第三十八話「獣人の女槍術士」
時は遡り、十月三日に戻る。
魔術師ギルドの評議会議員、ピアーズ・ワーグマンとの面談を終えた翌日。
俺はリディと共に情報調査依頼の追加報酬を支払うため、冒険者ギルドに向かっていた。
今回もシャロンには留守番を頼んでいる。
追加報酬の話だけなので、リディだけでも良かったのだが、午前十時頃と一番人の少ない時間であるということもあり、俺も同行することにしたのだ。
冒険者ギルドに入ると、今回も数名の若い冒険者が待合スペースに屯していた。誰かと待ち合わせなのか、それとも暇つぶしなのか、手元には酒の壷があり、赤い顔をしていた。
(暇な奴が多いのか? 前に来た時も、同じように酒を飲んでいる奴がいたような気がするが……ここで酒を飲む暇があるのなら、森に行って魔物を狩ればいいだろうに……)
俺とリディは彼らと視線を合わせないように、マントのフードを深く被り直して、受付カウンターに向かった。
その時、開け放たれた入口から一陣の風が吹き込んできた。俺は風の音に気付き、入口の方に振り返った。だが、その行動が裏目に出た。吹き込んできた風が、俺のマントのフードをはだけさせてしまったのだ。
俺は拙いなと思いながら、すぐにフードを被りなおした。
そして、そのまま「依頼をした報酬の追加支払いに……」と言い始めたところで、やや高い、耳障りな声の若い男が後ろから声を掛けてきた。
「顔を隠して入ってきたと思ったら、ガキじゃねぇか。ここはガキの遊び場じゃねぇ。とっとと帰ってママのおっぱいでも吸ってきな」
それだけ言うと、下卑た笑い声を上げる。
俺は思わず動きを止めた。それはその声に怯えたわけでも、怒りを覚えたわけでもなかった。こんなことが実際に起こるのかと、呆気に取られたのだ。
(こんなテンプレ過ぎる展開が、普通にあるのか……馬鹿にされたことよりも、あまりにセリフがテンプレすぎて、笑いのツボに嵌ってしまったじゃないか……クックックッ……)
俺はそう考えながら、こみ上げる笑いを堪えていた。すると、リディが不思議そうな顔で俺を見て、小声で「どうしたの?」と尋ねてきた。
俺は笑いを抑えるのに必死で、言葉にならない。
「いや、想像通り過ぎて笑いが……クックッ……」
リディもその男が放つ小物臭を感じ、相手にする気がないようだ。そのため、俺とリディはその男を無視する形になった。
俺たちが無視していると、その男は反応が無いことにイラつき、怒鳴り始める。
「ガキが無視しやがって! 躾がなっていないようだな。ちょっと痛いだろうが、世間って奴を教えてやる!」
その男が俺に掴みかかってきた。
俺は笑いを堪えながらも、咄嗟に椅子から立ち上がり、その男の脇を走り抜けた。男は俺を捕まえようと、俺のマントの端を掴む。
俺はその瞬間、マントをするりと脱ぎ捨て、彼の後ろに回り込んだ。
「ドクトゥスの冒険者ギルドの歓迎は乱暴だな」
俺がそう言うと、後ろにいた他の冒険者たちが面白おかしく囃し立てていく。
「テリー! ガキに馬鹿にされているぞ!」
「ちゃんと躾けてやれよ!」
後ろの男たちは更に調子に乗って、テリーという冒険者を煽っていく。どうやら、かなり酒が入っているようだ。
(朝から飲むなとは言わんが酒場で飲めよ。一般のお客さんに絡ませるっていうのはギルドの管理が甘いのかな)
俺にはかなり余裕があった。テリーという男の技量はそれほどでもなく、更に酒が入っていることから、足元が少し覚束なくなっていたからだ。
俺は立ち上がろうとしたリディを目で制して、前回依頼に来た時と同じ受付嬢のティナに苦情を言った。
「ドクトゥスのギルドじゃ、客が暴力を振るわれても対応しないのかい」
受付のティナは困ったような顔をして首を振り、意を決してテリーを止めようとした。
「テリーさん! いい加減にしてください! それに他の皆さんも……これ以上、迷惑を掛けるようでしたら、支部長に罰を与えてもらいます!」
彼女の言葉に冒険者たちは笑い声を上げるだけで、一向に改めようとしない。
俺はその隙に背中の剣を外し、リディに投げた。彼女はどうしてという感じで目で聞いてきた。
俺は「剣を抜いたら冗談で済まなくなるからな。大丈夫、殺しはしないから」と軽い口調でリディに言った。
俺の言い方が気に入らなかったのか、テリーが「てめぇ! ガキが舐めた口、利いてるんじゃねぇ!」と爆発する。
そう叫びながら、腰の剣をスラリと引抜いた。
窓から入る光が刀身に当たり、キラリと光る。
俺はちゃんと手入れされているなと思うほど余裕があった。
彼の後ろでティナが何か叫んでいるが、周りの冒険者たちは囃し立てるだけで、全く止めようとしなかった。
(駄目だな、こいつらは。前に森であったイアン――巨大ムカデに襲われていた冒険者パーティのリーダー――という人はちゃんとしていたのにな。さて、どうしてやろうか。空気の鎚で吹き飛んでもらうのが、一番簡単だな……)
