第四話「お告げ」
長かった一日が本当に終わり、ようやく就寝となる。
予想していたが、風呂は無く、濡れた布――タオルのような柔らかいものではなく、ごわごわの麻の布――で、体を拭き、裸でベッドに潜り込む。
朝は気付く余裕もなかったが、ベッドは藁か何かが敷いてある上に布が掛けてあるだけだった。掛け布団は羊毛か何かを詰めた重たいもので、獣臭い匂いがしている。
疲れている俺はほとんど気にすることなく、すぐに眠りに落ちていった。
ふと、気付くと俺は白い光に包まれていた。
俺はその非現実的な光景に、夢であることを自覚していた。
(これで日本に戻っていたら、笑えるな。それにしても眩しいな)
俺は輝度の高い白い光に目を細めていた。だが、その光は徐々に強くなり、瞼を閉じても眩しさが感じられるほどだった。
俺は手で目を押さえ、光が収まるのを待つが、一向にその気配が無く、少し苛立っていた。
(眩しくて目が痛くなってきた。いい加減、止めてくれ!)
俺の願いが聞こえたのか、光が徐々に収まっていく。
もう大丈夫な頃だろうと、ゆっくりと目を開けていくと、そこには十数体の巨大な人型がそびえていた。
見上げるほど大きく、目測で十数mほど。朧な輪郭の中に、頭、腕、胴、脚があるように見え、それが人に見えていたようだ。何かのアトラクションで使われるような風船のように実体がないようにも見えるが、なぜかその姿には気圧される、なにかがあった。
その気圧される感じが不愉快だった。
(何の夢かは知らんが、早く目が覚めないかな)
(話を聞くことが出来るか?)
突然、人型の一つから声ではない、思念のようなものが俺に襲い掛かってきた。
その思念は、荒波のように物理的な重さを持ち、俺にぶつかってくる。俺は知らぬ間に尻餅をついていた。
「痛いな! いきなり何をするんだ!」
俺は怒りを露にし、思念を放ったと思われる人型の一つに対し、怒鳴り声を上げていた。
(済まぬ。これでよいか?)
先ほどの荒波のような思念ではなく、流水プールのようなまとわり付く、抵抗感のある流れに変わっていた。
「大丈夫だが、何なんだ、ここは!?」
(そなたは我らとの話を望んでいたはずだが?)
俺は彼らの意図が分からず、「話を望んでいた? 俺にはさっぱり話が見えん」と、イライラとした声を上げる。
(我らはそなたをこの世界に呼んだもの。そなたは説明を求めたのではないか?)
俺はようやく話が見え始めてきた。
(俺を呼んだ神か何かが、俺の願いに答えたというのか?)
(その通りだ。我らはこの世界の管理者。そなたに頼みがある。世界の消滅を回避するため、力を借りたい)
(世界の管理者? 神様ってことなのか? 何で俺が?)
(神と呼ばれていることは否定しない。そなたを呼んだのは、そなたが望んだからだ。我らはそなたに第二の人生を与え、その見返りとして、そなたに我らの手助けを望んでいる)
(第二の人生を与えた? ザック、いや、ザカライアス・ロックハートという人生のことか?)
(そうだ。そなたは人生をやり直したいという強い想いを抱いていた。その想いが我らに届いたのだ)
(俺の想いか……もし俺の夢の中なら、俺の想いが出てきてもおかしくはない。だけど、神様なら……)
俺は相手が神であってもなくても、相手の言い分を聞こうと思った。
「よくは分からないですけど、言いたいことは何となく分かりました。それで、俺に何をさせたいのですか?」
(我らの世界はそなたが転生した時より、数百年から数千年の間に滅びる可能性がある。それを防ぐため、ある者を送り込む……)
「ある者?」
(そなたの世界の者を送り込む。我らの敵はその者を排除しに掛かるはずだ。それを防いで欲しい)
なぜ神がただの人間である俺の力を借りたいのか、さっぱり分からなかった。
「神様なら、直接やったほうが早いのでは?」
(敵も含め、我らは世界に直接干渉することを禁じられておる。影響力のある者を送り込むのが精々なのだ。敵は我らより、数百年先行しておる。それを覆すには××××をせねばならぬ)
大事な単語が聞き取れず、
「聞こえませんでした。もう一度お願いします」
(××××については、そなたが何度聞いても理解できぬ。我らの干渉が強くなりすぎるのを防ぐためだ)
(いいところが聞けないのは何かなぁ。仕方ない、話を進めよう……)
俺は話を進めるため、具体的な方法を確認することにした。
「それで、私は何をしたらいいのですか? 具体的には?」
(今から二年後にある者を送り込む。その者には敵の手の者からの干渉があるだろう。その干渉から庇護を、そしてできうれば、その者の道を拓くため、教導してやってほしい)
(道を拓く? イエスに対する洗礼者ヨハネの役どころか? 教導ねぇ……俺に向いているって言えばそうかもしれんな)
俺は会社で新人研修の講師をよくさせられていた。また、世界を救う英雄の露払い的な役割に対して、少し興味を持った。
俺はその問題の人物について、情報を得ようと、
「どこの誰なんですか? 分からなければ助けようがありませんが?」
(今は明かせぬ。だが、そのときが来れば、運命の輪がその者と交差する。その時、そなたにも分かるはずだ)
俺は第二の人生を楽しむつもりでいた。だが、件の人物とは因縁か何かで勝手に出会え、そして、巻き込まれていくという事実に困惑する。
(断れんのかね? 断ったらペナルティとかあるのか?)
