番外編第二話:「トリア暦三〇二七年五月:ルナの相談」
コミカライズ記念第二弾です。
トリア暦三〇二七年五月二十六日。
ルナたちが村に帰ってきた翌日。今日は朝から訓練場が賑やかだ。
ロックハート家や家臣たちが見守る中、セオとセラが祖父ゴーヴァンと模擬戦をやっているのだ。
祖父は竜牙兵との死闘でレベル九十の大台に乗り、七十歳を超えたのに衰えは一切見えない。
セオとセラの二人も“剣聖”のギデオン・ダイアーの厳しい指導と、ソキウスでの実戦経験などによって、ともにレベル五十八にまで腕を上げていた。
レベル六十九の俺が見ても、二十歳前とは思えないほどの冴えを見せている。
模擬戦は二対一で行われているが、双子の兄妹はボロボロになっている。
「今少し戦えるかと思ったが、まだまだじゃな」
そう言っているが、祖父の息も荒く、言葉ほど余裕はなさそうだ。
「まだまだやれます!」と吹き飛ばされて倒れていたセオが立ち上がり、腕の骨を折りリディに治療を受けていたセラも「私もまだ大丈夫!」といって木剣を手に取る。
その後、更に十分ほど模擬戦を続け、二人が気絶したところで終了した。
「危うく一本取られるところじゃったわい」
祖父がそう言うほど、二人の腕は上がっていた。
訓練場の横ではルナが弓術士たちと一緒に矢を放っていた。以前と同じ弓道の美しい所作のままだが、矢の速度、正確さは段違いだった。
「ずいぶん腕を上げたようだな」
「セラちゃんたちには敵いませんけど、私も頑張らないと思って……」
「今のレベルはどのくらいなんだ?」
「魔道弓術士レベル三十七です」
「魔道弓術士か……で、魔法の方はどうなんだ?」
「闇属性が四十四まで上がっています。水属性が四十二で、他はもう少し低い感じですね。闇属性は闇の神の加護で上がりやすいのは分かるんですけど、水属性は解毒の魔法のお陰だと思います。ライアンやレイに結構かけていましたから」
そう言ってペロッと舌を出す。
俺から離れてから魔法が使えるようになったらしいが、その短期間で宮廷魔術師並みのレベルにまで上がっている。神の加護があったにせよ、相当な努力をしたに違いない。
朝の訓練が終わり、朝食を摂った後、ルナが俺たちの住む離れにやってきた。彼女の後ろにはライアンとイオネ、更にはセオの姿もあった。
天気もいいのでリビングではなく、テラスに案内する。そこにはリディたちが既に待っていた。
「セラはおじい様に稽古をつけてもらうと言っていたがいいのか?」
「そっちも気になるんですけど、ルナの話の方が大事だと思って……」
セオはルナと一緒にカウム王国の王都アルスに行くつもりでいる。理由はカトリーナ王妃のような大物政治家をきちんと見ておきたいからだそうだ。
「……今までは“カティさん”としか見ていなかったですから。ザック兄様が警戒するくらいの政治家といえば、帝国のエザリントン公と魔術師ギルドのワーグマン氏の他にはカトリーナ王妃くらいしかいません。その一人と交渉の場でやりあえるなら、いい経験になるかなと思って」
この先、北部総督府があるウェルバーンに行き、ラズウェル辺境伯家の嫡孫フランシスの護衛兼相談役になるつもりでいるから少しでも経験を積んでおきたいらしい。
セオとの話を終え、本題に入る。
「相談したいことはソキウスという国をカウム王国というか、カトリーナ王妃に認めさせるにはどうしたらいいかということでいいか?」
「はい。私ではどうしていいのか分からなくて……ザックさんとシャロンさんならと思って……」
「分かった。ちなみに俺たちがアルスに行くという方法もあるが」
俺やシャロンが行けば、王妃相手でも有利に話を進めることはできる。鍛冶師ギルドに対する影響力もあるが、酒造りに協力しないと脅せば、カウム王国は俺の主張を認めざるを得ない。もちろん、そんなことをするつもりはないが。
