第六話「ロックハート家。それぞれの想い」
ザックの祖父ゴーヴァン、母ターニャ、父マット、兄ロッドのそれぞれの視点での話です。
儂は孫であるザカライアスの話を聞いて、腰を抜かしそうになるほど驚いていた。
(別の世界だと! 神に選ばれただと! 子供が考える御伽噺にしても荒唐無稽すぎる……何かあるとは思っておったが、まさか、ここまでの話とは……)
儂は驚きながらも最後まで孫の話を聞いていった。
孫の話が終わると、出来るだけ平静な表情を保つように心がける。
「儂たちはお前に何かあるとは気付いていた。それがこのような荒唐無稽の話だとは思わなんだがな」
孫は落胆した表情を見せるが、次の儂の言葉に目を見開いて驚いていた。
「まあ、いいじゃろう。お前が別の世界から神に呼ばれたというのなら、儂らはそれを受け入れるしかあるまい」
「信じて頂けるのですか? こんな無茶苦茶な話を……」
儂らも孫が一年前に突然変わったことには気付いていた。息子のマサイアスとその妻のターニャからの相談も受けていたし、何より去年の秋頃、突然、本を貸して欲しいと言ってきたことに驚いていた。
最初は息子に易しい本を貸すように命じたが、すぐに飽きたのか、どんな本でも良いと言ってきた。
儂は遊び心で、“トリア大陸における地政学上の問題とその歴史的背景”という専門書を貸し与えた。
儂の元上司ラズウェル辺境伯が、騎士になるならこのくらいは読んでおけといってくれた本だが、正直、儂にはあまり理解できなかった本だ。
ニコラスの勉強のために貸したことがあるが、あのニコラスですら理解するのに数ヶ月を要した。
それをザックは難しい文字を聞きに来るだけで、内容についてはほとんど理解していた。
儂が戯れにカエルム帝国と都市国家連合の関係を問うた時も、都市国家連合は宗主国である帝国に服従している振りをしながら、実利を得ようとしているといった趣旨の答えを返してきた。
表面的に見れば、都市国家連合は自治権を完全に確立した独立した国家に見える。一見するだけでは、宗主国と従属国の関係には見えることはない。
しかし、実際には帝国の軍事力を恐れ、いかに金を掛けずに独立を保つかを考えており、都市以外の領有権を主張しないなど、帝国との関係に腐心しているのが実情だ。
噂を信じるなら、帝国から独立を果たしたルークス聖王国を影で支えているのがアウレラ――都市国家連合の中心の商業都市――という話もある。帝国の矛先をルークスに向けさせるため、支援しているという専らの話だ。他にも帝国が掛けようとしたアウレラ街道の関税を撤廃させるなど、実利を得るために苦労していると聞く。
貸した本にもそのような趣旨のことは書いてあるが、著者が学術都市にいる学者であり、その辺りの表現は微妙にぼかしてあった。
その他にも、ザックが作ってメルたちに話した物語にも驚かされた。
北風と太陽の話は、武力と懐柔策の硬軟合わせた外交の重要性を説き、ずるい狐の話は近しい者同士の争いが他人に漁夫の利を与えることを示唆しておった。
クレア――クレア・ジェークス。ダンとシャロンの母、ザックの世話係――から、その話を聞いたときには、誰がそれを教えたのか、従士たち全員に確認してしまったほどだ。
そして、ザックがその話を作ったと分かった時には、貸した本を読んだこと以上に驚いた。
この子には何があるのかと。
そして、自ら語り始めた時には正直、ホッとした。
確かに最初は荒唐無稽だと思ったが、別の世界で学者に匹敵する教育を受け、儂と同じくらいの歳まで、何十万も人が住んでいるような大都市で仕事をしてきたのだ。それで当たり前だと思うようになった。
しかし、危うさも感じていた。
確かに知識はあるのだろうし、神に選ばれた素養もあるのだろう。だが、我らにも壁を作るような人との付き合い、これだけの才能の持ち主が誰も信じられぬような生き方をすれば、必ず道を誤る。
魔法の話が出た時、儂は思った。
この子には将来にわたり信頼できる友が必要じゃと。だから、リディアーヌを呼び寄せることにした。彼女ならこの子を導き、そして、理解できるのではないかと。
儂は何があってもリディアを呼ぶ。そして、彼女に儂の考えを正直に話そうと思う。
彼女なら理解してくれるだろう。
話が終わった後も驚きの連続だった。
剣の訓練の話が出たとき、今日は挫折を味わわせるつもりだったのだ。
ザックなら普通にやり遂げられるだろうが、挫折を味わわねば強くなれぬ。それを今日味わわせてやろうと、兄のロッドでさえ音を上げる単調な訓練を命じたのだ。
案の定、ガイ――ガイ・ジェークス。ダンとシャロンの父。ロックハート家の従士――の息子はすぐに音を上げた。
しかし、ザックは元より、ヘクター――ヘクター・マーロン。メルの父。ロックハート家の従士――の娘も最後までやり遂げおった。
更に二人とも筋がいい。鍛え上げれば、儂を超える剣術士になれる素質を持っておる。
