21・決断(1)
腰に鉈、背中に矢筒、手にした弓はぴたりこっちに向けて。
トーニくんの声、低くて硬かった。
「こんな夜中に、なにをコソコソしてる? 女子供の起きてていい時間じゃない」
「……お前だって子供だろ。トーニ」
「おれは山衆のはしくれだ。里でなにかあれば昼も夜もなく動く。……父さんたちも、もう動いてる」
外から、誰か、大人の男の呼び声。島の言葉で。
同じく島言葉でどなり返し、少年はより強く弓を引き絞って、
「聞こえたろう、追っ手だ。今は、ここがもぬけの殻だとごまかしておいた。
が、またすぐ誰か来る。そいつは面倒がらずに甲板まで上がってくるかもしれない」
細面で、無表情な印象だったトーニくん。
無表情なのは変わらないけど、今は、怖いくらい……その、怖い顔してました。怖い。
「バカなまねはやめて、女子供はさっさと寝ろ。でないと……撃たなきゃならなくなる」
*
「いいタイミングで出てきたな。私ら、おおむね時間は無駄にしなかったと思うが」
腕組みして、場違いなくらいゆったりしゃべるカイ。探りを入れるってより、肚がすわったというような。
「お前たちが合流したあたりから、三百歩離れて追ってたのさ。問題が起こるとすれば、そこの生っ白いのがからむと思ってた。
もう一度言う、バカなまねはやめて寝ろ。今ならまだ、牢が燃えたので家に帰りましたで済む」
「バカなマネ? 私たちがどんなマネするって?」
「そいつを島から逃がす気だろうが!」
空気が震えるほどの怒声でした。
「カヌーを沈めた? バカ言え、お前の腕前でそう簡単に沈むか。どこかに隠して脱出のチャンスを待っている、そのくらい見当はつく。
そこの生っ白いのをどうするか、いろんな……意見や議論があったのは知ってる! が、結局『黙って帰してやる』で納まったはずだ! 淡々と待ってろ!」
「そうでもなかったみたいだよ。ミユキと私、ここ何日か、どんな扱い受けたか知ってるだろ? 不自然と思わないか」
「……。だとしても、お前まで行かすわけにはいかない。二度と戻ってこれないぞ、カイ」
少年の肩の上、メラメラと空気が揺れてました。知ってます、あれ、汗が一瞬で乾いて蜃気楼を呼んでるんです。それだけ体温が上がってる、気が立ってる。
撃つというなら本当に撃つ。たぶん。
でも、幼なじみ相手だからか、カイにはまだ余裕がありました。大げさに腕を広げて、
「お前がそこまで熱くなるの初めて見たな。よければ理由を訊かせてもらっても?」
あっダメ挑発しないで。そのへんデリケートな問題で……
少年は、さいわい怒りもせず、まっすぐ答えました。
「お前が好きだからさ。カイ」
パリーンって音がして(比喩)、カイの余裕が砕け散りました。
*
「なっ、おまっ、バッ」
夜目にも耳を赤くして、わたわた両手を振る少女。こんな場合でなきゃほほえましい姿です。
「お前が好きだ。
一年以内に……お前が十七になる前に、弓で父さんに勝って、島一番の射手になって。
大人の資格を手に入れたら、胸張って言うつもりだった。おれのところに来いと」
こんな場合でなければ。
いいえ、こんな場合であっても、美しい告白。
カイ、目を泳がせてしどもどに、
「バ、バカ野郎、私らはいとこだぞ。これ以上……あれだ、血を濃くしてどうする」
そのリアクション、いつになくかわいらしくて、不意打ちをまともにくらったのが一目瞭然で。
トーニくん、ふと笑みを浮かべました。
見てるわたしの胸がズキンと痛む微笑み。
鈍いわたしに分かったこと、きっと少年も知ってしまったのです。
十何年そばにいて、彼女が一度たりとも、彼を男として見たことがないのだと。
だから少年は、あとはもう散文的な話に戻りました。
「カイ、そんなよそ者のために命を賭けるな。
父さんに追われたら逃げられない。捕まれば縛り首だ。
吊るされたお前を見るくらいなら、今ここで射殺す」
カイも、さっきまでの落ち着き、あるいは覚悟を取り戻したようです。一歩も退かない仁王立ちで、
「ミユキを逃がすのはもののついでさ。私は……」
あっ、ダメ!!!!