「これは私がやらないといけないことだと思っています。ですので、交渉に出ていただくことは考えていません」
「本当にそれでいいのか? ソキウスの人たちのことを考えたら、メンツやプライドに拘るのはよくないことだと思うが」
「私に守るべきプライドなんてありません」と笑うが、すぐに真剣な表情に戻し、
「ここでザックさんに丸投げしたら、これからずっと甘えそうな気がするんです。それにソキウスの方たちは私に未来を託してくれました。それに応えるのは私の義務です。まずは全力で取り組んで、どうしても駄目だった場合はお二人の力を借りるかもしれません」
きちんと考えていることに安堵する。
「それならいい」と頷き、
「相談に乗る前にお前がソキウスという国をどうしたいかを聞く必要がある。そこから教えてくれ」
ルナは聞かれることを想定していたのか、コクリと頷くと、俺の目をしっかりと見て話し始めた。
「まず国家としてのソキウスをカウム王国に認めさせることが重要だと思っています。国として認められなければ、条約や協定を結ぶことなどできませんから」
「確かにそうだな。しかし、国家と言ってもいろいろある。この大陸だけでも専制国家、民主国家、宗教国家があるんだ。ソキウスが目指すのはどんな国なんだ?」
「最終的には民主国家です。ですが、今の状況では不可能なことは分かっていますし、カティさんと交渉するなら、私が国家元首と認められる政治形態でないと駄目だと思っています。ですので、今は闇の神の現身である“月の御子”を頂点とした宗教国家という体裁で交渉に挑もうと考えています」
ルナの言葉に驚きを隠せない。俺の印象ではこれほどはっきりと主張するイメージはないし、これほど明確に考えがまとめられているとは思わなかった。
「しっかり考えているじゃないか。見直したぞ」
俺がそういうとはにかみながら小さく首を横に振る。
「ここに来る道中、ずっとレイと話し合ってきたんです。彼は私よりずっと物知りですから、ほとんど彼の受け売りなんです」
「レイ・アークライトか……そう言えば俺たちと同じ日本人らしいな」
神々からの情報からアークライトが日本人であることは分かっている。
「私の同級生だったんです。日本にいる時の名前は聖礼。彼は高校を卒業して大学に入る前にこの世界に来たと言っていました」
「ということは十八歳か……思った以上に若いんだな」
アークライトに対するイメージは柔軟な発想と豊かな知識に基づいた知恵者だ。確かに経験不足で危うい感じもあったようだが、それ以上に知識に裏付けられた洞察力の凄さを感じていた。
それがルナと同級生、つまり高校生だったということが驚きだ。
「そうですね。レイは私と違って読書好きの優等生でしたから」
そう言って笑う。
この話をしても誰も驚いていない。リディたちは俺が話しているから当然だが、ライアンとイオネにはルナが話しているらしい。
また、セオだが、彼には昨夜、俺の秘密について話した。ロックハート家の一員として知っておくべきだと思ったためだ。
話を聞いた時には驚いていたが、すぐに「何かあるとは思っていましたよ」と納得していた。
「話を戻すが、お前はソキウスの代表、月の御子としてカトリーナ王妃に会うということでいいんだな」
「はい」
「とりあえずの目的が国家として認めさせることだと理解した。では、最終的に交渉で得たいものは具体的になんだ? 交渉で得られる利益が不明確だと、相手はあのカティ・ソークなんだ。コテンパンにやられるぞ」
「それも決めてあります。交渉で得たいものはカウム王国との恒久的な和平です。現状はあくまで休戦状態ですから、その状態を解消する必要があると考えています。平和条約まで結べれば最高ですが、正式な停戦協定を結ぶだけでもよいと考えています」
そこでシャロンが会話に加わってきた。
