③
「ストップッ!!」
突如、零余の大声が辺りに響き渡った。
さしものエドガーも思わず手を止める。それほどに鋭く、力強い声だ。その張本人は、大きく息を吸い込むと、さっきまでの小刻みな震えを消し、挑戦的な目でエドガーを見据えた。その唐突な変化に、エドガーは初めて零余を真正面から捉える。妹の付属物程度の扱いでしかなった彼を、この場で初めて正確に認識した。
「何のつもりだ?」
零余が笑う。挑発的な笑みが、エドガーには妙に不愉快に感じられた。
「俺を攻撃する前に、一つだけ聞かせてくれないか。あんたの目的を」
「目的?」
「ああ。さっきからずっと考えてたんだ。あんたが何を考えてこんなことをしてるのか。カティさんを助けておきながら攻撃を仕掛けたり、戦う意思はないと言いながら急に殺気を剥き出しにしたり……正直、あんたの振る舞いは一貫性が無さ過ぎる。端で見ていて不気味だ」
零余の言葉は、エドガーの行動を考えれば納得のいくものだったが、エドガーとカティの微妙な関係性を知らない者ならでのものとも言える。エドガーは別に、契里直哉からカティを庇ったわけではない。ただその目的上、契里直哉の行動が不利益しか生まないゆえに介入したに過ぎない。
しかし、それをわざわざ零余に説明する気にはならない。その必要性も無いだろう。
「お前には関係のないことだ。どうせ、これからそこのカティと同じく二ヶ月は入院生活を送ることになる」
零余の表情が怪訝なものに変わる。言っている言葉の意味を理解しかねているようだったが、彼はすぐに目を見開き、睨みつけるようにエドガーを見た。
「あんた、まさか――」
「そいつの入学時期が遅れていることは知っているか? 二ヶ月間、カティは入院していたんだよ。俺の負わせた怪我が原因でな」
カティはびくりと大きく肩を震わせると、二ヶ月前の光景を思い浮かべたのか、我が身を守るように抱きしめている。炎はさらに強く輝き、必死になって彼女の身体を守ろうとしていた。本来であれば、攻撃のための炎。その本当の力を知っているエドガーは、その様に失笑を禁じえない。
「なんでそんなこと……」
「戦いだからだ。戦いに容赦はいらないだろう? それが妹でもな。まぁ、カティが真面目にやっていれば、多少結果は違ったかもしれないが」
エドガーは、いつまでも戯言に付き合うつもりはなかった。今度こそ本当に零余を叩き潰す。その意思を込め、剣を振るう。だが、それはすんでのところで動きを止めていた。エドガーの手には、硬い壁を打つ感触だけが返ってくる。
「兄様は、傷つけ……させないっ」
全身から血を流し、学生服を赤に染めた椿が地面に臥したまま、掠れた声を絞り出す。その傷に反し、身体からは力強い輝きを放っていた。兄を守るという意思だけで、満身創痍の身体に鞭打ち、膨大な魔力を放出させている。それは強固な壁を作り上げ、零余の前に堂々と展開していた。
「椿!」
「まだ意識があったのか」
カティへの攻撃はないと判断し、零余は椿に駆け寄ると、その身体を抱え起こした。大量の針で傷つけられたような切創が無数にあり、かなりの血を流している。傷が痛むのか、時折辛そうに顔を歪ませながら、零余を安心させるように笑みを形作ってみせるものの、それは普段の穏やかなそれはまるで異なった歪なものであり、その痛ましい姿を零余は見ていられなかった。
「しかし、この鬱陶しいシュトラーフェが消えるのも時間の問題だろう。無駄な努力だな。時間稼ぎにもならない」
「エドガー……ッ」
椿をそっと地面に横たえ、零余は立ち上がる。その瞳は強い怒りの色で染まっていた。恐怖ではなく、今度は怒りで以って拳を硬く握り締める。
思考を染め上げんとする怒りの熱を感じながら、零余は冷静に分析を行っていた。手元の“識者の叡智”を確認する。そこには、展開中のシュトラーフェ、魔術の詳細なデータが浮き彫りに出ていた。それを根本に、エドガーの言葉、行動、表情の些細な変化までも思い出し、零余はその行動目的を見据える。
答えはあった。思えば、初めからエドガーの攻撃は、カティを殺すためのものではなく、試すような、あるいは誘うようなものだった。その点を踏まえ、“識者の叡智”に書かれた内容を吟味すれば、ある意味で得心もいく。
「あんたの目的は……本気のカティさんと戦うこと、そうだな?」
「ほう」
エドガーが感心したような声を上げる。それは、零余の言葉が的を射ていることを肯定した証でもあった。
「ただの雑魚かと思ったが、中々どうして察しがいい」
口角を吊り上げ、エドガーは愉悦に笑う。ようやく自身の本願を正しく受け取る者と出会えたことに歓喜しているのだ。同時に、その口から彼の願いがカティに届けられることにも興奮を禁じえない。
「だが、それがどうした? 俺の目的を知ったとして、現状が変わるわけではない」
「いいや、そうでもない」
零余の顔から表情が消える。右手の“識者の叡智”をパタリと閉じると、それをカティの方へ向けた。その身体から微量ながらも魔力が流れ出し、“識者の叡智”が白く発光し始める。その様は、まるでカティへ向けて攻撃を仕掛けようとしている風にも見えるものだった。
「あんたの目的がカティさんなら、俺はこう言う。俺たちを見逃せ。さもないとカティさんを俺の手で殺す」
