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女神様のためのおいしい料理帖  作者: 小達出みかん


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煙と火と炉端

たいして珍しくもない、なんて強がったが、この真珠を探すために翡翠はほうぼうを探しまわって苦労をした。

 真珠を産むアコヤ貝は、たいてい岸壁に張り付いていたり、浅瀬にいることが多い。夜、人が寝ている隙をみはからって、翡翠はこっそりとこのあたりの島々の浅瀬を巡った。アコヤ貝の柔らかい表面にそっと触れて、中に真珠を持つ貝がいないか探す。数日かけて、翡翠はやっとお目当ての貝がらを見つけた。大きな老貝で、大きく膨れて小刻みに震えている。

「ねぇ、その真珠を私にくれないかしら」

 しわがれた、かすかな声がした。

「…なんだって?お前は誰だ?」

「私は人魚の癸姫よ」

「なんだって、人魚さまなんかがこんな所に?危ないだろうよ」

「真珠を探しているの。あなたが内側に持っているそれ―くださらないかしら?」

 すると貝殻はため息をついた。

「とれるものならとってほしい。痛くてかなわんよ、こんなに大きくなっちまって…はぁ」

「わかったわ…やってみる。貝を開けてくれる?」

 するとアコヤ貝はほんの少し開いた。翡翠はその中を覗き込んだ。暗くてはっきりとは見えないが―奥のほうでつやつや輝く大きな玉がある。

「これはなかなかない大きさね、痛かったでしょうねぇ…」

「取っておくれよ、あんたの器用な指でさ」

「う~ん」 

 翡翠はうなりながら、貝をひっくり返したり、なでたりすかしたりしてやっとのこと真珠を取り出した。もう夜明けになっていた。

「まずい…!私もう行くわ。」

「そうした方がええ。ここは朝に人間が漁に出る。みつかったら大変だ」

「ありがとう、おじいさん!」

 翡翠は即座に水面下に飛びこんだ。もしこんな所にいるがばれたら、怒られてしまう。急いで海底の自分のねぐらまで戻った。

 想像もつかないほど昔に沈んだ、昔の大地―。その崩れかけた遺跡の床が、翡翠をはじめとした癸姫たちのねぐらだった。柔らかな海藻が生い茂る中、隙間がないほどびっしりと姉姫たちが寝ている。翡翠はそのすみっこにそっと身を横たえた。すると、すぐ隣の姉姫が目を覚めして癸姫を咎めた。

「どこに行ってたのよ―癸姫」

「ちょっと野暮用…」

「まさか地上に行っていたんじゃあないでしょうね。お父様に見つかったら大変よ」

「そんなこと、するわけないわ」

 翡翠は髪の中に真珠を隠した。みつかったら大変な騒ぎになるだろう。何しろ癸姫は、一人ではない。この床に寝る全員が「癸姫」だ。

 乙姫から数えて何十代―。人魚姫は細々とその命をつないできた。人魚という種族は、雄より雌の方が多い。今やこの海域でたった一匹の雄が、すべての雌を支配していた。その「お父様」に逆らう事は許されない。妻たちや娘たちは日中必死で漁をして、家族の口を養う獲物をしとめてくる。威張り腐ったお父様はそれを受け取り、また新たに娘をめとる。なぜなら今の癸姫たちの「お父様」の代では、まだ雄が産まれていないからだ。皆はそろそろ焦りだしている。早く誰かが雄を産んでくれなければ、この代で人魚は滅びてしまう。支配と閉塞感で、癸姫は常に息苦しかった。

(ああーやだやだ!)

 この自分もいつか、あの父親に…。そう思うとぞっとした。この遺跡の床しか知らないまま、一生を終えるのか。そう思うと自分の命には何の意味もないという気がした。癸姫は慢性的な絶望感をいつもかかえて、日中ひたすら魚を取っていた。すると―そこに流れてきたのが、かまど神だったのだ。

 最初は人間かと思った。足が生えていたから。しかし彼女の身体は、人間ではない神気のようなものをまとっていた。

「ちょっと―大丈夫?」

 ぷかぷかとただよい流されるままの彼女の細腕を、癸姫はつかんだ。

 すると、彼女がうっすらと目を開けた。その目には、癸姫と同じ…いや、もっと深い、相手を飲み込まんばかりの絶望があった。癸姫に気が付いて、彼女が口をあける。何か言おうとしているのか。しかし苦しそうでよく聞こえない。海の中ではしゃべれないのかもしれない。癸姫はそう思って彼女を抱えて海面に連れ出した。

