番外編第四話「トリア暦三〇二七年五月:白き軍師との邂逅:中篇」
五月二十六日の昼下がり。
白き軍師こと、レイ・アークライトと酒を酌み交わしている。
最初は少しぎこちない感じもしたが、発泡ワインとシーウェルワインを飲みながら、メルとシャロンが用意した軽いつまみを楽しんでいる。
酒の話が一段落したところで、レイは表情を真面目なものに変え、居住まいを正した。
「折り入って相談があるんですが」
「これからのことかい?」と聞くと、大きく頷く。
「僕はこの後、草原に戻るつもりでいます。その後、ルークス聖王国に向かい、あの国を変えようと考えています……」
俺の周りにはリディたちが座り、レイの横には彼の仲間であるアシュレイとステラが座っている。しかし、誰も口を挟むことなく、静かに話を聞いている。
「……今のルークスの指導者たちは完全に腐っています。特に光神教は一度完全に潰さないといけないと思っているんです。ただ……」
そこで言葉が途切れる。
「改革で血が流れることを恐れているのかな? それとも自信がない?」
「その両方です。聖都パクスルーメンにいる聖職者たちは改革に反対するでしょうし、あらゆる手を使って邪魔をしてくるはずです。彼らなら純朴な農村の人々を騙して、戦いに向かわせることは充分にあり得ます。その人たちに剣を向けることができるのかと……」
すべての人を助けたいと考えているらしい。理想に燃える若者が考えそうなことだ。
俺ならある程度割り切り、“最大多数の最大幸福”を狙い、犠牲を出すことを許容しただろう。
「すべての人を助けたいと思っているわけだ」
「いいえ……そこまで傲慢なことは考えていません」
否定するものの、その表情から頭の中にあることは間違いない。
「君も今までの戦いで多くの犠牲者を見てきたはずだ。犠牲なくして勝てなかったことも理解しているんだろ」
そういうとコクリと頷く。
「今までは考える時間もなく、状況に追われて対処した。しかし、今回は考える時間が十分にあった。だから、何とかできないかと悩んでいる。そんなところじゃないか」
俺の言葉に驚きの表情を向けてきた。
「どうして分かったんですか……」
「人生経験の差だよ……」
そう言うと驚いたような納得したような表情を見せる。
「と言いたいところだが、俺でも同じことを考えると思っただけだよ。君は草原の民と元獣人奴隷部隊という世界最強の戦力を手に入れた。それにこれまで最大の脅威であった虚無神のことも解決している。奴が手を出してこないことが分かっているから、自分でもなんとかできると考えた。そうじゃないか?」
レイは俺を見たまま口を開かない。
「犠牲を最小限にしたいというのは理解できるし、俺もそうしてほしいと思っている。しかし、状況はそれを許さない」
「ルークスの状況をご存じなのですか?」
「ああ」と言って頷く。
俺のところにはドクトゥスの情報屋サイ・ファーマンから定期的に情報が入ってくる。他にも帝国の上級貴族シーウェル侯爵家を通じて入ってくる情報もあり、それらを突き合わせることで事実にある程度近づけていると思っている。
しかし、レイの場合、数日前にアルス街道に入ったばかりだし、情報収集を行う時間も伝手もない。旅人が運ぶ噂を聞いている程度だろう。そのことを確認してみる。
「君もある程度は知っていると思うが、どの程度情報を掴んでいる?」
「総大司教派と聖王派がにらみ合っているとは聞いていますが、それ以上は……」
やはり、俺の持つ情報ほど正確なものは持っていなかった。
「なら俺の話を聞いてほしい。俺のところには結構正確な情報が入ってくるからな。まず、にらみ合っているというのは間違いじゃない……」
俺が知っている情報は以下のようなものだ。