「く、ははは」
笑い声が上がる。エドガーは、零余の堂々の宣言を一笑に付した。しかし、笑われてなお零余は動じなかった。むしろそんな反応を予想していたのか、笑うエドガーを無視して言葉を続ける。
「このままいってもいずれは椿のミュールの効力が消える。そうなれば俺たちは終わりだ。俺たちを見逃す気もないんだろう? なら、せめて椿を傷つけた報いは受けてもらう。あんたの目的がカティさんだと言うなら、そのカティさんを俺の手で殺す。二度とあんたの願いを叶えなくさせてやる」
そこで一旦言葉を区切り、零余はエドガーの様子を窺う。笑っていたエドガーも声を止め、零余を鋭く睨みつけていた。その言葉を完全に信じたわけではないが、可能性の一つとして考慮する程度には零余の言葉に耳を傾けている。
「ただし、俺たちを見逃すのなら話は別だ。カティさんは殺さない。それどころか、あんたの願いを叶えてやると約束しよう」
「……ずいぶんと盛り上がっているな。何を勝手に話している。お前がカティを殺す? その使えもしないシュトラーフェで?」
「確かに形態は本だが……攻撃性が無いと本気で思ってるのか? こいつも一応、シュトラーフェだ。怯えて動けないカティさんを殺すぐらいはできる」
言いながら、零余は“識者の叡智”を握る手に力が篭るのを感じていた。エドガーに言っているのは、全てブラフ――ハッタリだ。エドガーが“識者の叡智”の能力を知らないからこそ使える手。そこに乗ってくるかどうか、少しでも危険性を感じるかどうかが肝となる。
もちろん、零余にカティを傷つける意思など無い。全てはエドガーと交渉の場を設けるためのハッタリに過ぎず、同じ土俵に上がらせるために考えられる唯一の手段だった。
エドガーは、カティと本気の戦いを希求している。零余が“識者の叡智”を見る限り、カティが本当の力を見せていないことは明らかだ。何故、それを使わないのかも分かる。それを使えばこの状況を打破することも容易だろうが、一方で使わない理由も納得のいくものだった。ゆえに今、どうあってもエドガーを降す術は無い。戦いという点においては。
(こんなこと初めてだ……上手くいってくれよ……)
内心の不安を悟られないよう、零余は必死に表情を消す。冷たく、自分が本気であることを強調するために声を低くする。心臓はいやなほどに高鳴り、緊張で汗が浮かんでくるほどだ。
エドガーを戦闘で倒すことはできない。しかし、このままでは椿のミュールが消え、エドガーが襲い掛かってくる。カティさんだけはその望みのために生かすだろうが、零余や椿がどうなるかは定かではない。ならば、椿の作ってくれているこのわずかな時間に勝機を見出すほかないだろう。
「カティさんを殺せば、あんたの願いは二度と叶わない。しかし、この場で俺たちを見過ごせば、少なくともあんたの願いはいずれは叶えられる。何なら、さっきも言ったとおり俺がカティさんに本気を出させてやってもいい。俺のシュトラーフェなら、それができる。単純な攻撃に特化したシュトラーフェと毛色が違うことは、形を見れば分かるよな?」
本を開き、閉じる。強調するようなその動きが、エドガーの関心を誘う。エドガーの目は、“識者の叡智”を注意深く観察していた。目で見て分かるような代物ではないが、零余の頭に不安が過ぎる。エドガーほどの実力者であれば、もしかしたら気づいてしまうかもしれない。だが、零余はそんな素振りは露ほどにも見せなかった。一度でも動揺を顔や仕草に出してしまえば、おそらくエドガーであれば気づく。
(どう出る……)
零余の言葉を信じるか否か。無駄な言葉を費やし続ければ、焦っていると取られてしまう。かと言ってだんまりを決め込めば、反応を窺い過ぎていると思われるかもしれない。零余の言葉に応じないエドガーに対して、どこで言葉を積んでいくか。その塩梅がとてつもなく難しい。詐欺師の苦労が分かろうというものだ。
「そうやって黙っていれば、いずれミュールの効力が消える。あんたの狙いはそこなんだろうが、悪いな。椿の力ならまだ十数分は持つ。結論を早めてくれないなら、すぐにでもカティさんを殺す」
零余は、カティに一歩近づき、“識者の叡智”をさらに近づける。事態を見守っていたカティは恐怖した様子ではあったが、逃れるような素振りは見せなかった。それどころか、零余の攻撃を受け入れるように目を閉じる。零余には分からなかったが、カティは零余の言葉を半ば信じてしまっていた。その上で受け入れるのも仕方ない、とどこかで諦めにも似た思いを抱いていたのだ。
「これが最後だ。もう一度聞く。カティさんを殺すか、俺たちを見逃すか。どうする?」
「……………………」
エドガーは、黙ったまま動かない。その間にも時間は刻々と過ぎていく。零余は、ミュールの効力は十数分は持つといったが、今の椿にそれだけの余力はなかった。傷だらけの身体から流れ出す血が、急速に体温を奪っていく。意識は朦朧としかけ、それでも何とかシュトラーフェを出し続けていられるのは、目の前に立つ兄の姿が見えたからだった。今もなお、椿の兄である零余は一人立ち、あれほどの強敵と立ち向かい、自分たちが生き残る術を模索している。そんな兄を支えるためならば、限界などいくらでも超える。




