第8章:風渡る荒野、宿命の山影
老女の洞窟跡で見つけた、古の書物の断片。
それが、あたしの唯一の道標になった。
そこに描かれていた、奇妙な鳥の形をした山。
キオが「風呼びの山」と呼んでいた、あの山だ。
古い言い伝えがあって、聖なる場所とされているらしい。
老女も、何かを伝えようとして、あの山の方向を指差していた。
あそこに行けば、きっと何かがある。
あたしの力の秘密、世界の真実、そして、繰り返されるという悲劇の手がかりが。
そう決意して、あたしは再び広大な荒野へと足を踏み入れた。
今度は、キオはいない。
あたしは、本当に一人だ。
…キオ… 無事だろうか… あたしのせいで、ひどい怪我をさせてしまって… ごめんなさい… あたしは、本当に一人だ。
心細さが、冷たい風のように胸を吹き抜ける。
でも、もう立ち止まるわけにはいかなかった。
荒野の旅は、想像以上に過酷だった。
どこまでも続く、赤茶けた、ひび割れた大地。 遮るものは何もなく、太陽が、まるで罰を与えるみたいに、容赦なくあたしの肌を焼く。
風は常に強く、細かい砂が目や口に入り、息をするのも苦しい時があった。
水を見つけるのが、何よりも大変だった。
キオが教えてくれた方法を思い出しながら、岩の窪みを探し、植物の根を掘り返す。
でも、見つからない日も多かった。
喉がカラカラに渇き、唇が切れ、意識が朦朧とすることもあった。
食べ物も、同じだ。
時々見かける、トカゲみたいな小さな生き物や、硬い殻を持つ虫を捕まえて、生のまま口にする。
味なんてわからない。
ただ、生きるために、空っぽの胃に何かを詰め込むだけ。
夜は、昼間の暑さが嘘のように、凍えるほど冷え込んだ。
岩陰に身を寄せ、ボロボロになった服に体を包めても、寒さは容赦なく骨身に染みた。
遠くで、得体の知れない獣の遠吠えが聞こえる夜もあった。
そのたびに、あたしは息を殺し、左目に意識を集中させて、最悪の事態に備えた。
幸い、大きな危険に遭遇することはなかったけれど、眠りはいつも浅く、悪夢にうなされた。
孤独だった。
話し相手もいない。
助けてくれる人もいない。
ただ、広大な荒野の中に、あたしはちっぽけな点として、存在しているだけ。
時々、どうしようもなく寂しくなって、涙が溢れてくることもあった。
そんな時、あたしはキオのことを思った。
彼は、今頃どうしているだろう。
傷は癒えただろうか。 あたしのことを、どう思っているだろうか。
もう二度と会えないかもしれない、と思うと、胸が締め付けられるように痛んだ。
彼との短い時間は、あたしにとって、かけがえのない宝物だったのだと、離れてみて初めて、痛いほどわかった。
それでも、あたしは歩き続けた。
懐に入れた、古の書物の断片。
それが、あたしの心を支えてくれた。
中央に描かれた「星の中の瞳」の図像。
それを見つめていると、あたしの左目が、呼応するように微かに熱を持つのを感じる。
そして、頭の中に響く声。
あの無機質の、途切れ途切れの声。
『チカラヲ… オソレルナ… ソレハ… ナンジノ… イチブ…』。
『イツワリノ… レキシニ… マドワサレルナ… シン… ジツヲ… ミヌケ…』。
『チカヅイテイル… シュクメイノ… マジワル… バショヘ…』。
宿命の交わる場所、風呼びの山へ…。
この声は、やっぱりあたしを導こうとしているのだろうか。
でも、信用できない。
あの黒い奔流の時、この声はあたしを唆そうとした。
あたしは、この声にも、呑まれてはいけないんだ。
あたしの中には、もう一つの声もある。
夢の中や、あの不思議な空間… まるで魂が試されるような場所… そこで聞いた、荘厳で、物悲しい声。
古の魂の集合意識。
彼らは、あたしに選択を迫り、そして、力を御するための道標――『魂の形』――を示してくれた。
あたしは、歩きながら、何度もその光の回路図を心の中で描いてみた。
まだ、はっきりと捉えることはできないけれど、それを意識すると、左目の疼きが少し和らぎ、力の奔流が穏やかになるような気がした。
ある日のこと。
風が特に強く吹き付ける、奇妙な形をした黒い岩が点在する地域を歩いていた時。
あたしは、地面に落ちている、キラリと光るものを見つけた。
それは、老女の洞窟の焼け跡や、キオが調べていたのと同じ、冷たい輝きを放つ金属片だった。
「…奴らの…?」。
あたしは、警戒しながら周囲を見回した。
金属片は、あたしが進むべき方向――風呼びの山の方角――へと、点々と落ちている。
まるで、道標のように。
これは、罠?
それとも、奴らもまた、あの山を目指しているという証拠?
老女を連れて…?
緊張が走った。
でも、同時に、あたしの心に、新たな炎が灯った。
もし、奴らが老女を連れているのなら、絶対に追いつかなければ。
そして、彼女を取り戻さなければ。
あたしは、足取りを速めた。
疲労も、渇きも、孤独も、今は忘れる。
ただ、前へ。 風呼びの山へ。
その夜、あたしは久しぶりに、鮮明な夢を見た。
それは、以前のような悪夢ではなかった。
どこまでも続く、星々がきらめく宇宙のような空間。
目の前には、巨大な、光り輝く瞳が浮かんでいる。
書物に描かれていた、あの『星の中の瞳』。
その瞳が、あたしに語りかけてきた。
古の魂の声。
荘厳で、深く、そして、どこか温かい響き。
『目覚めの時は近い… 風呼びの山で、汝は己を知るだろう… 恐れることはない。 真実は、汝を自由にするだろう…』。
自由にする…?
夢から覚めても、その声の温かさは、まだ胸に残っていた。
あたしは、東の空が白み始めているのを見て、立ち上がった。
地平線の彼方に、その姿が、以前よりもはっきりと見えていた。
巨大な鳥が翼を広げたような、黒く、鋭く尖った山影。 風呼びの山。
そこには、何が待っているのだろうか。
あたしの過去?
未来?
それとも、逃れることのできない、宿命?
あたしは、唾を飲み込み、一歩を踏み出した。
風が、あたしの髪を乱暴に掻き立てる。
まるで、これから始まる試練を、告げるかのように。




