第五十四話「敵の気配」
三月二十四日。
ドクトゥスから村に帰り、一ヶ月が過ぎた。
結局、ドクトゥス滞在は一ヶ月にも及び、村に戻ったのは二月の二十日過ぎだった。滞在が延びた理由はリオネル・ラスペード教授とキトリー・エルバイン教授の研究の手伝いに予想より時間が掛かったためだが、妹のソフィアが帰りたがらなかったことも理由の一つだ。
ラスペード先生の研究である魔法陣の解析についてだが、アークライトの魔法陣については分かったことがある。
左手の魔法陣については、杖などに魔法陣を描き込むことで手に直接描かなくても使えることが分かった。これは光神教で使われている可能性があったため、その検証でもあったのだが、思った以上の効果に驚いている。
まず、魔法陣を描いた魔術師の杖を三十本作った。これには四級相当の魔物の魔晶石を嵌め込んでおり、通常の魔術師の杖としても使えるものだ。
この杖を学院の一年生と五年生を使って実験を行った。
三十人の生徒から俺に対して魔力を送ってもらい、魔術師レベルの差によってどの程度の威力の差が出るかを確認した。
使う魔法は“土の壁”の魔法だ。これは壁の大きさを決めておけば、時間を測ることで効率が容易に計算できるためだ。
その結果だが、レベル五程度の一年生では十倍、レベル十五程度の五年生では何と三十倍になった。以前、村で実験した時は四倍だから、魔法の才能の有無でこれだけの効率差があることに驚いた。
ちなみにこの実験について生徒たちには目的を話していない。
ラスペード先生からは「ロックハート君が模範の魔法を示すからよく見ておくように。彼に魔力を送るイメージを使うと理解しやすくなる」と説明しており、先生と俺という組み合わせに誰一人疑う者はいなかった。
そのお陰もあり、生徒たちは数秒で幅二メートル、高さ三メートルの土の壁ができたことに「さすがはロックハート先輩だ」と無邪気に驚くだけで実験を行っていたことすら気づいていない。
ラスペード先生は平静を装っていたが、その顔には余裕がなく、俺が「以前よりレベルが上がっていますから」とフォローすることで何とか落ち着きを取り戻した。
「うむ。さすがは千年に一人の天才だ。今のイメージを忘れないように」
その言葉で生徒たちは慌ててメモをとり、異常さに気づくことはなかった。
実験を終えた後、先生にこの事実を公表しないことをお願いし、了承を得ている。
「光神教が光属性魔法の使い手を探す理由が分かった気がします。今は聖堂などの固定施設でしか使っていないようですが、もしこの事実を知られると戦争の様相が一変します」
「確かにこれは公表できん。まあ、いずれ研究は進めるつもりだが、今は別のテーマに集中した方がよいだろう」
俺が作った杖だが、すべて回収し、収納魔法に放り込んである。万が一、この杖が流出し、用途を突き止められると大変なことになるからだ。
但し、この杖は更に三十本ほど作成している。もし以前のような強力な敵が現れた時に使えるからだ。
ちなみにこれに使った魔晶石だが、ソフィアたちが狩った魔物の物だ。もちろん、冒険者ギルドに納品した後に正規のルートで買い取っている。
ニコラスの義手だが、調整を繰り返すことでほぼ完璧なものになっている。さすがに盾は持てないが、戦闘以外の用途なら生身の腕と同じ程度の機能を持つ。
また、廉価版のミスリルコーティングの義手も作ってみた。ガントレット部分を作ってくれたのはドクトゥスのドワーフの鍛冶師ゼルギウスだ。
こちらの方もミスリルの物と同等の能力を持ち、ラスペード先生は「これを使って他の者で試してみる」とご機嫌だった。
ここドクトゥスにも腕を失った元冒険者が何人かいる。その大半が情報屋サイ・ファーマンの配下として情報収集の仕事をしており、彼らを使って実験を行うつもりなのだろう。
この他にもゴーレムの魔法陣の研究も手伝った。こちらの方は魔法陣の解析を手伝った程度だが、その過程で面白いことに気づいた。
それはアンデッドであるスケルトンが動ける理由だ。
スケルトンはその名の通り、骨だけの存在だ。つまり筋肉という動力源を持っていない。
そのスケルトンがなぜあれほど動けるのか不思議だった。ファンタジーな世界だからということで無理やり納得していたが、ゴーレムの研究をすることでおぼろげながら動く原理が分かったのだ。
ゴーレムの魔法陣には土、火、風、闇の四つ属性が描かれている。
