第八話「カルシュ峠」
七月四日。
ボウデン村で一夜を明かした商隊は、午前七時に村を出発することになっていた。
幸いベッドに害虫はおらず、しっかりと睡眠をとった俺はすこぶる体調がいい。
今日は三十km先のソーンブローという街に向かう。
ソーンブローまではファータス河と森の間を通ることになる。だが、ボウデンから北に十kmほど行ったところから、カルシュ峠と呼ばれる難所に入る。カルシュ峠は勾配がきつい荒れた道なため、荷馬車にとってはかなり厳しいところだ。特にノートンの商隊はカウム王国の王都アルスから、剣や槍、斧などの重量物を仕入れていることから、荷馬車に掛かる負担が大きい。
更に守備隊がいる都市から離れていることから、盗賊や魔物が出没しやすい商隊泣かせの場所だ。
集合場所に到着すると、御者、傭兵ともに緊張の色が窺える。
「……今日はカルシュ峠を越える。知っての通り、うちの商隊の荷物は重量物が多い。道を外さないように……」
いつもは愛想笑いを浮かべているノートンが、かなり真剣な表情で御者たちに注意を与えていた。
護衛隊長のバイロンも真剣な表情で、部下たちに訓辞を行っていた。
「今日はカルシュ峠越えだ。注意すべきは盗賊とハーピー。周りだけじゃねぇ、上にも注意しろ! ここを抜けりゃ、もう難所はねぇ! 今日一日気張っていけ!」
「「オウ!」」
訓示を終えたバイロンが俺たちを見つけ、俺たちにも注意を与えていった。
「今日は皆さんにも厳重な見張りをお願いしたい。ハーピーは女性や子供の肉を好むそうです。上空にも十分気を配るようお願いします」
俺は彼の言葉を聞きながら、
(ハーピーか……いよいよ本格的にファンタジーって感じになってきたな。今日はオリジナル魔法を使わざるを得ないかもしれないな……)
シャロンは子供の肉を好むという言葉に少し怯えているようで、手が小刻みに震えていた。俺は彼女の肩に手を置いて、笑顔で声を掛ける。
「大丈夫、俺やガイが必ず守るから。それから、今日は燕翼の刃を使っていいから」
俺の言葉に少し安心したのか、少し紅潮した顔で、「大丈夫です。ハーピーが出てきても撃ち落としてみせます」と気合の入った返事を返してきた。
荷馬車はガラガラという音を立てながら、ゆっくりと進んでいく。
俺たちの配置は昨日と同じ、五両目と六両目の間だ。
出発前、ガイからも注意を受けていた。
「絶対に離れないようにお願いします。今日は四人で固まって行動します。私の指示にはどのようなことでも必ず従ってください」
「了解した。だが、俺の安全だけじゃなく、商隊の安全も考えてやってくれ」
ガイは俺の言葉に頷き、リディとなにやら打合せをする。
リディが頷くと、彼女はマントのフードを外した。
俺が驚いていると、
「ガイから視界を確保して欲しいって言われたのよ」
エルフのリディは目がいい。猟師であるロブや斥候のガイも目はいいが、それでも彼女の方が良かったのだ。
そのため、ガイはリディに視界を遮るフードを外すよう依頼したのだ。
「いいのか。俺も視力じゃ負けない。無理をしなくても……」
彼女は「あなたの安全のためよ。それにいい加減、鬱陶しかったからちょうどいいわ」と微笑んでいた。
リディがフードを取った途端、傭兵や御者たちの視線が彼女に集中する。
だが、不躾な視線は一瞬で終わり、すぐに自分たちの仕事に集中していく。
(さすがに危険な峠越えで、女に気を取られているわけにはいかないだろう。それにバイロンが俺やガイに対して一目置いているのが、良かったのかもしれない……)
最初の三時間で峠の入口に到着した。
三十分ほど休憩したあと、峠を上り始める。
峠はそれまでの道とは違い、左側を流れるファータス河から切り上がったゴツゴツとした岩の崖が、壁のようになっている。右側にあった深い森は、岩場になるにつれて松のような潅木に変わっていき、荒れ果てた雰囲気を強くしていく。
最初は緩やかだった登り勾配も、徐々にきつくなっていく。十cm大の石がゴロゴロ転がる道に荷馬車は苦戦していた。