「今の状態が休戦状態だと認識しているのはルナさんたちだけですよ。カウム王国を始め、西側の国々はソキウスというか、魔族を国家として認めていないのですから。彼らにとっては魔物の襲撃を防いでいる程度の認識だと考えた方がいいと思います」
「ですが、魔族は西側の国々にとって最大の敵対勢力だという認識だったはずです。その勢力が和平交渉を持ちかけたら、停戦協定くらいは結べるのではないですか」
シャロンに代わり俺が反論する。
「それは違う。西側の国家にとって永遠の闇から襲い掛かってくるのは、鬼人族と彼らが使役する魔物であって、ソキウスという国じゃないんだ。実際、ソキウスの戦士たちは捕らえられても、自ら死を選ぶから交渉の余地があるとは全く思われていない」
鬼人族は捕虜になっても一切情報を口にしないことで有名だ。拷問を加えても口を割りそうになったところで発狂するため、情報が全く入らず、国家というより秘密結社的な扱いを受けている。
「確かにそうですね」とルナも納得するが、
「ですが、今は違います。それにカティさんには私が月の御子であり、ソキウスという国があることも話していますから、少なくともカウム王国は認識しているはずです」
「それも違う」
「どういうことですか?」
「理解できないかもしれないが、カティさんとカトリーナ王妃は同一人物であっても別人だと思っておいた方がいい。あの人は王妃としての立場の時には王国の利益を最優先する。王妃として公式に聞いてもらったのなら話は別だが、そうじゃないんだろ。だとすれば、今までの公式見解を変えることはありえないぞ」
俺の言葉にルナは愕然とする。
「ですが……」と言いかけるが、言葉が続かない。
再びシャロンが口を開く。
「政治家を相手にする時は本音と建前が何なのか、きちんと理解する必要があります。自分が有利になるように立ち回るためなら、本音とは違うことを平気で言ってきますから」
「本音と建前……私もそうしないといけないのでしょうか。だとしたら、私には無理です……」
「その必要はありませんよ。ただ老獪な政治家は言質を取られないように煙に巻くのが常套手段であることをきちんと理解しておくことが大事なのです」
ルナは小さく頷くが、どうしたらいいのか思い悩んでいるようだ。
「セオ、お前ならどうする?」
ルナが悩み始めたので、セオに話を振る。
「僕ですか!」
「そうだ。カトリーナ王妃との交渉の場にいるつもりなんだろ。なら、お前も当事者の一人だ」
「そうですね……」と言って少し考えた後、
「僕なら鍛冶師ギルドを動かします」
「ドワーフを政治に巻き込むのか?」
「いいえ。ザック兄様がやりそうなことを提案するんですよ」
「どういうことなの、セオ君?」とルナが聞く。
「ソキウスには半年くらいしかいなかったけど、結構豊かな国だよね」
「ええ、魔物は多いけど、土地は広いし本来なら西側に攻め込む必要なんてない国よ。それに絶望の荒野もヴァニタスの影響がなくなったから、これから開発もできるでしょうし……それが何か関係あるのかしら?」
セオが言いたいことが何となく分かった。シャロンも同じようで静かに微笑んでいる。
「穀物のお酒が結構あったよね。あれを蒸留に回したらどうなると思う?」
そこでルナにもセオの言いたいことが分かったようだ。
「ドワーフの皆さんのためにお酒を造りたい。そのために国交を開く必要があると訴えるのね。その前に総本部でそのことをウルリッヒさんたちに提案すれば、“カティさん”に伝わるわ。それから“カトリーナ王妃”と蒸留酒の取引の話を進めれば、カウム王国としては“ノー”とは言えない。そういうことね」
セオは大きく頷く。