ズドン。
「ぎっ……!!」
突然の一撃に、カイ、身をよじってのけぞりました。
*
「~~っ、なにすんだあんたっ!!!!」
「秘孔のひとつを突きました。北斗ナントカ拳……ごめん痛かったです?」
そう。なにを隠そう、彼女のわき腹を指で突いたのはわたし。
「痛いじゃなくてこそばゆいんだよ!!!! この忙しいのになんだ!!!!」
鬼の形相で詰め寄ってくるカイ、怖い。……けど好都合。
トーニくんに手のひらを向けてタンマの合図(伝わったのかどうか知らないけど)。顔が近いのをさいわい、ヒソヒソ話モードに入ります。
(今よけいなこと言いかけましたね? そりゃ秘孔のひとつも突きますよ)
(まずそのヒコウって……いやどうでもいい。なんで話の邪魔した、なにが余計だ)
(あなた……ちょちょ、もちょっとこっちへ、トーニくんから離れましょ)
「なんだってんだ、なに今さらコソコソするんだ!」
(声大きい! さっき、自分も島を出るって言おうとしたでしょ)
「そうさ! いずれ誰にも知れることだろ」
(声大きいですって! いずれ誰じゃないの、今このときトーニくんにだけはバレちゃいけないの!)
「説き伏せてみせるさ! あいつとは長い付き合いだ、きっと分かってくれる」
(無理。ムリムリムリです却下です)
「どうして!」
(もう忘れましたか。彼があなたを好きだからですよ)
「うぐっ……」
とたん目を白黒させて固まるカイ。うぐっじゃないでしょ。
(好きな子がいなくなる。いなくなって、たぶん永遠のお別れです。
しかも、凄腕だっていう山長がもう動いてる。捕まれば縛り首。どこの男の子がそれで『グッドラック』って親指立てますか)
「そ、そういう話なら早く言えよ!」
「ちょっとは察してあげたらどうですか!? だいたいあなたは」
ズドン。
また太い音が響いて、今度はわたしが固まりました。
北斗なんちゃらではありません。トーニくんの矢が、ビニール製のソファ兼ベッドに突き立った音。
……やっぱりタンマは通じてなかったようです。やばい。
「……きさま、父さんの船に傷つけやがったな」
けもののように歯をきしますカイに、次の矢をつがえながら、少年は平静に応じました。危険な平静さで。
「どうせもう使わないんだろ?
ごまかさなくていい。お前、島を抜けるつもりだな」
文句のつけようない図星。
でも、当然だったかもしれません。彼が気づかないはずない、分からないはずない。生まれてからずっとそばにいたんです。
「……ああそうさ。ミユキを逃がすのはもののついでだ。私自身が、もう島にいたくない。いられないんだよ」
カイの返事、いさぎよかった。
「なぜだ」
「言いたくない。長……世話になった人の悪口になる」
「そうか。おれには理由も教えないか」
少年の目に炎が宿り、
「まあ、待って待って。いったん落ち着きましょう」
矢が放たれる前に、わたし、間に入って両腕を広げてみせました。顔になんとか、化粧品のセールスレディみたいなスマイルをはりつけて。
*
「どいてろよそ者。カイより先に百回射倒すぞ」
「ミユキ下がれ。言ったろ、これは私自身の問題なんだ」
……ですよね。やっぱセールスレディじゃ止められないか。
一度、大きく息を吸って、声を張りました。できるだけドスをきかせて。
「だから待てっつってんでしょ(日本語)」
瞬間、ピリリ背中を緊張させる二人。
ふふん、どうですか。知らない言葉で威嚇されるの、本能的にビビるでしょう。
ペースを握れているうちにたたみかけます。ここが勝負どこ、根性出せわたし!
「整理しますよ。
カイは、どうあっても島を出るつもり。わたしを逃がしてくれるのはもののついで。
トーニくん、あなたは、殺してでもカイを止める。そうですね」
一、二、三。みっつ数えて、二人の沈黙を肯定とうけとって、続けます。
「トーニくん。あなたが、血を流すのもいとわないっていうなら……
わたし、提案します。
あなたも一緒に行きませんか?
つまりその、三人で島を出ませんか」




