第五十二話「キトリーからの情報」
一月十三日。
館ヶ丘を出発した俺たちは何事もなく学術都市ドクトゥスに到着した。
これほど順調に移動できたのは天候に恵まれたことに加え、馬と馬車の能力が高いことが大きい。
俺たち五人とソフィア、ニコラス、二人の従士はカエルム馬で移動する。二人の文官だが、馬に乗ることもできるが今回は帰りに荷物を運ぶということで、ロックハート家の馬車を使っている。
この馬車は俺が改造したもので、一般品より性能がいいし、荷物をほとんど積んでいないため、普通の商隊の倍近い速度で進むことができた。
ちなみに俺の乗る馬は草原で譲ってもらった黒馬、“黒風”号だ。
以前の愛馬“黒曜”もまだ元気に生きているのだが、十五歳を超えているため、ほとんど乗ることはなくなっていた。
種牡馬として村の草原でのんびりと過ごしていたが、黒風と一緒に村に帰った時には随分とすねられた。
そのため、村では二頭の馬を交互に乗るようにしていたが、今回は比較的長い旅ということで黒風を選んでいる。
大型の軍馬であるカエルム馬が九頭とロックハート家の紋章が入った馬車の組み合わせは非常に目立ち、すれ違う商人たちからはずいぶん驚かれた。
それだけならいいのだが、小さな宿場町では宿の厩舎から盗まれそうになっている。もっとも馬たちが賢いため、自ら馬泥棒を撃退し、問題は発生しなかった。
日が傾き始めた午後四時過ぎに到着したため、そのまま新市街で宿を取る。
今回は半月ほど滞在するだけのつもりだが、以前世話になった不動産屋マクラウド商会に貸家を紹介してもらうつもりだ。
資金に余裕があるから宿住まいでもいいのだが、「風呂がないのはちょっとね」とベアトリスが言ったことが理由だ。
翌日は三組に別れて行動することにした。
俺とリディ、シャロンが旧市街に、ベアトリス、メル、ソフィアが冒険者ギルドに、ニコラスたちがマクラウド商会に向かう。
ニコラスに交渉を任せることになるが、やり手のマクラウドも俺たちが借りると聞けば、ある程度は融通を利かせてくれるだろうから、問題は起きないだろう。
ベアトリスたちは支部の変更手続きと情報収集を行う予定だ。ソフィアは最初それを嫌がり、山に入りたがったが、ベアトリスに止められている。
「まずは住むところをきちんとしてからだよ」
更にメルからも「情報の重要さを理解できない人は連れていきませんよ」とやんわりと言われ、渋々従っていた。
俺たちは旧市街に入り、母校ティリア魔術学院に向かった。
最初の目的地はキトリー・エルバイン教授の研究室だ。ラスペード先生のところに行けば、そのまま足止めされる可能性が高いことと、講義のために不在である可能性があるためだ。
研究室ではキトリーさんが文献に埋もれそうになって論文を書いていた。
俺たちに気づくと、驚きの表情を見せた後、
「来てくれたのね!」と俺の両手を取る。
「手紙をいただいていたのに遅くなってすみません」と頭を下げると、
「あなたにも都合があるでしょうから気にしていないわ。でも本当によかった。そろそろあなたのところに行こうかと思っていたところなの」
「何か進展があったのですか?」
「ええ、創造神と十一柱の神々、虚無神の関係について論文を書き終えたところなの。一度あなたたちに見てもらって、最終的な手直しをしたら査読に出そうと思っているわ」
そう言って二百枚ほどある論文の束を見せてくれた。
「見てもらう前にあなたたちが島を去ってからのことを話すわ……」
そう言ってメモを見ながら話を始めた。
「ルナが現れたのは六月の七日。私もちょうどジルソールの町にいた時でびっくりしたことを覚えているわ……彼女と一緒にいたのはレイ・アークライト。知っていると思うけど、ペリクリトル攻防戦で有名な“白き軍師”で、帝国と聖王国との戦争を止めた英雄……その時はそんな凄いことをするとは思っていなかったけど……」
