第四十六話「クェンティンの焦り」
十月六日の午後三時半。
リオネル・ラスペード教授の講義を終え、家路に向かおうとした時、同級生のクェンティン・ワーグマンともう一人名前が出てこない男子生徒が校門で待っていた。
俺は小さな声で、シャロンに男子生徒の名を聞くと、「ミスター・エリオット・ウェントワースです」と教えてくれた。本当にシャロンの記憶力は良い。
クェンティンが笑顔で俺に声を掛けてきた。
「ミスター・ロックハート、ミス・ジェークス、時間があるなら付き合ってもらえないかな」
俺に用事はないが、シャロンには家事が待っている。治安の良い旧市街とは言え、シャロンを一人で帰すのは心許ない。もちろん、人間相手に魔法が使えれば、そこらの冒険者に負けない実力がシャロンにはあるが。
「あまり時間は無いが、三十分くらいなら時間を取れると思うが」
そう答えると、クェンティンが、「ラスペード先生の授業について聞きたいんだ。僕たちも先生の授業を受けたいと思ってるんだ」と言ってきた。隣にいるエリオット・ウェントワースも大きく頷いている。
俺はエリオットという少年について何も知らないが、確か席順からいって席次五位だったはずだ。
(今日の感じだとシャロンですら、ついていくのがやっとだろう。この二人には絶対に無理だろうな。だが、俺がそれを言うのは憚られるしな。まあ、先生がこの二人を指導するとは思えないから、直接引導を渡してくれるだろう……)
俺はそう考えながら、「判った。どこで話をする?」というと、クェンティンが校庭にあるベンチを指差した。
ベンチに座り、「何を聞きたい?」と俺が言うと、エリオットが勢い込んで話を始めた。
「座学は何をしたんだ? 実技は? 噂ではラスペード先生が高位の火属性魔法を使ったって聞いたけど、それは本当か?……」
どうも抑えが効かないタイプのようで、自分の知りたい事柄を際限なく聞き始める。
俺が「ちょっと待ってくれ。いっぺんには話せないだろう」と言うと、「じゃあ、早く話してくれ」と膨れっ面になる。
俺は我儘な子供だなと思ったが、我慢して話を始めた。
「最初に言っておくが、今日は初日だから、今日の話がこの先と同じかは判らない。座学だが、これと言って題目があるわけじゃなかった……」
クェンティンは真剣に、エリオットはまだ膨れっ面で話を聞いていく。
「……実技だが、確かに先生が使った獄炎の槍という魔法だが、凄い魔法だったな。上級生はおろか、その実技講師の先生まで驚いていたからな」
クェンティンが「君たちの魔法を先生に見せたのか?」と聞いてきたので、正直に、「俺がファイアボール、ミス・ジェークスがフレイムアローに近い魔法を先生に見ていただいた」と答えた。
エリオットは「ファイアボールでいいなら、僕の旋風の刃でも良いはずだな」と呟いていたが、俺はそれを無視して話を進めていく。
「今日の実技は、先生が俺たちの魔法を見たいとおっしゃったから、こうなったと思う。多分だが、俺たちの実力がどの程度なのかを確かめたんだろう。だから、次回は違う授業になるんじゃないかと思う」
クェンティンはそれに頷き、何か呟いていた。隣でエリオットが「よし、ベネット先生――担任のアリック・ベネット教諭――に頼んでくる」と言って、校舎に向かって走り出した。
クェンティンも追いかけるのかと思ったら、小さく首を振り、「ラスペード先生とどういう話をしたんだ」と真剣な表情で更に聞いてきた。
俺は精霊の力の話やイメージが重要であるという話を正直に聞かせてやった。すると、クェンティンは肩を落とし、
「やはり僕には無理そうだ。君たちのレベルに追いつかないと、先生の指導なんてとても無理だ……」
俺は彼の言葉が意外だった。もっと自信満々で俺たちが先生の授業を受けられるなら、当然、自分にもその権利があるというと思っていたからだ。
