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クラティア・コロッセオの構造は、長径百八十八メートル、短径百五十六メートルの楕円形であり、高さは四十八メートル。観客動員数は約四万人を誇る、イタリアにあるローマ帝政期に造られた円形闘技場を完全再現した構造となっている。とはいえ、フォルセティの全校生徒数は約四千人。もちろん、コロッセオの観戦の門戸は、学園外部の人間にも開いており、一定の手続きを踏み、中学生程度の小遣いがあれば、誰でも観戦することは可能だ。それでも普段であれば、このコロッセオの観客席が埋まることはほとんどない。それが現実となるのは、夏と冬に行われるコロッセオ・トーナメントであり、このフォルセティ最大規模の武闘祭は、夏の甲子園に匹敵するほどの人気を誇る。その際はほぼ満員御礼となるのだが、それとは別にこのコロッセオの観客席が埋まることがある。
それがグラディアートルの試合だ。もちろん、ただグラディアートルが試合を組まれるだけでは観客席が埋まるとは限らない。コロッセオの人気者、ランク十位以内の実力者たちであっても、その人気だけでコロッセオを埋め尽くすことは難しい。だが、グラディアートル同士の試合となれば別である。共に有力な実力者のぶつかり合いともなれば、それを見たいと思う者は必然的に集まるのだ。
しかし、今回はそのどちらにも当てはまらない。であるにも関わらず、コロッセオの観客席のほとんどは、多くの人間で埋め尽くされていた。この常にない光景の理由は、今回の試合に採用された変則的な形式にある。
二対一。一対一を主軸とするコロッセオにおいては異例の、しかし前例の無いわけではないこの試合形式は、対戦相手がコロッセオの人気者であるグラディアートルであり、対戦する二人に兄妹関係があると言うことも相まって、異様な人気を呼び起こしたのだ。さらにこれを追加すべきどうかはあまり定かではないが、対戦する一人の中に“座王”と呼ばれる二つ名持ちがいた、と言う事実もここに付け足しておこう。少なからず観客の動員に一役を買ったと思われる。
今までに無いぐらいの異様な熱気に包まれるコロッセオの観客席を、桜庭恋は少しだけ圧倒されながら歩いていた。ポケットから新しい棒つきキャンディーを取り出し、包装を解いて口に咥える。その甘い味わいに満足したような表情も、耳元に響いた逸り気味の声援に曇っていく。時折聞こえてくる呼子の声がその騒音に拍車をかけ、はぁ、と恋はため息を一つ吐いた。
観客席の最下段からコロッセオの決闘場に視線をやる。そこには、これから戦うこととなっている三人の姿はまだ見えない。試合が始まるまでにはまだ数分だけ残っており、試合開始前に決闘場に出てファンサービスを行うこともできるのだが、グラディアートルであるエドガーや“座王”の二つ名を持つ零余にそれを行う意思はないのだろう。開かれたまま誰も出てこないゲートの奥は薄暗く、その先を窺い知ることはできなかった。
いつまでもそうして眺め続けていても良かったが、自分を鬱陶しそうに見ている観客の視線に気づき、恋は場所を移すことに決める。ぐるっと楕円を回り込むように歩き、席を探すが、さすがに最も決闘場から近いこの場所に今の時間から空いているはずもなく、途中で恋は諦めた。軽く見回し、適当に空いてそうな席を探す。すると、そこで一人の見知った少女の顔を見つけた。彼女は、熱狂に湧く観客とは裏腹に背筋を伸ばしてしっかりと席に腰を下ろし、ジッと決闘場を見つめている。その真摯な瞳と落ち着いた佇まい、整った見た目がそうさせるのか、少女のその周りだけは不自然に席が空いていた。
恋は少女に近づき、その肩に手をやる。
「よっ、椿」
声をかけると、椿は振り返り、安堵したように相好を崩す。何やら緊張した様子だったことに疑問を抱きながら、恋はその隣に腰を下ろした。ひんやりとした椅子の感触がズボンを越えて伝わり、熱気に当てられていた身体がスッと冷えていく。しかし、それで完全に暑さが紛れたわけではない。六月のこの湿気の多い時期に、これほどの人が一箇所に集まっているのだ。その暑さも相当なものがある。
「恋さん。試合、見に来てくれたんですね」
椿は、嬉しそうに声を弾ませる。今まで一人でこの場所に座り、これから始まる激闘を固唾を呑んで見守っていたのだから、その心の負担も相当なものだったのだろう。恋と言う友人を得たことで、幾分か楽になったようだった。
「まぁ、アタシだけ仲間はずれっつーのも癪だしなぁ」
言いながら、恋は視線を逸らし、咥えたキャンディーの棒の先を忙しなく弄っていた。いざと言う時に三人の力になれなかった負い目があるのだろう。
そんな恋の様子を微笑ましそうに眺め、椿は決闘場の方へ向き直った。そろそろ、その時が来る。観客はその熱量を上げていき、歓声は一際大きく、強くコロッセオを震わせる。一つの声は二つに、二つの声は三つに、三つの声は四つに、一が百になり、百が千になり、数えることもとうに飽き果てるような人数の声が響き渡る。
これが本当のコロッセオ、熱狂と狂騒渦巻く戦士の闘技場。
このフォルセティに入学したばかりの椿も恋も、その心臓まで震わせんとするかのような大熱狂に呆気に取られていた。ついに見せたクラティア・コロッセオの本当の姿とも言うべきそれは、今まで彼女たちが見ていたものとは様相を異にしている。
その熱狂に応えるように、恋たちから見て奥のゲートから一人の男が姿を現す。
緋色の瞳の奥に極寒の大気を宿し、一歩進むたびに殺気を撒き散らす獰猛な野獣。愉悦に口元を歪ませ、これ以上ないほどの歓喜に打ち震える、“不可避の刃先”の異名を持つ男――エドガー・ブレイズフォード。
エドガーが登場した瞬間、野太い声援の中に黄色いものが多く混じったことは、恋の勘違いではないだろう。あの高身長に目鼻立ちの整った顔立ち、おまけにグラディアートルという実力者、女性人気を集めないはずがない。その正体を知らなければ、だが。
(あれが……エドガー、か)
恋は注意深くその姿を観察し、続いて対面のゲートから現れた二人組に視線を移す。
緋色の髪を靡かせ、同色の瞳に闘志を宿す少女――カティ・ブレイズフォード。
その隣を歩き、珍しくもやる気に満ちた表情を浮かべる“座王”の二つ名を持つ少年――柊零余。
そこにいたのは、手を繋いで並んで歩く友人たちだった。
瞬きし、恋はもう一度確認する。遠目からだから良く分からなかったのかもしれないため、再三に渡って注視した。
(んー、やっぱり手ぇ繋いでんな)
これは驚きである。二人の驚異的な速度による関係の発展に恋は驚かされたが、男女の仲とは得てして常識通りにはいかないもの。こんなこともあるか、と漠然とだが納得しておいた。
しかし、そんな彼女とは裏腹に、隣に座る二人組の片方の少年の妹は、全く納得できていないようだった。身体をガタガタと震わせ、エドガーにも匹敵しようかと言う殺気を撒き散らしている。
「つ、椿?」
「確かに……兄様をよろしくとは、言いましたけど……そういう意味じゃ、ないですよ……っ」
「椿! 顔、顔やべーって!? 般若みたいになってるからっ!!」
怒りの熱量さえも巻き込んで、観客は更なる盛り上がりを見せていく。