(断ってもよい。そなたの言う”ペナルティ”に相当するものはない)
俺はようやく神に心を読まれていることに気付く。
(心の中を読まれている? なら、声に出す必要はないか……断れるなら、なぜ私に声を掛けたのですか?)
(そなたなら、我らの目的を理解せずとも協力してくれると考えたからだ。別に気負う必要はない。そなたの生きたいように生きれば、自ずと我らの目的に叶うだろう)
俺は念のため、神の言質を取っておくことにした。
(よく分からないですが、それでいいというなら、お受けします。ですが、俺は俺が生きたいように生きるつもりです。もし、その誰かが俺の人生の邪魔をするなら、排除はしませんが、俺は助けもしません。俺の人生をその誰かに捧げるつもりはない。それでもいいですね)
(それでよい)
俺はいくつか確認したいことがあった。
特に自分の能力について、TRPGに似たキャラクター作成法をとったことに違和感を覚えていたからだ。
(あのキャラクター作成はあなた方の趣味ですか?)
神は少し困惑したような思念で、
(そなたの言う意味がよく分からぬが、そなたの望んだ通りの能力を与えたつもりだが?)
(では、ザカライアスという人物については、私の望み通りということでしょうか?)
(その通りだ。そなたがどのようにそれを決めていったのかは、我らの関知するところではない)
どうやら、TRPG方式にしたのは、俺の願望だったようだ。
(なら、もっと優れた能力にすることも可能だったのでしょうか?)
(もちろん。だが、そなたはそれを望まなかった。我らの加護を多く受けたが、半神というほどの能力は求めなかったのだ)
俺が何を求めていたのか、ようやく思い至る。
俺は英雄になりたかったわけじゃない。灰色の人生をやり直したかっただけだ。
つまり、鋼鉄の超人のような絶対的な力を持った孤独な英雄ではなく、仲間と共に人として生きることができる能力を望んだのだろう。
俺の沈黙を終了の合図と思ったのか、それとも時間切れだったのか、神は会談の終了を告げる。
(では、第二の人生を楽しむが良い。我らと会うことはもう無かろう……さらばだ)
(待って下さい。あなたの、あなた方の名を教えて……)
俺の意識はそこで唐突に途切れた。
目が覚めると、まだ真夜中で横では父と母が静かな寝息を立てて眠っている。俺は夢の中で神らしい存在から聞いた話を思い出していた。
(今から二年後か。俺より五歳年下になる。教え導くなら、もう少し後の方がいいんじゃないのか? それともこの年齢差にも理由があるのか? どこで、どんな形でその人物に出会うんだろう? まあいい、俺の好きなように生きていいと神にお墨付きを貰ったんだ。楽しく第二の人生を過ごさせてもらう……)
俺はすぐに眠りに落ちていった。
翌日から、俺はこの世界で生きるために必要な知識、技術を得ることに力を入れることにした。
まずは言語だ。
俺の知る限り、ここで使っている言葉は英語に近い。アルファベットも英語で使っているものとほとんど同じ。地名なんかの固有名詞の発音に独特なものが多いから、もしかしたら、イギリスでもスコットランドとかウェールズとかの言葉に近いのかもしれない。
言葉については、日常会話はすぐに問題なくなった。
文字についてもアルファベットが同じだから覚えるのは簡単だった。数字もアラビア数字の変形版で多少の違和感だけで問題なく使えた。
問題は単語を覚えること。
この家には辞書が無かったのだ。もしかしたら、辞書というものが物凄く貴重で王宮や首都の図書館みたいなところにしかないのかもしれないが、辞書がないことには閉口した。
なぜなら、分からない単語はすべて誰かに聞かなくてはならない。
聞けばいいだろうと簡単に思うかもしれないが、俺のような小さな子供が、難しい単語を調べる理由はない。聞くたびに一々理由を聞かれるから、面倒極まりなかった。
三ヶ月ほどである程度の読み書きを覚え、本をせがんだ。
