4・たまには昔の話を
「ミユキ。起きてるか」
「……むむ?」
呼びかけられて目が覚めて、あいまいな返事するわたし。
小屋の戸口から漏れ入る陽の光、明るい。雨上がりの朝。今日もいいお天気、風も涼しい。
カイは、外にいるみたい。低い声だけが聞こえてきます。
「ミユキ。あんた今いくつだ」
はい?
「ええと歳ですか? こないだ十七になりました」
「十六って言っておけ」
……?
なんで? 誰に?
疑問の後半に答えるカイの声、心なしか緊張してたような。
「長老が来た」
*
戸口に立ったのが、一瞬、人でないものに見えました。夜と泥をこねあげて作った奇怪な人形みたいに。
場違いなくらい明るい朝の光を背負って、顔、影になって、表情が読めません。
しばらく黙っていたそれは、やがて口を開いて黄色い歯を見せ、
「初めまして、嬢ちゃん。なかなかええ乳しとるの」
ベルが後ろからそのお尻を蹴りました。
*
「わしは島の長老じゃ。長いこと、そう呼ばれておるうちに、名前は忘れてしまった」
あばらの浮いた小柄な体、短く刈り込んだゴマ塩頭。ひざ下まである長い腰布、細い銀ぶちの丸眼鏡。
「ベルの祖父であり、そこなカイの名付け親でもある。お役に立っとるかな、この子らは」
長老と名乗った老人は、ベルをそばに置き、ゆったりあぐらをかいて、ニコニコ人なつっこく笑ってました。カイほどでなくとも英語は達者。
ちなみにわたしは、キッチリ正座で精いっぱいの愛想笑い。カイがとなりについててくれます。
嬢ちゃんも楽になさい、とは言っていただきましたが、
一・こんな水着みたいな恰好で、
二・お年寄りとはいえ初対面の男性の前で、
三・しかも一発目にあんなセリフもらって膝を崩せるほど度胸ないです。
それにしても。最初、異様に見えたのは、全身の刺青のせいでしょう。
ベルもカイも、左の胸元から頬まで、赤い模様が渦巻きながら駆け上がっています。樹の皮からとれる染料で描くのだと、いつだかベルに教わりました。
長老のはどうやら本当の刺青で、褐色の肌を、顔までも、青黒い線や幾何学模様がびっしり埋めてます。現代のわたしたちが忘れた旧い呪い。
でも、こうして話してみれば、お化けでもなんでもない普通の人でした。
……ひとつだけどうしても気になるのが、その長い腰布。わたしもそういうのがいいんだけど……
「さて。話はだいたい、ベルから聞いとるよ。大変な目にあったのう」
水の入ったお椀を手の中でもむようにしながら、長老が口を切りました。
「じゃが、命があっただけ天の恵みというもんだ。……天か。そういえば嬢ちゃん、クリスマスのすぐ後に流れ着いたなあ」
あ、クリスマスを知ってるんだ、意外。いやいや今はそんなことより、
「あの、長老さま。今日は、何月何日なんでしょうか」
ポナペンの月のハチャハチャの日じゃよ。とか言われたらどうしようと思ったけど、返答はシンプルかつ明解でした。
「一月四日じゃな。あんたがたの暦で」
遭難からもう十日以上たってます。ありがとう知りたくなかった。ポナペンでハチャハチャのほうがなんぼかマシだった。
「あのっ! 本当に、外と連絡を取る方法ってないんでしょうかっ」
思わず前のめりのわたしに、長老、ポリポリ頭を掻いて、
「実は、外の船が寄って来とったんじゃよ。嬢ちゃんが流れ着いた、次の次の晩に。
遭難者を探しておるとな。知らんと答えたが」
はいっ!!??