ルナはアークライトと彼の仲間たちと共にジルソールを訪れた。その理由はルナが闇の神の啓示を受けたからだそうだ。
キトリーさんと一緒にクレアトール神殿に行き、俺たちの時とは違い、すぐに地下神殿に入ることを許可された。神々が神官長に何か伝えたのだろう。
「……地下神殿に入ったところで神々に会ったわ。天の神を筆頭に十一柱の神々と……そこで知ったの。ルナとレイ君は闇の神と光の神の使いだと。そして、世界の崩壊を防ぐためにヴァニタスを封じるのだと……」
少し興奮気味だったが、俺の顔を見て表情を引き締める。
「あなたが“道を整えている。草原に向かうように”と天の神が言っていたわ。その結果が帝国と聖王国の戦争を未然に防いだこと……あなたはそこまで分かっていたということなのかしら?」
その問いに答えられない。
しばらく見つめられていたが、ふっと笑い、「答えられるようになってからでいいわ」と引いてくれた。
彼女にとって非常に興味のあることだろうが、俺との関係を慮ってくれたのだろう。そのことに心の中で頭を下げる。
「他にもルナの生い立ちなんかも聞いているけど、個人的なこともあったから私からは言えないわ」
そこで話題を彼女の研究に関することに戻す。
「神々からいろいろ話を聞かせてもらえたわ。本質的なところは教えてもらえなかったし、本当のことを言っているのか確信は持てないけど、面白い話をいろいろと聞いているわ。特に封印された大陸のことは面白かったわね」
「封印された大陸ですか?」
「ええ、あなたが古代文明の研究者から聞いた第一大陸であるパトリア大陸と第二大陸であるノウム大陸についてね」
「その二つの大陸はまだあるんですか!」
古代の研究者の話ではトリア大陸でも大きな地形改変が行われており、ヴァニタスの影響を大きく受けた二つの大陸は神によって消滅させられたと思い込んでいたのだ。
「ええ、場所は教えてもらえなかったけど、存在自体はしているそうよ。もっともほとんどの神の加護がないから死の世界といってもいいらしいわ……」
二つの大陸はヴァニタスの侵略を防ぐために神々によって封印された。今でもその封印は続いており、天の神と地の神の加護はかろうじて残っているものの、八属性神の加護がなく、生命はもちろん色すらない灰色の世界らしい。
「……他には魔族の地のことも聞いているわ。こっちはルナから聞いた話がメインなのだけど、アクィラの東にはソキウスという国があるそうよ。妖魔族と鬼人族が主体となって作った国なのだけど、西側から逃れた人族や獣人族も多く住んでいるらしいわ。それはいいのだけど、その国が作られたのもヴァニタスの計略らしいの……」
キトリーさんの説明では二千年前の帝国による魔族領への侵攻はヴァニタスによって引き起こされたもので、カウム王国はともかく、帝国の最大の敵であったラクス王国が魔族を助けなかったこともヴァニタスが裏で糸を引いた結果らしい。
「……それに魔族がアクィラの東、私たちが“永遠の闇”と呼んでいる土地に逃れることができたのは、ヴァニタスが逃走経路を予め用意していたからなの。以前、アクィラの調査に行った時、地下遺跡を見つけた洞窟があったでしょ。あれはヴァニタスが用意したトンネルだったそうよ」
「つまり、あの洞窟はヴァニタスが作ったものでアクィラの東まで続いていたということですか」
「そうらしいわ。さすがに二千年も経っているから崩れたようだけど。他にも魔族に転送の魔法陣を教えていて、それを使ってこちら側に間者なんかを送り込んでいたらしいわね」
「転送の魔法陣ですか……ラスペード先生の興味を引きそうですね」
「そうなのよ。だからこの話はまだ先生にはしていないわ。私だけでは説明しようがないから。それに先生は独自に魔族の魔法陣の情報を手に入れておられるわ」
「魔族の魔法陣ですか?」