最初のうちは、簡単な物語の薄い本が与えられたが、一月もしないうちにその本に飽きる。
我が家には領主である父の執務室と、前領主である祖父の執務室があり、そこに本が置かれているが、幼児である俺には執務室に入ることは許されなかった。
それでも何とか父に頼み込み、歴史、地理などの本を借り受けることに成功した。
そして、俺はこの世界がどうなっているのか、ようやく知ることが出来た。
もちろん、常識については、母やメイドであるモリーたちから聞いて勉強していた。
一年は十二ヶ月、一ヶ月は三十日、一日は二十四時間。一年の始まりは冬至で、ちなみに俺が目覚めたのが、六月の初めだった。
地理の勉強と合わせて分かったことは、俺がいるところはラスモア村という人口五百人程度の小さな村で、ここがロックハート家の所領のすべてだそうだ。
ラスモア村はカエルム帝国という国の北東部の辺境地帯。
緯度は北緯四十度くらいだろう。夏と冬の日照時間が北欧ほど極端な差はなく、精々北海道くらいの感じだったからだ。
その割には、夏は暑く、冬は寒い。地図を見ると盆地になっており、大陸性の気候と相まって、この程度の緯度でもそんな気候になるのかもしれない。
この辺りは都市国家連合と呼ばれる自由都市の連合体と傭兵の国フォルティスという国、そして、カウムという王国に挟まれた飛び地のようなところだった。都市国家連合とフォルティスが成立した際に、辺境過ぎて自分たちの国に組み入れなかったため、カエルム領として残っているという情けない土地だ。
組み入れなかったのは、魔物と呼ばれるモンスターが跋扈する土地であり、民を保護する義務が税収と釣りあわないと判断されたらしい。
カエルム帝国は元々辺境の開拓村を積極的に保護する政策を採っていなかった。そのため、ほとんど自由国境地帯と言っていい土地であったが、貴族や騎士への恩賞に名目上の領地として与えることが多く、その一人がうちの祖父、ゴーヴァン・ロックハートであった。
祖父は十八年前の戦功で平民から、騎士に叙されたが、何かのトラブルで十五年前から、自分の領地であるラスモア村に住むようになったようだ。
この辺りは父も母も詳しくは語らず、長く仕えているウォルトらに聞いても口を濁して、教えてくれなかった。
俺も三歳児に話す内容でないことだけが分かっただけで、それ以上深く聞くことはなかった。
話を整理すると、ラスモア村はカエルム帝国の北東部の自由国境地帯にあり、南にいくとドワーフたちがいるカウム王国がある。北には都市国家連合の一つ、冒険者の国ペリクリトルがあり、西には傭兵の国フォルティスがあるということだ。
そして、このラスモア村は主要街道であるアルス街道から五kmほど外れている。
この“五km”が曲者で、この距離がこの村を交易ルートから完全に外すことになる。街道を行く旅人たちは、ラスモア村に立ち寄ることなく、南北を行き来していたのだった。
地理についてはそのほかにもいろいろ分かり有益だった。
この他に分かったことは、ギルドの存在だった。主なギルドは、商業、傭兵、冒険者、魔術師、鍛冶師などだ。
詳しくは分からなかったが、ギルドは互助組織であり、比較的大きな都市には支部を持っている。
商人や職人になるにはそれぞれのギルドに入る必要があり、その審査も結構大変だそうだが、騎士階級である俺にはあまり関係がないので詳しくは調べていない。
興味があったのは、やはり冒険者だ。
冒険者と傭兵の違いがよく分からなかったが、冒険者は主に魔物を倒して報奨金を得るが、傭兵は主に護衛などを行って、金を稼いでいるそうだ。もちろん、傭兵でも大規模な魔物の討伐を専門にする凄腕や、国と長期契約を結んでいる所謂“兵隊”もいる。
魔術師ギルドは閉鎖的でほとんど情報が無かったが、都市国家連合の一つ、学術都市ドクトゥスに本部があり、そこにある魔術学院に入るとギルドへの入会資格が得られるとのことだった。