「ちょっとじいちゃん!! なにそれ聞いてない」
「ああ私もだ。説明しろよ、長老」
「待て待て騒ぐな。そのとき、嬢ちゃんはまだ眼を覚ましておらなんだ。
事のいきさつが分からんのに、おいそれと『あずかってますよー?』でもなかろうが」
食ってかかるカイたちを手で制しながら、長老はなだめるように、
「悪いことしたのう。もちろん次に船が来たら、嬢ちゃんのことを知らせてあげる」
強いめまいを感じながら訊ねました。
「つ、次って……いつ……?」
「うむ。ここには、年に二度きちんきちんと、『お上』の船が来る。半年に一度じゃな」
半年。
「でなくとも、二、三か月にいっぺんくらいは、外の漁船が近くを通るでな。気を落とさず、待っとるとええ」
二、三か月。
「……ちょ、長老さま。ちなみに、その『オカミ』とかいう船が前回来たのは……?」
「先々週じゃ」
わたしは気絶しました。
*
目が覚めたら、いつもの小屋の中、カイがそばにいました。
寝かされてた、のかな。……どうして。
「起きたな。大丈夫か? 気分は?」
それで思い出した。さっき、急に目の前が暗くなって。
直前の、長老との会話も思い出します。つまりいつ帰れるやらサッパリ不明だと。
「カイ。わたし……」
『×〇△×□!』
『カイ、〇〇□×△△!!』
外から長老とベルの声がしなければ、わたし、またメソメソしてたかもしれません。
カイが、ポンとひとつ、はげますように肩を叩きました。
「ほらミユキ、メシだってよ。とりあえず食おう」
*
いつもよりすこし遅めの朝ごはんは、芋? や魚、鶏肉などの蒸し焼きらしきもの。なにか大きな葉っぱに盛られてました。
みんなで分け合って、いただきます。
出来たてのアツアツで、味付けは塩のみ……いえ、もうすこし複雑な、しょうゆっぽい風味。味はいい。でもやっぱり、ハ〇ンツさんの力を借りても、食は進みません。
長老が、あの紫色の『たろのぽい』のお椀を差し出して、
「嬢ちゃん、食べなされ。食べて、力つけて、待つんじゃ」
……ですよね。
ふうっと一息、気合を入れて。
わたしはそれを、ひとさじずつ口に運びました。
*
「にしてもさ、じいちゃん」
ベルが、かじりかけの鶏もも肉を指先で振り回しながら、
「なんでうちの島って、こんな外と隔たってるの? あたしも腹立ってきた」
「ふむ、おまえには話したことなかったかなあ。
……ちょうどいい。嬢ちゃんも聴いとくれ。すぐに帰してやれない、言い訳をな」
前置いて、宙に視線を投げる長老。
「わしらの祖は、争いと宣教師から逃れて、この島にたどり着いた氏族じゃ。およそ二百年ほど前のことになる」
なめらかにそらんじる声。まるで詩のように。
でも今のわたしには、なめらかすぎて、すこし遠く感じました。
「島に着いて、彼らは暮らしを編み直した。みな同じ氏族、神さまの前ではみな平等。王が代々治めるのでなく、長老がゆるくまとめる里を築いた」
「はーいじいちゃん質問。神って、センキョーシの言う神さまだよね。逃げたのにおかしくない?」
「まあ、そういう考え方も入ってきとった、ってことじゃよ。先を続けよう。
この島に逃れ来ても、よそとの関わりが切れたわけではなかった。細々と交易したりな。
それが途絶えたのは……戦と『悪魔』のためじゃ」
いくさ、あくま。やっぱり古めかしい、遠い言葉。
「戦争ですか。いつごろのことですか?」
訊いてみたのは、単なるあいづちがわりで。
長老、ひとつ咳をして、
「嬢ちゃん。ひとらーを知っとるかね」
*
急に目が覚めました。さすがのわたしも、知らないはずありません。
「八十年も昔じゃ。そのひとらーに、お上が……ふらんすが、負けた。まあ、そんなのは遠いよおろっぱの話だが。
噂が立ったのよ。ここいらの島全部、ひとらーの仲間だったじゃぱんという国に投げ渡されると。
そう、嬢ちゃんの国だな」
声もないわたしに構わず続ける長老。
「結局、噂は噂で済んだが、大騒ぎになったそうじゃ。それはもう、遠いよおろっぱの話ではなかった。わしらの問題じゃった。