土属性は重力軽減、火属性は動力、闇属性は行動目的の指示というところまでは分かったが、風属性の役割が最初はよく分からなかった。
その風属性の魔法陣だが、何度も見ているうちにアークライトの鎧に描かれていたものに近いことに気づいた。
風属性の役割だが、関節部分を“空間”で接続し、その空間がロボットアームのサーボモーターのような機能を持っていることが分かったのだ。
アークライトの鎧を見たわけではないが、重量軽減だけでなく、パワーアシスト機能も持っている可能性があるということだ。
また、槍にも描いてあったので、もしかしたら変形するなどの仕掛けが隠されているのかもしれない。
この成果に危惧を抱いた。
この調子で研究を進めると、古代文明と同じ道、つまり魔道工学と呼ばれる技術が発達し、今の文明を破壊する恐れがあると気づいたのだ。
そのため、この研究には深入りせず、ラスペード先生にも俺が見つけた事実は伏せている。先生だけでなく、シャロンにも言葉を濁してしか伝えておらず、このことは墓場まで持っていくつもりだ。
今のところ、俺が口を出さなければ、サーボモーター的な動きに気づくことはなく、もし気づいたとしても関節の動きを滑らかにする程度という認識にしかならないだろう。
この発見だが、別の使い道も思いついている。ただ、実験は行えないため、使う機会がなければお蔵入りするはずだ。
キトリーさんの研究に関してだが、ジルソール島で得られた知見をまとめた論文を見せてもらい、創造神と虚無神の関係や他の十一柱の神々の役割などを知ることができた。
特にヴァニタスという存在について知ることができたことは大きな成果だ。
ヴァニタスは終焉をもたらす神と言われ、世界を崩壊に導く恐ろしい神だが、その行動原理がよく分からなかった。
今回分かったことはヴァニタスが破壊する世界は、文明がある一定のレベルに達した場合だけだということだ。
現状の世界はそれほど文明レベルが発達しているようには見えないが、古代文明時代に完全な崩壊に至らなかったことからヴァニタスは活動を続けているらしい。
これについては十一柱の神々から聞いた話なので信憑性は高いものの、恣意的な情報が入っている可能性は否定できない。
「その点は私も同じ考えよ。神々は自分たちに不利になる情報を教えてくれなかったことは確信しているわ。その上でヴァニタスという存在について、一般の人々にどう警告したらいいのかと考えているの」
キトリーさんはクレアトール神殿で知った事実を公表しようと考えていた。これは世界の崩壊を防ぐために必要だと思っているからだ。
「やはり公表は控えた方がいいと思います」
俺の言葉に心外そうな表情を浮かべ、
「どうしてかしら? 世界の崩壊を防ぐことはすべての人にとって必要なことだと思うのだけど」
「相手は何と言っても神なのですから、下手に公表してそれを逆手に取ってくる可能性は否定できません。例えば、ヴァニタスという危険な存在がいると人々が認識したとして、光神教のように危険なのは闇の神であるという感じで悪用されると、我々には否定するすべがありません。それならば、今まで通りヴァニタスは終焉をもたらす神だが、よく分からない存在だとしておいた方がいいような気がします」
俺の説明に必ずしも納得した様子ではなかったが、
「光神教の話を出されたら安易に公表できないわね」と渋々ながらも了承してくれた。
妹のソフィアだが、一ヶ月間でレベルを二つ上げ、レベル四十六になった。十七歳でこのレベルということで、ドクトゥスの冒険者ギルドでは「さすがはロックハートだ」と半ば感心され、半ば呆れられている。
ソフィア自身はドクトゥスに残りたがったが、一度村に戻ってから父たちにきちんと説明するよう命じたため、渋々ながら村に戻っている。
村に戻ってから父と祖父にドクトゥスに行きたいと頼んでいるが、二人とも首を縦に振っていない。
理由はソフィアが無茶をする可能性が高いためだ。もう一人の妹であるセラフィーヌにはセオフィラスらブレーキ役がいるが、ソフィアにはそういった存在がいない。そのため、保護者がいない状況では認められないということだった。
他にも二人の従士ジェリー・エヴァットとラリー・グリーヴはそれぞれレベルを二つずつ上げている。実戦経験という点ではドクトゥスは効率の良い場所であると改めて認識した。
