5・わたし、島デビュー(1)
「あのう、わたし、ずっと離れ小島のほうでもいいんですけど……」
カイの操るカヌーの上、わたしはまだグズグズ言ってました。
目が覚めて七日目の明け方。今日も空は抜けるような青、早くも暑くなりそう。でも、わたしの気持ちは控えめに言っても曇り空で。
「遅かれ早かれこうなった。あそこじゃ、海が荒れたらメシも運べない」
「うう。い、一日くらいならゴハン抜きでも」
「嵐が来たら何日も荒れる。あの小屋じゃ飛ぶこともある」
「……わたし、大勢とか人前とかちょっと……」
フゥ、大きなため息ついて。でも、カイは怒りはしませんでした。
「見てたらわかるよ。けど慣れろ。もし慣れなくても、永遠に住むわけじゃない」
*
近づくにつれ、島の様子もよく分かってきました。
遠くからだと綻びひとつなく島を覆っているように見えた森は、幾筋もの谷や川で割られています。陸の尽きるところは、あるいは砂浜になっており、またあるいは、木々が海にまでせり出して、ごつごつした根を水面に覗かせてました。
島はなだらかに三角定規の形。急になっているほうの辺の、海に迫る崖の上、低い灯台が立ってます。朝日の射している方角なので、…………………………東側。南半球でもたぶん。
そして、森に見え隠れしながらではあったけど、人々の住む集落、小さな家々もだんだん迫ってきました。
「おい。昨日の話、覚えてるか。歳のことだ」
声かけられてビクッてなるわたし。
「えっと……とし?」
「あんたは十六、私と同い年だ。いいな」
ああ、言ってましたねそんなこと。……カイ、いっこ下なんだ。
「らじゃです。けど、なんで十七だとダメなんですか」
「縁談が持ちこまれるからだ」
らしくもないジョークに不意を突かれて、緊張がゆるんで、声を立てて笑うわたし。
それから、カイの真顔にあわてて座り直します。
「島では、女は十七で大人だ。そしたら皆誰かしらとくっつくんだよ。選ぶ権利はあるが、独りでいるのは難しい」
顔から血の気が引きました。
わたしは男の人が苦手です。嫌いとかじゃなく、接し方が分からないし緊張するのです。たぶん父も兄弟もなしに育ったからでしょう。
知らない先輩に告られて吐いたのは去年の秋のこと。ちょいワル系の人にちょいワルなノリで迫られて、背中にベッタリ脂汗かいて。
『あ。わたしこれ、断われないな』
悟った瞬間胃がギュッとなって、その場にしゃがんで文字通り吐いたのです。お昼に購買のジャンボ焼きそばパンなんぞを詰めこんだ日の放課後でした。
結果的にうまくお断りできたわけだけど、先輩には気の毒にも『後輩女子をゲロるまで追いこんだ男』という悪評が立ったそうです。いやそれは今どうでもいい。
「え、ええと。そのルール、わたしも含むんでしょうか」
「さあな。含むか含まないか、誰がどう考えるか知らない。
……おいおい。今からでも泳いで戻ろうか、みたいな顔するんじゃない」
今からでも泳いで戻ろうかと考えていたわたしに、声をはげますカイ。
「聞け。十七は大人だが、逆に十六以下は絶対の『子ども』だ。
子どもに手を出せば吊るされる決まりだ。サバ読んどきゃ安心ってことだよ」
わたしに咀嚼する時間を与えてから、カイ、教師みたいに人差し指立てました。
「さあミユキ。以上をふまえて、あんたはいくつ?」
「よ……よんちゃい」
「そこまで退行すんな」
*
やがて、カヌーの底が砂に触れました。
「貝だのなんだの踏むなよ。危ない」
手を引かれ、おっかなびっくり水の中に降り立ちます。あまりに透明な波が、寄せては返し、足首のあたりをつかんでは陸の方へ押したり、海に引きこもうとしたり。
浜でのお出迎えはベルと長老のふたり。カヌーを陸に上げてしまうと、長老、のんびり歩き始めました。
「さ。ついといで」
白というよりクリーム色の砂浜には、ヤシやわたしの知らない広葉樹が、ニョキニョキ突き出しては緑の枝葉を色濃く広げています。浜はやがて黒土の地面に変わり、地面は、両側に森の迫る道に変わってゆきました。
ちなみに、足元は全員、真っ黒なゴム製のサンダル。これも外からの船が運んでくるんでしょう。慣れなんだろうけど、肌に当たるところがちょっと擦れて痛い。
ほどなく、小さな集落が見えてきました。
茶色や黒のニワトリ(かわいい)、細身で耳が大きいネコたち(あっかわいい)、あちこちでウロウロ。けど、人影はありません。
「……ねえカイ。まだみんな寝てるんです?」
「まさか。だいたいは、夜明けといっしょに仕事に出てるのさ。島の暮らしは早寝早起きだ」
いえ、人影はありました。
太い竹を何本も地べたにならべて、鉈で縦に割いてる男の人。
道で、棒切れを振り回して遊んでる男の子。