テリーは腰の長剣を大きく振りかぶって、俺に向かってきた。だが、足元がふらついており、剣が左右に揺れている。
テリーは俺を斬ろうと、腰の回転を生かして横薙ぎに剣を振るうが、酔っているためか、元々の技量がそれほどでもないのか、欠伸が出そうなくらい緩慢な斬撃だった。俺はそれを軽く横にステップしてかわした。避けられたことで、剣に大きく振り回されてテリーは、その反動で大きくよろめく。俺は彼と体を入れ替え、バックステップで距離を取った。
(この位置なら人に迷惑を掛けることはないな。備品が壊れたら、テリーに支払わせればいいだろう)
テリーはブツブツと悪態をつき、剣をだらりと持ったまま振り返った。俺は小声で素早くエアハンマーの呪文を唱え、彼に向けて魔法を放った。
空気の塊が油断していたテリーの腹に直撃する。
彼はゴホッという悲鳴ともつかない声を上げながら、体操の後転のように、クルクルと回りながら転がっていく。
そして、数回転したあと、開け放たれた入口扉から外に転げ落ちていった。
(まるでコントだな。それにしては笑いが無いが……)
さっきまで笑い転げていた冒険者たちだったが、今は水を打ったように静まり返っている。
俺は受付のティナに「今のは正当防衛ですよね。俺は剣を置いたのに、向こうが斬りかかってきたんですから」と言って、再びカウンターに座った。
酔った冒険者たちはどう反応していいのか困ったように、互いの顔を見ているだけだった。
俺が受付に戻ろうとした時、入口からハスキーな、そして豪快な感じがする女性の声が聞こえてきた。
「外にテリーが転がっているぞ! 誰も気付かなかったのかい!」
俺が振り返ると、逆光で見難いが、そこには長身の女槍術士が立っていた。
彼女は革鎧に身を包み、右手には二・五mほどの槍を持っていた。
そして、ゆっくりと中に入ってくると、さっきまで騒いでいた冒険者が慌ててテリーを助けに行く。
光の具合でその女槍術士の姿がはっきりと見えるようになった。俺は思わず息を止め、彼女を見つめていた。
彼女は二m近い巨体だが、しなやかな足運びで鈍重な印象を与えず、顔がはっきり見えるようになると、二十代後半くらいの化粧っ気の無い精悍な顔が現れた。やや剣呑な雰囲気を持つ切れ長の瞳が印象的な美女で、俺は思わず彼女に見惚れてしまったのだ。
(いかにも肉食系って感じだな。リディとは違うタイプの美人だ……それにしてもでっかいな。父上より背が高いんじゃないか……いや、そんなことより、あの胸だ。革鎧の形が普通じゃない。鎧を外したらどうなるんだろう?)
彼女の革鎧の胸の部分は大きく膨らませてある特注品のようで、その特殊な鎧の脇の部分からも、はみ出しそうなほどの肉感があった。
そして、革製のヘルメットを外すと、濃い金色の髪が現れる。その短い髪の間から、猫のような耳が飛び出ていた。良く見ると、革鎧のスカートの部分から、黄色と黒の縞模様の尾が揺れているのも見えた。
(獣人だったんだ。猫じゃないな。虎か? それなら肉食系って思ってもおかしくはないな……しかし、女ボスって感じなのかな。足運びを見る限りかなりの腕だし、絡まれる前に依頼を済ませてもらおう)
受付カウンターで追加支払いの手続きを終え、ホッと息を吐いた。
その時、後ろから「坊やがテリーを伸したのかい?」と、先ほど入ってきた女槍術士の少し艶のある声が聞いてきた。
俺は拙いことになりそうだと身構えるが、
「剣で斬りかかられたので、魔法で反撃しました。一応手加減はしましたので、ケガはしていないと思いますが、もし、ケガをしているようなら治療しますが」
俺はこの場から立ち去りたいため、出来るだけ低姿勢で対応することにした。
「ほう、魔法でね……ケガも治せると」
彼女は目を細めて俺のことを上から下まで舐めるように見た後、
「ただの魔術師じゃないようだね。ちゃんと修業をしているって感じか。テリーがやられるのも仕方が無いか……」
俺は独り言を言っている女槍術士から逃げようと、リディと共に入口に早足で歩いていく。
俺たちが入口にたどり着いた時、「待ちな」と女槍術士が声を掛けてきた。
俺はゆっくりと振り返り、「何か御用でしょうか?」と聞き返す。
「テリーは舎弟でも何でもないが、どうやら一般の客に迷惑を掛けたようだ。詫びをしようと思ってな」
「いいえ、お詫びしてもらうようなことは、何も起きませんでしたから」
俺がそう言うと、彼女はニヤニヤと笑いながら、「まあそう言うなよ」と言って近づいてきた。
俺はその姿に獲物を襲う猛獣の姿を思い浮かべていた。
(拙いぞ。トラブルは起こしたくないんだがな。何が狙いなんだろう)
「あたしはベアトリス。ベアトリス・ラバルだ。坊やは?」
