第七話「視察」
両親たちに告白した日。
午前中の訓練を終え、凹んでいるダンを慰めた後、俺は父のいる執務室に向かっていた。
四歳児の体は、厳しい訓練のせいもあり、昼寝という休息を執拗に求めてくる。だが、時間があるうちに話しておきたいことがあったため、無理をして父の下を訪れたのだった。
執務室には父と事務担当のニコラスがいたが、俺が入っていくと、父も察してくれたのか、ニコラスに用事を言いつけて、二人きりにしてくれる。
「父上にお話があります。この村を、ロックハート領をより良くするための方策についてです」
父は頷いた後、俺を抱きかかえて、子供が座るには高すぎる椅子に座らせてくれた。
「私はこの村の現状をよく知りません。まず、現状を見たいのです。村の中を自由に歩ける許可を頂けないでしょうか?」
俺はこの屋敷の敷地から僅か二回しか、出たことがなかった。
一度目は、昨年の夏に南にある黒池と呼ばれる湖に家族で遊びに行った時。二度目は秋の収穫祭の日に、村の神殿に行った時しかない。
そして、そのどちらも子供が多いと言う理由で、荷馬車が使われ、自由に見て回ることができなかったのだ。
息子の身の安全を考えて、壁に覆われた安全な敷地の中で遊ばせるというのは分かるが、それにしても過保護すぎると思っていた。まあ、普通に考えれば、三、四歳の子供にとってこの敷地内は充分に広く、遊ぶだけなら不満は出ないので、それほど過保護と言うわけではないのかもしれないが。
「自由にか……難しいな。少し考えさせてくれ」
渋る父の姿に、領主の息子が村を歩くと、危険があるのかと尋ねる。
「村の人々は気のいい連中ばかりで、うちの息子に危害を加えようと思うものはいないだろう。だが、この村は森に近い。いつ、魔物が現れるのか分からんのだ。誰かを護衛に付けるにしても人手がな……」
俺としても、自分のために誰かにしわ寄せが行くのは気がひける。
「では、父上の視察というのはどうでしょうか? 次男のお披露目も兼ねてというのは?」
父は少し考えてから、俺の同行を認めてくれた。
「明後日の朝から村を回ろう。私とニコラスで村の中を案内してやろう」
父はにこやかにそう告げ、いたずら小僧のような表情で俺に耳打ちしてくる。
「何か考えはあるのだろう? 少しだけでも教えてくれないか」
「まだ考えがまとまっていませんが」と告げると、少し残念そうな顔をする。
「ニコラスと一緒に行くんだ。私が考えたように見せたほうがいいと思ってな」
(何だ、父上もちゃんと考えていたのか。ニコラスにいい顔をしようとしたのかと思ったよ。さて、どうするかな……)
「父上に確認したいことがあります」
「何が知りたいんだ?」と明るく問い返してきた。
「この村の人口の推移です。あとは子供、特に小さい子供の死亡率が分かればいいのですが」
「人口か……オーブの登録簿があるから、分かるはずだが……」
オーブとは身分証明書のような魔道具のことだが、人口統計は取っていないようで、正確な数は分からないようだ。
そもそも、うちの領地の税金はどうやって決めているんだろう?
