第四十八話「恐怖の克服」
十月十一日。
ラスペード教授の午後の指導を終え、昨日の野犬との戦闘でショックを受けているらしいクェンティン・ワーグマンを見舞いにいった。
ワーグマン家の広い屋敷に着くと、執事のスチュワートが俺たちを迎え入れてくれ、応接室に案内してくれる。
屋敷の中を歩きながら、クェンティンの様子を聞いてみると、
「クェンティン様はショックを受けておられるようで、今日は学院に行きたくないと……旦那様がお帰りになられるまで、様子を見るつもりでおりました」
俺の予想通り、魔物に殺されそうになったことがショックで引き篭もっているようだ。執事ではどうすることもできず、出張から帰ってくるワーグマン議員を待つつもりのようだった。
応接室で待っていると、やつれた感じのクェンティンが現れた。ぼそぼそという感じで挨拶するが、それ以上何も言ってこない。
俺が「元気そうだな、ミスター・ワーグマン」というと、彼は俺から目を逸らし、「体調が悪いから部屋に戻る」と言い出した。
(完全に恐怖でやられているって感じだな。仕方が無い……)
俺は「ミスター・ワーグマン、少しだけ話をしないか」といって、出て行こうとしている彼を止めた。
俺は彼の顔を見ながら、事実を淡々と告げていく。
「君にとって昨日はいわゆる“初陣”だった。そして、魔物と戦って死にかけた。だから、魔物が恐ろしくなった。そうなんだろう?」
俺の問いに彼は悔しそうな顔をするが、何も言い返してこない。
「俺とここにいるミス・ジェークスが初めて戦ったのが二年前、そう、八歳の時だ。俺の最初の戦いも野犬だったよ。そして、俺も野犬が恐ろしかった。それも、凄腕の従士たちが守ってくれる安全なところにいたのにだ……」
クェンティンは信じられないという顔をするが、俺は構わず話を続けていく。
「昨日の君と違って、あの時、俺たちに危険は全く無かった。ミス・ジェークス、面倒だな、シャロンでいいな……シャロンの父、ガイがいたからな。昨日会ったベアトリスに匹敵する冒険者でもあるんだ。なあ、シャロン?」
俺の意図を何となく悟ったのか、シャロンはニコニコしながら、大きく頷き、
「はい、あとで聞くと危険は全くなかったのですが、その時の私は帰り道で泣きべそをかいていました。途中までどうやって歩いているのかも覚えていなかったんです。ザック様が手を繋いでくれなかったら……」
「俺たちだって怖かったんだ。最初はみんなそうなんだよ」
クェンティンは「そんなことはない。君は強いじゃないか」と涙を浮かべて首を振る。
「じゃあ、俺の祖父の話をしてやろう。うちのじい様は平民の兵士だったが、腕一本で騎士になった男なんだ。ラズウェル辺境伯領に行けば、まだ知っている人がいるくらい腕の立つ剣術士なんだぞ。そのじい様が俺に話してくれた初陣の話をしてやろう……」
俺が初めての戦いの後に聞いた話を、彼に聞かせていく。
「……じい様は恐怖のため、危うく味方を危険に晒すところだったそうだ。そのじい様が言った言葉を君にも聞かせてやろう」
彼は祖父の話に引き込まれ、「どんな言葉?」と聞いてきた。
「俺が初めての戦闘で震えていたと言ったら、“恐怖を感じることは恥ずべきことではない。恐怖を感じぬ者は真の強さを得ることはできぬ”と言ったんだ。今でもその言葉は忘れられない。俺がこうやって戦えるようになったのは、その言葉のおかげだからな」
クェンティンは「恐怖を感じることは恥ずべきことではない。恐怖を感じぬ者は真の強さを得ることはできぬ……」と呟き、下を向いてしまった。
俺は駄目だったかと思ったが、彼が顔を上げるのを待った。
三十秒ほど手を開いたり、膝を掴んだりしていたが、ゆっくりと顔を上げた。
目はまだ赤かったが、涙は止まっていた。無理に笑顔を作ろうとしているのか、引き攣った表情で、
「ありがとう。少し気が楽になったよ。ミスター・ロックハート……ザックと呼んでいいかな。僕のことはクェンティンと呼んで欲しい……」
俺はそれに頷くと、彼は嬉しそうな表情になる。
その後、いろいろな話をした。そして、最後にラスペード教授のところに行った話を聞いてみた。
「ラスペード先生は君たち以外の生徒を指導する気は無いとおっしゃっていたよ。例え、五年生の首席がきたとしても自分が直接指導する価値は無いって。そこまで言われたら、悔しいも何もないよ」
「先生がそんなことを……」
