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17・はじまりのおわり(1)

 孤独な日々が始まりました。

 長老が言ったとおり、ごはんは三度三度、カヌーで運ばれてきます。水やら着替えやら、必要なものもすべて。

 漕ぎ手は毎回違う男の人。彼らは判で押したように、無言で用だけ済ますとそそくさ帰ってゆきます。……まあ、居座られても困るけど。

 じんましんは半日で消えたのに、『悪魔』、伝染病を怖がってるのでしょうか。あるいは、長老になにか言い含められてるのかも。

 その埋め合わせのつもりか(ごめんなさい、皮肉な気分になってるかもしれません)、沖合いに浮かんだカヌーが、交代で四六時中こちらを見張ってます。バカバカしい、どうせ泳いで逃げられるような陸も島もないのに。

 二日目、砂浜に木の棒を立て、その周りにぐるり円を描いてみました。円をケーキみたいに十二等分すれば、かんたん日時計のできあがり。

 三日目の夜明け、棒の影と円が交わるところに小石を置き、日暮れにも同じことをしました。夜明けの石と棒をつなぐ直線から、日暮れの石は、十二等分のさらに半分ほどずれたところ。ということは、昼夜の長さ、差はおよそ一時間ですね。

 だから何だとか言わないで。ただちょっと、証拠が欲しかっただけ。時間はちゃんと流れており、この長い一日もやがて終わるんだと思える証拠が。

 昼間、カヌーの男たちに見られるのも嫌なので、掘っ立て小屋にこもって寝てばかりいます。食欲ないし、話し相手もいないし、ホント寝てるだけ。

 夜、風が涼しくなってきてから外に出て、月や星、寄せては返す波、そして遠く島のある方を眺めやります。

 不思議なもので、こんな身の上になってみると、日本に帰りたいってあまり思わなくなりました。ていうか、はるかに霞みすぎてうまく想像できません。

 それより島に帰りたい。

 闇の中、島の方角にときおり、ポツリ小さな光が……誰かの灯した火が見えます。

 見なければいいのに、その赤い光に目が釘付けになって、情けなくも涙が出たりしました。

 帰りたい。

 あそこには、ごくあたりまえの暮らしがありました。カイやベルがいて、カイのお母さんが、おまじないのお婆さんが、トーニくんが、ほかにもたくさんの人たちがいて、わたしを受け入れてくれた場所。もう一度あの中に交ざりたい。

 危ない発想なのは分かってます。たぶん長老の思う壺だってことも。けど、ここでの退屈と一人ぼっち、それがいつまで続くか知れないこと、すべてが刻々神経を削ってゆきました。

 たぶん五日目の夕暮れ。

 わたしは床の中、頭まで掛け布をかぶって、赤ん坊のように丸まってました。

 おなかは空いてません。なにも食べたくない。ただ、ほぼ口をつけないままのお昼ごはんだけ、さっさと回収してってほしい。半日でもう傷み始めて、かすかに臭うんです。

 ザリリ、なにかが砂をこする音。晩ごはんを乗せたカヌーでしょう。……そういえば、知らない男の人と一瞬でも二人きりになることを、いつのまに何とも思わなくなってました。

 早く帰って。心で念じます。置くもの置いて、食べ残しは浜にうっちゃってあるから、早く持って帰って。


「ミユキ」


 とっさに跳ね起きて!

 声のした方に目をやると、沈みかけの夕陽を背に、カイがカヌーから降りるところでした。


   *


 髪の短い、少年のような少女、なにも言わず淡々と作業を始めました。運んできたごはんやら水やらを浜に上げ、食べ残しをカヌーに積む。ものの五分で終わるでしょう。

 赤い夕陽が逆光になって、表情が読めません。まだ怒ってるのか、そうじゃないのか。

 一度つばを呑んで、勇気をふり絞って、呼び掛けました。

「カ、イ。あの……」

「見張りがいる。長くは話せない」

 返ってきた声、抑えてはいるけど鋭かった。

「ミユキ、母さんから聞いた。長老が半分強引に、あんたをここに連れてきたってのは本当か」

「……」

「肌にポツポツが浮いたって聞いたが、もう消えてるじゃないか。それでも帰してもらえないのか」

「……あ、う」

「なんでこうなった。あんた、長老になにか言われたのか?」

「ええと、ね。カイ、えっと……」

「……まさか、ずっと島に残れとでも?」

 どの問いにも答えられませんでした。ただただ、涙と鼻水ばかりこぼれます。

 このあいだ、ごめんなさい。あなたにひどいことを。謝りたいのに言葉になってくれない。

 ひと言もまともに話せないわたしを、しばらくじっと見つめて。

 だしぬけに、逆光でも分かる白い歯をのぞかせるカイ。……笑った?

「ミユキ、心配するな。

 あんたは私が連れ出してやる。故郷(くに)へ帰してやるよ」

「……え?」

 連れ出す? 帰してやる? 日本へ?

 どうやって。島を出るのは掟破りで……

 ううんそれより、どうして。

「なあに、あんたのためじゃないから気にするな。こいつは自分へのケジメだ」

「けじ、め……?」

「ああ。ウソ、ついちまったからな。わた――」

 そこまで言って、不意に背を向け、顔をそむけて。

 聞こえたつぶやき、かすかに震えてました。


「――すまなかった。私たちは野蛮人だ」


   *


 やがて、カイが去ったあと。

 いいかげん暗くなってから、やっと我に返って。

 持ってきてくれたごはん、小屋に運びこんで、ちびちび食べ始めました。ちぢんだ胃を叱りとばしながら。

 ぽろぽろ、ボロボロ。また涙がこぼれます。とめどなく。


「うるさいっ、泣いてないで食え」


 床に拳をたたきつけたら、皮膚が破れて少し血が出ました。知るか、食え。芋のひとかけらも残すな。


 なにメソメソしてんだバカ。悲劇のヒロイン気取りか。

 おまえがそんなだから、あの子がまた無茶するじゃないか。

 いっこ下におんぶにだっこで危ない橋まで渡らせて、それで笑って「ただいま」って言えるか、お母さんに。


 こんなに腹が立ったのは生まれて初めてでした。


   *


 その晩、考えに考えました。これからどうするのか。

 自慢じゃないけど、あんまし頭の冴えたほうではありません。迷って、こんがらがって、まとまらなくて。

 空が白んで、いいかげんウトウトしはじめたころ、声が、聞こえた、ような。


『いい? 迷った時には、ものごとの優先順位をまず決めるのよ。なにが大切かをね』


 お母さん。いつどこでか思い出せないけど、たしかに聞いた、母のアドバイス。

 とたん、霧が晴れたみたく方針が定まって。安心したらわたし、コトンと眠ってしまいました。

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