8・わたし少年と出会う
「『子供の家』には行ったんだよな? じゃあ、子供でも年長の女子が働いてるのは見たろ」
朝のカイ、交代で来たベルがぽかんとするくらい気合入ってました。鼻息フンスフンスって感じ。
「あとは、年長の男子がなにしてるか見せてやる。ついて来い」
「……いいの? 眠くない?」
おずおず訊ねるわたしに、大真面目な顔で、
「じつはゆうべ、寝ずの番なのに居眠りした。
やりなおしだ。今日は、案内もこなしつつ、きっちり徹夜もしてみせる」
「……自白しなくてもいいのに」
あきれ顔のベル、私の思ってる通りを言ってくれました。
*
「よーしやってるな。邪魔しちゃ悪い、遠くから見物だ」
連れてこられたのは砂浜。何日か前、カイのカヌーで上陸したあたり。
そこに、かなりの人数、少年たちが集まってました。
歳のころなら、十あたりから十六七くらいまで。やっているのは……いわば体育でしょうか。
あるところでは、二十人ほどがゆるい車座を作ってて、その中心で少年ふたりが取っ組み合いを演じてます。殴ったり蹴ったりはしないので、相撲とかレスリング的な競技でしょう。おそろしく真剣な表情で向かい合う二人を、まわりの少年たちがわあわあ囃したててました。
また別のところでは、弓の練習中。バナナの葉を束ねたとおぼしき的に、一列に並んだ少年たちが、つぎつぎ矢をうちこんでいます。
的との距離は三十メートルくらい。当たるたび、バスン、バスンといい音、歓声と拍手。たまーに外す子が出ると、まわりから笑いと罵声で冷やかされてました。
「カイ、やっぱりあれ狩りに使うもの?」
「ああ。罠にかかった野ブタを仕留めるための弓だ。森でジャマにならないよう短い。海には、もっと大きなやつを持っていく」
なるほど。やはり、力仕事荒仕事は男の役目なんですね。
「なんで的が葉っぱを束ねたやつなんですか?」
「矢が傷ついちゃ困る、けっこう貴重品だからな。みんな大切に手入れするし、それぞれどう飛ぶくせがあるか、一本一本に印がつけてあるんだ」
「へえー……」
そのとき、遠くのヤシの木陰に、大男……いえ、巨人がいるのに気づきました。
遠すぎてはっきりしないけど、背丈は二メートルを超えてるかも。ごつごつ太い腕と脚、野球のグローブみたいな手、分厚い胸と盛り上がった肩。
歳は恐らく五十前。あごのがっちりした長い顔の中で、鋭く光る眼が、少年たちをじっと見守っていました。
この場の監督役だと思うけど、あれだけの巨体をなぜ今まで見落としてたんだろうわたし。……たぶん、岩みたいに静まり返って、身じろぎもしないから
「おい」
「ひえっ!?」
突然うしろから声かけられて、変な悲鳴が出て。
あわてて振り向いたら、少年がいました。弓をかついで、かすかに不機嫌な無表情で。
「お前、本当は何歳だ。十六じゃないだろう」
背中がぞわっとしました。
*
少年は、見た目、わたしと同い年くらいでしょうか。背はわたしやカイより高く、細面の顔立ちはなかなか整って、きっちり割れた腹筋がいかにも鍛えてる感じ。
「なんだトーニ、ミユキに用か。私も聞こう」
すっと前に出て、わたしをかばってくれるカイ。
トーニと呼ばれた彼、切れ長の鋭い目をそちらに向けました。
「ヒヨコみたいにお前にくっついて歩いて、なにかあればそうやって後ろに隠れて。そいつ、それで来年には大人なのか。本当は十かそこらじゃないのか」
あ、そういう方向の話。よかった、十七ってばれたのかと……。
「くっついてるのは、私が連れ回してるからさ。知らなきゃ教えてやるが、こいつの世話は私の仕事だ」
「知っている。昼は、その役目はベルのはずだ」
「なに、ちょっと時間を延ばしたまでだよ。ゆうべ少しさぼっちまったからな」
そこまで言って、カイ、腕組みして声に力を込めました。
「さてトーニ、お前は、私の仕事の邪魔をしている。弓の鍛錬中だろ? ひとに構ってないでさっさと戻れ。親父さんにどやされるぞ」
後ろで見ててハラハラしましたが、少年は素直にうなずきました。わずかに目を伏せて。
「……わかった。悪かった」
彼が行ってしまったあと、訊いてみました。
「カイ、今のは……?」
「あれは私の、いっこ下のいとこだ。すまないな、ふだんは突っかかってくるような奴じゃないんだが」
ってことは十五か。言われてみれば、声や表情にまだ子供の匂いがあったような。
「あれ? そういえば、男の子はいくつで成人なんですか?」
「うん、それが、女みたいに決まった歳でじゃないんだ。つまり……」
説明を聞きながら、トーニ少年が、他の子らより倍以上も的から離れて立つのを眺めてました。
彼はそこから、一度もあやまたず、ど真ん中を射抜き続けました。
*
その晩、来訪者がありました。
「なんだ、お前かトーニ。なにか用が?」
目を丸くするカイに、大きな葉っぱの包みを差し出す少年。
「詫びに来た。これは母が作った焼き豚だ」
「あらら律儀だねー。ありがとありがとー」
