第六話「アルス街道を北へ」
七月三日。
故郷ラスモア村を出て二日目の朝。今日はここキルナレックを午前八時過ぎに出発する。
目的地は三十km先のボウデン村だ。
キルナレックからボウデン村までは、深い森が続くわけではなく、草原とその間にあるいくつかの小さな森を抜けていくため、比較的楽な行程だそうだ。
それでも、俺にとってはロックハート家に守られていない土地に初めて入ることになる。
キルナレックも厳密に言えばロックハート領ではないため、うちの家が守っているわけではない。だが、ロックハート領に隣接しているおかげで魔物や盗賊の数は他の地域に比べてかなり少ない。
(初めて危険な土地に入る。日本、そして、ラスモア村と安全な土地ばかりで暮らしていた俺だが、大丈夫なのだろうか……)
緊張しながら荷物をまとめ、ノートンの商隊に合流すべく商業ギルドの前に向かった。
出発の三十分ほど前だが、既に荷馬車が引き出され、馬たちが繋がれていた。
荷馬車の近くで、ノートンと護衛隊長のバイロンが打合せをしていた。
俺たちは二人に挨拶すべく、近寄っていく。
俺は手を上げながら、「おはよう、ノートン殿、バイロン」と勤めて明るい口調で声を掛ける。
ノートンは商人らしい笑みを浮かべて頭を下げ、バイロンはやや緊張気味にピシッという感じで頭を下げてきた。
ガイがノートンたちと最終打合せをするようなので、俺も立ち合わせてもらう。
「我々は商隊の中央付近で変更はないな。荷馬車は十輌。バイロン殿が先頭、副隊長のカーティス殿が最後尾。基本的には我々は遠距離支援専門で問題ないな……」
バイロンが頷き、ノートンが「ザカライアス様、ジェークス様、よろしくお願いします」と頭を下げる。
昨夜ガイから聞いた説明では、襲撃があった場合はバイロンの指示に従い、弓と魔法で支援を行う。数が多く不利だと判断した場合は、商隊を見棄てて逃走してもよい。
魔物、盗賊を問わず、こちらが倒した敵に関する報酬はすべて我々のものになる。その代わり、バイロンたち傭兵が倒した敵については権利を主張できない。なお、共同で倒したものについては協議する。
トラブルで野営が必要になった場合でも、不寝番は必要ない。その代わり、テントや食料などは自分で調達する必要がある。
その他にも細かい取り決めがなされている。
俺としては、敵を倒した時の報酬はいらないと思うのだが、そのことをガイに言うと、彼は笑顔で実情を教えてくれた。
「我々を戦力として認めているということです。昨日、ザック様がバイロン殿にご自身の実力をお示しになったことが大きいようです。昨夜の酒場はザック様の話題で持ちきりだったそうですよ……」
俺たちが戦力でないなら、敵を倒しても報酬を出さない。下手に手を出されて、自分たちが混乱するくらいなら、何もせずにいてくれた方がいいからだ。報酬を出すということは、敵に積極的に攻撃を仕掛けていいというお墨付きを与えたことになる。
(なるほど。俺たち四人はいずれも遠距離攻撃が得意だ。それなら味方に誤射さえしなければ、連携はそれほど難しくはない。だから、積極的に攻撃してくれっていうことなんだろうな……)
ちなみに治癒魔法については、報酬が決められていない。状況に応じて、バイロンかノートンが特別報酬を出すそうだ。
午前八時。
護衛隊長バイロンの合図で商隊は出発した。
十輌の荷馬車がゆっくりと動き始め、俺たちは五輌目と六輌目の間に入る。
街の北門を出てアルス街道に出て行く。俺たちの商隊以外にも何輌かの荷馬車がおり、街道には長い荷馬車の列ができていた。
先頭を行くバイロンは俺たちから五十mほどのところにいる。荷馬車の長さは一輌辺り五から六mほどで、前後の間隔を考えると一輌辺り十mほどになる。つまり、俺たちの商隊は百m近い長さになっているのだ。
(思ったより距離があるな。傭兵はバイロンを含め十六人。俺たちを含めても、護衛は二十人しかいない。ちょっとした狼の群れでも損害が出そうな感じだが、どう対応するんだろう?)