昨年の十二月頃、聖王アウグスティーノ率いる帝国侵攻軍二十万は聖都パクスルーメンに戻った。その直前からパクスルーメンでは聖職者たちのスキャンダルが次々と明るみに出るようになった。
噂では聖王に命じられた獣人奴隷部隊が不正を暴き始めたということだが、サイ・ファーマンもシーウェル侯も、聖王とロルフォ総大司教の政争の結果ではないかという見解だった。
しかし、情報が集まるにつれ、聖王が総大司教派だけでなく、自らの縁者であっても不正を行った者を厳しく罰していることが分かり、事情を知らない者には何が起きているのか全く分からない状況になっていた。
幸い、俺のところにはセオからの情報が入っていたため、聖王がレイの言葉で改心したこと、獣人奴隷たちが解放され、レイの指示によって聖王を助けていることを知っており、入ってくる情報からある程度状況は見えていた。
その聖王の相手である総大司教ベルナルディーノ・ロルフォは、その至高の地位を強引な手段をもって手に入れた野心家であり策謀家だ。
その野心家が十年間、政権の中枢にいた。そのため、彼に反対する勢力はほぼ一掃され、聖王に味方する者は教団の中枢部にほとんどいなかった。
そんな状況でも聖王は侵攻軍を解散した後、獣人部隊を使ってロルフォの派閥を切り崩していった。しかし、ロルフォも黙って見ているわけではなかった。
得意の暗殺を駆使し始めた。そのターゲットは聖王の周辺ではなく、聖王を支持する地方の清廉な聖職者たちだった。恐らく聖王の周りに解放された獣人奴隷たちがいたため、狙いを変えたのだろう。
清廉な聖職者たちも手段を択ばぬ総大司教のやり方に恐れをなした。表立って聖王を支持すれば、翌日には死体となって発見されるという状況に動くことができなくなったのだ。その結果、聖王に向きかけていた民衆の支持も目に見えて減っていく。
聖王は獣人部隊を使って暗殺部隊を潰しにかかったようだが、こういった後ろ暗いことを得意とする指揮官がおらず、戦力的には聖王側が圧倒的に優位であったのに後手に回り続けていた。そんなこともあり、二ヶ月以上経っても総大司教はその地位を守り続けている。
総大司教は逆に反撃に出てもいる。聖王派の聖騎士を破門にし、その代わりに世俗の騎士を聖騎士に登用することで、戦力の拡充を図ったのだ。更に聖王が帰郷させた農民兵を強引に招集し始めたという情報も入ってきている。
「……俺のところに入ってきた情報は二月の末頃のものだ。既に三ヶ月も経っているからどんな状況に変わっているか見当もつかない。ただ、汚い手をためらいなく使う総大司教に対して、聖王は正攻法で対応している。つまり手足を縛られた状態だ。獣人部隊と新たに軍将になったフォルトゥナート卿率いる騎士団がいるから何とかなっているらしいが、潰し合わせるつもりがないなら、時間に余裕があるとは思わない方がいい」
「そこまで苦戦しているとは……」とレイは絶句する。
「それとは別に知っておいてほしいことがある」
「それは何ですか?」
「帝国やアウレラのことだ」
「帝国やアウレラ?……確かに影響はあると思いますが、ルークス国内に干渉してくるとは思えないのですが……」
彼がこの世界に来てから、まだ二年と少ししか経っていない。その大半が辺境か戦場だ。帝都には行ったことがあるが、商業ギルドや鍛冶師ギルドに出入りした程度で、世界のパワーバランスについて詳しい情報は持っていないようだ。
もう少しこの世界の情勢を知っていたら、彼でも思いついただろう。しかし、セオが重宝されたことでも分かる通り、彼の周りには政治に強い人物がほとんどいない。この状況で国際関係も考慮しろと言われても困惑するだけだろう。
「帝国の状況は理解しているよな」
「セオさんに聞いているので一応は」
「皇帝陛下がいつ崩御してもおかしくないが、未だに後継者が不安定な状況なんだ。皇太子殿下は相変わらずだし、レオポルド殿下は凱旋したものの、人馬族が殿下に従うつもりはないと言ったことで、大してポイントを稼げなかった……」
