体温
──その後。
泥ネズミは領兵に引き立てられていった。
彼女がどうなるかはわからないが、ひどい目に遭わないといいな、と思う。
木鹿に来て、一週間が経とうとしていた。
ヒイナはマズいな、忘れてた、と冷や汗を流す。
ユイと約束した帰省の日が近付いている。けれども、壊してしまった家屋を直さないことには、帰りたくない。自分のせいでひどい目にあわせてしまった人がいるのに、知らんぷりをするなんて出来っこなかった。
大工に混じって力仕事をしていると、
「おい、突撃娘。お前、何やってんだ」
「え? あ! ホムラさん。今日も鋭いお目々が素敵ですね☆
ヒイナちゃんはですね、このご家族のお家をぶっ壊しちゃったので、お詫びに直すの手伝ってます。いやん、ヒイナちゃん偉い☆」
「冗談はいい。ユイが痺れを切らしてるぞ、はよ帰れ」
「え、でもまだ一週間経ってない……」
「それだけ愛されてるってことだよ。オレにとってもいい迷惑だ」
ヒイナは本当に困惑した。
ユイ関係では困惑しかしていない気がするが、またもや困惑した。あの人なんでそんなにヒイナちゃんに執着するの?
いくらヒイナちゃんが可愛いからって、メロメロになり過ぎちゃってませんか?
美しいって罪ね、とヒイナは勝手に自己完結した。
おっと、言うべきことは言わなくては。
「帰りません。お家の修理が終わってからです」
「それなら、オレが代わってやるよ。ユイから兵も預けられてるしな」
「ダメです。ヒイナちゃんがやったことは、ヒイナちゃんが責任取ります」
「まぁ……お前ならそう言うだろうとは思ったが……」
ホムラはため息をついた。
心底面倒くさそうな顔をして、嫌そうに言う。
「せめて手伝わせろ。兵達にも手伝わせる。そうすりゃ、いくらかは早く終わるだろ。“門限”には間に合わんだろうがな。ソコはもう素直に叱られろ」
「えぇ……。でも……」
「わがまま言うな。こっちの事情も考えろよな」
「うぅ。はぁーい……」
───
作業を終わらせ、鹿目に着いたのは、約束の一週間を4日ほど過ぎてから。
ヒイナは落ち着かない気持ちで内郭門をくぐった。
「ヒナっち! お帰りっち! チッチッチッ〜!」
「ふぎゃあ!」
「姉様! いきなり飛びついたら危ないですよ!」
もぎゅっと抱きしめられて、アヤメの体温が伝わった。ケガはないかな〜と体のあちこちをチェックされる。
ヒイナは無意識に腹を庇ったが、それが逆にアヤメの違和感を煽ってしまった。
アヤメは快活な表情をふっと消して真顔になった。
「もしかして……ヒナっち怪我したの?」
「ええ! 大変じゃないですか! 医者を呼ばなきゃ!」
「コサメは黙って」
「んへへ、大丈夫大丈夫! 大したことないです! こんなの日常茶飯事だもの☆」
冷たく制されたコサメがガーンと影を背負い、アヤメはさらに眉を吊り上げた。
「大丈夫かどうか決めるのはあーし達。ヒナっちには前科もあるしね」
「でも……ほら! ヒイナちゃん、元気ですし☆ ここに来るまでもお家直すお手伝いとか、荷物運びとかやったんですよ!」
「わかった」
アヤメは短く言って。ヒイナの小さな体を抱き上げた。ヒイナはすっぽりおさまって、身じろぎしかできなくなる。
「こっから先は姫ちんに叱ってもらう。もう庇ってあげないからね」
「えぇ……。でも……」
「ヒナっちはもっと、自分を心配してる人がいるって、わかんなきゃダメだよ」
───
天守閣。
ユイは上座に座っていなかった。なぜならもう、ヒイナは客人じゃなく、家族だからだ。ユイは気安いタイプの君主になりたかった。
無言のアヤメに持ってこられたヒイナは、所在なさそうに縮こまっている。膝の上で指を遊ばせて、まるっきり叱られる前の子供である。
ユイは柔らかく穏やかな笑みを浮かべた。
「おかえりなさい、ヒイナ。貴女が帰ってきてくれたことが、とても嬉しい」
様々な感情がにおい立つ声音だった。
心配、思いやり、怒り、寂しさ。けれどどれもこれも、ヒイナを想う、感情のにおいだった。
「あの……その……」
「約束破りはいけませんが、悪気はなかったのでしょう? ならば、不問にします」
「えっ?」
「守らなくてはならないのは仁義であり、信頼です。約束を反故にするというのは信頼を損なう行いですけれど、此度の件を思えば、致し方ない部分もあるのでしょう」
ユイの脳裏に過ぎるのは、不可思議な友人との会話。彼女とのやり取りは、到底腹に据えかねるものがあったが、飲み込んでおく。
「けれどね、やはり私は貴女を叱らねばなりません。どうしてか、わかりますか?」
「ぅ。……その、アタシが、ムチャクチャしたから?」
「それは表面の話です。ヒイナ、前にも言いましたが、貴女は自分を軽んじすぎているのです」
「でも……。アタシはみんなの希望だし……」
「そうです。貴女は希望です。私にとっても、この鹿角にとっても。──ゆえにこそ、貴女は自らを軽んじてはいけない」
ユイの声は優しかった。
歴史に売国奴とうたわれるような人間が持っていい優しさではなかった。
そして、彼女の言葉も優しかった。ヒイナを想う純粋な心配が、スイやセイラと重なった。
「アタシ、ちゃんと心配してくれてる人のこと、見えてます。だから、キチンと自分を大切にしてるつもりです」
「それはね、貴女がそう思ってるだけ。いつ命を落とすか知れない行動ばかりしている。
良いですか、ヒイナ。無謀な行いはおやめなさい。ソレはね、貴女を愛する者たちへの最大の裏切りなのだと知りなさい」
ガツン、と頭を殴られた気持ちだった。
そんなこと、考えたことすらなかった。あの終わりきった絶望の世界で、ヒイナにそんなことを言う人間は、誰一人いなかった。
命さえ残っていれば、死にさえしなければ、どれだけ自分を使い潰したって構わないと思っていた。
だって故郷では誰も彼も傷だらけで、痛い思いをしていない人の方が少なかった。
ヒイナは何も言えなくなった。
言い返したいわけではない。でも、何かを言わなくてはいけないと感じた。けれど、言葉が出てくる前にほどけてしまって、まるで形にならなかった。
「ヒイナ。変われ、とは言いません。きっとソレは、貴女を苦しめてしまう言葉なのでしょうから。けれど、知ってほしい。ほんの少しでいいから、心の片隅に置いてほしいのです」
「ユイ様……」
「これで、お説教は終わりです。付き合わせてごめんなさいね」
そしてユイはうっそりと笑って、ヒイナを柔らかく抱き寄せた。
「それと……」と、囁く。
「今晩、抱き枕確定でお願いしますね、ヒイナ」
「えぇ……。はい、ヒイナちゃん枕をご堪能あれ☆彡」
──余談だが。
ユイはめちゃくちゃ寝相が悪かった。