と、これは、今夜なんとなく帰らずにいたベル。横から勝手に包みを受け取ります。ものおじというか遠慮というか、全くないとこがすごい。ほどほどに見習いたい。
「ははあ。さてはお前、親父さんに叱られたな? 人の仕事を邪魔するからそうなる」
ニヤリ笑うカイに、ぐっと黙ってしまうトーニ少年。
これはいけません。カイにすればいとこの気安さなんだろうけど、このくらいの歳の男の子が、女の子にからかわれて良い気分のわけがない。
ここは年長のわたしの出番。なるべくものやわらかな笑顔で、フォローに入ります。
「あの、わざわざ来てくれてありがとう。わたし今朝のことはなんとも思ってませんし」
「あんたは引っ込んでてくれっ」
ピシャリと来ました。うわハイッごめんなさい。
「おれは、仕事を邪魔したことをカイに詫びに来たんだ。長老が命じた正式な仕事をだ。あんたは関係ない……ああまたその逃げ腰か。日本人は皆そんな臆病者なのか」
「トーニ」
わたしと少年の間に立って、腹の底から声を出すカイ。
「詫びに来たんじゃなかったか。今日はやけにイライラしてるなあ」
それだけで、少年は首根っこをつかまれたように大人しくなってしまいました。
「……そうだった。すまない」
「邪魔どうこうは、もういいさ。
だがミユキには謝ってやれ。今朝の分と、今の分。怖がらせた分と、こいつの故郷の連中をくさした分」
「えっ、いえあのわたしべつに……」
少年が気の毒なの三割、矢面に立たされてあわてたの七割でしどもどになるわたし。
そのわたしに、トーニくんはいさぎよく頭を下げました。
「すまなかった。不躾な口をきいたこと、あんたの同胞を侮辱したこと、許してほしい」
「あっハイぜんぜん気にしてないので……あの、どうか顔を上げてください」
よしっ、て大きくうなずくカイ。ああ、そのスッとまっすぐな背中がたのもしい。
横合いから、ベルのいかにも呑気な声が、
「話ついたね。トーニ、あんたも晩ごはん食べてく? この焼き豚おいふぃよ」
あっ勝手に食べてる。
なにかツッコミかけて、毒気を抜かれたようにため息こぼすトーニくん。
「……たいした肝の太さだな、お前は。少しだけ見習いたいよ」
ですよね。
カイがあとを引き取りました。
「完全には見習いたくないがな」
ですよねー。
*
ゆうげの誘いを断って少年が帰ったあと、三人でゴハンをすませて(もちろん焼き豚もいただきました。果物と蜜のソースを塗ってじっくり焼くのだというそれは、甘くてやわらかくて、とてもおいしかった)。
もう眠い、帰るの面倒だと駄々をこねるベルを泊めてあげることにして。ふたり、並んで寝床につきました。
いつものように、小さな灯りの周りを羽虫が飛び回ってる、暗い部屋の中。
こんな異国の地でも、お泊り会の定番はおしゃべりで。
「ねえベル。カイから聞いたんだけど、この島の男子は、父親を超えて初めて成人ってホント?」
「そーよ。なにかひとつでも、暮らしに役立つことでね。お父さんがいない子は、身近な大人を選んで……ふぁ~あ」
あくびして、急にクスクス笑いだすベル。
「ふふふ、ミユキったら変なの。あの正直者カイから聞いた話の真偽を、このうそつきベルさんに確かめるなんて」
「くふ。それもそうですね」
「あ。すんなり同意されると腹立つ」
ややあって、もうひとつ訊ねてみました。
「あのトーニくん。彼はなにで成人を目指すんだろう」
「んあ? ……それがね、弓なのよ。無謀ー」
「無謀なの?」
「今朝、砂浜で、でかい男を見たろ」
聞いてたらしく、カイが話にまじってきました。
「あれがトーニの親父さんだ。山長、つまり島の狩人たちの長。……トーニのやつもたいした弓使いだが、親父さんには遠く及ばないな」
あの二メートル以上ありそうな人か。ヤシの木陰で、岩のように動かずにいた。
「山長は、ひとの倍も強い弓で、ひとの倍の距離から獲物の心の臓を射貫く。罠にかかった野ブタなら誰でも撃てるが、走ってるのを一発で射倒せるのはあの人だけだってさ」
やがて、ベルが静かな寝息を立て始めて。
わたしもウトウトしながら、なんとなく、今朝からのことを思い出してました。
砂浜での、楽しそうながら、真剣そのものの訓練。いつか大人として、島の暮らしを支えていく男の子たち。
トーニと呼ばれた少年。初対面から不興を買ってたみたい。『ふだんは突っかかってくるような奴じゃない』ってカイは言ってた。なのになんで。
カイのうしろに逃げ隠れ、みたいのが気に食わなかったのかな。たしかに前、友達に『ムダにビクビクしてるの腹立つ』って言われたことあるし。
まあ、カイがひとにらみすれば引き下がってくれたけど……カイが……
「あ」
「あ?」
思わず声が出てしまったわたしに、カイの怪訝そうなまなざし。
「あっいえ、なんでもないです寝ぼけました。おやすみなさい」
あわてて掛け布をかぶりなおします。ひょっとして、もしかして。彼、カイのこと……
気づいたら、寝たはずのベルが、うっすら目を開いてこっちを見てました。
そして、カイには見えない角度でウィンクひとつ。やっぱり魔物だこの子。




