第十二話「営業」
鍛冶師ギーゼルヘールの店を出た俺たちは、宿泊先の“荒鷲の巣”亭に帰ってきた。
夕方の五時ということもあり、宿泊している冒険者たちが次々と宿に入っていく。
俺たちは浴室を使うため、女将のミラに湯を頼む。
三十分ほどで準備ができるということで、裏庭でいつものように剣を振ることにした。
厩近くで剣を振り始めるが、帰ってくる冒険者たちの目が気になる。声を掛けてくる者はいなかったが、冒険者御用達の宿で子供が剣を振っている姿が珍しいのだろう。
(もう少し目立たない場所で始めれば良かったかな。まあいい。どうせ、それほど広い裏庭でもないし、近くの広場でも同じことだっただろう)
最初はそんな雑念が浮かぶが、剣を振り始めると徐々に雑念が消えていく。
俺はこの無心になっていく感じが好きだった。前世では無心になれるほど集中できるものがなかった。前世でも何かに打ち込んでいれば、あんな灰色の生活を送る事は無かったと思っている。
セミが五月蝿く鳴く中、三十分ほど剣を振り続けると、夏の日暮れ前ということもあり、全身汗だくになる。
納得のいくところまで素振りをしたあと、一旦、部屋に戻り、着替えを持って浴室に向かった。
浴室は一階の厨房の横にあり、一応、男女で分けてあった。
中に入ると、浴槽は無く、石畳の床の上に大きなたらいが置いてあるだけだった。
(やっぱり浴槽はないのか……大商人が泊まるような高級な宿じゃないと浴槽は無いんだな)
ガッカリとしながらも石鹸を使い、汗を流していく。
(夏のこの時期だから、浴槽が無くても気にならないが、ドクトゥスでは何か考えないといけないな……)
着替えた衣服についてだが、下着以外は革製品であるため、部屋で手入れを行う。下着については、最初は自分で洗おうと思っていたのだが、ガイに強硬に反対され、シャロンに洗ってもらっている。だが、どうしても汚れた下着を十歳の少女に渡すことに、照れを感じてしまう。
ガイ、リディ、シャロンも汗を流し終わり、食堂に下りていく。リディも吹っ切れたのか、それともこの先の道中が比較的安全だと判断したのかは判らないが、顔を晒している。
俺とシャロンは剣を持たず、ガイとリディが剣を持って食堂に入っていった。
午後六時を過ぎており、食堂はかなり混雑していた。
それでも広い食堂にはまだ空いている席があり、テーブル席を一つ確保した。
給仕の女性が注文を取りにきた。
「料理は魚がメインの物と肉がメインの物から選んで下さい。お酒はエールとビール、それにワインがあります。一杯三十e(=三百円)の別料金が掛かります。おつまみも簡単な物ならできますから、声を掛けてください」
俺たちは魚料理を頼み、ガイがビールを、リディが白ワインを頼んでいた。
十分ほどで夕食が出てくる。いつものようにリディのワインを冷やし、更にガイのビールもキリキリに冷やしてやった。ガイは最初恐縮していたが、一口飲んで満足そうな顔になっていた。
メインの魚料理は鱒のポワレで、濃厚なバターに爽やかな香草を効かせたソースとスパイスを軽く効かせた鱒の身が絶妙だった。この他に野菜のコンソメのようなスープとカンパーニュのようなパンがつき、どちらもかなりうまかった。
(昼飯もそうだったが、かなりいい腕の料理人だな。やはり、この店にスコッチを卸すか。あとは運搬と売り方だな……売り方についてだが、ヨアンという男は食に関しては信頼できそうだから、樽売りでも品質を落とすことは無いだろう。問題はどうやってここまで運ぶかだ……)
今回の旅で思ったことは、ラスモア村からペリクリトルまでの道は割れ物を運ぶことは難しいということだ。更にカルシュ峠という難所もあり、ロックハート家が自ら荷馬車を仕立てるのはコスト的に厳しいというものだった。
(寄るべき理由が出来ない限り、ラスモア村に商隊は来ないだろう。今のところ、村は自給自足ができている。多少のものなら、キルナレックから来る行商人で賄えるから、村に物資を運ぶ必要は無い……)
俺はノートンの商隊を利用できないか考えていた。今回、偶然同行したのだが、彼の商隊はアルスから武器などの鉄製品を運搬している。そのため、荷馬車は重量物に耐えられる丈夫なものだが、その分足が遅く、カウム王国の国境の街ボグウッドからキルナレックに向かう三十五kmがネックになっている。
ボグウッドからラスモア村までは二十km、ラスモア村からキルナレックまでは二十五km。行程的にはちょうどいい距離だ。更に護衛を率いるバイロンは慎重な男であり、安全も確保できている。問題はアルス街道からラスモア村までの道の悪さだ。
