14・嵐とお泊り(1)
「ようこそミユキ。これが私の『家』だ」
そこにあったのは、船でした。
島のカヌーではありません。陸に上げられ、草に埋もれ、つる草が這ってはいたけど、白い近代的なボート。
口あんぐりのわたしに、カイ、ニヤリ笑って、
「さっきも言ったが、せまっ苦しいし蒸し暑いぞ。我慢してくれよ」
それから、手を引いて甲板に上げてくれました。
雨は刻々強まって、バナナの葉の笠と地上にあるもの全てを叩いています。
*
ことの始まりは夜明け前。風の音で目が覚めました。
夜明け前と分かったのは、壁を四角く切り抜いただけの窓から、ほの暗い空が見えたから。その空を、イヤな紫色した雲の塊が、モクモクうごめきながらすべってゆきます。
「……カイ?」
寝ぼけまなこで探したけど、寝ずの番の少女、どこにもいなくて。
突然、ミシリ、柱がきしむ音。かすかに聞こえる……人の、話し声?
腰布を巻いて、恐る恐る外に出てみると。
カイ、いました。そしてもう一人、松明を掲げた、ごつい男の人。無表情で、白目の部分がひどく黄色い。
わたしに気づいたカイ、険しい顔で、
「ミユキ、この家はダメだ。昼のうちに出るぞ」
頭まわらない、言われた意味が入ってこない。なんだか、まだ夢の中みたい。
「どうして、です、か?」
返事を聞いても、まだわたしはボンヤリしてました。
「嵐が来る」
*
朝には小雨が降り出しました。
窓の外、村は、いつもののんびりムードなどどこへやら。どこに隠れてたのかと驚くほどの男たちが、あるいはすのこで窓をふさぎ、あるいは材木で家々を補強し、あるいは、家族を引き連れてどこかへ去ってゆきます。
女たちも、食べ物を満載した籠や大きな水瓶を抱えて行ったり来たり。籠城や避難の準備に余念がありません。
「……で、なんでこの家はダメなんでしたっけ?」
「あんたが住む前、しばらく空き家だったんだ。そのせいで手入れが悪くて、風で倒れるかもってさ。
夜明け前、ごついオヤジさんが来てたろ。あのオヤジさんの判断だよ」
「あのお方は?」
「山衆の一人だ」
カイのやや簡潔すぎる返事に、さっき来たばかりのベルがつけくわえて、
「山衆ってのは、トーニのお父さんをかしらに、山で狩りをする男らのことよ。木だの竹だのの扱いに慣れてるんで、大工仕事もやるの」
なるほど。だから嵐の前に、里の建物をチェックしてまわってたのか。
細面のトーニ少年と、そのお父さん、岩から削り出したような巨人の姿が頭に浮かびました。
さっきのおじさん、トーニくんのお父さんと雰囲気似てます。無口そうというか、その、ちょっと怖いというか。
「ちなみに山といえば、崖崩れとかはないんですか?」
「なくはない。がまあ、崩れるところはだいたいもう崩れた」
そっか。南の島すごい。
「でどうする? ダメと決まった以上、今夜はどっかよそで泊りになるぞ」
「うちにおいでよミユキ。大勢いてにぎやかだよー」
「う、ん……」
その大勢が苦手なんだよなあ。だからって、ほかに誰を頼れるでもないし。
迷ってたら、カイが出し抜けに言いました。
「……この里で二番目に嵐に強いのが、ベルの、つまり長老の家だ。でかいし作りも頑丈だ。
一番強いのは、私の家だ」
へ?