レオポルド皇子は人馬族を率いて帝都プリムスに凱旋した。
当初、帝都では皇子が絶大な力を得たとして市民たちの絶大な支持を得ることに成功した。
しかし、人馬族の代表が皇帝に謁見した際、皇子に従うのではなく、自分たちの王、すなわちレイに従う以外にはあり得ないと公言したことから、皇子の名声は急落し、凱旋で得た民衆からの支持はほとんどなくなっている。
皇子は人馬族に激怒したが、宰相や皇太子派の元老たちによって抑えられた。これによって皇帝の座を争うレースは再び混沌としたものになった。
これはセオが狙った策だが、一部は俺が示唆したものだ。
「今の状況で帝国の宿敵ルークスが長期にわたって混乱しているんだ。帝国の野心家たちがどう考えると思う?」
「主戦派であるレオポルド皇子やその支持者が功績ほしさにルークスに攻め込むということですか?」
「それもあるが、もっと危険な人物がいる」
「それは誰ですか?」
「宰相エザリントン公爵だ」
「ルナやセオさんから聞いていますけど、宰相は切れ者という話でしたね。ですが、無暗に戦争を起こすような人じゃないとも聞いていますが?」
「公爵本人は帝国の元老でありながら公正無私な人物で、個人としてなら尊敬に値する人物だと思っている」
「ならどうしてなんでしょうか?」
「エザリントン公は帝国のことを第一に考えるという点で公正無私なんだ。今の状況、すなわち皇太子殿下とレオポルド殿下の後継者争いを終わらせたいと思っている。それも二人以外の第三の候補が至高の座につくという前提で」
「第三の候補……ジュリアス皇子でしたね。ですが、エザリントン公の次女との結婚の話があるとかで、積極的に推していないと聞きましたが?」
「その辺りは怪しいんだ。あの宰相がそんな分かりやすい情報を流すのかという点でね。シャロンもそう思うだろ」
シャロンに話を振る。
「はい。エザリントン公爵様は深謀遠慮の人です。そして、非情の人でもあるのです。お話に出た次女のプリムローズ様は政治とは無縁のよい方なのですが、公爵様は帝国のためなら家族を犠牲にすることも厭いません。それどころかご自分自身ですら使い捨てることを顧みない方です」
「それほど……」とレイは絶句している。
「では、どうすればよいのだろうか。我々の中ではレイが最も頭が切れるが、それほどの人物の相手をしたことがない。ザカライアス卿とシャロン殿は若き頃よりエザリントン公と渡り合ってきたと聞いている。知恵を貸していただけないだろうか」
アシュレイがそう言って頭を下げてきた。その横ではステラも同じように深々と頭を下げている。
「もちろんそのつもりです。ただ、レイ君には帝国宰相がどれほど危険な存在か知っておいてほしかったんですよ」
「それは僕がルークス聖王国の指導的な立場になるからですか」
「そうだ。ルークスの指導者になるということは帝国の敵になるということだ。国力で言えば五倍以上もある国を敵に回すんだ。そのことを理解しておいた方がいい」
「楽観していいとは思わぬが、いかに帝国が強大とはいえ、人馬族や獣人部隊を持つレイに容易に勝てるとは思えぬが」
アシュレイが疑問を口にした。
「確かに戦力的には草原の民を掌握したレイ君の方が優位でしょう。獣人部隊を上手く使えば情報戦でも優位に立てる可能性も高い。レイ君にはそれができるだけの知識も能力もある。それでも帝国を侮ることはできない。エザリントン公が本気で謀略を仕掛けてきたら防ぐことは難しいですから」
「具体的にどのような謀略が考えられるのでしょうか」とステラが聞いてきた。
「俺ならアウレラやペリプルスを使って経済戦争を仕掛けますね」