ちなみにリディ、ベアトリス、メルはソフィアに付き合い続けたが、三人ともレベルアップはしていない。これはソフィアのフォローに回っていたためだ。
今後、村の子供たちの留学が多くなったら、保護者を兼ねた従士を派遣し、実戦経験を積ませてもよいのではないかと父に提案している。
ここ一ヶ月の出来事だが、毎年贈られるシーウェルワインが三月上旬に到着している。
今回はシーウェル侯爵領の文官だけで、いつもやってくるイグネイシャス・ラドフォード子爵は同行していない。十月の末に村に来ているため、今回は見送ったそうだ。
ワインの出来は今年もよかったらしく、ほぼすべてのワインをボトルに詰めた。
そのシーウェルワインだが、毎年二千から三千本ほどボトルに詰めているため、今では一万本近いボトルが城の地下室で熟成されている。
保管スペースが限界に近づいており、侯爵家には送らなくてもいいと言っているのだが、侯爵自身が「けじめだからな」と言って聞かない。
ラドフォード子爵にも同じことを言ったが、彼からは侯爵の思惑を教えられた。
「ザカライアス殿に預ければ長期熟成後の味を確認できるからな。シーウェルワインの品質向上のために、ぜひとも受け取ってほしい」
収納魔法を使った時間加速により、五年後、十年後の熟成度合いをすぐに確認できる。長期熟成用のワイン造りの参考にするため俺に送っている意味合いがあるというのだ。
俺自身ワインの出来が気になるので、更に断りづらくなった。
いずれにせよ、最高級のワインを無償でもらえることはうれしいので、新たな貯蔵庫をどこに作ろうかと考えているところだ。
酒関連では春にドワーフ・フェスティバルを開きたいと鍛冶師ギルドから申し出があったが、今回は断っている。
理由だが、前回のフェスティバルは計画を大きく超える規模になったことから参加できなかったドワーフの数が少ないことがあげられる。
また、遠方の支部は移動だけで一ヶ月半ほど必要であり、前回から五ヶ月ほどしか空いておらず、ほとんど仕事をしないことになる。鍛冶師の仕事をサポートするギルドのイベントとしては本末転倒だろう。
他にも前回俺の計画を無視したことに対する懲罰的な意味も匂わせている。
あの時もきちんとお灸を据えたつもりだが、酒に関する限りドワーフは侮れない。計画を無視するようなことがあれば開催しないと認識させようと思ったのだ。
そのこともあり、ウルリッヒらも渋々だが春の開催を諦めた。
寒さが厳しい村にも春の息吹が感じられるようになり、平和を享受している。
ルナたちの情報は神々を含め、どこからも入っていない。世界が変わった感じがしないことからヴァニタスとの決戦はまだ行われていないようだ。
そんな日々を過ごしていたが、ここ二日ほどアクィラの山の様子がおかしい。
森の偵察に行ったダンから聞いたのだが、山を含め、極端に魔物を見る数が減っているらしい。
「弱い魔物が逃げていくなら前にもあったのですが、今回は身を潜めているというか、ほとんど活動していないようなんです。偶然見つけた剣牙虎ですら、木の陰に隠れて周囲を窺っている感じだったんです。まるで逃げても無駄と思っているみたいで……」
アンデッドの王ヴラド・ヴァロノスの軍勢が襲ってきた時はゴブリンや槍鹿などの弱い魔物が西に向かって逃げ、飛竜や有翼獅子が威嚇するように空を旋回していたことがある。
また、オークの群れが村の東を通過した時も弱い魔物が逃げ出す現象が起きていた。
しかし、今回のように比較的強い魔物が周囲を窺うような現象は初めてだ。ダンが言うように本能的に逃げても無駄と思っているのなら原因は一つしかない。
それは虚無神が本格的に動き始めたということだ。
これに関し、ロックハート家では緊急の会議が開かれている。参加者はロックハート家と俺の秘密を知る古くからの家臣たちだ。
ダンが偵察の結果を報告すると、父が重々しい口調で話し始めた。
「魔物の動きがおかしいということはアクィラで何か大きなことが起こっているのだろう。それが何かは分からないが、少なくともアンデッドの群れと同程度の危険は覚悟しておかねばならん。その上で我々が採り得る策について話し合いたい」
そこで俺の方に視線を送ってきた。それに小さく頷いて応え、
「ルナたちがヴァニタスと決着を付けるべく東に向かったのは昨年の十二月頃。今まで何の兆候もなかったということは、恐らく冬の間に準備を整え、寒さが緩んだこの時期に何らかの行動を起こしたのではないかと考えます」