「ただし、せまっ苦しいし蒸し暑い。嵐のときはなおさら。それでもよければうちに来るか」
突然のお誘い。
わたしも驚いたけど、ベルも目を丸くして、
「どーしたのカイ。あなたが人を招くなんて聞いたこともない」
「すばらしく快適ってわけでもないからな。が、雨風は完全にしのげるし、どうせ私も夜はミユキの番だ。ちょうどいいだろ」
「……女の子連れ込んでどうするつもり……?」
口に手を当ててあとじさるベルをきっぱり無視して、カイ、ゴロリ横になりました。
「さて、メシも食ったし、私はすこし寝る。起きるまでに、どうするか決めておいてくれ」
*
荷物といえば、ボロボロの服などを収めた籠と、呪い師のおばあさんにもらった染め粉の壺だけ。
「おじゃまします……」
カイに手を引かれて、船尾から甲板に上がって。船室っていうのか、四方ガラス張りの小部屋に逃げ込んで。
濡れた笠を脱ぎ、体を布でふいたら、さすがにホッとしました。
村外れ、砂浜と山にはさまれたごく狭い草地に据えられたクルーザー。これがカイの『家』。
内装は、たとえるならキャンピングカー。乗ったことないけど。
大きな丸いハンドル、計器類やレバーなどをそなえた操縦席。その後ろに、なんとか体を伸ばして寝られるくらいのビニールソファが、壁に沿って二台。ソファの間には低いテーブルが床に固定され、上に灯り油の皿が置いてあります。
なにもかも古び、すすけてはいたけれど、言うほど狭くも暑くもありませんでした。
「さ、つっ立ってないで適当に座ってくれ」
マッチと紙やすり(ナイフや鍋などと同じく、半年に一度『お上の船』が積んでくるのだとか)で、手早く灯りをともすカイ。
「ありがとう。……これ、お父さんが乗ってきた船ですか?」
「ああ。嵐に巻かれて海岸に打ちあがったのを、苦労してここまで曳いてきたそうだ。もちろん、みんなに手伝ってもらって」
船体にひびが入り、燃料も切れたそれを、お父さんは『別荘』と呼んで遊び場にしていたとか。
そして亡くなったときに、子供全部の中で一番下だったカイに遺したそうです。
島に流れ着いて、もうどこにも行かなかった人が残した、どこにも行けない船。
「あ」
まだお昼過ぎなのに、空は分厚く雲に覆われ、あたりはだいぶ暗かったけど。
わたしの目、操縦席のダッシュボードの上に、型の古いラジオを見つけました。そしてその脇に、木製のシンプルな写真立ても。
すっかり色あせた写真の中、白い歯を見せて笑ってる。サングラスをかけた、浅黒い肌の男の人。どこかの港で、この船を背景に。
ひょっとして……
カイ、なつかしそうに目を細めました。
「興味あるなら話してやるよ。どうせこのあとヒマだし、今さら隠し事でもない」
外、雨も風もますます強まって。
でも、今夜、嵐はあまり気にならないかも。
*
ウソですごめんなさい。やっぱ嵐気になります。ちょう怖いです。
お話して、簡単に晩ごはん済ませて、またお話して。お父さんのことたくさん聞いて。
もう寝るころになって、ちょうど風雨のピークが来ました。
東京の、コンクリのマンションでやりすごすのとは違う、南洋の嵐。
風が高く低く吠えたてては、ゆうに五メートル以上ある船をギシギシゆすります。雨は弱まったかと思うと、カーテンで覆った窓を突然ビシャンッ!! と叩き、ソファで眠ろうと努力しているわたしをおどかします。
遠くから波の轟き、バリバリ樹の折れ裂ける音。一瞬、カーテン越しでも視界を真っ白に染める稲光、すぐ続いて空気を震わす雷鳴。
どこから外気がもれてくるのか、灯り油の小さな火がたえず揺れ、ものみなの影を不気味に踊らせていました。向かいのソファに脚組んで座ってるカイの影も。
「眠れないか?」
「う、うん。その……やっぱり蒸しますね」
「嵐が、海から風を運んでくるんだ。熱くて湿ったやつを」
差し出された天然ものの海綿、水につけて絞ってあって。頬や首筋に当てると、ひんやり気持ちよかった。
「さ、ミユキ、寝ちまえよ。なにかあったら起こしてやる。朝には嵐も抜けてるだろうさ」
「……はい。ありがとカイ、おやすみなさい」
やだ、なんだかくすぐったい気分。
たったひとつの差とはいえ、年下の子にお守りされて寝るっていうのも、考えたらアレですね。なので考えないことにしましょう、うん。
頭を空っぽにして、息もゆっくり。外からの刺激に、なるべく反応しないよう。
やがて。努力のかいあって、だんだん、ウトウト……
「あー!!!!」
「どわっ」
跳ね起きて、あわてて枕元、荷物の籠に手を突っ込みます。暗い中、ガサガサ必死で手探りして……
「なんだよ、どうしたミユキ。驚くじゃないか」
答えるわたし、この時点で半泣きでした。
「スマホ。スマホ、むこうの家に置いてきちゃいました……」
嵐で潰れるかもという家に。
続きは20時に。