(道を整備するとして、ノートンがラスモア村に立ち寄るメリットが少ないな。彼がラスモア村に立ち寄りたくなるインセンティブを考えないと……そうか! キルナレックまでロックハート家が運べばいいんだ……)
俺はラスモア村に無理に商隊を呼ぶ必要はないと気付いた。爆発的に売れ始めるまで、スコッチなどの贅沢品はそれほど頻繁に輸送する必要はないだろう。最初のうちは月に一樽か二樽くらいで十分だから、荷馬車の荷をその分を減らしてもらえばいい。
荷馬車の荷が軽くなれば、山道の続くアルス街道での移動が楽になるし、その分、不測の事態も起こりにくい。特にボグウッド―キルナレック間で雨が降ったとしても、野営の可能性が減るからメリットは大きいはずだ。
当然、アルスからの荷が減る分、武器から上がる利益が減るが、輸送のリスクを下げられれば、スコッチの輸送の利益率が低くともメリットはある。
(明日にでもノートンの商会を訪ねてみよう。あとは付き合いの長そうなバイロンとも話した方がいいな……)
一応の方針が立ち、ガイたちにスコッチの輸送のことと、明日の予定を話していく。
「……ということで、明日はノートンの商会とバイロンを訪ねたいんだが、何か予定は考えていたか?」
「元々、明日は商業地区である北地区に行こうと考えていましたから、何も問題はありません。ですが、ノートン殿はともかく、バイロンが捕まるかは微妙ですね」
俺がどういうことだと尋ねると、
「一仕事終えた傭兵ですから、今日明日は羽目を外しているでしょう。西地区にある色街にいる可能性が高いと思います」
シャロンは色街と聞いて首を傾げ、父親であるガイに質問していた。ガイはどう説明していいのか困りながら答えていた。俺とリディはその姿に微笑んでいた。
「でも、勝手に決めてしまってもいいの? マット――父マサイアス・ロックハート――の許可がいるんじゃないの?」
リディの問いに俺は首を横に振る。
「大丈夫だ。父上には事前に話してあるし、この件に関しては、俺に一任されている。まあ、最初はキルナレックまでうちの誰かが運んで、それを拾っていってもらうことになると思うが、この辺りはニコラス――ニコラス・ガーランド、内政担当の従士――に任せておけば、何とかしてくれるはずだ」
夕食後、俺はスコッチの瓶を持ち、ガイと共にカウンターに座る。
料理が一段落したタイミングを見計らって、宿の主人ヨアンを呼んだ。
「面白い酒があるんだが、舐めてみないか?」
俺の一言に「面白い酒だと?」とヨアンが食いつく。
「恐らく飲んだことがないものだ。俺の故郷ラスモア村の特産品なんだが、今はアルスのドワーフにだけ売っている特殊な酒なんだ……」
俺はスコッチについて説明していくが、徐々に熱を帯びていく。
「……まだ、若い酒だが、もう少し寝かせればもっとうまくなる。アルスのドワーフたちはジョッキ一杯、銀貨二枚、つまり二十Cで売れている酒だ……」
二十Cという金額にヨアンは目を丸くする。
「二十Cだと……どんな酒なんだ? そこにある壷にそれが入っているのか?」
彼には細長い陶器の瓶が壷に見えたようだ。
俺は鷹揚に頷くと、木のカップを取り出し、スコッチを注いでいく。
「酒精分が強いから、舐めるように飲んでくれ。エールの五、六倍は強いからな」
木のカップに入れたスコッチに魔法で作った氷を入れる。
俺の魔法を見て、ヨアンは「魔術師だったのか?」と驚くが、やはり酒の方が興味を引くようで、「そんなことはどうでもいいな。早く飲ませてくれ」と、訴えてくる。
俺はヨアンの前にカップを置きながら、飲み方について注意を促す。
「最初は香りを味わってほしい。強すぎるようなら水を加えて薄めてもうまいはずだ」
だが、ヨアンの心は目の前の高級酒に釘付けになり、俺の話は耳に入っていないようだ。
彼はゴクリと喉を鳴らして、カップに口をつける。その直後、強いアルコール臭にゲボッとむせていた。
「何だ、この酒は……だが、確かに変わった香りがするな。樽の木の香りだけじゃねぇ……なあ、こいつには何を加えているんだ?」
「何も加えていないさ。原料は麦、水、それに発酵させるための酵母だけだ」
俺の言葉にヨアンは首を傾げる。
「いや、俺の舌と鼻は違うと言っている。これを作った奴に確認してくれ」
俺はどう答えようか一瞬悩むが、
「それの作り方を考えたのは俺なんだ。だから、間違いなく混ぜ物はしていない」
ヨアンは目を見開き、カップから口を離す。そして、ガイに向かって、
「疑うわけじゃないが、本当なのか? この酒をこんな子供が……ガイ、俺を担いでいるんじゃないよな」
