第二十三話「北の森」
シャロンの父、ガイ・ジェークスがラスモア村に向かった後、俺たちは北の森に入ることにした。
俺たちの住む家から北の森までは一kmほど。魔物と遭遇するには更に二kmほど奥に入る必要があるが、一時間ほどで魔物の出るエリアに行けるからレベルアップには便利だ。
俺たちが行く街に比較的近いエリアは、若手の冒険者たちの狩場になっている。この辺りはゴブリンや狼などが群れを作るが、単体ではそれほど強くない魔物が徘徊しているためで、レベル二十程度、七級クラスの冒険者パーティの鍛錬にちょうどいいからだ。
だが、極稀に五級相当の魔物や、六級相当の中でも強力な食人鬼や、はぐれの兵隊蟻などが現れるため、油断は出来ない。
俺たちも警戒しつつ、森の中を進んでいく。
俺の装備は革のジャケットとパンツにバスタードソード。未だに防具を着けていない。これは回避のスキルのレベルアップを考えていることもあるが、ただ単に成長期の自分に防具は勿体ないと思っていることも大きい。
リディは硬革の鎧に合成弓とショートソード。シャロンは俺と同じく革のジャケットとパンツに軽めのダガー。
リディの杖は使わないが、念のためシャロンが持つことにしている。
俺たちはそれぞれ背嚢を背負い、慎重に森の奥に入っていった。
ガイを見送った後、午前九時頃に森に入り、既に一時間ほど森の中を歩いている。
深い森とは言え、真夏の暑さが俺たちに容赦なく、襲い掛かってくる。
俺は水筒の水を飲みながら、自分の基礎体力の無さに嘆いていた。
(この軽装でバテるようじゃ駄目だな。せめて、鎧を着て歩き回れるくらいの体力が欲しいな)
水筒の水を口に含んだ時、カサカサという微かな音と共に首筋がピリッとする感じがした。
俺はリディとシャロンに手で合図をして、その場で動きを止め、ゆっくりと周囲を警戒していく。
(この感じは敵がいるときの感じだ。いつもなら、既にガイが見つけているはずだが、今日は俺が斥候役だ。周囲の気を感じろ……)
ゆっくりと周囲を見回していくと、俺たちの左手側、約五十m先に巨大なムカデ、ジャイアントセンチピードが木の間を歩いていた。
ジャイアントセンチピードは全長五mほどの巨大なムカデで、ぬらぬらとした黒光りのするキチン質の甲殻と、巨大な牙、数十対の足を持っており、生理的な嫌悪感を覚える魔物だ。
幸いなことに、敵はまだこちらに気付いていない。
俺は音を立てないようにリディとシャロンをしゃがませ、どう対応するか相談をした。
「巨大ムカデがいる。五級相当の大物だが、まだこちらに気付いていない。奇襲を掛けることも出来るがどうする?」
それに対し、リディが首を横に振る。
「結構硬いわよ、あのムカデは。昔ゴーヴィ――祖父ゴーヴァン・ロックハートの愛称――と一緒に戦ったことがあるけど、彼でもその硬さに結構苦労したのよ。それに思ったより動きが速いから、奇襲を失敗すると一気に近寄られてしまうわ」
シャロンは巨大なムカデが気持ち悪いのか、特に何も言わないが、撤退して欲しいと目で訴えている。
俺は二人に頷き、「了解。静かに離れるのを待とう」と言って、敵の動きを監視する。
巨大ムカデはガサガサという足音をさせながら、俺たちの三十mほど先をゆっくりと横切っていく。途中で一旦止まり、触角をゆらゆらとさせた時には、シャロンが小さく“ヒッ”と声を上げたが、こちらには気付かず、森の中に消えていった。
俺はホッと息を吐き「どうやら、気付かれなかったみたいだな」と言った瞬間、前方で悲鳴と罵声が上がった。
『うわぁ! 巨大ムカデだ!』
『前衛は牙に気を付けろ! 矢は効かん! ロジャー、前に出すぎだ! 下がれ!……』
俺はその声を聞き、「巨大ムカデの歩いていった先に別のパーティがいたみだいだな」とリディたちに言った後、「助けにいくぞ!」と言って飛び出そうとした。
だが、リディは俺の腕を掴み、
「あなたの魔法では無理よ! もちろん剣でも! 勝算がないのに突っ込んでいってどうするの!」
リディは必死に俺を説得するが、俺は少し頭に血が上っていたようで、「弱点はあるんだろ! 五級相当なら倒せるはずだ!」と叫んでいた。
俺の言葉に彼女は必死に首を振る。
「弱点は火よ! でも、あの殻は固いし、生半可な火では倒せないの。だから……」
俺は納得できなかったが、リディの必死な顔に足を止めてしまった。
その間にも襲われているパーティの怒声が続いている。
(ムカデの弱点は何だ? 火は火力が足らない……風の魔法は弾かれる……弾かれる? これだ!)