「経済戦争ですか? ルークスは戦争さえしなければ食料自給率が高い豊かな国だと聞いていますが」
レイがそう言ってきた。
「君の認識は間違っていない。だが、ルークスは国家としての体制が未成熟だ。聖王府という行政組織と光神教団という二重構造になっている弊害なんだが、責任の所在が不明確になっている。俺なら潤沢な資金と脅しによってアウレラやペリプルスの商人たちにルークスの食料を高値で買い上げさせる。本来なら最低限必要な備蓄は残すのだろうが、その管理が行われていない。つまり、聖王府と教団が互いに相手がその管理をやっていると思わせれば、限界を超えて食料を買い集められる」
「そうなると餓死者が出ると……ルークス全土でそれが可能なのでしょうか」
「不可能だろうな。だが、税として集められる食料の集積地は分かっているんだ。そこの食料を大量に買ってしまえば、その地方の備蓄はすぐに枯渇するだろう。それに食料の輸送に船が使えなければ、数十万人を食わせるだけの食料を運ぶことは不可能だ。帝国がアウレラとペリプルスを抑えてしまえばそれが可能になる」
「ですが、一年のことでしょう。いくら聖王府と教団がいがみ合っているからといって、毎年そんな手が使えるわけではないんですから」
「確かにそうだが、食料が不足した時点で噂を流す。聖王府や教団が着服したのだとね。そうなれば聖王府と教団が更にいがみ合うだろうし、民衆が暴動を起こすことも充分に考えられる」
「暴動はないと思います。ルークスの農民は従順な人ばかりでしたから。自分たちが死ぬかもしれない戦争に渋々でしたけど不平も言わないで参加していたくらいですから」
「以前ならそうだろう。だが、今は違う。その理由は君という救世主が現れたからだ」
「僕がですか?」と驚く。
「そうだ。君が言うように、ルークスの民衆は今まで聖王府にも教団にも逆らわない従順な人々だった。しかし、君が総大司教らを倒したら、民衆たちは自分たちを苦しめていた悪人を倒してくれた救世主だと思うはずだ」
「確かにそうですが……」
「そこに聖王府や教団が再び自分たちを苦しめ始めたとなれば、間違いなく君に期待する。しかし、実際には帝国がやっていることで、聖王府も教団も関係がない。そうなれば君は動くに動けない」
「こちらから正しい情報を流せばいいのではありませんか?」
「それをやっても無駄だ」
「なぜなのでしょうか? 救世主と呼ばれる人から言われたら信じそうですが」
「確かに一瞬は信じるかもしれない。だが、何度も同じうわさを流し続けられれば、どうだろうか。人は自分が信じたい情報を信じるんだ。民衆たちは今まで自分たちを苦しめてきた聖王府や教団がやったと思いたいんだ。そして、君に期待する……」
ここまで話したところで彼にも俺が言いたいことが分かったようだ。しかし、何も言わずに話を聞いている。
「……しかし、君は無実の人たちを罰することができない。そうなると君に対する熱狂的な支持は一気に消える。逆に裏切られたと思い、君が悪人と同じだったと思うようになる。そうなれば、あとは内戦というか、暴動と鎮圧を繰り返すことになるだろう……」
「……そうかもしれません」とレイはいい、
「それで宰相は何を得るのですか」と聞いてきた。
「俺ならこの状況で帝国軍を侵攻させる。ルークスを奪還する最大のチャンスだと言って。それも皇太子殿下率いる第二軍団とレオポルド殿下率いる第三軍団の両方を派遣し、先にルークスを屈服させた方が次の皇帝の座を得られると言ってね」
「そこで草原の民に皇太子とレオポルド皇子の両方を始末させると……恐ろしいことを考えますね……」
レイはそう言って俺を見つめる。
今までのような無警戒な表情から、理解しがたいものを見るような怯えを含んだものに変わっていた。
本日、コミック第二話が公開される予定だそうです。
明日も更新します。




