第三十六話「結末」
十月五日。
昨夜から続く雨のせいで、俺たちは森に行かなかった。
だが、俺が面会した後、ワーグマン議員がどう動いているのか判らないため、図書館に行くこともできず、今日はどうしようかと相談しているところに、ワーグマン議員の使いだという若い男が家にやってきた。
「君がザカライアス・ロックハート君だね。ワーグマン閣下が君に話したいことがあるそうだ。もし、予定が無いなら、閣下の屋敷に一緒に来てくれないかな」
俺が警戒して態度を明らかにしないと、その若い男は頭を掻きながら、謝罪してきた。
「試すような真似をして済まなかったね。私はワーグマン閣下の私的な秘書をしているアンドレアス・エッガーという者だ。閣下と少し賭けをしてね……」
エッガーは俺にオーブを見せて本人であることを示した後、ワーグマン議員の手紙を俺に渡してきた。手紙を見ると、学院内の処理が終わったので、一度話をしたいという内容だった。さすがに速い処置だと俺が感心していたら、エッガーが賭けの詳細を語り始めた。
「閣下が身分を明かさずについてくるように言っても、君は絶対に動かないとおっしゃるのでね。私が学院の一年生はそこまで気が回りませんと言ったんだよ。そうしたら、閣下が賭けをしないかとおっしゃって……いや、本当にすまない」
ワーグマン議員とエッガーは俺が素直についてくるかで、昼食を賭けたと言うのだ。
俺は呆れながら、「それなら、私もその昼食を食べる権利がありますね」と言うと、
「閣下も同じことをおっしゃったよ。君にその話をしたら迷惑料を要求してくるだろうってね」
俺は苦笑しながら、リディとシャロンにワーグマン議員の屋敷に行くと告げ、エッガーと共に旧市街に向かった。
ワーグマンの屋敷は旧市街の中心部付近にあり、元は上級騎士の屋敷だったところのようで、庭付きの三階建ての立派な屋敷だった。
エッガーに伴われて屋敷の中に入っていくが、中に入ると執事らしい初老の男性と中年のメイドが俺を迎えてくれた。
中は落ち着いた雰囲気の屋敷で、その雰囲気に感心していた。
(うちの実家よりよっぽど立派だな。さすがに国を動かす人物の屋敷だけのことはあるな……)
あまりキョロキョロしないように注意しながら、三階にある議員の書斎に案内されるまま、ついていった。
中にはワーグマン議員がおり、俺に笑顔を向けてきた。
彼は「休みの日に悪いね」と言って椅子を勧める。ここドクトゥスでは五と〇の日は休日であり、そのことを言っているのだが、俺たちは休みも関係なく森に入っていたので、そういう感覚がなかった。
(休みだから私邸にいるんだな。すっかり休みがあるっていうのを忘れていたよ……よく考えたら、俺たちは年中無休に近かったんだな……)
俺は関係ないことを考えながら、勧められるまま椅子に座る。
エッガーが席を外すと、ワーグマンが徐に話し始めた。
「学院の方は片がついたよ。ベネット君もチェンバース君も、君たちの指導はラスペード教授に任せると断言してくれた……」
俺はさすがに対応が早いと感心した。そして、小さく頷くと、彼も小さく頷き、話を続けていく。
「……彼ら二人は恐らく今年度一杯で学院を辞めるだろうね。学院長も同じように来年の夏には勇退するはずだ。まあ、これは君が望んだ結果ではないかもしれないが……」
そこで口調を明るく変え、
「……君の言っていた選択講座についてだが、年が明けた一月から試験的に導入することになったよ。さすがに最初は学院内のみに公開するだけだが、来年度以降は私塾にも公開するつもりだ」
ここでワーグマンはにやりと笑い、
「これについては、少しだけ反対の声があったのだ。それもセバーグ議長自らが反対を表明したのだよ。そこで私は議長に“以前、研究者の交流を行ったあなたが、これに反対するのですか”と言ってやったのだ。そうしたら、議長は黙ってしまってね。その後は誰も何も言わなくなったよ。君にも見せてあげたかったね。ハハハ!」