俺は巨大ムカデを倒す方法を思いつく。
「リディとシャロンの空気の鎚で奴を浮き上がらせる。腹が見えたら俺が炎の矢を叩き込む。腹の殻も固そうだが、背中よりはマシだろう。うまくいけば、足を焼くことだって出来る……」
リディはまだ駄目だというように俺の腕を掴んでいたが、俺は強引にそれを引き剥がし、
「俺一人でもやってみる! 助けられるかもしれないんだ。最悪、足止めすれば逃げることも出来るはずだ。いざとなれば氷漬けにしても……」
リディは「判ったわ」と言って立ち上がるが、
「シャロンが空気の鎚を撃った後に、私が氷の矢を放つわ。あなたは止めに炎の矢を撃ちこんで」
俺たち三人はすぐに立ち上がり、森の中を進んでいく。
『ジェム! 下がれ! タイミングを見て引くぞ!』
俺たちがその場に着いた時、『グハッ!』と強く息を吐く声が聞こえ、すぐに『助けてくれぇぇ!』という悲鳴が森に響き渡る。
俺の二十mほど前方で、十代後半に見える若い剣術士が、ムカデの強力な顎に捕らえられていた。
シャロンはその光景に震え、棒立ちになる。
「シャロン! エアハンマーを撃て!」
俺の声にシャロンはすぐに呪文を唱え始め、十秒ほどで魔法を放つ。
いつもの正確さは無かったが、それでも巨大ムカデの腹と地面の間で空気の塊が炸裂する。
土煙と共に巨大ムカデの体は横倒しになり、その強力な顎に捕らえていた犠牲者を放していた。
その直後、リディの放つ氷の矢がムカデの腹部に命中した。
さすがに貫通こそしなかったが、胴の節目に突き刺さり、ムカデは弓なりに体を曲げる。
俺はその光景を見ながら、炎の矢の呪文を唱えていた。
「火を司りし火の神よ。御身の眷属、精霊の猛き炎の矢を我は求めん、我は御身に我が命の力を捧げん。我が敵を焦がせ! 炎の矢!」
長さ一mほどの炎の矢が仰け反り悶えるムカデの腹に向かう。俺はその命中を見届けることなく、次の炎の矢の呪文を唱えていた。
俺の放った矢はムカデの胴体側面に命中し、二本の足を焼き尽くす。だが、それでもムカデは激しくのた打ち回るだけで致命傷を負ったように見えない。
俺の二射目の前にシャロンの燕翼の刃とリディの光の矢がムカデに襲い掛かっていた。
二人はリディが最初に傷つけた腹の節を狙い、ダメージを与えていく。
そして、俺の二本目の炎の矢が完成した。
俺は慎重に狙いをつけ、激しく動き回るムカデの腹に矢を叩きこむ。
狙いはややずれたものの、体液を撒き散らしていたムカデの傷を広げることに成功した。
呆然とする冒険者たちに、俺は「今のうちに負傷者を助けろ!」と怒鳴っていた。
その声に我に返った彼らは、負傷者の下に走り寄っていった。
ムカデはまだもがいているが、傷を境に後ろ側の脚の動きがおかしい。神経系をやられたのか、前側の脚だけで地面を掻き、まともに動けないようだ。
「リディは負傷者を。シャロン、援護を頼む。スワローカッターで前側の脚を切り落としてくれ」
俺はそう叫ぶと背中の剣を引抜き、接近戦に挑んだ。
五mの体長のちょうど真ん中辺りを傷付けられたムカデは、俺が接近していくと、大きな頭を持ち上げ、攻撃の意志を見せてきた。
俺は魔闘術を脚に掛け、一気に距離を詰める。
俺の横をシャロンのスワローカッターが飛んで行き、ムカデの右側の脚を二本切り裂く。ムカデはその衝撃で僅かにバランスを崩した。
俺はそれを好機と捉え、距離を詰めた時の勢いのまま、剣を敵の顎の間に「テァァ!」という裂帛の気合と共に剣を突き入れた。
ムカデはその動きを予想していなかったのか、俺が剣を引き抜いた後に、ガチンと顎を空振りさせる。だが、それを予想していた俺にはかすりもしなかった。
ムカデは顎をガチガチと鳴らしていたが、ゆっくりと動きを止めていった。
俺は慎重に距離を取り、ムカデの動きに警戒していた。だが、動きが緩慢になったムカデは、顎の間から透明な体液を流しながら、ゆっくりと地面に横たわっていった。
