⑦
ちょっと視点が変わります
長く続く廊下の奥。一際開け放たれたその場所は、人工的な明かりに包まれ、幾つものモニターに包まれた部屋だった。部屋の中央には数台の寝台が並んでおり、そこには十代半ばの少年少女たちが横たえられている。瞳は閉じられ、かすかな呼吸だけを繰り返す彼らは、二ヶ月ほど前から続いているフォルセティの失踪事件の被害者だ。その身体には幾本ものケーブルが延びており、ケーブルの先には寝台の横に備え付けられたモニタがある。映っているのは、心拍数や血圧といったものだが、それとは別の奇妙な波形も見受けられた。不規則な揺れを示すそれは、いわゆる体内に宿る魔力の流れを示すものであり、その道に興味のない者には何ら意味を示さないものだが、それを一心に眺め続ける男からすれば違っていた。
男の出で立ちは、白衣にメガネといういかにも研究者といった風体である。身長は平均よりも高いものの全体的に線は細く、頬は食事を取っていないのかのように痩せこけている。一言で表現するなら、枯れている、というのが良く似合う。まるで枯れ木のような男だ。
男は、モニタに映る波形を逐一眺め、手にしたタブレットに何かを打ち込んでいく。それを全員分調べ終えると、部屋の脇に置かれた椅子に腰を下ろし、机の上に置かれたコーヒーの入ったカップに口をつけた。だが、一口飲んだところでその表情は不味そうに歪む。それもそうだろう。そのコーヒーはつい十時間ほど前に入れたきり放置していたものである。この室内は常温ではあるが、温かかったコーヒーを冷ましてしまうには十分なほど時間が経っている。豆から挽いたコーヒーであれば冷めても美味いだろうが、市販のインスタントコーヒーでは言わずもがなだ。
男は、少し何かを思案するような表情を作ると、おもむろに手をカップへ伸ばしてみる。その手から常人では視覚できない淡い魔力の光が流れ出し、カップを包み込んでいった。それを数秒ほど続け、男はそっとカップを包むように持つ。熱さは十分だが、口に運んでみるとやはり不味かった。冷めたインスタントコーヒーは不味い。温めても不味い。
何を思ったか、男はペンを取り出し、それを白紙の用紙に書き込んでいく。それを一瞥し、彼は満足そうに頷いた。
「おんやぁ、なーにしてるんですかぁ、せんせー」
不意に少女の声が耳元で発せられる。先生と呼ばれた男は、メガネの位置をくいっと整え、隣に立つ少女に目を向けた。そこには、いつの間にかフォルセティの学生服を着た少女が立っている。特徴的な三白眼を持ち、何が楽しいのかニコニコと笑みを浮かべた不思議な雰囲気を纏う少女だ。その視線は先生の書いたメモに向けられていた。
「冷めたインスタントコーヒーは、温めても不味い? そりゃそ~でしょ。先生ってば無知ですね~」
「酷いなぁ、歩美くん」
言いながら、先生はもう一度コーヒーを啜る。やはり不味いが、温かい分だけ飲めないこともなかった。
「それにしても、君がここに来るのは珍しいね。何かあったのかい?」
先生がそう問いかける間に、歩美は興味深げに周囲の様子を眺め見ている。時折、寝ている学生たちの頬をぷにぷにと突いているところを見ると、かなり自由奔放な性格をしているのが良く分かる。
歩美のそんな振る舞いに苦笑を浮かべながらも先生は特に何も言うつもりはなかった。触る分には、さして支障もない。
「ってそうだそうだ。先生に報告があるんだったぁ」
「報告?」
「うん。エドガー、契里くんを連れて帰ってきましたよぉ。それとかなーり怒ってますね、あれ」
「ああ……」
先生は頭をかき、情けない表情を浮かべる。思い起こされるのは、エドガーの冷たい緋色の瞳だ。実験の協力者でもあるエドガーだが、あの目に宿る闘志には中々のものがある。危害を加えることはないだろうが、文句の一つは覚悟しておかなければならないだろう。
先生のそんな内心の変化を表情から読み取り、歩美は楽しそうに笑う。今回の件には間接的ながら彼女も関わっているはずだが、彼女だけはエドガーに対して何らの思いも持っていないようだ。いや、それは誰に対してもそれは同じか。
メガネを外し、先生は鼻頭の両脇を強く揉む。しばらく休憩を怠っていたせいか、若干の疲れが残っていた。
「それで目標のほうはどうなったんだい?」
「いやいや、無理無理。エドガーがあっさり見逃しちゃいましたぁ」
「そっか、残念だな」
さしてそうとも思っていない調子で呟き、先生は天井を見上げる。人工的な明かりが点々と点されるそこには、窓一つなかった。場所ゆえに仕方のないことだが、そのことがいつにも増して閉塞感を与えてくる。こんなことを思うのは、やはり物事があまり上手くいっていないからだ。
先生と呼ばれた男は考える。
彼の研究は、少しずつ、少しずつ進められてきたものだった。そもそも研究というのは試行錯誤を繰り返し、時間をかけて行うものであり、早々と結果が得られるものでない。中には、何年何十年かかっても成果を上げられない者もいる。そんな中で彼の研究の進捗具合は、そのテーマを思えば、かなり順調に進んでいたと言えるだろう。その中で契里直哉や歩美、エドガーといった賛同者も手に入れた。そうしてあと少しで完成というところまで来ていたのだが、ここ数ヶ月は本当に成果が上がらない。研究が遅々として進まない。