俺は周囲を警戒しながら、そんなことを考えていた。
しかし、俺の横で馬を進めるリディは、鼻歌混じりののんびりとした雰囲気で話しかけてくる。
「今からそんなに緊張していたら、目的地に着くまでもたないわよ。こういう時は締めるべきところは締める。緩めるところは緩めるっていう感じでいかないと、肝心な時に力が出ないから」
「リディアさんの言うとおりです。警戒すべきは森の中、丘の間、峠道などです。ここのような平原では馬の上で寝ていてもいいくらいですよ」
リディとガイにそう言われ、少しだけ肩の力を抜く。
(そうは言っても初めての旅なんだから……少し風景でも楽しむとするか……)
周囲に目をやると、左手にファータス河のゴツゴツとした岩場が見える。柱状の黒い岩が立ち並び、濃い緑と茶色い川面が水墨画のような陰影を作っている。
右手を見ると、アクィラ山脈の険しい頂が夏の日差しを受けて、黄緑色の平原と山の深い緑色、崩落した崖の白っぽい岩、山の上の真っ白な入道雲が、見事な色合いを見せている。
(カポカポと進む馬。ガラガラと音を立てて進む荷馬車。これだけなら、平和そのものなんだが、周りに武装した傭兵たちがいるから、それがアンバランスな感じだな)
一時間に一度、小休止をいれ、正午頃に中間地点に当たる広場に到着した。
広場は草原の地面を平らにしただけで、特に施設があるわけではないが、広さは百m四方ほどあった。広場の北側にはきれいな小川が流れており、既に到着している商隊の曳き馬が水を飲んでいた。
バイロンの説明では、ここで一時間ほど休憩を取るということだった。
俺は馬を降り、大きく伸びをする。
小休止を挟んでいるとはいえ、慣れない騎乗での旅は太ももや腰に負担が掛かる。
ここ一年ほど馬術を習っていたため、道や草原のような平らな場所なら駆歩もできるようになっている。それでも、長時間の乗馬はあまり経験していないため、結構疲れていた。
(昨日は旅立ちということもあって、疲れを感じる暇がなかったな。だから、あんなに寝つきが良かったのかもしれないな)
ガイが馬の手綱を取り、水を飲ませにいく。
俺、リディ、シャロンの三人は小川で汗を拭っていた。山から流れてきた清流は冷たく、火照った体に心地良い。
汗を拭い、さっぱりとしたところで、昼食の準備していく。
俺は鍋に水を入れ、擬似ペルチェ効果の魔法を使って湯を沸かしていく。
「火を司りし火の神よ。御身の力、熱の移動を我は求む。我は御身に我が命の力を捧げん。ペルチェ効果」
(意外と使い勝手がいい魔法だったな。物を冷やすのも楽だし、熱するのも簡単だ。第一火を使わないのがいい……名前を含め、呪文がいまいち微妙だが、これでも魔力消費量が半分以下になるから不思議だ)
この擬似ペルチェ効果だが、吸熱点、放熱点のイメージを大きくすることにより、急速に加熱、冷却が可能となる。その分、魔力の消費量は大きくなるのだが、同じ火属性魔法の攻撃魔法である炎の玉に比べ、数十分の一以下とほとんど問題にならない程度の魔力しか使用しない。
更に電気におけるペルチェ効果では、放熱側は吸熱側に消費電力を加えた熱量となるが、魔力におけるペルチェ効果では放熱側=吸熱側となり、完全な可逆反応となっているため、加熱でも冷却でもそれほど魔力消費量は変わらない。但し、加熱する場合は周囲の熱を使うヒートポンプとしても機能するため、今日のような暑い日には冷却より効率がいい。
俺はそんなことを考えながら、鍋に手をかざして水を沸騰させていく。そして、ある程度沸いたところで、その中に干し肉と塩を加えて大まかに味を調える。味が調ったところで、乾燥させた香味野菜を放り込み、更に煮込んでいく。