「これでしゃべれる?」

 青い空の下、二人は顔だけを海面に出した。彼女は癸姫を見て不思議そうに言った。

「…おはんは誰じゃしか?」

「私は人魚の癸姫。あなたこそ何なの?」

 すると彼女の目は、苦し気にまたたいた。

「わからん…わからん…!あては誰じゃろう?ねぇ、何に見ゆっ?」

「人間みたいに見える。でも違うわね。何かの神様かしら?どこから来たの?」

「それもわからん…けんど、誰かが呼ぶ声がして…そっちに行こうとした。じゃっどん海ん中じゃと上手う体を動かせんで」

「その声はどっちからするの?」

 彼女はぼんやり北の方を指さした。

「そう、じゃそっちまで私が連れてってあげるわ」

「え、よかと?」

「いいわよ。放っておくのも気分が悪いし」

 それは建前で、本当は癸姫はわくわくしていた。目の前の彼女は、決まりきった日常の外にいる者だ。彼女についていけば―いつもとは違う一日になりそうだ。

「ほら、背負ってあげるから。しっかりつかまってて」

 彼女を背中に乗せると、何やら温かい水がぽたぽたと首筋に落ちるのを感じた。

「ちょっと、何で泣いているのよ?!」

「わからん―じゃっどん、誰かに親切にしてもらうたぁ、久しぶりって気がして…」

 癸姫はひそかにうしろめたくなった。自分が彼女を助けたのは、別に親切にするためではなく、自分のためだったからだ。しかし、彼女は背中で言った。

「あいがと、あいがとなぁ―…おかげで、助かったごた…」

 そんな事を言われるのは初めてで―癸姫はとまどった。

 そして無言のまま、ずっと北上していった。すると水平線にぽつぽつといくつかの島影が見えた。

「あそこが目的地?どの島かしら?」

「うん―あそこらへんで、声がすっ、気がすっど。どこでもよか。いっばん近かところに下ろしてくいやんせ」

「わかったわ」

 癸姫は一番にたどり着いた島に、彼女を下ろした。石がごろごろ転がる浜で、痛そうだ。

「歩ける?」

 癸姫はそう声をかけたが、彼女はじいっと島の山を見上げていた。山の中腹あたりから、煙が一筋上がっている。それを見上げて彼女は言った。

「そっか、あてはあれに呼ばれてきたんじゃ」

 見た事はないが、煙は火というものから出てくると言う事は、癸姫も一応知っていた。

「煙のこと?ということはあなた、火の神様か何かじゃない?水に弱いわけだわ」

 すると彼女は、少し間を置いた後、浅くうなずいた。

「そうかもしれん―煙と火と…炉端に、呼ばれちょっ気がすっんじゃ」

「じゃあ行ったほうがいいわ。よかったわね、無事たどりついて」

 そういって、火の神であるかもしれない娘は立ち上がった。しかし、その足はぐらついていた。

「ちょっと、大丈夫?」

 彼女は振り向いた。

「おはんの、名前を教えたもんせ」

 まっすぐな瞳でそういわれて、癸姫は口ごもった。自分の名前なんて、あってないようなものなのだ。だけど、それ以外に名乗れる名前もない。

「癸姫よ」

 すると彼女は頭を下げた。

「癸姫さぁ、あいがともさげもした。おはんのおかげで、あては助かったごた。」

 海の底では、お礼を言う事も、言われることもほとんどない。だから癸姫は、その言葉が嬉しいと思っても、どう返したらいいかわからなかった。

「別に、大した事してないわ」

「そげなことなか。何かお礼をしよごたっ…あてに出来っこっがあれば、言いたもんせ」

 その言葉にも、癸姫はすぐには答えられなかった。が―彼女を見上げて、ようやっと言った。

「考えて、おくわ。私ももう、戻らないと―」

 そういって、癸姫は海の中へと戻った。胸がどきどきして戸惑っているのと、本当に戻らないと時間がまずいからだった。

 次の日になっても、彼女のことばかり頭に浮かんだ。魚を採っている時も、銛を研いでいる時も、網を繕っている時も。

(あの子に―私は、何をお願いしたいのかしら)