しかし、それも二ヶ月前までのことだった。二ヶ月前、彼はある少女と出会い、その身に宿す力に気づいた。その時の喜びと言えば、今までにないほどの歓喜だったと言っていい。だが、あろうことかその少女は大怪我を負って入院するようになり、彼の方からは手出しができない状態となってしまった。おまけにそれを為したのが自身の賛同者ともなれば、その時の憤慨と絶望の度合いも推し量れると言うものだ。そうして二ヶ月、ようやく少女が普通の生活を送れるまでに回復し、喜び勇んで刺客を送り込んだところでこれである。
とはいえ、これも半ば予想のうちではあったのだ。常々聞かされていたエドガーの望みを鑑みれば、むしろ先生の方こそ気を急き過ぎたと言わざるを得ない。待つことは嫌いだが、急がば回れと言う言葉もある。
(いずれ……いずれ、ね)
どうせ目的のものは目の届く場所にあるのだ。それが逆に口惜しいものだが、エドガーの満足度を満たしてやればそれで済む。ならば、戦う舞台を用意してやることが得策だろう。
「あ、エドガーだ」
指差す歩美に反応し、先生は背後を振り返る。そこには、廊下を歩いてくるエドガー・ブレイズフォードの姿があった。その表情には一切の友好性は感じられないが、同時に敵意のようなものも見られない。怒っている、と歩美が言っていた割には、少しだけ拍子抜けしたものを先生は感じていた。
エドガーは、先生の近くで立ち止まると、抱えていた契里直哉の身体を放り投げる。無造作に放たれたその身体は、地面に強く打ち付けられた。当たり所か悪ければそれなりの怪我も予想できるが、この場の三人にそれを気にした風もない。
「こいつを差し向けたのはあなたか?」
「あー……うーん」
名指しされ、先生は頬を掻く。気まずそうな表情を浮かべて視線を逸らせば、そこにはいやらしい笑みで事態を見守る歩美が見えた。どうやら、この状況を助けてくれるような働きは期待できそうにない。
エドガーの鋭い視線が刺さる。敵意は感じられないが、特殊な色の瞳で見られればそれだけで心に来るものがある。
「何か、問題かな」
結局、先生は開き直ることに決めると、何の躊躇もなくそう口にした。穏やかな笑みの奥深くに暗いものを潜ませ、作ったような笑みを形作る。そこには、エドガーのものと似てはいるが、異質の恐ろしさが備えられている。
「……いや、別に構わない。どうせ今回のことは未遂に終わった。それにあいつとのことは、明後日に決着がつく。それまで手を出さないのなら、俺の方も何かを言うつもりはない」
「ほう、明後日」
「そーそー。コロッセオで試合するんですって。しかも二対一の変則バトゥール! いやぁ、見物だなぁ。楽しみだなぁ」
歩美は、まるで空気を読まずに能天気に言ってのける。そんな彼女に先生は呆れたような目を向けるが、言ってもしょうがないので何も言わなかった。エドガーにいたっては、歩美の方を見てすらいない。
(それにしても明後日、コロッセオか)
良いことを聞いた、とばかりに先生は愉悦をわずかに滲ませる。事は早く進行した方が良い。明後日、きっとエドガーの心も満たされることだろう。そうして先生は、悲願を果たすことができる。
歳を無視した少年のような心持ちに自分自身で呆れてしまうものの、彼は興奮する気持ちを抑えきれずにいた。それでも二人の手前、表面上は平静を装うことを忘れはしない。仮にも大の大人が見っとも無い姿は見せられないものだ。
「その試合のことだが、俺も万全を期したい。あなたの研究成果を貸してもらえないか」
柄にもなく、エドガーはそんな頼みを口にする。その言葉に思わず先生はずれてきたメガネを支えなおした。いきなりエドガーがらしくないことを言うものだから、少し驚いてしまったのだ。しかし、先生を見るエドガーの目は真剣そのものである。冗談の類ではなく、心底から彼に力の享受を願っている。
いや、そもそも彼らの関係性を考えれば、それ自体は今に始まったことはない。最終的に言えば、エドガーは先生から力を得ることになる。今まで先生の研究成果を一つとして受け取らなかったから意外だったに過ぎない。
(契里くんなんかは、それでランク上位者になったというのにね)
地面に倒れて目覚めない契里直哉に視線を向ける。エドガーにやられたのだろうが、あれほどの力の享受を受けておきながらこの様では、少しばかり自分の研究を心配になってくる。とはいえ、エドガー・ブレイズフォードは、クラティアと言う点では天才の部類に入る。凡才の契里直哉では、仮に研究の成果を尽くしても勝てないことは必然か。
「なるほどなるほど。その心がけは僕好みだ。良いよ、欲しいものはなんだい?」
先生の言葉に、エドガーは決心するように一度目を閉じると、力強く開き直す。緋色の瞳の奥底にさらなる熱を宿し、彼は自分の左腕を指差した。
人工的な明かりに照らされたその部屋で、バイタルサインがモニタに大きく映し出されている。それは確かな人が生きている証。しかし、ケーブルで繋がれ、意識を失っている状態を生きていると正しく表することが出来るかどうかは、誰にも分からない。
ただ、この場にいる三人の人間は、そんなものには決して頓着しなかった。悪魔のような冷酷さと、子供のような純粋さで、彼らは答えを追い続ける。各々が欲する、たった一つの力と言う答えを――。
敵のお披露目的なものになりました