「そうですか……そもそも、税金はどうやって決めているのですか?」
「畑の面積、家畜の数だな。職人については無税だ」
人頭税でないため、人口の管理をしていないようだ。
職人が無税なのは祖父が招聘したからだそうで、普通は売上に対して税金が掛かるそうだ。
「まずは人口の調査が必要ですね」
父はその理由が分からず、「何故なんだ?」と俺を見つめる。
「毎年の人口の変化が分かれば、労働力と消費の動向が分かります。人口の推移が分かれば減っているのはなぜか、増えているなら、新たな畑が必要か、どの程度森を切り拓くかなどが分かります。それに人が増えれば当然消費する物資が増えるので、商人を呼び込むこともできます」
「なるほどな。子供の死亡率と言っていたが、それはどうしてだ?」
「もし村の人口がずっと同じで、年に五十人の子供が生まれているとします。そして、年に三割の子供、十五人の子供が死んでいくと仮定します。もし、その死亡率を三分の一の一割にできれば、年間十人の割合で人口が増えていきますから、十年後には百人の増加となります。それもこの先子供を生んでくれる若い世代がです」
「十年で百人か。なるほどな。理屈は分かるが、小さな子供を病気から守るのは容易なことではない。この屋敷のように誰かが面倒を見られるならともかく、貧しい農家では少し大きい子供、お前くらいの歳の子供が、更に幼い子供の面倒を見ているのが実情なのだ」
俺は父が行政官として、きちんと状況を把握していることに、正直驚いていた。
(もっといい加減なのかと思ったら、意外とよく見ているんだな)
「まだ、見ていないので分かりませんが、食糧生産量の増加と、幼児死亡率の低下を同時にできる案を考えています」
父は俺の言葉に思わず立ち上がる。
「それは本当か! そんな夢のようなことが……」
俺はぬか喜びにならないよう釘を刺しておく。
「見てみないとできるかどうか、分かりませんよ。とにかく、村の状況を確認しないと……」
興奮する父を説得し、鍛冶師と木工職人、革職人のところに行く約束を取り付ける。
ニコラスが戻ってきたので、俺はその場を退散し、疲れた体を引き摺って、四人の昼寝の場所になっているホールに向かった。
(何とか村に行けるようになったけど、どんな感じなんだろう。人口もニコラスに調べさせるっていっていたけど、大丈夫だろうか……しかし、子供の体は大変だな。すぐに疲れるし、無理が効かない……)
俺はそのままメルたちの横に行き、倒れるように昼寝を始めた。
昼寝のあとは、メルたち三人の教育をすることにしていた。
と言っても、特に難しいことをするつもりはなく、庭で文字を覚えさせようというだけだ。
俺はアルファベットを使ったゲーム――地面に丸を書き、その中にアルファベットを書く。アルファベット順に、石を投げていくゲームを始める。
「最初はAだよ。次は何?」
三人のうち、シャロンが小さな声で「B」と答える。
俺が偉いぞという顔で「じゃ、どれがB?」というと、Bの文字を指差す。
(シャロンは文字を覚えていた? いつの間に?)
俺は驚くと共にシャロンの頭を撫でて「凄いな、シャロンは」と思いっきり褒める。
すると、ライバル心を燃やしたメルが次々と質問をはじめ、更にダンまで釣られてその輪に入ってきた。
作戦はどうやら成功したようで、何とか文字に興味を持ってもらえたようだ。
俺はこの村の識字率を上げるつもりでいた。
さすがに従士たちは皆文字が読めるが、農民のほとんどは文字が読めない。
しかし、この村は比較的豊かであり、人々の暮らしにもある程度の余裕がある。その余裕を教育に振り分けたいと考えていた。
教育ですべてがよくなるとは思わないが、識字率が上がれば、文書による経験の伝達ができ、生産性が上がる。更に簡単な四則演算を覚えさせれば、生産管理も劇的によくなるはずだ。
交通の便の悪さが問題だが、生産性さえ上げれば人の流れはできる。あとは特産品を作ってもいいし、税収を使って街道を切り開いてもいい。