そう言って声を上げて笑っている。
笑いが収まると再び真面目な表情に戻し、
「君は不満かもしれないが、今回の黒幕、イベットソン議員とイシャーウッド参事には何のペナルティもない……」
俺の目を覗き込むように見て、「やはり気にしていないようだね。そうだと思ったよ」とにこりと微笑む。
「もちろん、イベットソンには私からメッセージを送っておいたよ。今回の件も、十年前の件もうちの家庭教師のクロフトはしっかりと話してくれたというようなことを書いた物をね。そして、セバーグ議長にも十年前の真実を知る者がいるというような手紙を送っておいたよ。イベットソンに教えてもらった人物だとも書いておいた」
そこで彼は人の悪そうな笑顔を浮かべ、
「マイルズ――イシャーウッド参事のファーストネーム――はイベットソンから聞いたんだろうね。昨日慌てて私のところにやって来たよ。どこまで知っているのかとしきりに気にしていたから、イベットソンもマイルズも気が気ではないのだろうね。当分は大人しくしているんじゃないかな」
俺は妥当なところだなと思ったが、もう一人の当事者であるアーチー・クロフトの処遇を聞いていないことに気付いた。
「クロフト氏はどうなったのでしょうか? 下手に放り出すと消されそうですが」
ワーグマンは「うちにいるよ。まだ、クェンティンの家庭教師だからね」と、こともなげにそう言った。
これほどの裏切りをした人物を、まだ息子の家庭教師にしているのかと驚く。
ワーグマンは意地悪そうな顔で「理由が判るかね」と聞いてきた。
俺は静かにワーグマンの目的を考え始めた。
(クロフトを放逐しないのは証拠隠滅を防ぐためだが、わざわざ大事な息子の家庭教師にしておく必要はない。議員の話ではクェンティンはクロフトに懐いているということだから、簡単に放り出せないということか? いや、この食えない政治家がそんな理由で家庭教師を続けさせるはずがない……よく考えろ。ワーグマンにとって、クロフトをそのまま置いておくメリット……そのままか! そうか判ったぞ!)
「クロフト氏は閣下に心服したんでしょう。二度と今回のことを思い出したくないほどに。恐らくクロフト氏はこの屋敷から出たくなくなっているのではないかと。これは私の勝手な想像ですが、数年間はこの屋敷の外で彼に会うことはないのでしょうね……つまりそういうことですよね」
俺はあえて表現をぼかして答えた。俺を試すような質問をしたお返しだが、俺の考えはこうだ。
クロフトはワーグマンに死ぬほど脅されているはずだ。そして、自分が知った情報はすべてお前が情報源だとイベットソンとイシャーウッドに教えたと言ったのだろう。更にセバーグ議長にも彼の存在を匂わせているそうだから、そのことも話したはずだ。ここまで事情を知れば、クロフトも屋敷から追い出されれば、自分の命が危険だと気付くだろう。
そして、クロフトが取れる選択肢は二つだ。
一度は裏切ったワーグマンに擦り寄って命を永らえるか、命を掛けてドクトゥスから脱出するか。
逃げ出せば、イベットソンとイシャーウッド、そして、セバーグまでが彼の命を狙う可能性がある。私兵の類をどれくらい持っているかは判らないが、この三人なら罪を被せて犯罪者に仕立て上げ、旧市街にいるうちに処分してしまうことも可能だろう。
クロフトがそのことに気付けば、この街で唯一安全な場所はここワーグマンの屋敷しかないと思わざるを得ない。
それに気付いたクロフトに取れる選択は唯一つ。ワーグマンの慈悲に縋るだけだ。
だから、クェンティンの家庭教師のままでも、今度は不利益にならない。恐らく、ワーグマンも常にクロフトを監視するだろうし、二度と裏切れないような処置もしているはずだ。