その間にリディが負傷者の下に辿りついていた。若い剣術士は強力なムカデの顎の力で革鎧ごと胴を半ば噛み千切られ、大量の血を撒き散らしていた。リディが治癒魔法を掛けようとした時には、既に事切れていた。
俺はもう一度、慎重にムカデに近づき、まだガサゴソとうごめく脚を無視して、頭の後ろの節に剣を突き入れる。
ベルトラムの打った剣は関節の薄い皮膜をスッと貫いて、中の神経ごと斬り裂いていった。
ムカデの頭はそのままゴトリと外れ、遂に巨大ムカデも絶命した。
俺がムカデの死を確認していると、助けた冒険者――二十歳くらいの男性の剣術士――が近寄ってきた。
「助かったよ……なんだ、まだ子供じゃないか!」
その男は俺の顔を見るなり、そう叫ぶと、すぐに恥ずかしそうに謝罪し、右手を差し出してきた。
「いや、済まなかった。助力に感謝する。俺の名はイアン。七級の冒険者だ」
俺は剣を鞘に納め、その右手を取る。
「俺はザック。冒険者登録はしていない。それより、ケガ人がいるなら治療するが」
イアンは「死んだジェムだけだ。攻撃を受けたのは」と言って、寂しそうに首を横に振る。
リディが死んだ冒険者のジェムから離れ、俺たちの話に加わってきた。
イアンはリディの顔を見て、思わず息を飲むが、すぐに真面目な顔に戻していた。
リディはイアンに「リディアーヌよ」と言って右手を差し出す。
イアンと握手をしながら、「ジェムのことは残念だったわね」と言って少し表情を曇らすが、すぐに真剣な表情で彼を見つめた。
「でも、それは私たちが遅れたせいじゃない。判っていると思うけど、私たちが介入する必要は無かったの。ザックが助けに入ると言わなければ、私はあなたたちを助けるつもりはなかった。そのことは理解できている?」
イアンは「ああ」と頷き、
「ジェムのことは残念だが、あの状況で助けてもらえるとは思っていないよ。第一、俺がそっちの立場なら、間違いなく逃げ出していた」
そして、自分たちのパーティメンバーを見ながら、
「君たちが来なければ、他にも犠牲者が出ていたかもしれない……いずれ、この恩は返すつもりだ」
リディは「別に気にしなくてもいいわ」と軽い口調で言うが、俺には真剣な表情で、
「今回は運が良かっただけよ。格上の相手に攻撃を掛けるのは無謀というより自殺行為。このことはきちんと理解しておきなさい」
いつに無く厳しい口調のリディに俺はたじろぐ。
「判った。確かに今回のことで俺だけじゃなく、リディやシャロンにも危険が及ぶ可能性があった。それについては謝るよ。ごめん」
リディはにこりと笑って、俺を抱きしめる。
「判ってくれればいいわ……あなたがいなくなるのが怖いの。だから、無茶だけはしないで」
抱きしめる彼女の腕が少し震えていた。
(あの時、俺は人の死を受け入れられなかった。助けられる可能性があるならと、他の事を考えていなかった。それでは駄目だとリディは言いたかったのか。だから、イアンにあんなことを聞いたのだろう……人の死……そう言えば、俺は初めて人が殺されるところを見たんだ……)
俺は突然、ジェムという冒険者の死を認識した。そして、人が殺されるところを目の当たりにし、その衝撃が徐々に俺を襲う。
(知り合いでも何でもないただの他人。なのに、人が殺されるというのは、これほどまでに衝撃を受けるものなのか……これがシャロンだったら、リディだったらと思うと震えが止まらない……)
リディが俺の様子に気付き、もう一度強く抱きしめてくれた。それで何とか体の震えが収まる。
(俺がこういう状況なら、シャロンはもっと動揺しているはずだ……なんて情けないんだ。いい大人の俺が自分のことにかまけてしまって……)
俺はシャロンに声を掛けるため、振り向いた。
