背後の女性が何かを言っているが、それを聞いていられる状況ではなかった。あの白い鳥がいなくなれば、少女は終わりだ。
「ま、待って……待って!」
呼びかけに応じた様子も無く、白い鳥が戻ってくることもない。それでも何とか消えていったであろう道を思い起こして走り抜けた先には、四角い長方形を思わせる大きな建物があった。その建物の最下部が口を開けるように自動で開き、そこから一人の少年と少女が現れる。見れば、消えていった白い鳥がその少年の上でパタパタと舞っていた。少年は、その鳥に気づいた様子は無い。
この人だ、と直感的にそう感じた少女は、全力で少年の下へと駆けてゆく。少女に気づいた少年が怪訝そうに眉を顰め、その隣に立つ似た顔立ちをした少女が一瞬だけ眼光を光らせるが、今の少女にそれを気にしている余裕は無かった。息も切れ切れに少年へと駆け寄り、無造作に開かれたその胸元へと飛び込む。
「な――っ!?」
「…………っ!?」
少年の隣に立つ少女が驚いたような声を上げ、抱きつかれた少年が焦ったように息を漏らす。その反応は至極真っ当なものであったが、少女はそれを気にして入られなかった。抱きついた胸元の温かさと安心感に安堵を覚えながら、そっと少年から身体を離すと、今にも泣き出しそうな両の瞳を少年へ向ける。
「え、っと……君……誰?」
その時、少年が浮かべたのは、見る者の不安を和らげる穏やかな笑顔だった。その表情に魅せられ、少女の中にあった不安への防波堤が一気に決壊する。堪えていた様々な感情が一斉に顔を覗かせ、持て余した想いが涙となって溢れた。
ぽろぽろと大粒のそれを零し、それを両手で拭いながら、嗚咽交じりに少女は答える。
「リ、リーシャ……ランゲル、です……」
続けて、少女は一つの願いを少年に託す。それを叶えてもらうために、彼女はその身一つで長い長い道のりを駆け抜け、こんなところまで来たのだから。
「わたし、を……助けてください……っ!」
紡がれたそれは、救いを求める言葉に他ならなかった。