「ルナたちが行動を起こし、ヴァニタス本人が動き出したということか?」
兄ロドリックが質問する。
「確証はありませんが、その可能性は高いと思います。もし違ったとしても、その前提のもとに対策を立てておけば、対応で後れを取ることはないかと」
「確かにそうじゃな」と祖父が頷き、「先を続けてくれ」と父が促す。
「敵の戦力は全くの未知数です。八年半前のアンデッドとの戦い、二年前のリッカデールの奥地での戦いを考えれば、一級相当の強力な魔物に、二級から三級の魔物が十体程度ついてくるというのが最低ラインでしょう」
俺の言葉に誰かがごくりと息を飲み込む。ロックハート家といえどもそれだけの戦力と戦えば無傷ではいられないからだ。
「それ以上の敵、例えばヴァニタス自体が襲撃してくることは考えなくともよいのか」
父がそう疑問を口にする。父はヴァニタスを直接見ていないため、戦えない相手ではないと考えているようだ。
「ヴァニタスが出てきた場合は我々の敗北は確定です。今すぐ村を放棄し、西に逃げ出すならともかく、あれだけの索敵能力と戦闘力なのです。例え地下に隠れたとしても見つけ出されて殺されるだけでしょう」
「ザックの言う通りじゃ。あれは人が戦える相手ではない。今は現実的な敵と戦うという前提で検討すべきじゃ」
祖父の言葉で父も「確かに。話の腰を折って済まん」といって俺に話を続けるよう指示する。
「懸念があるとすれば、森にいる魔物が逃げ出していないことです。アンデッドの群れのように行軍速度が遅いのなら逃げることを考えるはずですが、諦めたように動かないということは自分たちが逃げられないほどの速度、つまり空を飛んでくる可能性があるのではないかと考えます」
「空を飛ぶ一級相当……魔将か、竜と言ったところですか……」
バイロン・シードルフが独り言のように呟く。
「その可能性が高いということだ。突然、転送の魔法陣から現れるという可能性も否定できない」
「どちらも厄介ですね。準備する時間がほとんどないですから」
弓術士を率いるヘクター・マーロンが発言する。弓術士を有利な防空塔に配置する時間がないことを懸念しているようだ。
「確定したわけじゃないが、そういう想定をしておくべきだろう」と答えた後、再び全員に向かって話していく。
「前置きが長くなりましたが、見張りからの報告後、直ちに動ける状態にしておくべきです。農作業で忙しい時期ですが、自警団の半数は城に詰めておくようにするべきでしょう」
「村人たちはどうするのだ? 城に逃げ込むにしても警報が出てから二時間はかかる。それでは到底間に合わぬのではないか」
父が疑問を口にする。
「空からの襲撃の場合は下水道を通って城に逃げ込みます。老人や子供が難しいなら、各丘の地下貯蔵庫に入ることも検討しておくべきでしょう」
下水道は館ヶ丘にも繋がっている。人口が増えることを想定し、大きめのトンネルにしていることから人が通ることは充分に可能だ。もちろん、館ヶ丘に繋がる部分には侵入防止のための鋼鉄製の柵が三重に取り付けてあり、普段通ることはできない。
このアイデアだが、下水道に下りるにはマンホールを使う必要があり、老人や小さな子供が素早く入ることは難しい。そのため、ビールやワインを保管する各丘の地下貯蔵庫に緊急避難することも方法の一つだと思っている。
「済まんが、シャロンと共に避難計画を考えてくれ。ただ、今の段階で村人にこのことを告げるべきか……」
父の懸念は分からないでもない。まだ兆候があるといっても敵の姿を見たわけでもなく、ルナたちの行動から何か起きるのではないかと想定しているに過ぎないためだ。
「村人と自警団にはアクィラの山で何かが起きていると正直に伝えるべきじゃ。その上で警戒を強め、即座に行動できるように準備を怠らぬことが大事じゃと伝えればよい。この村の者ならそれで分かってくれるはずじゃ」
祖父の言葉で父も「そうですな。我が領民たちなら不満に思うことはないでしょう」と納得した。
その日の午後、父と兄が各地区を回り、アクィラで異変が起きている可能性が高いため、即座に行動できるよう準備することを説明していった。
八年前のことを覚えているものも多く、主婦たちは恐怖に頬を引きつらせながらもそれに頷いていた。
本編側との時間差が少なくなってきました。ここから一気にエンディングに向かいます。