(岩場を切り開いて作った道のようだな。確かに難所だ。御者には周囲を警戒する余裕はないし、護衛も馬を操るのに意識を配らないといけない。これで岩陰や木陰以外に上空の警戒までとなると、俺程度の馬術では到底無理だな……)
実際、俺とシャロンは馬を操るのに手一杯で、周囲の警戒をするどころではなかった。
さすがにガイとリディは器用に馬を操りながら、周囲をしっかりと警戒しているが、二人からも緊張していることがひしひしと伝わってくる。
馬の嘶きと荷馬車の車輪が出すガタンガタンという音が峠に響いている。
俺たちは朝一番で出発していたが、ノートンの言うとおり荷物の重量が重いのか、他の商隊に追い抜かれていた。峠に入る頃には荷馬車の行列の最後尾に位置していた。
一時間ほど進むと勾配が緩やかになってきた。
どうやら峠の頂上が近づいたようだ。
「もう少しで休憩場所だ! だが、馬に必要以上の負担を掛けるな!」
ノートンの指示が伝言ゲームのように、傭兵たちによって伝えられていく。
(うまいこと考えているんだな。隊長のバイロンの指示だけでなく、ノートンの指示も傭兵が伝えるのか……)
更に三十分、太陽が中天に達した時、峠を越えた。
峠の頂上付近は十mほどの高さの切り立った崖に挟まれた隘路になっており、前方には左に緩やかに曲がるファータス河と、それに沿って延びる街道、更にその右側にある濃い緑色の森が見て取れる。
街道沿いに視線を走らせると、遠くに黒っぽい小さな四角形が見えていた。
(見晴らしだけはいいな。標高差は二、三百mくらいという感じか。それにしては思った以上にきつい道だな。だが、あとは下るだけだ……遠くに見える四角い街が目的地のソーンブローなのだろうな)
休憩場所はここから十分ほど下ったところにあるそうで、俺はふぅと息を吐き出す。
全員の意識が弛緩した瞬間、リディの甲高い声が峠に響く。
「崖の上! ハーピーがいるわ!」
その声に全員が上を見上げる。
岩に隠れて見辛いが、そこには茶色い鷲のような翼を持った人型の魔物、ハーピーたちの姿があった。
ハーピーは崖の上に止まり、我々が通るのを待ち構えていたようだ。
(護衛が一番少なくなる最後尾を狙ったのか? 狡猾な!)
俺がそんなことを考えていると、十数羽のハーピーが一斉に飛び立つ。
俺は勢い良く飛び立ったハーピーたちの姿に戦慄した。
(でかい! 猛禽類の比じゃない……急降下で襲ってくるつもりか! あの鋭い爪に引き裂かれたら、俺の革の服など紙と同じだ……)
周りでは傭兵たちが大声で指示を出していた。
「弓術士は迎撃しろ! 御者を狙ってくるぞ! 御者を守れ!」
「落ち着いてゆっくり前進しろ! 焦って馬車を壊すな!」
先頭にいるバイロンやノートンの指示が傭兵たちによって伝えられていく。
ハーピーは、その鋭い鉤爪で人を掴んで上空に舞い上がり、ある程度高度を取ったら、捕まえた者を放して、地面に叩きつけるという攻撃方法を取ってくる。
このため、一度捕まえられると、一気に数m持ち上げられ、例え剣で斬りつけて鉤爪から逃れたとしても、落下のダメージは免れない。対ハーピー戦はいかに掴まれないかがポイントになる。
特に非武装の御者を狙ってくることが多く、パニックに陥った御者が馬車を暴走させ、破損させることが多かった。狭い道で馬車が破損すると、後続の足が止まるということを理解しているようで、最初は低空で御者の頭を狙ってくるそうだ。
ハーピーの攻撃に対し、ガイは特に声を張り上げることなく、「ザック様、リディアさん、シャロン。迎撃の準備を」と、冷静な口調で俺たちに指示を出していく。
三mを超える巨大な翼を持つ十数羽の魔物を見て、俺はパニックを起こしかけていたが、ガイの冷静な声で落ち着きを取り戻した。
(落ち着け。この狭い峠の中で襲うのは難しいはずだ。こっちがパニックになって動きが止まるのを待っているんだろう……)
俺は燕翼の刃の魔法を唱え始める。
「数多の風を司りし風の神よ。天を舞う刃の燕を我に与えたまえ。我が命の力を御身に捧げん。舞え! 燕翼の刃!」