「ええ、これもレイ君が絡んでいるのだけど、ソーンブローから森の奥に入ったところで、確かティセク村というところだったと思うのだけど、その近くで召喚の魔法陣を見つけたらしいわ。一度、ここの地下で実験をされたみたいで妖魔らしき魔物を召喚できそうだったと教えていただいたわ」
「妖魔の召喚……それを学院で実験ですか」と呆れてしまう。
妖魔は強力な魔物だ。身体能力も高く、魔法の適性もあり、更に飛行能力も持つ。三級相当の魔物の中でも最も討伐しづらいと言われており、そのような存在を街のど真ん中で召喚しようとした非常識さに呆れたのだ。
俺の表情を見てキトリーさんも苦笑いを浮かべている。
「私も驚くより呆れたわ。でも、その召喚の魔法陣が転送の魔法陣に似ていると先生はおっしゃっていたわ。あなたが昔聞いた“位相変位理論”を応用したものだというところまで突き止められたということよ。この後先生の所に行くなら覚悟しておいた方がいいわね」
その言葉に「そうですか」としか答えられない。
「話を戻すわ。ヴァニタスについてはこんな感じで神々から詳しい話を聞いているの。ただ懸念がないわけじゃないのよ。それを相談したくて……」
最後はどう言っていいのかという感じで語尾が小さくなる。
「懸念ですか?」と聞くと、覚悟を決めたのかしっかりとした口調で話し始めた。
「レイ君なんだけど、神々に召喚されたという割には十一柱の神々のことを信用していないのよ。もちろんヴァニタスを封印することは必要だと思っているわ。でも、神々は私たちとは違う倫理観というか価値観を持っているから信用しきれないと……その考えを聞いて、私も考えたの。神々が私に気前よく情報を流したのには理由があるのではないかと。だから、あなたの考えを聞かせてほしいのよ」
アークライトが神々を疑っているという話に驚くが、彼が日本から来たのであればそれほど異常な話ではない。
多神教だけでなく、一神教でも神々は自分たちの論理で人間を害している。それも大した理由でもないのに残酷な罰を与えたり、酷い時には国ごと滅ぼしたりしている。
彼がどのような生い立ちで、この世界に来てからどれほど苦労したのかは分からない。しかし、ミリース谷やペリクリトルでの苦しい戦いを強いられたことは事実だ。知り合いを何人も失っていることは間違いなく、普通の日本人の感覚ならこんな試練を与える神を信じられなくなってもおかしくはない。
「私は神々に思うところはありませんが、アークライト氏がいうことも理解できます。神々は我々とは違った存在で、完全に理解することはできません。それに彼らにとって我々は代替の利く下位の存在に過ぎないですし……そう考えると、神々が好意だけで何かすると考えるのは危険だということは理解できますね」
俺自身は日本にいる時とは比べ物にならないほど充実した人生を送らせてもらっているから、神々にそれほど否定的な印象はない。
しかし、竜人の言葉ではないが、神々は平気で人を切り捨てるから信用しきれない。ヴァニタスの策略にはまったのは自分たちであり、人々はその被害者に過ぎないのだ。その被害者を救済せずに処分するというやり方に疑問を感じざるを得ない。
「そう……私はどうすべきだと思う? できれば意見をもらいたいのだけど」
「まだ情報を全部知ったわけではないので言いづらいのですが、これだけは言えます」
キトリーさんは前のめりになり、「それは何?」と聞いてくる。
「得られた情報はきちんと整理しておくということです。使うかどうかは別として。神々の意図が分からない状況で無暗に広めることは論外ですが、情報を無視するのも危険です。神々にとって世界の維持が至上命題であるとするなら、我々の存続にも関わってくる可能性が高いからです」
「情報を整理……知った情報を変な加工をせずにそのまま整理しておくということね。確かにもっと多くの事実が集まってから判断した方がいい気がしてきたわ」
それから彼女がまとめた論文を手渡される。