俺が「話がそれだけなら、俺たちは帰ろうと思うんだが」と言うと、「ミスター・ロックハートに頼みがある」と言って頭を下げてきた。
つい先日まであれほど傲慢だった彼が、和解したとはいえ、頭を下げてきたことに、俺は驚いていた。彼は俺の表情を気にすることなく、
「君は森に入って魔物を狩っているそうじゃないか。僕も連れて行ってくれないか」
俺はこの話がいつか出ると思っていた。だが、ワーグマン議員のところに行った翌日に、その話が出るとは思っていなかった。
少し驚いたが、俺の答えは決まっていた。
「残念だが、連れて行くのは無理だ。君の実力を見たわけじゃないが、少なくとも実戦経験はないんだろう? 北の森は比較的街に近いところでも、本職の冒険者が命を落とす危険なところなんだ。実戦経験の無い君が森に入れば、命の保証は出来ないんだ」
クェンティンはそれでも食い下がり、「どうしてもレベルを上げたいんだ」と言って更に頭を下げる。
「なら、父上に相談すればいいだろう。ワーグマン議員は優秀な魔術師だそうだし、お忙しいなら優秀な傭兵を護衛に雇ってもらうよう頼んだらいい。悪いが、俺たちでは君の安全を保証できないんだ」
俺に取り付く島がないと感じたのか、クェンティンはがっくりと肩を落とす。
「焦る気持ちは判らないでもないが、野犬程度の相手でも命を落とす危険がある。間違っても一人で森に入るなよ」
俺がそう言うと、「判っているよ」とだけ答え、俺たちの前から立ち去った。
嫌な予感がしていた。彼が一人で森に入るのではないかと。
今日明日ではないかも知れないが、強くなるためにいつか無理をするのではないかと。そう頭に過ぎったのだ。
俺はワーグマン議員にそのことを伝えるべきだと思い、ギルド本部に向かった。
議員の私邸でも良かったのだが、クェンティンがいると、使用人にメモを渡すにしても気まずいことになるだろう。俺はそう考え、ギルド本部へ向かうことにした。
ギルド本部に向かうが、今日は面会するつもりはなかった。こちらが望んでも、忙しい議員にその時間はないと思っている。だから、メモを渡すつもりでいた。
俺はカバンの中からノートを取り出し、メモを書いていく。内容はクェンティンが森に入りたいと言っていたこと、レベルを上げることに焦りを感じているように見えたことだ。
メモを渡すべく、先日の職員がいないか探してみたが、今日の受付は知らない若い男性職員だった。
それでもメモを渡すだけだからと、受付の男性職員に声をかけ、ワーグマン議員のご子息のことで大事な話があり、このメモを渡して欲しいと書いたメモを手渡した。
その男性職員は「判ったよ。後で必ず渡しておくから」と言って、笑顔でメモを受取った。
俺はこれで大丈夫だろうと思ったのだが、次の休みの日にその事件は起こってしまった。
俺たちはラスペード教授の授業を二日に一度受けることになった。但し、繁忙期になる十二月と五月は空いた時間だけということになっている。
十月六日に最初の授業を受け、翌々日の八日に次の授業を受ける予定だったが、教授の都合でキャンセルとなった。このため、俺とシャロンは七日から九日まで毎日、リディたちと森に入っていた。その三日間で俺たちは八級に上がっていた。
そして、学院の休日、十月十日にそれは起こった。
俺たちは今日も森に入るつもりでいたが、三日続けて森に入っていたことと、天気が崩れそうだったため、その日の魔物狩りは取止めた。
俺はベアトリスとギルドの訓練場で訓練を行い、シャロンは久しぶりに朝から家事ができると、家の仕事に精を出していた。リディだけはいつものように家でのんびりとしていた。
午後三時過ぎ、俺たちはその日の訓練を終えた。