俺としては自分の魔法の才能を生かすために、魔術師ギルドについて一番知りたかったのだが、このラスモア村自体、魔術師がほとんどおらず、僅かに治癒魔法が使える治癒師が三人いるだけだった。
魔法についてはあまり分からなかったが、神様についてはいろいろな話から、ある程度の知識を得ることができた。
この世界には創造神であるクレアトール、そして、三主神と呼ばれる天の神であるカエルム、地の神であるモンス、人の神であるウィータがいる。更に主神とは別に八柱の属性神、火の神イグニス、光の神ルキドゥス、風の神ウェントゥス、木の神アルボル、水の神フォンス、闇の神ノクティス、土の神リームス、金の神フェッルムがいる。
これら属性神は魔法との関連が強く、三主神より信仰されているそうだ。
俺の夢にも十二人いたような気がするが、誰と話したのかは分かっていない。
ちなみにラスモア村には特定の神の神殿は無く、十二神を祀った神殿が一つだけあった。ここの神官はカウム王国に近いことから、土の神リームスの神官だそうだが、普段はカウムの国境の街、ボグウッドにおり、村には常駐していない。
田舎の神社みたいなもので、祭りの時に神官が神事を行いにやってくる感じだそうだ。
度量衡についても、元の世界の単位に近く、十進法を使ったMKS単位が基本である――読み方が微妙に異なるが、表記と単位量はほぼ同じである――ため、戸惑うことはほとんど無かった。
ロックハート家の家臣についてもある程度の情報は得られた。
うちには五人の従士がいることが、分かった。
まず、従士頭のウォルトはウォルト・ヴァッセルといい、祖父が騎士階級に上がる前からの部下だそうだ。
槍の名手だが、極端に無口であり、挨拶と訓練の時以外に声を聴いたことはない。
ウォルトの息子のイーノスも従士として仕えているが、武術が苦手で訓練中はいつも祖父かウォルトに怒鳴られている。イーノスは父上の幼馴染だそうで、時々、一緒に酒を飲んでいるようだ。
メルの父親のヘクター・マーロンだが、この人は弓の使い手だ。
陽気な人で、村人で作る自警団の人たちから慕われている。ヘクターの妻、メルの母親ポリーとはこの村で知り合ったそうで、一回り――この世界では使わない表現だが――も年下のかわいい奥さんを貰った幸運な男のようだ。
ロックハート家で一番の知識人、ニコラス・ガーランドは片手剣と盾を使うオーソドックスなタイプの剣術士だ。
この人も訓練に参加しているが、物静かな雰囲気に合わず、激しい剣術を使う。
ニコラスの娘でメイドをやっているジーンは、ウォルトの息子のイーノスと婚約しているそうだ。
シャロンの父親、ガイ・ジェークスは兵士上がりではなく、冒険者上がりの従士だ。
魔物の討伐の時に祖父と一緒になったそうで、その際に祖父に惚れ込み、従士になった変り種だ。
魔物について詳しく、更に剣と弓も使えるため、猟師たちと一緒に村の周辺の警戒を担当しており、あまり屋敷にはいない。
ヴァッセル家、マーロン家、ガーランド家、ジェークス家がロックハート家に仕える家臣になる。
俺は一年間でこれらのことを学んだり、覚えたりした。
そして、新たな段階に移るため、俺は自分の秘密を家族に打ち明けることにした。
これについてはかなり悩んだ。
父や母、そして家臣たちとは良好な関係が築けたと思っている。祖父は近寄り難いため、よく分からないが、少なくとも父と母は受け入れてくれると思っている。
だが、こういった呪いのような話は信頼関係とは別の問題になる可能性がある。新興宗教に嵌ったら、家族の絆がズタズタになるなんてよく聞く話だからだ。
それでも、俺は打ち明けるつもりでいる。
俺の知識と才能を生かすためには、避けては通れない関門だからだ。
最悪、悪魔憑きとして処分されても構わない。
神が俺を送り込んだ以上、その可能性は低いと思っているが、それでもゼロじゃない。
俺の誕生日である五月二十五日。
俺は覚悟を決めて、祖父、父、母の三人に話をすることにした。