「あなたたちの意見も加えたいの。ラスペード先生のところに行くなら、十日ほどはいるのでしょ。その間に時間を見つけて読んでもらえないかしら」
「分かりました。私が付け加えることはないと思いますが、読ませていただきます」
キトリーさんの研究室を出た後、ラスペード先生の研究室に向かう。
先生は講義がなかったのか、研究室で文献を読んでいた。
「ようやく戻ったようだね。私の送った義手の魔法陣はどうかな」
挨拶もそこそこに魔法陣の話になる。
「ずいぶんと使いやすくなりました。今回は装着している本人も来ていますので、明日にでも連れてきます。それよりも別件で見ていただきたい魔法陣があります」
そう言ってアークライトの魔法陣の写しを見せる。
「こ、これは何かね! 初めて見る魔法陣だが……」
先生は食い入るように見つめながら説明を求めてくる。
「これはある人物の武具と左手の甲に描かれていたものです。分からない物が多いのですが、一番気になっているのは左手の甲に描かれていた魔法陣です。先生もお気づきだと思いますが、この魔法陣には“目的”が示されていません。術者の魔力を精霊たちに与えるだけの魔法陣なのです」
「確かにその通りだ。これでは何も現象は起きんが、これはどう使うものかね。君ならある程度当たりを付けていると思うのだが」
さすがは恩師だけあり、俺のことを分かっている。
「これは術者のイメージをストレートに現象に変える魔法陣ではないかと。具体的には呪文を介さずに魔法を行使する際の効率を上げていると考えられます」
「なるほど……」
「それだけならいいのですが、問題があります」
「術者以外が魔力を供給できる、すなわち集団魔法に使えると言いたいのではないかね」
その言葉に驚き、「ご存じだったのですか」と聞いてしまった。
「構造を見れば使い方は想像できる。それに集団魔法については君の示唆を受けて研究を重ねておるのだよ。ペリクリトルでは実証も行っているしね……」
先生はペリクリトル攻防戦にも参加しており、最後の決戦では魔術師部隊の実質的な指揮官を務めている。その際、同一魔法の相乗効果の検証を行ったと教えてくれた。
命懸けの戦争のさなかにも研究のことを忘れない姿勢に苦笑が浮かびそうになる。
「おっしゃる通り、集団魔法と同じ効果が認められました。私が行った実験では複数の術者が同じ魔法を行使する際と同じ程度の増幅効果がありました……」
俺の実験結果について説明していく。
「……この結果については危険なため、論文には記載していません」
「うむ。その点は私も同感だよ。ただ、光神教はこのことを知っているのではないかと思うのだよ」
「聖堂での集団魔法のことでしょうか? 何か情報があったのでしょうか」
「確たる証拠はないのだが、光神教の聖職者たちが持つ杖は我々の知る杖と構造が違うのだ。これは仮説に過ぎぬのだが、光神教の杖にはこれに近い魔法陣が描かれているのではないかと思うのだ」
光神教の聖職者が持っていた杖を思い出す。
「じっくり見たことはないですが、確かに若い助祭が持つ杖には魔晶石は嵌め込んでなかった気がします」
魔術師の杖は魔法を使う時に精霊の力を集めやすいよう魔晶石が嵌め込まれている。学院生が使うような安い物では五級相当の小さな物であるため目立たないが、実用的な物には三級相当の魔晶石が先端に嵌め込まれているから結構目立つ。
一方、光神教の聖職者が持つ杖は司教以上の物であればゴテゴテとした装飾で分からないが、若い助祭が持つような物はシンプルな木製の物であり、魔晶石があるようには見えない。
「いずれ確かめねばならんが、今はこの情報は出さぬようにすることには賛成だよ」
その後、俺がまとめた論文を渡すと、
「今日はこれを読ませてもらうよ。明日は義手を見せてもらいたいのだが」
そのつもりだったので了承し、先生の研究室を後にした。