隣ではシャロンも同じ呪文を唱えており、二羽の透明なツバメが空に飛び立っていく。
ガイは俺たちを庇うように前に位置し、馬上から矢を射始めていた。
リディは燕翼の刃ではなく、得意の空気の槌を放っていた。
一台の荷馬車の上空で十羽ほどのハーピーが御者を威嚇していた。リディはそのハーピーたちを狙い空気の槌を放ったようだ。大きな空気の塊が群れに突っ込むと、ハーピーたちはバランスを大きく崩していく。
何羽かは体勢を立て直し、上空に舞い戻ろうとしていた。だが、二羽のハーピーは失速したまま、地面に激突する。
俺はそれを見て、自分の魔法の選択を誤ったと思った。だが、それでも意識を切り替え、既に発動した魔法のツバメの制御に集中していく。
リディの空気の鎚を受け、必死にバランスを取ろうと羽ばたくハーピーに対し、俺のツバメは高速で接近していく。
燕翼の刃の魔法は、肉体のような質量のあるものを斬り裂くと、その場で魔法が消滅する。このため、俺はハーピーの羽根を狙うことにした。
外側の数枚の風切羽を失うだけでも、鳥は満足に飛べなくなる。必死に羽ばたいているこの状態なら、魔物であるハーピーといえども失速するはずだと考えた。
(ハーピーの巨体をあの翼だけで持ち上げるのは、物理的には無理だろう。恐らく、風の精霊の力を利用しているはずだ。だが、あれだけ必死に羽ばたくということは、精霊の力は重量の軽減か、浮力の増加程度で、翼による飛翔がメインなのだろう。ならば、鳥と同じで風切羽を傷つければ勝手に失速するはずだ……あとはあの激しい翼の動きに、正確にツバメの刃を当てられるかだ……)
慎重にハーピーが翼を広げるタイミングを計る。目標のハーピーが空気を掴もうと翼を一杯に広げたタイミングで、右側の羽根を数枚斬り落とす。
茶色い大きな羽根が空に舞い、羽ばたき上昇しつつあったそのハーピーは、左右のバランスを崩して、錐揉みをするように墜落していく。俺は心の中で“よし!”と呟きながら、二羽目のハーピーを狙った。
一羽目のハーピーが錐揉みをするのを見たのか、二羽目のハーピーが驚愕の表情で俺を睨みつけてくる。
だが、高度と速度を失ったハーピーは、攻撃することも離脱することもできず、ただ必死に俺のツバメから逃げるように、上空に向かって羽ばたいていく。
その努力をあざ笑うかのように、速度に勝る魔法のツバメは、逃げるハーピーの羽根を斬り落とす。バサバサという激しい羽ばたき音も空しく、そのハーピーは地面に落ちていった。
(よし、うまくいっているぞ。翼を打ちおろす直前、風切羽は大きく広がるから、このタイミングに合わせれば、斬り裂くことは難しくない……)
更に二羽のハーピーも同じように叩き落し、魔法のツバメはその役割を終え、空の中に消えていった。
俺の横ではシャロンが青い顔をしながら、魔法のツバメを操り、二羽のハーピーの首を切り裂いていた。
(いつも思うんだが、シャロンの方が細かい制御が出来ている。あとでどうやっているのか聞いてみよう)
俺がそんなことを考える余裕があったのは、すでに上空には五羽くらいしか残っていなかったからだ。ガイが二羽、他の弓術士も数羽のハーピーを撃ち落しており、戦いの趨勢は決まっていたのだ。
俺とリディが撃ち落したハーピーは傷を負いながらもまだ生きていた。
だが、地面に落ちたハーピーは傭兵たちの敵ではなく、簡単に斬り殺されていく。
バイロンから「撃ち方止め!」の指示が届き、弓術士たちは警戒しつつも矢を射る手を止める。
上空に残っているハーピーは、三分の一にまで撃ち減らされたため、悔しげな鳴き声を上げながら、森の方に戻っていった。
(どうやら撃退できたようだな。今回の反省は魔法の選択のミスだ。さすがにリディは戦いなれている。彼女の選択した空気の鎚が今回は最適だった……結果的には俺が一番多く撃ち落したが、リディの攻撃の後じゃなければ、あれほどの戦果は上がらなかったはずだ……これが経験の差という奴なんだな……)