俺は咄嗟に「ザックです」と答えた。普段なら省略せず、ザカライアス・ロックハートと名乗るのだが、今回は本能が警鐘を鳴らしていたため、本名は名乗らなかったのだ。
彼女は「ザック? ふーん。ザックね……まあいいわ」と言って、もう一度俺を舐めるように見た後、
「ちょっと付き合ってもらえないか」
その時、我慢しきれなくなったのか、リディが俺の前に立った。そして、マントのフードを取り、「私はリディアーヌよ。私のザックに何の用かしら?」と挑発的に言い放った。
リディの顔を見た男たちが溜め息のような声を出すが、ベアトリスはニヤリと笑いながら、
「裏の訓練場で坊やの実力を見たいんだよ。別に取って食おうってわけじゃないよ」
「急いでいるのよ。それに子供相手に何を見たいのかしら?」
リディがそう言って睨みつけると、ベアトリスは大きな声で笑う。
「アハハハ! 今、話題の天才、ザカライアス・ロックハートの実力が見たいだけなんだよ。そうなんだろう?」
俺の正体を見抜いていたようで、最後は俺に向かって問い掛けてきた。
俺は「そうですが、それが何か」と言うのが、精一杯で、自分の名が冒険者にも広まっていることに驚いていた。
(魔術師ギルドで話題になっているとは思っていたが、まさか、冒険者たちの間でも話題になっているとは……面倒が降りかかってこなければいいんだが……)
俺が警戒するような目でベアトリスを見ると、彼女は更に近づいてきた。
「警戒しなくてもいい。一月くらいまえにイアンって若いのを助けただろう。そいつから聞いたんだよ」
どうやら、巨大ムカデに襲われていたイアンから話を聞いただけのようだ。
だが、これ以上付き合うと拙い気がしたため、やや強い口調で、
「実力を見るも何も、俺にメリットがないじゃないですか。ただでさえ、言い掛かりをつけられて迷惑してるんです。それに剣で斬りかかられたんですよ。それなのに更に付き合えと言うんですか? おかしいと思いませんか?」
俺が真正面からそう言うと、ベアトリスは僅かに驚いた顔をしてから、豪快に笑い出した。
「アハハハ! 面白い子だね。このあたしが怖くないのかい? いい度胸だよ!」
そう言って一頻り笑った後、
「メリットがあれば付き合ってくれるんだね。いいだろう。何か望みがあれば、言ってごらん? 何なら添い寝をしてやってもいいぞ。アハハハ!」
からかうようにそう言われると、さすがに腹が立つ。だが、姉御肌のこの実力者とのコネクションは、今後の役に立つかもしれないと思い直した。
(実力はかなりあるようだな。槍使いとしてなら、うちのウォルト――従士頭のウォルト・ヴァッセル。槍の名手――ほどじゃないだろうが、それでもかなりの腕だろう。ということは、三級以上の実力者と言うことか……後見人になってもらえれば、冒険者登録も可能だ。だが、見掛け通りとは限らないし、さて、どうしたものか……)
俺が悩んでいると、「本当に見掛けとは違うようだね」と刺すような視線を送ってくる。
俺はその視線を受け、背中に冷たい物が流れた。
(あからさまな殺気とは違う。どう言ったらいいのか判らんが……そう、プレッシャーのような感じか。断るにしても、下手な断り方はできないな……)
俺が冷や汗を流していると、リディが再び俺の前に立った。そして、ベアトリスを睨みつけ、「子供相手に殺気をぶつけるなんて、大人の女のすることじゃないわね」と言い放ち、「ザック、帰るわよ」と言って、俺の腕を取る。
俺はまだベアトリスという女冒険者との関係をどうするか決めておらず、立ち止まっていた。
リディが“どうしたの?”という視線を送ってくるが、
(腕は立つし、悪い奴でも無さそうだ。それに人望もあるようだし、この街で魔物を狩るなら、彼女と良好な関係を築いておいた方がいいかもしれない。もし、俺の勘違いだとしてもリスクは少ないしな……)
俺はリディに目で任せろと伝え、ベアトリスの目を見つめる。
そして、表情を緩め、「ベアトリスさんは三級以上ですよね」と尋ねた。
彼女は「ああ、三級だが」と訝しげな顔とした。
「添い寝というのも魅力的ですけど、俺の実力を見て、後見に値すると思ったら、後見人になってもらえませんか? 冒険者ギルドに登録したいんです」
俺の申し出が意外だったのか、ベアトリスは最初、キョトンという感じで俺を見ていたが、すぐに大きな声で笑い始める。
「アハハハ! 本当に面白い子だね。いいだろう。あたしが認めるほどの実力があるなら、後見人とやらになってやるよ」
俺が頷くと、リディが肘で俺をつついてきた。そして、小声で「大丈夫なの?」と聞いてきた。
「ああ、折角の機会だ。うまくすれば冒険者の登録が出来る。登録できなくとも実力者と手合わせするだけでも十分にメリットはある」
俺はベアトリスに伴われ、ギルドの裏にある訓練場に向かった。