それがあれだけの根性を見せよった。
儂の生甲斐はこの二人を鍛え上げること、そして、孫であるザックの未来を明るくすることだ。
今日は本当に良い日だった。
私は息子が話をしたいと言ってきた時、夫であるマットと顔を見合わせ、遂にその時が来てしまったと慄いたわ。
私たちの息子が三歳になった頃、突然、行動が変わったことに気付いた。自分のおなかを痛めた子供だもの、ちょっとしたことでも気付くのは母としては当たり前のこと。
まず、凄くきれい好きになったわ。手や体を清潔にするし、気付けば掃除をしていることもあった。
それから本を読んで欲しいとせがむようになり、文字を驚くほどの速さで覚えていった。
文字を覚えると、すぐに一人で本を読むようになって、少し寂しかったかな。
文字を覚えたことにも驚いたけど、一番驚いたのは、メルたちの世話をするようになったこと。それまではいつもお世話されているほうだったのに、シャロンが寂しそうにしていれば声を掛けるし、ダンが退屈そうにしていたら本を置いて遊びに付き合っていた。メルにまとわり付かれても前みたいに邪険にしなくなったし、ロッドたちの邪魔もしなくなった。
そう、大人が子供を見ているような、そんな感じがしたわ。
そして、ザックが“自分は別の世界から来た四十過ぎの大人だ”と言ったときには、驚きはしたけど納得もした。ああ、やっぱりっていう感じで。
お義父様は少し心配していたみたいだけど、私は全然心配していなかった。
メルやダン、シャロンと言った純粋な小さな子供が何の疑いも無く、息子と付き合っているんですもの。大人が子供を騙すっていうことは、よくあることかもしれないけど、何の見返りも無く、毎日過ごしているんだから、ザックが悪い人であるはずはないわ。
私は心配そうな顔の息子を見て、思わず抱きしめてしまった。
「ザックは私の子ですよ。それが神に選ばれたのなら、それは喜ばしいこと」
そして、強く抱きしめ、
「それにあなたから、邪な感じは受けなかったわ。だから、私たちはあなたが話してくれるのを待っていたのよ」
そう、あなたは私の息子。大事な息子よ。
確かに魂は私よりずっと年上だけど、それは関係ないわ。
私はあなたを愛し続けるわ。そして、あなたを守ってみせる。何があろうとも……
私の息子が神に選ばれていた。
妻のターニャは当たり前と言う顔をしているが、私には未だに信じられない。
息子が戯言を言っている可能性はあるが、僅か四歳の子供がこれほど明瞭な話し方で、このような大胆な嘘は付けないだろう。
だが、これは喜ばしいことなのだろうか?
ロックハート家のような辺境の貧しい家に生まれたのだ。
もっと裕福な家に生まれれば、もっと自由に勉強もさせられた。
実際、一人で本を読んで学び、あれだけの成果を上げたのだ。帝都の学校に通わせれば……。
しかし、彼がそれを望んでいるようには見えない。
私たちの家にいられることに本当に安堵しているように見えるのだ。
ならば、私に出来ることは、息子にチャンスを与えることだ。
一般的な知識は習う必要はないだろう。恐らくこの村で、いや、この辺りの街も含めて一番知識がありそうだからな。
そうなるとやはり魔法だ。父上はリディアーヌを呼ぶと言っていたが、やはり専門的な知識は学校で学ぶのが一番だろう。
ここラスモアから一番近い魔術学校は、学術都市ドクトゥスのティリア魔術学院だ。
入学は十二歳くらいから受け付けられる。
ザックなら間違いなく合格するだろうが、留学するには資金が必要だ。
入学金と授業料。入学金はそれほど高くないと聞いたことがあるが、それは裕福な貴族の家が言っていることだ。それに授業料と生活費がずっと続く。
だが、我が家にはその資金がない。
今から、入学まで八年か。それまでに資金を貯めておくのが、父として私に課せられた使命だろう。
僕の弟は凄い奴だ。
知らない間に僕より勉強が出来るようになっていたし、時々、面白い話を考えて話してくれる。
そして、今日だ。
遂にザックは、おじい様の弟子になった。
九歳の僕より五歳も下なのに、一時間も木剣を振り続けていた。
僕が訓練を始めたのは五歳の時だ。
それでも最初はちょっと素振りをしただけで、おじい様に叱られて泣いていた。
シムの妹のメリッサもがんばっていたけど、ザックは一度も弱音を吐くこともなく、膝を突くこともなくやり遂げた。
自分のことを思い出すのは嫌だけど、僕がおじい様の厳しい訓練を最後までやり遂げたのは多分六歳の時が最初だと思う。
僕には一年以上できなかった。それなのに、弟は四歳で、それも一日目から、それをやってしまった。
僕は弟のことをかわいいと思っていたけど、それほど気にしていなかった。
でも、今日分かったんだ。
僕はザックの兄さんなんだ。負けないようにがんばらないといけないんだと。
僕は今日から弱音は吐かない。
ロックハート家の長男として、偉大なおじい様の孫として、弟に負けないように努力していこう。