(ちょっと先走りだが教育は必要だ。治安はいいから、衛生管理、教育、そして新産業に力を入れれば、この村は必ず発展する……)
この先、この村に居続けるか、それとも旅に出るか決めていない。
村に残るにしても、次期領主は兄のロッドだから、俺の居場所を探さないといけない。どうせ、居場所を探すなら世界を旅するのも一興かとも思っている。
どちらにしても、ここが俺のふるさとになることは間違いない。
このラスモア村を発展させ、俺を受け入れてくれた両親、祖父に恩返しをしたいということもある。ならば、俺ができることはやっておきたい。
俺はただのエンジニアだった。
設計者といえば聞こえはいいが、俺がやっていたのはいろいろな部品を組み合わせるだけ、それもコンピュータがなければ何もできない。
そんな中途半端な俺の知識が、どこまで通用するのかは分からないが、できることを力一杯やる。それだけだ。
翌々日、俺は朝からソワソワしていた。
父と共に村の中を見て周れる、新しい世界を見られるという興奮が、俺の中で暴れまわっている。
父の馬に一緒に乗ると、その視線の高さに少し恐怖を覚えた。
(思ったより、高いな。掴まるところもないし……)
普段の視線の数倍の高さであり、馬の背に揺られるたびに鞍にしがみつきそうになる。
父はその様子に「怖いのか?」と笑っている。
「怖いですよ。前に屋敷を出たときは荷馬車の荷台でしたし、馬なんて乗ったことがないんですから」
俺はニコラスが見ている事を忘れ、幼児口調から地の口調で話してしまった。
ニコラスの笑顔が固まったように見えるが、それを無視して鞍にしがみつく。
屋敷からの下り坂が終わると、丘を囲む城門をくぐっていく。
城門といっても大した物ではなく、やや厚めの木製の板の扉であり、野生動物でも猪とか熊とかの大型の動物なら、簡単に壊されてしまいそうなものだった。
ラスモア村には五つの丘がある。
北から、屋敷がある「館ヶ丘」、「北ヶ丘」、「東ヶ丘」と「西ヶ丘」が並び、一番南が「南ヶ丘」だ。
村の中を走る道は、踏み固められた未舗装の道で、丘を縫うようにして走っている。
村人の家は、白い漆喰の壁にスレート葺きの屋根の平屋ばかりで、道沿いに数軒から十軒くらいが集まって建っている。
屋敷から見えたように丘にはパッチワーク上に畑が耕されており、緑色の放牧地には羊と牛が、家の裏手には豚の姿もあった。
俺の第一印象は思った以上に汚いということだった。
(遠くから見るときれいな風景なんだが、近くによるとかなり汚いな。ここ四日ほど雨が降っていないのに道はぬかるんでいるし。それに家畜の糞尿も混じっている……)
そして、丘を一つずつ巡りながら、畑の様子や村人の様子を見ていく。
俺たちが通ると、農作業をしていた農民が帽子を取って頭を下げてくれる。
(さすがにご領主様か。一応、尊敬されているんだな)
彼らを見る限り、鍬や鋤を使って畑を耕しているが、馬や牛を使っている様子はなかった。
俺はニコラスに聞こえるように「馬や牛は使わないの?」と尋ねる。
「馬はお屋敷にいるくらいでほとんど居ません。牛は乳を搾るためにいますから、畑で働かすことはしません」
真面目なニコラスは四歳児の俺に律儀に答えてくれた。
(農耕馬の使用は随分昔からあるはずなんだけどな? 牛も雄を使えばいいだけだし……)
俺は父に降ろしてもらうようにいい、畑を見にいく。
俺の様子に三十代のがっしりとした農民は驚く。何か不都合があったのかと思い、慌てて走り寄ってくる。
父が笑顔で手を上げると、すぐに安堵の表情になるが、まだ不安なのか「何か御用でしょうか?」と心配そうな顔で尋ねてきた。
俺は父に農具を見せてもらいたいと頼んでもらい、その鍬を見せてもらった。
その鍬は日本で見られるような形に近く、更に掘る部分は鉄でできていた。