「ただ、最後にこうもおっしゃっていたよ。“ミスター・ロックハートは無理でも、ミス・ジェークスと対等に魔法の話が出来るようになったら、もう一度来るように”とね。だから、当面の目標はミス・ジェークス、ううん、シャロン。君が目標なんだ」
クェンティンは高らかにそう宣言するが、言われたシャロンは「私が目標?」と一瞬ポカンとし、すぐに驚いて目を丸くする。
俺たちはベアトリスへの埋め合わせがあるため、帰ることにした。帰り際にスチュワートが「ベアトリス様とリディアーヌ様に」と言って、ワインの壷を渡してくる。俺はこれで少しは機嫌が直るだろうと、ありがたく受取り、屋敷を後にした。
夕食の時、ワインの壷を出すと、リディとベアトリスは途端に機嫌が良くなった。
ベアトリスは「まあ、初陣だから仕方が無いだろうな。それも一人で良くやったほうだろう」といい、リディも「ザックを認めることができるんだから、思ったよりまともな子なのね」と言っていた。
俺が「ワインで買収されたな」と笑うと、二人は違うと反論するが、二人がワインを手放さなかったので、説得力はなかった。
十月十一日の夜、午後八時の鐘がなった頃。
ベアトリスが宿に戻った後、再び我が家に来客があった。
その客は魔術師ギルドの評議員、ピアーズ・ワーグマンだった。
彼は二泊三日の出張に出ていたはずで、ギルドか屋敷で昨日の事件を聞き、ここに来たのだろう。
常に冷静な彼にしては珍しく、顔は紅潮しており、急いでここに来たことが窺えた。
彼は「夜分にすまない」と詫び、
「息子の、クェンティンの命を救ってくれたと聞いたのだ。まずは礼を言わせて欲しい。本当にありがとう」
俺たちはやり手の政治家である彼が、いきなり感謝の言葉を告げてきたことに驚いていた。いくら息子の命を助けたと言っても、屋敷に招いて礼を言うくらいだろうと思っていたからだ。
だが、ワーグマン議員の表情は真剣そのもので、息子を心配している父親以外の何者でもなかった。その姿を見たリディが「意外にいい人じゃないと思ったわ」と、後で言ったくらいだ。人見知りで男性恐怖症のリディにそう思わせるだけでも凄いが、俺はどこまで演技なのだろうと勘繰っていた。
「ベアトリス嬢にも礼を言わなければならないのだが、何を置いても、まずは君たちにと思って……」
ワーグマン議員は一時間ほど前にギルド本部に戻ったそうで、そこでクェンティンが森で遭難しそうになったと聞いた。
そして、屋敷に戻り執事のスチュワートに事情を聞いた上で、息子から話を聞いたところ、俺たちが救出したと知ったそうだ。
「君には助けてもらってばかりのようだ。息子を立ち直らせてもくれたことにも感謝している」
彼は息子が落ち着いていることを不審に思い、問い質したそうだ。そして、今日の放課後に俺とシャロンが屋敷を訪れ、彼を励ましたと知った。
「初めての戦闘で死にそうになったと聞いたときには、クェンティンは恐怖に飲み込まれてしまったと思ったよ……私に出来ることがあれば、何でも言って欲しい。息子の命に代わる物などないのだから」
俺は真摯な態度の議員に、どうしても不信感を持ってしまう。
(政治家を信用できないっていうのは、日本のマスコミの影響かもしれないな。自分が狭量に思えてしまうが、どうしてもこの人を信用しきれない。この人の情報を知っているし、それにこの前の面談でも冷酷な表情で脅してきたしな……)
「お礼は既に頂いていますし、ベアトリスもリディアーヌもおいしいワインで十分な礼になっていると思いますよ」
俺がリディに目配せすると、彼女は「そうね。こっちに危険があったわけじゃないし、あれで十分だわ」と話をあわせてくれた。
「それに私とミス・ジェークスはクェンティン君の友人なのですから、当たり前のことです」
シャロンは俺の言葉に大きく頷く。
「そうか……やはり君と駆け引きをしても勝てないね」
彼の顔は息子思いの父親の顔から冷徹な政治家の顔に変わっていた。
そして、いきなり「頼みがある」と頭を下げてきた。
「今回の件であらぬ噂を立てようとしている者がいる。言わなくても判るだろうが、イシャーウッドだ」
俺はまた政治絡みかと溜め息が出るが、「あらぬ噂ですか」と聞いてみた。
「私の指導者としての資質を攻撃したいのだろう。息子一人を御せずに学院の改革など出来るのかと、クェンティンの行動を出汁にしようとしているそうだ」