彼女は俺が抱きしめられていたことに少し寂しそうな表情を浮かべていたが、戦闘や人の死で衝撃を受けているようには思えなかった。
俺は「ごめん」と彼女に頭を下げ、
「シャロンを危険な目に会わせるところだった。もう少し冷静にならないといけないな」
彼女は首を大きく横に振り、
「か、格好良かったです……それに私は怖くありませんでした。ザック様が守ってくださると信じていましたから……」
ストレートにそう言われて、俺は顔が熱くなる。言ったシャロンの方も真っ赤になっていた。
俺たちが無言で見詰め合っていると、リディが「はいはい。まだ危険な森の中よ」と言いながら割り込んできた。
「魔晶石は回収しておいたけど、この後はどうするの?」
「もう少し森の中を歩いてみようか」
俺たちが森の中に入っていこうとすると、後ろからイアンの声が掛かる。
「この素材はどうするんだ? 巨大ムカデの甲殻は結構な値で売れるんだが」
俺はリディに「そうなのか」と尋ねる。
「ええ、あのくらいだと五十C(=五万円)くらいにはなるんじゃないの」
俺は五万円を捨てていくということが信じられず、「なら、何で回収しないんだ?」と尋ねた。
「誰が持つのよ。うちのメンバーじゃ持ちきれないわ。第一、解体するのが面倒じゃない。魔晶石と討伐報酬の方が高いんだから、わざわざ面倒なことをする必要はないのよ。それに嫌いなのよ、ああいう虫っぽいのを解体するのは」
どうやら最後の言葉が本音のようだ。だが、彼女の言葉にも一理ある。解体にどのくらいの時間が掛かるか判らないが、その間はどうしても警戒が疎かになる。それに重い荷物を持って街に戻る時間も無駄だ。俺たちは金儲けのために戦っているわけじゃない。もちろん、金は必要だが、報酬と魔晶石の売却益で十分な儲けになる。それなら、その時間を有効に使った方がいいだろう。もちろん、もっと高い素材の場合は当然回収するつもりだが。
「ムカデの甲殻はいらない。そちらに余裕があるなら、回収しても問題ない」
イアンは信じられないという顔をするが、「助かるよ」と言って頭を下げてきた。
俺はその腰の低さに驚いていた。
(命を助けられたからなのかもしれないが、十歳の子供に頭を下げられるのか。実力主義というなら、判らないでもないが……ガイは子供がギルドに行くと絡まれるといっていたが、これなら、俺が行っても問題ないんじゃないか?)
俺たちはイアンたちと分かれ、再び森の奥に向かった。
その後は角兎と呼ばれる中型犬ほどの大きさの兎の魔物に出会っただけだった。
角兎はそれほど好戦的な魔物ではないが、その個体は虫の居所が悪かったのか、俺たちに襲い掛かってきた。だが、直線的な動きしかせず、脅威となる攻撃手段を持っていないので、あっさりと返り討ちにした。
この魔物は十級相当であり、魔晶石は安いが、毛皮と肉が比較的高値で取引されるそうだ。
十kg近い重さだが、兎を背嚢に入れ、持って帰ることにした。
家に帰り、兎を解体するが、さすがに三人では食べきれないので、両隣にお裾分けすることにした。
左隣のリトルフさんのところに持って行った時、俺とシャロンが首席と次席で合格したことを大げさすぎるほどのアクションを交えて褒めてくれた。
リトルフさんはティリア魔術学院の事務員をしており、俺たちの合格のことを知っていたようだ。
「いや、本当、ビックリしたよ! うちのお隣さんがあの学院の首席と次席だなんてね!本当は昨日のうちにお祝いを言いに行こうと思ったんだけどね。うちのヘレン――彼の妻――が、ガイさんが今日帰るっていう話だから、遠慮しなさいって言うんでね……」
あまりの興奮に俺たちの方が困るほどだった。
「まあ、何かあったら相談に来なさい。それほど力はないが、長いこと勤めているから、伝手だけはあるから」
最後にそう言って、俺の肩を叩いていた。