(一応、鉄製の農具を使用しているのか。鉄器の使用で農業生産が飛躍的に上げるっていう案はボツだな……)
俺は農具に興味を失ったような振りをし、土を手に取る。
(少しパサ付いた感じだな。五月の終わりで麦でもないから、豆類とかイモ類を植えるんだろうが、もう少し黒い土じゃないと駄目なんじゃないのか? 俺の農業知識が正しいとは限らないが、肥料を入れた方が良さそうな気がするな……)
俺はできるだけかわいい声を作り「今、何しているの?」と尋ねる。
農民は少し困ったような顔で父を見てから、子供にもわかるようにゆっくりと説明を始めた。
「今から、豆を蒔くために耕しているんです。まだ雨が降りませんから、今のうちに蒔いてしまうんですよ……」
そういいながら、豆の種を俺に見せてくれた。
大豆より大粒の豆で、直播するようだ。どうやら、雨が降ると蒔けなくなるようで、ここ数日の晴天を利用しているとのことだった。
俺は「ありがとう」と礼をいい、その場を離れるように父に合図する。父も「邪魔をした」と言って、その場を離れていく。
畑を見終わったあと、四つの丘の中心、すなわち、ラスモア村の中心部に到着した。
村の中心には、二十軒近い家が立ち並び、その中に木造だが二階建ての建物が二軒あった。そのうちの一軒には小さな看板が取り付けられていた。
看板には「黒池亭」という文字が書かれており、父の説明では村にある唯一の酒場だということだった。
(酒はこの村で作っているんだろうか? それなら、試したいことがある……)
もう一軒の二階建ての家は、この村の顔役、村人の代表が住む家だそうで、集会所にもなっている家だそうだ。
(ここが村の繁華街か。小さな村だからこんなものかもしれないが、ここも地面がぬかるんでいるな……)
再び父に頼みこみ、顔役であるゴードンの家に案内してもらう。
突然現れた領主に、ゴードンの妻は驚き、頭を下げながら、夫がいる畑に飛ぶように走っていった。
数分後、息を切らせて四十歳くらいのがっしりとした体つきの男が掛け込んでくる。
「こ、これはご領主様、今日は突然のお越し、どのようなご用件でしょうか?」
「すまんな。今日は村の見回りに我が息子が付いてきたがってな。まずは、そなたにも顔を見せておこうと思ったのだ。いや、本当にすまん」
父は申し訳無さそうに謝っていたが、ゴードンの方は、領主自らが息子を会わせにきたと聞き、少し得意そうな顔に見える。
「いえいえ、ご子息様を最初にご紹介頂けるとは。ごゆっくりしてくだされ」
ゴードンは妻に飲み物を用意するように命じるが、父は「構わんで良い」と笑って断り、
「少しこの辺りを見せてやりたい。気にせず仕事に戻ってくれ」
ゴードンは少し不思議そうな顔をするが、息子の我儘に父親が付き合っているだけだろうと納得する。
俺たちはゴードンの家を出て、裏に回った。
裏には井戸があり、その先には畑が広がっている。
井戸の周りには、主婦たちがおしゃべりをしながら洗いものをしていたが、一人の中年女性が領主である父に気付き、慌てて頭を下げ始める。
(さすがに五百人くらいの村だと、領主の顔はすぐに分かるんだろうな。それにじい様も父上も、元々平民で気さくだから、それほど堅苦しい対応はされないんだろう……それにしても子供の姿を見ないな?)
俺は、子供、特に俺と同じかそれより小さい子供の姿を見かけないことが気になり、父に聞くことにした。
「僕みたいな子供がいないけど、どこにいるの?」
父も知らないらしく、「子供は仕事に出ているのか?」と一人の主婦に尋ねる。
「いいえ、小さい子は順繰りで預かっているんです。今日はジェスローさんのところにいるはずですが」
どうやら、子供の面倒は地域で見る体制のようで、それも輪番制を敷いているようだ。
(なるほど。意外と合理的だな。それなら、うまく行けば寺子屋みたいなものもできるかもしれないな)
俺たちはその場を離れ、鍛冶師のドワーフのところに向かった。