これは猟師のロブたちと森に入ったときによく作っていたものだ。こんなアバウトな料理だが、短時間の休憩で食べる分には十分うまい。
煮込みながら、吸熱側に水筒を持ってくる。そうすると、水筒の中のハーブティが冷え、飲みごろの温度になる。
俺が鍋に手をかざしているのが気になったのか、バイロンが興味深げに覗き込んできた。
「何をされているのかと思ったら、魔法を使って料理をしているとは……」
俺のやっていることを理解したバイロンは、魔法を料理に使っていることに呆れていた。
「便利なんだぜ。水筒の水を冷やしてやろうか?」
俺が軽い気持ちでそう言うと、バイロンがおずおずといった感じで水筒を出してきた。
水筒の水を五度くらいに冷やしてやると、その冷たさに目を丸くする。
「しかし、ザカライアス様は非常識……失礼、驚くべき方ですな。魔術師がこんなことに魔法を使うなど聞いたことがありません」
バイロンに言わせると、普通の魔術師は魔力を節約するため、無駄なことに魔法は使わないそうだ。酷い魔術師になると、敵と戦っている最中に、自分の判断で勝手に攻撃をやめることすらある。
(いざという時にMPを残しておきたいのだろうな。俺のようにMPの残量が見えれば、そこまで気を使わないのだろうが……)
そう言えば、バイロンは昨日の訓練場でのデモンストレーションから、俺に対して敬語で話すようになっていた。
俺が敬語は不要と言っても、「これはけじめですから」と取り合わない。少なくともガイが納得しているので、それで通しているが、無頼な感じのバイロンが敬語を使うと、どうにも違和感を覚えてしまう。ただ所作を含め、わざとらしさがないから、昔はどこかの国に仕えていたのかもしれない。
バイロンが見回りに戻る頃、馬の世話を終えたガイが戻ってきた。
シャロンが地面にシートを敷き、座る場所を確保し、小鍋で作った干し肉のスープと宿で作ってもらったサンドイッチ、それに冷たく冷やしたハーブティで昼食をとる。
知らない間に俺たちの優雅?な昼食は、商隊の連中の注目の的になっていた。特に傭兵たちは隊長のバイロンが水を冷やしてもらったと聞き、興味深げに眺めている。
昼食はサンドイッチのパンがパサついている以外は、十分に満足いくものだった。
出発まではまだ三十分以上あるため、俺はその場でごろりと寝転がる。
空を見上げると、澄んだ青空が広がり、白い雲と雲雀のような小鳥の鳴き声が聞こえ、館ヶ丘の庭を思い出す。
ふと、横を見るとリディがマントのフードを鬱陶しそうに弄っていた。
俺が「フードを外してみるか?」と尋ねると、
「ううん。後で面倒になるから……大丈夫よ。久しぶりにこの格好をしたから、少し鬱陶しいだけ。すぐに慣れるわ」
やはり昔のトラウマがあるのか、大勢の人、特に男たちの前では顔を晒したくないようだ。ラスモア村では、祖父の食客である彼女にちょっかいを掛ける不届き者はおらず、巡回授業で村の中をまわっていても顔を隠すようなことはなかった。
(何か考えた方がいいかもしれないな。いくらなんでも、これはかわいそうだ……)
ペリクリトルで祖父と一緒の時は顔を隠していなかったが、当時から剣術士として名を馳せていた祖父の連れにちょっかいを掛ける者はいなかったそうだ。
(俺が強くなって、認められればいいだけなんだろうが、それには時間が掛かる……)
何も思い浮かばないまま、休憩時間が終わり、商隊は再び街道に戻っていった。