これをワーグマンの政敵側から見てみる。
すべてを知るクロフトがワーグマンの庇護の下から出てこない。それだけではなく、裏切ったはずのクロフトを重用しているのだから、ワーグマンとクロフトの間に何らかの密約があるようにしか見えないだろう。
イシャーウッド辺りなら、クロフトの性格を見抜き、ワーグマンの脅しに屈服したと考えるのだろうが、イベットソンはそこまでワーグマンとクロフトの性格を知らないだろう。
もちろん、ワーグマンとしてはそれを知られても全く気にしないはずだ。要はクロフトと接触させなければいいのだから。
俺の言い方にワーグマンが「本当に君は政治家向きだよ。私の意地悪な質問にそう答えてくるとはね」と苦笑する。
そして、呆れたような口調で「今の君の言葉を聞いただけでは、知っている者にしか意味は判らない。君はこういうことをどこで学んだのだね?」と尋ねるでもなく呟いていた。
俺はこれ以上黒い話をしたくなかったので、話題を変えた。
「ちなみに私が閣下に話したという事実を、誰かにお話しになられましたか?」
ワーグマンはとんでもないという顔で首を横に振る。
「話すわけが無い。いや、話したとしても誰も信じないし、逆に私の話の信憑性がなくなるからね。というわけで、君が来たのは、学院内でクェンティンからいじめられるので、たしなめて欲しいと言いに来たとしか認識されていない」
俺は少しホッとした。
少なくともイシャーウッドやイベットソンに知られると厄介なことになると思っていたからだ。だが、ワーグマンの言うとおり、十歳の子供がこんな話をしたと言っても誰も信じないだろう。
「では、私たちが学院に戻っても何ら問題はないと。更にラスペード先生から堂々と指導を受けることが出来るということですね」
彼は大きく頷き、
「今回のことでは迷惑を掛けた。今回の責任の一端は私にある。本当に済まなかった」
彼は椅子から立ち上がり、大きく腰を曲げて頭を深々と下げた。
俺は慌てて立ち上がり、
「閣下には助けて頂いたと思っております。頭をお上げ下さい」
ワーグマンは頭を上げ、再び椅子に腰を下ろした。
俺はこれで終わりだと思い、席を立とうとしたが、彼はそれを押し止め、机の上のベルを鳴らした。
現れた執事に「クェンティンを呼んでくるように」と命じていた。
俺は面倒だなと思いながらも、前回の面談の時に約束したので、大人しく待っていた。
数分後、執事に伴われたクェンティンがやってきた。
彼は俺がここにいることに驚き、目を丸くする。だが、すぐに表情を改め、俺に頭を下げてきた。
「ミスター・ロックハート……ごめん。嫌な思いをしたと思うんだけど、僕の勘違いだった。本当にごめん……」
あの傲慢なクェンティンが素直に謝ったことに俺は驚いた。
(どんな説得の仕方で謝らせたんだ? 反抗期の子供を素直に謝らせるのは、難しいと聞いたことがあるが……まあ、理由はともあれ、向こうが謝っているんだから、大人の俺が手を差し出さないといけないんだろうな)
俺は「気にしていない」と言って、右手を差し出した。クェンティンは一度躊躇って、父親の顔を見る。
父が力強く頷くと、彼は俺の右手を取り、「遅くなったけど、よろしく」と頭を下げてきた。
俺も「よろしく、ミスター・ワーグマン」と言って、力強く手を握った。
(これから彼とどう付き合うかが問題だな。今のところ、学院の授業に頻繁に出席するつもりもないし、第一、精神年齢が違いすぎる。シャロンたちは自分の子供のようだと思っているからいいが、他所の子供に合わせるつもりはないしな……まあ、なるようにしかならないか)
俺は満足そうなワーグマン議員を見て、してやられたかなとも思ったが、政治家ではなく父親の顔だったので、気にしないことにした。