今日はベアトリスも一緒に食事をする予定で、彼女は風呂と食事を楽しみにしていた。
纏わりつくような鬱陶しい雨が降っているが、彼女と訓練の話などをしながら和気藹々といった感じで訓練場を出ようとしていた時、ワーグマン議員の執事が俺に声を掛けてきた。
「ミスター・ロックハート、クェンティン様をお見掛けしなかったでしょうか?」
俺が見かけなかったというと、彼はがっくりと肩を落とす。
事情を聞いて見ると、朝からクェンティンの姿が見えず、昼食の時間になっても姿を見せなかった。心配になり、友人の家を探していたのだが、旧市街にはいなかった。更に俺と一緒に森に入ったのではないかという話を聞いたそうだ。
その話を聞き、急いで俺たちの家に行ったが、俺が森には行かず訓練場にいるということで、一縷の望みを掛けてここに来たそうだ。
議員の家では、いかにも執事という感じでパリッとしていた彼、セドリック・スチュワートだったが、今はおろおろと狼狽しており、事態はかなり深刻だと感じられた。
俺は「議員はこのことをご存知ですか?」と尋ねると、昨日から出張に出ており、明日の夜にしか戻らないという話だった。
俺は議員が俺のメモを見ても、何も手を打たなかったことに違和感を覚えるが、今はそれどころではないと、スチュワートに状況を確認した。
「捜索はどの程度していますか。私と森に入ると言った同級生は何か知りませんでしたか」
スチュワートは首を横に振りながら、
「本格的な捜索はまだです。悪戯に騒ぎ立ててもと思いまして……ご友人はミスター・ロックハートが魔物を狩っているところにいくのではないかとおっしゃっておいででした」
俺はクェンティンに魔物狩りの話をしたことはなく、場所は判らないだろうと首を傾げる。
(考えられるのは、俺を追いかけて、家から北に向かったというところだろうな。それにしても、家に行けばシャロンかリディがいたはずだ。声を掛けなかったのか?)
俺はスチュワートに指示を与えた。
「捜索隊を組織してください。何なら冒険者ギルドに緊急の依頼を出してもいい。俺は今から森に入ってみます」
隣にいるベアトリスも拙いことになったと感じているのか、「今からすぐに暗くなるよ。あたしも一緒に行こう」と言ってくれた。
スチュワートにもう一度、「もし、クェンティン君が帰ってきたら、すぐに家に連絡してください。ミス・ジェークスを残していきますから」と声を掛け、ベアトリスと共に家に走っていった。
家に着き、すぐにリディとシャロンに事情を説明する。
当初、クェンティンのことを嫌っているリディが消極的な態度だったが、業を煮やした俺が、ベアトリスと二人だけで行くと言うと、急に行くと言い出して準備を始めた。
俺は自分も行く気になっているシャロンに
「ミスター・ワーグマンの家のスチュワートという人が、連絡をくれるかもしれない。だから、シャロンはここに残って居て欲しいんだ」
シャロンは夜目が効かないことを思い出したのか、渋々諦める。
俺とリディは急いで準備を進めるが、ベアトリスが森の中でどうやって探すつもりか聞いてきた。
「とりあえず、ここから北に上がって近場を中心に探してみる。あと二時間ほどで日没だから、一旦そこで戻ってくるつもりだ」
ベアトリスは俺のことを心配して、
「なら、あんたはここに残っていな。夜目が効かない人間では危険すぎるよ。あたしとリディアーヌで探しに行けばいい」
「大丈夫だ。目はいい方なんだ。暗闇でも見えるから、俺の心配はいらない」
ベアトリスは「冗談を言っている場合じゃないんだよ」と声を荒げるが、リディが戻ってきて、
「ザックなら大丈夫よ。私と同じくらい暗闇には強いから。それより、早く行きましょう」
ベアトリスは訝しげな顔で俺たちを見るが、冗談を言っている様子も無いので、渋々俺が行くことを了承した。




