第十八話「入試」
受験申請翌日の七月二十一日。
明日は受験当日ということもあり、シャロンのたっての希望で勉強をすることになった。
リディは小物類を揃えるとのことで、護衛のガイを供にして街に出ていった。
だが、勉強をやると言っても、実際にできることは少ない。
旅ということで、極力荷物を減らす必要があり、本も歴史と魔法関係の入門書を一冊ずつ持ってきたに過ぎないからだ。
歴史と魔法理論の勉強をしていくが、俺とシャロンにとっては、五、六歳の頃から読んでいる本であり、ほとんど暗記している。
時々、雑談を交えながら、彼女の質問に答える形で勉強会を進め、リディたちが帰ってきたところで終えることにした。
リディが「どう? 少しは自信がついた?」とシャロンに話しかけると、シャロンはコクリと頷き、「はい。ちょっとだけですけど」と、はにかみながら答えていた。
翌七月二十二日。
窓の外はすっきりとした青空が広がっていた。
朝からセミが煩く鳴いている中、俺とシャロンはリディに付き添われ、ティリア魔術学院の門をくぐる。
受験会場には筆記用具を含め、手荷物は一切持ち込めないため、身一つで会場である教室に入っていく。
机には受験番号の札とインクの壷、羽根ペンが三本置かれており、まだ、午前八時半にもなっていないが、既に半数以上の受験生が席についていた。中には落ち着かないのか、何度もトイレに行く子もおり、俺は昔を思い出していた。
(そう言えば、大学受験の時は、直前にトイレに行きたくなったんだよな。用紙が配られるまでは行きたくて仕方なかったんだが、試験開始の合図で全然行きたくなくなった。あの子もそうなんだろうな……)
九時になると試験の説明をしてくれた男性職員が入ってきた。
「今からオーブの確認を行います。確認が終わった人はこの教室から出ることはできません。トイレにいきたい人は今のうちに行って下さい」
その言葉に半数以上の受験生が立ち上がる。
シャロンは座ったままで、立ち上がる素振りを見せない。
「トイレは大丈夫? 行くなら今のうちだ」
「大丈夫です……ちょっと緊張していますけど、大丈夫です」
しっかりとした口調で答えたので、何かあったのかなと思ったが、雑談をする雰囲気でもなかったので、静かにオーブの確認を待つ。
二十分ほどで全員のオーブの確認が終わり、教室の中は水を打ったような静けさになる。
午前九時三十分。
試験用紙が配られたところで、「開始!」という声が響く。
紙を捲る音が教室に響き、試験が始まった。羽根ペンのカリカリという音が響き、試験らしい雰囲気が教室を支配していた。
一教科目は共通語の試験だ。日本で言えば国語、現代文に当たる。
問題は驚くほど簡単で、十五分ほどで終わってしまった。
(小学生の国語の問題の方がよっぽど難しいんじゃないか? 長文読解も簡単な話だったしな……三回も見直したが、まだ三十分以上あるぞ……)
試験中は一切教室から出ることはできない。たとえ、問題を解き終わったとしても、試験官の終了の合図があるまでは席を離れることができない。
暇になった俺は用紙をひっくり返して、机に突っ伏して寝ることにした。
試験官が何度か通るが、何も言わずに通り過ぎていく。試験が判らず諦めたと思われているのかもしれない。
試験開始一時間後、終了の合図と共に受験生から溜め息のような声が漏れる。
次の試験は三十分後だが、トイレに行けば、戻ってきたところでオーブの確認が待っている。面倒なので、俺はそのまま机に突っ伏して寝ていた。
二教科目は算術で、これも四則演算と簡単な図形の面積を求める計算だった。
これも十五分ほどで終わり、時間を持て余す。
(リディが言っていたことがよく判った。これなら、俺もシャロンも凡ミスをしていない限り、満点だろうな……)
算術の試験が終わると、昼食の時間になった。
リディは夕方に戻ってくるということで、学院にはおらず、俺とシャロンだけで昼食をとることになっていた。
学院内の学生食堂のようなところで簡単な食事を頼むことが出来るそうだが、あの重苦しい雰囲気の受験生たちと食事をしたくないので、外に出ることにした。
学院の周りには学生や職員のための食堂があり、適当に選んで食事を頼む。