俺は家に帰り、リディとシャロンに一連の事件の結末を報告した。
シャロンは学院に戻っても大丈夫と聞き、素直に喜んでいたが、リディは納得できないという表情を浮かべている。
「結局あなたたちを追い出そうとした連中は今まで通りなんでしょ。何かすっきりしないわ」
俺はリディがそう言うだろうと思っていたので、すぐに俺の考えを説明した。
「そんなことはないんだ。まず、ベネット教諭とチェンバース講師だが、今季限りで学院から追い出される。更に学院長から睨まれているから、居心地は悪いだろう。それに、もっと厄介なイシャーウッド参事やイベットソン議員が二人の失敗に腹を立てているんだ。俺の予想だと、年が明けないうちにどちらかは辞めるぞ」
リディが頷いたので、先を続ける。
「次に実行犯である家庭教師のクロフト氏だが、事実上の軟禁生活だ。当分屋敷から出ることは叶わないだろう。もちろん、屋敷から出た瞬間、イベットソンたちに何をされるか判らないから、自分から出ることはないんだろうが。そんな生活が楽しいと思うか? その状態が何年続くか判らないんだぞ」
「そうね。確かにそんなのは嫌だわ。でも、大物の二人が野放しじゃないの。この二人はどうなるのよ」
可愛く怒るリディに、俺は思わず微笑んでしまうが、すぐに表情を引き締め、
「まず、イベットソンの政治生命は評議員どまりだ。議長になる目はなくなった」
彼女は「どういうこと?」と首を傾げる。
「イベットソンが次期議長になるには、現議長のセバーグ議長の支持が必須だ。だが、今回の件で、セバーグとイベットソンの間に亀裂が入った。セバーグ議長にとっては、自分を葬るためにクロフト氏という危険な存在を隠していたようにしか見えないからな。だから、イベットソン議員は政治的にはこれで終わりだ。下手をすれば、セバーグ議長から何らかの報復を受けるかもしれない」
リディが判らないという顔をしたので、更に説明を加えていく。
「つまり、対セバーグ議長の切り札であったクロフト氏は、ワーグマン議員の手にあり、イベットソン議員はその切り札を使うことができない。セバーグ議長がワーグマン議員の支持を表明すれば、クロフト氏は使われない。そうなれば、裏切ったイベットソン議員に報復しても、しっぺ返しを受けることはないんだ」
リディは「そうね。あとはイシャーウッドね。彼はどうなの?」と俺の説明に期待の目を向けてきた。
だが、俺は「残念ながら、イシャーウッド参事だけは今まで通りだ」と答えた。
リディは「そんな……」と落胆する。
「強いて言うなら、イベットソン議員が引退する時に彼を指名する可能性が減ったことくらいか。これもセバーグ議長がイベットソン議員にどう対応するかで変わってくるから、何とも言えないがな」
リディは「仕方ないのね」と呟くが、突然、クラスメートのことを思い出したようで、
「そう言えば、あなたたちに直接嫌がらせをした連中が残っていたわ! その子たちはどうなのよ!」
俺はその剣幕に苦笑し、「何もしないよ」と言った後、
「相手は子供なんだ。それも大人に利用されただけのね。少なくともクェンティンは俺に謝罪してくれた。彼の他にはイシャーウッド参事の娘、アニータが煽ったくらいだろう。彼女については、正直何とも思っていない。というより、思いようが無い。話をしたことすらないんだからな」
「判ったわ。でも、今後は舐められないようにしなさい。私のザックがその辺の子供に舐められるのは嫌なの」
俺はリディの方がよっぽど子供だなと思いながらも、「判ったよ」と言って頷いた。
学院陰謀編?の最終話です。
(第二章の終りではありません)
明後日は番外編として、情報屋サイ・ファーマン視点の話になります。