どこで聞きつけたのだろうと思ったが、下手なことには首を突っ込みたくないので、そのままスルーする。
そして、彼の言葉から何を頼みたいのか何となく判った。
「判りました。昨日、クェンティン君はリディアーヌと一緒に森に入りました。たまたまスチュワートさんがそのことを知らず、慌てて冒険者ギルドに依頼を出してしまった。そういうことでいいんですね」
ワーグマン議員は表情を変えず、
「それでお願いしたい。幸いケガもしていないし、スチュワートの空騒ぎとしておけば、私に傷がつくことはない」
その言葉にリディが嫌そうな顔をするが、俺はそれに気付かない振りをして、
「リディもそれで頼む。議員はともかく、クェンティンはいい奴なんだ。もし、このことで大騒ぎになれば、傷付くのは彼だ。頼むよ、リディ」
俺はリディに頭を下げながら、このくらいの嫌味は言っていいだろうと、ちらりと議員の顔を見た。議員は苦笑いを浮かべるが、何も言わなかった。
リディは議員の方を一切見ず、「判ったわ。あなたの頼みだから」と言って、話し合いの場から離れていった。
俺は、「ベアトリスにも必要以上に話さないように伝えておきます」と伝えた後、気になっていたことを尋ねた。
「なぜ、クェンティン君を森に行かせたのですか? 注意するようにとお伝えしたにも関わらず、何も手を打たれなかったのですか?」
議員は少し怪訝な顔をして、「何のことかね?」と聞いてきた。
俺が五日前の十月六日に、ギルドの受付に警告を書いたメモを渡したというと、
「私のところには来ていないようだ。誰に渡したのか覚えているかね」
議員は目を細めてそう尋ねてきた。俺が受付の若い職員に必ず渡すよう念押しをして渡したというと、「なるほど」と頷き、
「まだ、私に対する攻撃は続いているようだ。誰が何のためにやったのか、大方の見当はついたよ」
凄みのある笑顔を俺に向けた。俺は背筋に冷たいものが走り、これ以上、この件に関係するのはやめようと思った。
俺は溜め息混じりに「これ以上政治に巻き込まれたくないな……」と小さく呟き、「それではクェンティン君によろしくお伝え下さい」と言って、言外にこの話が終わったと臭わせた。
ワーグマン議員もそれを感じ取ったのか、人当たりのいい笑顔を作り、
「この件に関する礼は必ずするよ。何か希望はあるかね」
俺は「政治家が貸しを嫌うのは判る気がしますけど……」と言ったところで言葉を濁した。この後に“やはり政治家と付き合うのは面倒ですね”と付け加えそうになったからだ。
「特に何もありません。強いて言うなら、クェンティン君の指導を直接してあげてください。できれば、森に連れて行って経験を積ませて上げてください」
ワーグマン議員はまだ何か言いたそうだったが、
「いずれ何かのおりに私を頼ってくれたまえ。では、失礼する。息子の命を救ってくれたことへの感謝は本心だ。もう一度礼を言わせてもらう」
そう言って、もう一度頭を下げ、議員は家を出て行った。
翌日は森に入る予定だったため、家にやってきたベアトリスにその話をすると、「うまい酒だったが、後味が急に悪くなったな」と露骨に嫌な顔をされる。
「あんたがそれでいいなら、あたしは何も言わないが……しかし、政治家に知り合いがいたとはね。それもあんな大物が。まあ、同級生の父親だから面識はあるか……」
ベアトリスはワーグマン議員に絡む政争について知らない。積極的に話す内容でもないし、下手に知っていると巻き込まれるかもしれないから、言っていないのだが、仲間に隠し事をしているようであまりいい気分はしない。
「政治家は好きじゃないし、第一この街で一番忙しい人なんだから、これ以上、俺たちに構うことはないだろう」
その日のリディとベアトリスはいつも以上に力が入っていた。善意で助けた相手から政治的な思惑を聞かされ、気持ちの整理が付いていないのだろう。
いつもなら俺とシャロンに回される雑魚も、二人のストレス発散のために次々と倒されていく。
(判らないでもないが、俺たちのレベルアップが目的なんだがなぁ……)
一言言いたいところだが、あの二人が苛立っているときに余計なことを言うと、とばっちりを食うことは容易に予想できるので自重した。
ワーグマン議員の工作がうまく行ったのか、クェンティンの話は大袈裟にならなかった。クェンティンも翌日から学院に来ていたようだが、俺たちが教室に行く頃には噂話すら聞かれなくなっていた。