 この場所も、自分の与えられる役割も窮屈だった。けれど癸姫は、他に何か具体的な希望があるわけではなかった。

(だって群れを離れては生きていけないし…私たちの他に、もう人魚はいないのだし)

 だから嫌でも、ここにいなくてはいけないのだ。しかし、あの子ならば。

(私に、違う世界を教えてくれるかも。海の底以外の事を)

海の上に出ることは、本来なら禁止されている事だ。だけど癸姫は、時間をみつけてあの島へと様子を見に行った。すると彼女は、すぐに気が付いたのか桟橋を走り出てきた。

「癸姫さぁ!久しぶりじゃなあ」

 彼女は癸姫を見て、嬉しそうに笑った。

「元気そうね…そういえば、あなたの名前を聞いてなかったわ」

 そう言うと、彼女はすこししょぼんとした顔になった。

「そいが、わからんのじゃ。一応、かまどん神なんじゃらせんか?って言われたどん…」

「ふうん。あなたの正体って、何なのかしらね」

 何気なく癸姫は聞いたが、彼女は肩を落とすばかりだった。

「そんな落ち込むことないわよ。私だって、名無しみたいなものだから」

「癸姫さぁが?」

「そうよ―その名前は、数百人の姉妹皆の名前なの。だから、私だけの名前なんてもともとない。」

「そっか。名無しは、あてだけじゃなかとね」

 膝をかかえてそういう彼女の顔には、不安な気持ちが透けて見えていた。しかし彼女は顔を上げて、癸姫に笑いかけた。

「あいがと、癸姫さぁ。ここまで遠かったやろう、なのに会いに来てくれてうれしかね」

癸姫よりずっと子どものくせに。何も覚えておらず、余裕などないだろうに―彼女は、癸姫の事をねぎらったのだ。

(こ、この子は、一体―…)

 最初海で目が合った時、彼女の目には絶望の色があった。世界の全てに拒絶されたとでも言うような、それは悲しい目だった。もしかしたら彼女は、自分よりもよほど辛酸をなめた挙句に、人ならぬ存在になった者なのかもしれない。それは、最初から人魚の癸姫として生きてきた自分とは、まったく違う苦しみだろう。

(過去を失ってしまって名前がないこの子と、奴隷同然で名前のない私―…)

 どちらも違う境遇を生き抜いて、今二人はこうして対面している。そのことに癸姫は気が付き、何か激しい欲求のようなものを感じた。

 この衝動は、何だろう。自分は今の状況に、何を期待しているのだろう。この衝動は怒り?喜び?

(いや、違う。どちらでもないわ。)

 自分の中に沸き起こったこの気持ち。それは、今、自分たちの後ろにある世界に、抵抗したいという気持ちだった。

(欲しい、私たちが今、抵抗しているっていう…証が)

 癸姫はざばりと海面から手を出し、彼女の手をつかんだ。

「私、あなたに頼みたい事があるの」

「なに?」

「私に名前をつけてほしい。私は、私だけの名前が欲しいの。その名前で呼んでくれる人もね」

 すると、彼女の顔がぱあっと輝いた。

「そいは、よかねぇ!じゃあ、あてん呼び名も考えてほしか!おはんがあてを呼ぶ名前をね」

 思ってもみなかった提案に、癸姫は考え込んだ。目の前の少女にふさわしい名前は何だろう。自分より小さく、エネルギーに満ち溢れる彼女は。

(この子は実は、私より強いかもしれない―。でも何だろう、私が守ってあげなくちゃっていう気にさせられるんだわ)

 妹みたいな子。目をかけてあげたくなる、(わぎ)妹子(もこ)。そう思った癸姫は言った。

「それじゃああなたは、いも子ね。」

「あては『いも子』!うれしかぁ。そんじゃああたは―」

 彼女はうーんと悩んだあと、癸姫の長いひれを見て言った。

「…おはんの足は、綺麗じゃなあ。翡翠みてな色しちょっ」

 そういうわけで、火の好きな少女は「いも子」、人魚の癸姫は「翡翠」と名付けあったのだった。

 それは、二人のささやかな抵抗の証だった。

 自分を忘れ去った、または苛んだ、この世界に対しての。


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