俺は「簡単だったな」と呟き、「シャロンはどうだった?」と尋ねた。
「簡単でした……本当にあの問題が試験問題なのでしょうか? 私のところに間違った用紙が紛れたとか、そんなことは……」
どうやら、あまりに簡単すぎて逆に不安になっているようだ。
料理が出てくるまで、試験内容を確認すると、彼女は同じ問題だったと胸を撫で下ろしている。
少し余裕が戻ってきたので、試験開始前に気合が入っていたことについて触れてみた。
彼女は少し恥ずかしそうに、小さな声で説明し始める。
「昨日、リディアさんに言われたんです。ザック様の横にいたいなら、戦いのことを思い出しなさいって」
俺は意味が理解できず、「戦いのこと?」と尋ねた。
彼女は力強く頷き、
「はい、リディアさんは、“戦いでは平常心を失うことが一番危険でしょ。だから、試験も戦いに挑むときと同じように気合をいれてもいいけど、平常心で臨みなさい”って」
(なるほど。だから、気合が入っている割には落ち着いていたんだな。まあ、命がけの戦闘を経験しているから、できることなのだろうが……)
食事を終えて教室に戻ると、午前中と同じような感じで、各国の歴史、大陸の地理、魔法理論などの試験を受けていく。
歴史と地理は前の二教科と同じく簡単で、全く張り合いがない。
唯一、魔法理論は他の四教科より難しかったが、六歳当時にリディから習っていた程度であり、全く問題なかった。
(こんなに簡単な試験を受けたのは、いつ以来だろう。自動車免許の筆記試験でも、もう少し難しかった記憶があるな……)
すべての試験が終わると、試験官の男性が翌日以降の説明を始める。
「明日から実技試験に入ります。君たちは十一日目、八月三日になりますので、前日までに時間の確認をしておくようにしてください。それでは今日はお疲れ様でした」
試験官が教室を出て行くと、受験生たちが一斉に教室から出て行き始める。
受験生の中には試験の出来が悪かったのか、悔し涙を浮かべている者もおり、普通の子供には難しい試験だったのかもしれない。
(この問題なら、幼馴染のメルやダンでもほとんど出来るはずなんだが……確かに寺子屋程度の教育では難しいのかもしれないな。やはり、この世界の教育水準はかなり低いと見て間違いないようだ)
校門のところでリディと合流する。
彼女は「どうだった?」と笑いながら聞いてきた。
「拍子抜けもいいところだ。多分、俺もシャロンも満点だぞ」
リディは吹き出しそうになるのを抑えながら、「だから、言ったでしょ。あなたたちなら絶対に大丈夫だって」と笑っている。
俺は少しだけため息をつき、
「今ならリディの言ったことがよく判るよ。でも、まだ、実技試験があるんだろ。油断はできないよ」
「あら、そんなことはないわよ。あなたたち二人は絶対に合格するはずよ。それより、どうやって手を抜くかの方が問題ね」
「手を抜く? そんな必要はないだろう。まあ、オリジナル魔法は使うつもりはないが」
「シャロンはともかく、あなたは全属性持ちということでかなり注目されているはずよ。そんなところで、本当の実力を見せてごらんなさい。魔術師ギルドや私塾の関係者が挙ってあなたに興味を示すわ。今のシャロンの実力でも普通の年ならダントツのトップなの。前にも言ったけど、あなたの実力は既に普通の宮廷魔術師並よ。だから、シャロンと同じくらいの実力を見せれば、間違いなく二人で首席、次席を独占出来るわ」
確かに彼女の言うとおりで、申請の段階でもかなり注目されていた。
(これ以上、注目されるのは面倒だな。できれば首席はシャロンに譲って、五番以内を目指したいところだ)
「しかし、手を抜いても大丈夫なのか? ここの試験官クラスの魔術師なら、見抜けるんじゃないのか?」
彼女は手をひらひらとさせながら、「そんなことないわよ」と笑っている。
「最近の先生はどうか知らないけど、わたしがいた頃には、そんなことに気付けるような人は一人しかいなかったわ。それに普通は、そんな凄い先生が試験官をすることなんてないもの」
そんなことを話しながら、ガイの待つ宿に戻っていった。
ガイはかなり心配していたのか、宿のロビーで待っていた。
彼は「どうでしたか? 出来の方は……」と俺を見ながら、チラチラ娘の方を見ている。