このへんの民、額寄せあって相談して、ひとらーに対する戦士団を組んだ。その数三百」
カイが横から話にまじって、
「この島からも、若い男ばっか十人出たそうだ。私たちも同じ民、ふだん付き合いが薄くってもな」
「そうじゃ。そしての、彼らは……彼らは全員……
……全員……帰ってきた」
思わずガクッ。帰ってきたんかい。
けど、話には続きがありました。
「それからじゃよ。わけの分からぬ死が、あっというまに島を覆った。老いも若きもバタバタ倒れた、肌を赤い斑点で埋め、熱に浮かされて、うめきながら、むなしく手で宙を掻きながら。
島の三分の二が死んだそうな。
当時とて、それが一種の流行り病だとは分かったそうじゃ。が、皆はそれを『悪魔』と呼んだ。十人が外から背負って帰ったのだと」
悪魔。
わぁ非文明的ぃ……とは思いませんでした。
そう、当時の彼らにとって、『一種の流行り病』なんかより『悪魔』のほうがはるかに実感ある呼び名だったでしょう。理解しようがしまいが、襲われれば死ぬしかないなら。
「ミユキ。わざわざカヌー使って、あんたをこんな離れ小島で看病してるの、不思議に思ってたろうな」
「……考えてもみませんでした」
「ははは。ま、そういうことじゃよ。
以来わしらは『悪魔』……悪疫に満ちた外界を禁忌とし、つながりを絶った。だれも入れないし、出てもゆかん、そうなった」
長老、一度、お椀の水をぐっとあおって、
「年に二度、お上が船をよこす。金物、マッチ、油、塗り薬に飲み薬、そこなケチャップもそう、いろんなものを積んでな。
あれば便利なもの、なくてもいいものだけ、わしらは頂戴する。外に頼らんでもすむように、いつまた、完全に島を閉ざしてもいいように。
なかでも一番必要なかったのが、これじゃなあ」
指先で軽く触れた銀ぶちメガネ、よく見ると、レンズがはまってませんでした。
「……ゆえに、気に入っておる」
お話が終わって。
頭の中を整理し終えて、わたしは、ぺこり頭を下げました。
「長老さま、あらためて、助けてくださってありがとうございます。
カイもベルも、ありがとう。看病してくれて」
わたしだって『悪魔』を背負ってたかもしれないのに。
顔をくしゃくしゃにして笑う長老、聞こえなかったみたいにそっぽ向くカイ。
ベルはいつの間にか寝てました。
*
助けてくれたこと、どれだけの親切だったかよく分かりました。もう、今すぐ帰せなんてわがまま言っちゃいけません。
けど。夜の支度があるカイを先に戻らせたあと、長老がおもむろにいわく、
「どうやら、嬢ちゃんに『悪魔』の心配は無さそうじゃな。明日から、本島に住むがいい」
「え”」
声が出ました。ええ、思わず。
夕まぐれ、カヌーを軽やかにあやつって、緑濃い島に帰ってゆく長老。
ベルと二人で見送りながら、つぶやきました。
「どうしよう。わたし、こんな恰好じゃ人前に出られません」
「あたしらのふだん着になにかご不満が?」
*(幕間4)
カヌーが近づいてくると、浜で人影がいくつか動いた。島の男たちである。
漕いでいた長老が手を振って、
『おうい、手伝っとくれ』
舟を浜に上げ、村へもどる道すがら、一人が切り出した。
『長老様、その……どうでした。外から来た娘は』
『ああ……うむ、問題ないじゃろ。明日からこっちで暮らさせる』
どよめいた男たちが、口々に、
『では長老、おわかりでしょう。我々の言いたいことが』
『本来、寄らないはずの潮に乗って流れ着いた。天からの贈り物です』
『カイとご自身の孫を危険にさらしてまで賭けた。そして勝ったのだ』
手を上げて制する長老。この騒ぎを見越したから、カイを先に帰らせたのだった。
『わかっとる、が、いろんな意見を聞かんとな。
わしは王じゃない、たかが長老だ。ひとりではなにも決められんよ』
左の人差し指の先が欠けた男が、念を押すように詰め寄った。
『ですからもちろん、我らの意見も無視はなさらないでしょう?』
老人は、また顔をくしゃくしゃにして笑った。
『むろんさ』




