⑧
去っていく先輩の後ろ姿をちらりと一瞥し、エドガーはカティの方へ目を向ける。話があると呼んで連れて来たはいいが、どう話せば上手く伝わるのかが分からなかった。考えてみれば、エドガーは口の上手い方ではない。他人に想いを告げるのが苦手、と言うほどではないが、自分の本心はさほど口にしてこなかった男である。
妹の抱えているもの。未だ燻り続ける想いに、エドガーは気づいている。だが、それを真正面から妹に告げて本当に良いものかどうか迷っていた。
(だが……ある意味で俺しかいない)
エドガーは、あの光景を思い出す。炎の中で泣き続ける妹の姿。自身の顕現した力に脅え、いらないと口に出していたあの過去を。
エドガーとの戦いの際、確かにカティは過去を乗り越え、真っ直ぐに歩き出したはずだった。カティ自身、そう思っていることだろう。自身がコロッセオに巻き起こした現状を見ても笑い飛ばし、守る力だと言ってのけていた。
しかし、本当にそうだろうか。過去とは、確かに時間が経てば経つほど薄れ、本人も無意識のうちに希薄になっていく。だが、想いは違う。強すぎる思いは、常に心の底で根を張り続け、ふとした表紙に種を撒き続ける。いくらそれを断ち切ったと思っていても、わずかな拍子に思い起こされ、その痛みに思い悩む。
カティは、乗り越えた。だが、積み重ねた歳月は、彼女の中に何度も何度も種を撒き続けた。零余によって断ち切られた最も成長したそれを取り除いたとしても、地に舞った種までは取り除けない。それが東堂のポシュシオンによって芽吹き、瞬く間に彼女の心に絡みついたのだ。蔦のように彼女の心を縛りつけ、その力に対する恐怖、忌避する心をカティの意思とは関係なく開花させてしまった。だからこそ、カティは“爆轟の奏歌”が出せずにいる。それも一度、自身で乗り越えたと思ってしまっている以上、その意識を変えるのは恐ろしく難しい。彼女自身が自覚せず、己の力を疎んでいるのだからそれも当然だ。
(カティの想い……己の力を嫌う意思。そんなものをどうすれば――)
「兄さん? こんなところまで連れてきて、どうしたの?」
声をかけられ、エドガーは自分が熟考していたことに気づく。話したいことも纏めずにカティを連れてきたせいか、考え過ぎてしまったようだ。
「あ、ああ、すまない。その……なんだ」
言葉を紡ごうとして、エドガーは何も言えなかった。何を言えばいいのかも分からず、結局押し黙ってしまう。手持ち無沙汰な左手がポケットに出たり入ったりを繰り返し、それに気づいたカティがそっとその左手を手に取った。
「左手、治ったのよね?」
「ん? ああ、あまり言いたくは無いが、東堂のおかげでな。しかし、奴のせいで俺はお前を散々傷つけてしまった。素直に感謝は出来ないな」
「そうね。お互い」
エドガーの左手を見るカティの目が懐かしそうな、それでいてどこか嬉しそうなものになる。その表情を見て、エドガーは思い出した。過去の光景の中、炎が燃える中でカティが言い続けていた言葉。血塗れになったエドガーの左手を痛ましげに触れ、涙を零しながら飽きることなく繰り返していた一言。
「……ごめん」
ぽつりと、カティはそう小さな声かつてと同じ呟きを漏らした。
(ごめん……か)
何度も何度も、彼女はそう言い続けていた。自身の炎に対する恐怖の根源。それを抱いた最初の気持ち。
何を憂い、何を厭い、何を嫌ったのか。
全ては結局、誰かを傷つけたと言う事実、それが根底にある。
なら、エドガーは考えるまでもなかった。どんな言葉をカティにかければいいのか、それが分かってしまった。
「謝る必要はない」
「……兄さん。でも……」
息を吸い、エドガーはもう一度言う。心の底から、不器用な思いの丈を口にする。
「謝るな!」
「に、兄さん……?」
その大声に、カティもさすがに驚いたようだった。少なくとも彼女からしてみれば数年越しにあったエドガーは、こんな風に必死になって叫ぶ男ではなかった。いや、過去にも無かったかもしれない。今、エドガーはらしくもなく必死な様子で言葉を放っていた。
「お前に言いたかった言葉がある。あの日、俺はそれを言うことが出来なかった。だから、今この場で言わせてもらう!」
「な、なに……?」
すぅ、と大きく息を吸い、エドガーは吐き出した。こんな言葉、誰かに告げるなどいつ以来だろうか。謝罪は口に出すことはあっても、この言葉を告げることは久しく無かった。能力が高すぎるゆえに他者へ頼ることもなく、一人で長く歩み続けていたせいで忘れていたある想い。
それを今、彼は口にする。
「ありがとう、カティ」
「――え」
その時、カティは目を見開き、動きを止めた。そんな彼女をしっかりと見据え、エドガーは言葉を続けていく。
「あの時、お前がいなければ、俺は左手どころでは済まなかった。もしかしたら、殺されていたかもしれない。だから、ありがとう。お前の振るった力が俺を守ってくれた。今、俺をこうして生かしてくれている。お前の守る力のおかげで、俺は生きている」
「ま、もる……ちから……」
カティは、その言葉を反芻する。零余に言われ、初めて気づかされた自身の力の本質。何を願い、何を想って現れたのか。
守りたかったがゆえに傷つけてしまった兄を見上げる。その兄は、必死な顔で何度も言葉にしてくれる。ありがとう、と。それはある意味、救いに近い何かだった。あの時、己の力で兄を傷つけてしまったことを呪い、血塗れの左手を見て涙を零した。何度も何度も謝り、その後に聞かされた兄の状態に、己のしでかした罪を思い知らされた。
ずっと、カティは自分は罪人だと思っていた。兄から左手を、剣を奪ってしまったとそう思い、罪の意識に苛まれた。それは、今でも変わらない。兄に何をされようと、それは変わらなかった。全ては自分の責だと、そう自罰し続けている。
そんなカティに、エドガーは感謝の言葉を告げる。それだけではない。彼自身の言葉で、カティの力を守るものだと認めてくれた。自身が傷つけてしまった大事な人が、守る力だと賛美してくれた。
(そうだ、守るんだ……)
忘れていた想い、封じられていた意識が芽生え始める。それは瞬く間に炎となって燃え上がり、ポシュシオンによって芽吹いた花どころか、そこにあった種すらも燃やし尽くした。
己の遂げたかった想い、望み得た力を思い出す。
カティの瞳に緋色が宿る。それは、ブレイズフォードの証たる紅玉の瞳。信念熱く燃え広がり、何よりも尊く真っ直ぐに灯り続ける不屈の燈火。
爆発的な魔力を取り戻し、彼女は戦場へと舞い戻る。