「ああ、ザック様のおっしゃるとおりだ。これはこの方がお考えになり、村の酒造りの責任者に作らせている物だ」
ヨアンは俺の方を見て、小さく首を振り、「担いでいるわけじゃなさそうだな」と言って、再びスコッチに口を付ける。そして、カップの中身を飲み干し、氷なしのストレートを飲ませて欲しいと言ってきた。
俺は黙って瓶から生のスコッチを少量注いでやった。
彼はゆっくりとカップに口をつけていく。一瞬、顔を顰めるが、すぐに香りを確かめるように口に含んだ。
食堂は喧騒に包まれているが、俺たちの周りは不思議な静けさが支配していた。
しばらくしてから、ヨアンが呟くように感想を話し始める。
「氷があれば、飲みやすいが、うちじゃ氷は作れねぇ。水で割るには勿体無い強さだ。なあ、ザック。これを俺に飲ませたのは、ここで売りたいからか?」
俺が頷くと、更に話を続けていく。
「俺もこの酒はうまいと思う。だが、値段が高すぎる。二十Cだと五級クラスの一日分の稼ぎと変わらん。そんな酒を飲もうとする奴は酒好きのドワーフくらいしかいないだろうな」
俺は値段の話が出ると思っていたので、対応策を考えてあった。
「そもそも、このスコッチって言う奴はジョッキでガブ飲みする酒じゃない。今みたいに味わって飲むものなんだ。だから、小さめのカップで少しずつ売ればいい。それに今のところ、生産量が少ないから、味の判る店にしか売るつもりは無い。ペリクリトルで一軒か二軒しかおくつもりは無いんだ。それにアルスのドワーフたちの間ではかなりの評判になっている。だから、最悪、ドワーフの職人たちにでも売れば、十分に儲けは出ると思う」
俺は独占的に売ることができると示唆し、かつ、販路があることを理解させる方針にしていた。
この街にいるドワーフたちは、職人と冒険者だ。職人も武具の製造に関わっているから、そこそこ収入がいい。冒険者のドワーフも七級以下は少ないから、そこそこ金を持っている。
更にドワーフのネットワークは侮れない。アルスで評判になっている酒の噂は、鍛冶師仲間を通じて既にこの街のドワーフにも届いている可能性がある。
アルスの鍛冶師たちを見て判るように、ドワーフたちは酒を飲むことに関しては金に糸目はつけない。だから、普通の客に売れなくても、商売が成立つと説明すれば、ヨアンが乗ってくると考えたのだ。
ヨアンは「ちなみに一樽いくらなんだ?」と不安そうに尋ねてきた。
「アルスのドワーフたちは千C(=百万円)で買っていくよ。ロックハート家としても生産量が増やせないから、そのくらいじゃないと儲けがないんだ」
ヨアンは「千Cか……」と呟く。
この街で繁盛している宿とはいえ、一回の仕入れで百万円を掛けるのはかなり厳しいのだろう。
「何なら後払いでもいいぞ」
俺がそう言うと、ヨアンが「いいのか!」と声を上げる。
「その代わりと言っては何だが、条件が二つある。一つは、物はキルナレック渡しとすること。つまり、輸送費と輸送時のリスクはそちらが持つということだ」
「輸送費か……俺に商人の伝手はねぇが、そこは何とかしてくれるのか?」
彼の問いに俺は頷く。
「明日、その交渉をしてくる。少なくとも明後日には交渉をまとめるつもりだ」
「判った。費用を見て考えさせてくれ。で、もう一つの条件は?」
「こっちは簡単なことだ。うちの酒はここだけで売ること。つまり転売はなしということだ」
ヨアンは頷きながら、少しだけ首を傾げる。
「俺に異存はねぇが、理由を聞かせてくれねぇか」
「理由は簡単だ。俺としては、うちの酒の品質を落としたくないんだ。ここなら、間違いなく真っ当に酒を出してくれる。そう信じたから、ヨアン、あんたに売るんだからな。だが、他の連中が同じように売ってくれるとは限らんだろう。他の酒を混ぜたり、黙って水を加えたりする奴が出てこないとも限らんからな」
俺の言葉にヨアンは大きく頷き、「よく判っていやがるぜ」と破顔する。
「あれだけの料理を出せるんだ。味にこだわりが無いはずがない。そんな料理人が紛い物を出すとは思わんからな」
その後、細かな取り決めについて、確認していく。
「どちらにしても、今すぐの話じゃないんだ。一ケ月後くらいにガイがここに寄るから、そこで答えを聞かせてくれればいい」
ヨアンはコクリと頷き、そこで少し言い難そうにガイを見る。
「ガイ、本当にザックは十歳なんだな。話をしていると、俺より年上にしか思えんのだが……」
ガイはどう答えていいのか、少し困った顔をするが、
「間違いなく十歳になられたばかりだ。まあ、お前がそう思うことがおかしいとは、俺も思わんがな」