「カティさんはソキウスの状況を知らない。そこに付け込むしかないと思うんだ。膨大な量の蒸留酒を作れる可能性があるなら、今の供給不足を解消することができる。それにソキウスと直接つながっているのはカウム王国だけだ。つまり、独占的に輸入することも不可能じゃない。そう思ってくれたら王国にも利益があるからと譲歩してくれる可能性があると思うんだ」
セオは思った以上に考えていた。相手に利益があると思わせつつ、こちらの情報を制限することで、どのくらい譲歩したらいいのか悩ませる作戦だ。
それ以上に狙いがいいのはカトリーナ王妃に対して“酒”を交渉の道具にする点だ。さっきはカトリーナ王妃とカティさんは別人だと考えた方がいいと言ったが、実際には同一人物だ。カティとして鍛冶師ギルドに出入りする際に、酒の話で揉めたことが知られれば、ギルドでの居心地が悪くなる。
「それはいいアイデアかもしれないわ。実際、蒸留所の話はウルリッヒさんにするつもりでいたし……」
そこでルナは俺に視線を向けた。
「ザックさんはソキウスを見たいと思いませんか?」
そう言ってニコリと笑う。
俺が興味を持っていることを交渉のネタにするつもりなのだろう。
「もちろんあるさ。鬼人族も気になるが、それ以上に妖魔族がどんな種族なのか、召喚の魔法がどのようなものか、興味は尽きない。それに鬼人族が作っている穀物の酒というのも気になるしな」
「そのお酒の味を見てみますか?」
「あるのか!」
「あります。ザックさんへのお土産のつもりで持ってきたので、相談の後に渡そうと思っていました」
そう言いながら収納魔法から素朴な陶器の壺を取り出した。
すぐにメルがグラスを用意する。
ルナが木でできた栓を外すと、甘酒のようなほのかに甘い香りが漂ってきた。グラスに注ぐと白濁しており、濁り酒というよりどぶろくと言った方がいいほどとろみがあった。
更にインベントリから二十センチほど麻袋を取り出した。
「原料はこのお米です」と言って、袋を開けて見せる。
短粒のジャポニカ種ではなく長粒のインディカ種に近い。
「お米も食べることはあるそうですが、ほとんどお酒にしているそうです」
ルナの話を聞きながら、グラスを手に取る。
香りは酸味が強いどぶろくで、洗練された日本酒の雰囲気は全くない。口を付けると甘みと酸味を感じるが、度数的にはビールより少し強い程度で発酵しきっていない感じを受ける。
「どぶろくだな」と俺が言うと、ルナも「やっぱりそうなんですね」と頷いていた。
「本や映画に出てくるどぶろくに近い感じかなと思ったのですが、日本にいる時には興味もなかったので、本当にそうなのか自信がなかったんです」
「大してうまい酒じゃないが、こいつを蒸留すれば米焼酎が作れる。俺は焼酎が苦手だったから美味い酒になるかは微妙だが、少なくとも西側では作られていない独特な酒になることは間違いない」
「今の話をカティさんにしてもいいですか? いい交渉ネタになると思うのですが」
「構わない。ただウルリッヒたちに話す時には注意しろよ。新しい酒ができるとなれば、暴走する可能性も無きにしも非ずだからな」
「確かにそうですね。ウフフ……でも、これで少なくとも交渉のテーブルには着いてもらえる気がしてきました。あとは粘り強く交渉するしかないと思います」
「それにしてもセオもなかなか考えるようになったな」
「ザック兄様から教えていただいた、相手をどう誘導するかってことを考えただけですよ」
「そんなことを教えたか?」
「はい。剣の稽古をつけてもらう時に、“相手の動きを自分の都合に合わせさせれば、格上相手でも一本取れる可能性がある”って。それの応用です」
確かにそんなことを言った気はするが、それを応用できるだけの柔軟な頭脳に感心する。
「相談に乗ってもらってありがとうございました。そろそろレイたちが来る頃ですね。私は出迎えの準備に行きます」
そう言ってルナは立ち上がった。
次の話でついに両作品の主人公が出会います。