戦闘の混乱も収まり、休憩場所に到着した。
バイロンの指示で警戒を強める中、彼は俺たちのところにやってきた。
彼は真剣な表情で俺の前に立ち、その場で片膝をついた。
「ザカライアス様。一昨日、足手纏いといった件でございますが、改めて謝罪いたします」
俺は「既に謝罪を受けている。これ以上の謝罪は不要だ」と首を横に振る。
バイロンが「ですが……」と言葉を続けそうだったので、「まだ、危険な場所なのだろう? それに俺はもう気にしていない」と言って強引に話を打ち切った。
バイロンはそれに頷き、手に持っていた直径一cmほどの魔晶石を俺に手渡してきた。
「先ほどの戦果でございます。ザカライアス様が四羽、リディアーヌ様が三羽、ジェークス様とシャロン様が二羽ずつでございます」
「俺は止めを刺していないが? 共同で倒した敵は協議するんじゃないのか?」
バイロンは大きく破顔し、「地面に落ちたハーピーのとどめなど、手柄にはなりません」と取り合わない。
結局、十三羽のハーピーを倒したそうで、そのうち、俺たち四人が十一羽を倒したことから、傭兵たちの目に尊敬の色が窺えるようになっていた。
ちなみにリディは魔法で二羽と、俺が見ていないところで、弓でも一羽撃ち落していたそうだ。
「それにしても、二十羽近いハーピー相手に、一人もケガ人を出すことなく撃退したのは初めてです。それに五羽以上倒したことも初めてなのです……我々にとっては、それほど相性の悪い魔物なのです……」
商隊の護衛は、さまざまな状況に対応するため、剣術士、槍術士、弓術士など近距離から遠距離まで対応できるようバランスよく構成されている。
だが、そのため、空から襲ってくる魔物に対しては、有効な対抗手段が少ない。腕のいい弓術士や魔術師がいれば、ある程度はダメージを与えることができるが、基本的に近距離攻撃の剣術士などは、近寄ってきた魔物を打ち払うことしかできない。
だからと言って弓術士の数を増やすと、地上から襲ってくる防備の硬い魔物に対して不利になる。空中から襲ってくる魔物で商隊が全滅することは稀だが、地上の魔物の場合、撃退できないと全滅することすらあり得る。魔術師を増やせば、問題は少ないのだが、魔術師自体の数が少ないことから、小規模な護衛にいることはほとんどないそうだ。
商隊の護衛のような広範囲を守る場合は、弓術士の数を増やしても効果が少ないため、バランス良く配置し、剣や槍で寄せ付けないようにするのが有効な対抗手段だそうだ。
一時間の休憩の後、商隊は出発した。
俺はこの先は下り坂になるので、スピードアップするのだろうと思っていた。
だが、実際には登りとほぼ同じ速度だった。
これは南行きの商隊とすれ違うようになったことで、道の譲り合いが必要になったことと、荷馬車は下り坂でも慎重さが求められ、勢いに任せることはできなかったからだ。
(これだけ道が悪いと、ブレーキのついていない荷馬車は危険だな。スピードが付き過ぎると抑える術がない。脱輪などされたら後ろにも影響が出る……それより、自分の馬の制御の方が難しい。もう少し馬術を習っておけばよかった……)
午後二時頃、ようやくカルシュ峠を抜けた。
残りは十五km。ここから先は道もよくなり、前から荷馬車が来ることもないので、スピードが上げられるということだった。
右手に森が迫る街道を北に進んでいく。
街道が緩やかな下りになっているのか、荷馬車を引く馬たちも軽快そうだ。
午後六時。
立派な城壁に囲まれたソーンブローの街に無事到着した。
ちなみにシャロンに魔法のツバメの制御法を尋ねた結果だが、
「ツバメは餌を求めて飛びますから、餌が敵の首近くにあるように教えるんです」
つまり、シャロンは“ロックオン”と“自動追尾”機能を使っていたのだ。
(俺はラジコンと同じ感覚だったが、シャロンの方がセンスがいい。やはり、シャロンは天才かもしれない……)
その後、シャロンにイメージの仕方を教えてもらい、俺の燕翼の刃の魔法も自律制御型の追尾魔法に進化した。