俺は吹き出しそうになるのを抑え、「俺もシャロンも完璧だよ」と答えると、ガイは傍目に見て判るほど嬉しそうに頷き、シャロンの頭に手を置いていた。
翌日、マクラウド不動産に向かい、家の引渡しを受ける。
マクラウドが、「値引きで配慮いただいた分、少しだけサービスさせていただきました」と言ってきた。
何のことかと思ったら、中をきれいに清掃した上、リビングにテーブルセットが入れてあった。
俺が「これは?」と尋ねると、
「別の物件で処分に困り置いていかれたものです。物自体はかなり上質な物ですので、もしよろしければ、使っていただこうと思ったのです」
(意外と良心的な不動産屋なのか? それとも俺の不動産屋のイメージが悪すぎるのか……)
マクラウドの用意したテーブルは、オーク材の一枚板を磨き上げた上質なもので、傷も少なくほとんど新品だった。六脚ある椅子もすべて同じ素材で出来ており、座り心地の良さそうな形状になっている。
俺が礼を言うと、マクラウドが話題を変えてきた。
「ところで、先日の計算なのですが、私と従業員に教えていただくことはできないでしょうか?」
どうやら、割引率や現在価値といった計算が気になり、それを教えて欲しいがためにサービスをしたようだ。
「構わないが、そんなに難しい話じゃないから、教えるほどの物じゃないと思うのだが」
それでも教えて欲しいと頭を下げられたので、
「試験が終わったら、そちらの店に顔を出す。それでいいか?」
(ドクトゥスでの初仕事は経済学、そこまでいかないな、算数の教師になることみたいだな。物理や化学と違うから、広めてしまってもあまり問題ないだろう……)
その後、何度かマクラウドの店を訪ね、割引率や現在価値の計算方法を教えた。キャッシュフローの説明からしたため、結構な時間が掛かったが、さすがに商人だけあって、マクラウドは割と早くその概念を理解した。
(この先、このマクラウドの店がどうなるのか楽しみだな。意外と大商人になるかもしれないな……)
翌日から二日ほどで、調理器具や小物類も揃い、何となく新居らしくなっていく。
ガイはその間に馬を売りに行き、冒険者ギルドへの登録も済ませていた。
どうやら、試験に落ちることがないというリディの言葉を疑い、帰りの足を確保していたようだ。彼一人が帰るだけなら、馬はギルドの貸し馬で十分だ。今から半月分の馬の維持費を考えたら、早く売ってしまった方がいい。
新居が整ったが、実技試験まで十日間ほどあるため、明日から森に入ることを提案した。
「明日からやることもないし、森に入りたいんだが、みんなの意見を聞きたい」
ガイは即座に「私に異論はありません」と答える。
リディも「私もいいわよ」と軽く答えるが、
「でも、勿体無いわね。あなたの歳じゃ、ギルドに登録できないから、級を上げられないわ」
冒険者ギルドの登録条件は、十五歳以上だ。例外として、三級以上の冒険者が後見人になることで、十五歳未満でも登録できるが、ガイもリディも四級であるため、要件を満たさない。
この街は常に討伐依頼が出ているため、森に入れば、簡単に依頼を達成できる。
ガイがいる間なら、六級クラスの依頼でも達成できそうなので、すぐに八級に上がることが出来るだろう。
「級については正直どうでもいい。レベルアップの方に力を入れたいんだ。金はリディが依頼を達成したことにすれば、問題ないはずだし、ギルドに拘る必要はないんじゃないか」
「それはそうだけど……あなたの実力なら、既に六級クラスよ。そのことを他の冒険者に判らせたいの。きっと、馬鹿にしてくる奴がいるから……」
「私も同意見ですね。ザック様の実力を知らしめるにはギルドの級は最適です。私が三級なら良かったのですが……」
俺は二人の言う意味がいまいち実感できなかったので、シャロンがどうしたいか聴くことにした。
「それはともかく、明日は森に入ることでいいんだな。シャロンはどうする?」
「私も行きたいです。お父様のお許しをいただけるなら……」
シャロンは上目遣いでガイを見つめる。
「明日は下見程度だから、一緒に行ってもいいよな?」
俺がそう言うとガイは仕方がないという感じで、シャロンに「ご迷惑を掛けないようにな」と言って、了承した。