木や竹や葉っぱでできた小屋の前で、おんぶの赤ちゃんをあやしてるおばあさん。
みな、こちらに気づくと、目を丸くしてポカンと口を開けました。それから、長老に向かってなにやらあいさつし、最後ははにかんだように微笑むのです。わたしのこと、話に聞いてか知ってるみたい。
あと、気になるのはやっぱり腰の布のこと。少ないサンプルながら、鉈の男性とおばあさんのものは長く、棒遊びの子のは、わたしと同じように短かかった。
「……カイ、わたしもあの長いのがいいんですけど……」
「あれは大人用だ」
ですよね。そうじゃないかと思いました。ううう。
つらい現実にうちのめされていると、どこからか声が。胴長短足な犬を連れた、四十がらみの小柄なおじさんが、人なつっこい笑顔で近づいてくるところでした。
「長老、ごきげん、よろしく。その子、ミユキか」
たどたどしいけど英語です。ああなんかホッとする。言葉が分かることより、分かる言葉でしゃべってくれることがうれしい。
「ミユーキ、今夜、パーティ。なに、食べたい。肉か、魚か」
「ぱーてぃ?」
「むろん、嬢ちゃんの歓迎会じゃよ。村に客人を迎える儀式でもある」
横から長老の説明。あ、やっぱあるんですねそういうの。欠席ってわけには……いきませんよね。
「なに、食べたい。魚なら、オレ、うまいの獲る。肉なら、山衆の狩った、野ブタ」
急に選択を迫られて、答えに詰まるわたし。
おじさんが、足元の犬に少し悲しげな目を向けました。
「それとも……」
「さかなっ!! 魚が食べたいです、わたし!!!!」
カイたち以外の『島』の人との、これが初めての会話。
ちょっと不穏なシーンもあったけど。まるで未知だった世界の人と、ごく普通にお話ができて一安心です。
手を振って去ってゆくおじさんは、左の人差し指の先がすこし欠けてました。
*
「空き家じゃ。今日からここに住むとええ」
百メートル四方ほどの、よく均された広場。中央に、十人は乗れそうなごつい木の檀が組んであり、壇上にY字型の長い杭がそびえ立っています。ここが村の集会所とのこと。
その広場に面した、一軒の小さな家。木や竹や板切れで組まれ、屋根は重ねた葉っぱ。
入ると、中は薄暗くてひんやり涼しく、大きな窓から窓へ風がよく通ります。
是がまあ 終の栖か 雪五尺 (一茶)
……いやいや縁起でもない。ここがわたしの、あくまで仮住まい。
「不便があったら、なんでもベルとカイに言いなさい。まだ当分、二人は嬢ちゃんの世話役に留めおくからの」
「はい、あの、ありがとうございます長老さま」
「うむ。それじゃ、わしはいろいろ用事があるでな」
腰のあたりをトントン、拳でたたいて、去りかけて。
長老が、戸口のあたりで急に振り返りました。
「そうそう、言っておかんとな。山は……窓から見えるじゃろ、あの山は女人禁制じゃ。決して入ってはならん」
「はい。わかりました」
だいじょうぶ、アウトドアへの興味なんて鼻毛の先ほども持ち合わせてません。いつだってインドア派。
「あとひとつ。訊いとらんかったの、嬢ちゃん、歳はいくつじゃ?」
来た!
わたしは、相手の目をまっすぐ見て答えました。
「十六です♡」
「へーそーなのかー、同い年かあ、偶然だなあ」
横から入ってくるカイ。ちょっと待って棒読みになってる。あからさまに怪しいですそれ。
長老は、幸い気づかなかったのか、穏和にうなずきました。
「うんうん。じゃがカイよ、村ではお前が先輩じゃ。万事助けてあげなさい」
「はっはっは任せとけ。世話が焼ける奴だが、仕事だからしょうがない」
カイ、笑ってバンバンわたしの背を叩きます。痛い。あとなにその演技の隙間から顔を出す上から目線。
「年下のくせに……(日本語)」
「うん? なにか言ったかの」
「いいえなんでもー。カイ、ベル、これからもよろしくね♡」
*
長老が去ったあと、わたしはため息ひとつ。
カイ、肩の荷が下りたみたいに大きく伸びをしました。
「あーあ。さて、私は昼はお役ゴメンだ。いっぺん家に戻って寝る」
「あ、じゃああたしそこまで送ってくー」
「なんだよベル、別にいいって」
二人の会話は、家を出たあたりで島の言葉に変わりました。すぐに遠ざかるかと思ったけど、ずっと聞こえ続けます。
聞き取ろうとは思いませんでした。
考えてました。
さっきのため息は、ホッとしたから……なのかな。
だとしたら、なんだろうこのモヤモヤは。
やがて、結論も出ないまま、いきあたりばったり外に飛び出すわたし。目を丸くするふたり。
「ベル、ごめんなさい。わたしほんとは十七なんです。
このこと、長老さまにも言わないと」
とたん手首を掴まれ、家の中に引きずりこまれました。
後半もすぐ続きます。




