第五十話「ダンの苦悩」
ダンの視点です。
二月一日。
ザック様から手紙が届いた。そして僕は今、物凄く悩んでいる。
僕も二十三歳になった。そして、ロックハート子爵家の家臣として、ジェークス騎士爵家の嫡男として、大きな責任を負っている。
父ガイも今年五十歳になる。まだ元気に森に入っており、剣も弓も衰える兆しは全く見えない。それどころか先代様たちと同じく、未だにレベルアップを続けている。
家督については、僕が結婚したら譲ると言っているが、まだ隠居するつもりはなさそうだ。
その結婚の話だが、一応進んでいる。
相手はエレナこと、エレアノール・メイスフィールドだ。
彼女との付き合いは既に八年以上になる。その間、メルのことしか見れなかった僕に好意を持ち続けてくれた。
エレナは僕と同じ二十三歳。騎士爵家の息女としては行き遅れと言われる年齢だが、それでも僕を待ってくれた。
そのメルと離れて暮らすようになり、一年ほど経ってようやく気持ちに整理がついた。
だから、今年の年明けに彼女と結婚する決意をした。
そして、そのことを彼女に伝え、春になったらウェルバーン近くのメイスフィールド家にあいさつに向かう約束をしている。
その時の彼女の姿が忘れられない。
いつもは気丈なのに、その時だけは何も言えず、ぽろぽろと涙を零し、最後には僕に抱き付いて号泣した。少し落ち着くと、恥ずかしそうな顔で笑いかけてくれた。
僕は彼女のために生きようとその時本気で思った。
そんな時、ザック様からの手紙が来た。
手紙には神々の敵らしい魔族がリッカデール近くで見つかったとあり、その敵を倒すために手を貸してほしいというものだった。
ザック様たちのパーティに僕が必要なのかと思わないでもない。剣ではメルに劣り、弓でもリディアさんに劣る。
手紙には僕の斥候としての能力が必要だと書いてあった。
斥候は僕の唯一の特技だが、それもベアトリスさんやザック様に大きく優っているわけでもない。
確かにロックハート家の斥候の中では僕が一番適任だろう。単に気配を探るだけなら、父やヘクターさんの方が優れているが、二人ともザック様たちに付いていくには体力的に厳しい。
僕も今のザック様たちについていけるのかと言われると自信はないが、それでも二人より若い分、何とかなるはずだ。
最初にこの手紙を見た時、僕はうれしくなった。あの人たちの中に僕の居場所がまだあったのだと思えたから。
しかし、すぐに腹立たしい気持ちが湧き上がった。
“ようやく忘れることができそうなのになぜ”という気持ちが強かったから。
最初に父に相談した。
手紙を見せると、父は表情を固くして考え込んだ。そして、僕の顔を見て、「お前はどうしたいんだ」と聞いてきた。
それが知りたくて相談したのにと思ったが、そのことは口にせず、「分かりません」とだけ答えた。
「そうか」とだけ父は言った後、
「御館様、先代様に相談すべきだ。ザック様がお前の力を借りたいほど危険だと思っておられるなら、神々の敵は今まで以上に危険な相手だということだ。ロックハート家が総力を挙げて対応しなければならないかもしれんからな」
確かにその通りだ。僕は自分の気持ちにだけ考えが行ってしまい、この世界を守るという大きな目的を見失っていた。
僕はいつもこんな感じだ。
自分の気持ちばかり考えて、主家であるロックハート家のことまで考えが及ばない。いつまで経っても大人になりきれていない。
僕は父の言葉に頷くと、城に向かった。
城に入ると、多くの来客がホールにいた。
カウム王国やペリクリトルなどの商人たちだが、他にも帝国の貴族の家臣たちもいる。
ロックハート城はザック様がお造りになってから来客が絶えない。美しい造りの城であることと、いろいろな工夫が凝らされており、話の種に事欠かないからだ。
そのため、アルス街道を通る用事のついでに、わざわざ村まで足を運ぶ人が多くなった。
普段着で入っていくが、ここにいる人たちは僕がジェークス家の嫡男であると知っており、笑顔であいさつをしてくれる。
特に僕がザック様の腹心と思っている商人たちは、贈り物を持って僕の家にも何度も顔を出している。
「ジェークス様、この後、お時間をいただけませんか」
「いやいや、今宵は我らと一献傾けながら、帝国の話などはいかがかな」
いろいろな人から声が掛かるが、「申し訳ございません。御館様のところに行かねばなりませんので」といって断りながら、間を通り抜けていく。
ザック様ほどじゃないけど、僕に取り入ろうとする人が絶えない。僕に取り入っても大したことはできないのだが、そのことが分からないのだろう。
三階にある御館様の執務室の前に着くと、槍を手に直立不動で立つ従士、リッキー・バートンがいた。
「御館様は来客の対応中か?」と尋ねると、リッキーは真面目な表情を崩さず、「いいえ、今はお一人です」と教えてくれた。
立派な扉の前で息を整え、ノックをし、「ダンです。相談したいことがございます」と声を掛ける。
「入っていいぞ」と許可が出たため、中に入っていく。
執務室は南に面しており、ザック様が作られた大きなガラス窓のお陰でラスモア村を一望できる。今は真冬だから一面真っ白だが、柔らかな冬の光を受けて、きれいな陰影が描かれていた。
僕にはきれいだなと思う程度だけど、ザック様は城から見る風景が一番だとおっしゃっり、よく物見台になっている尖塔でお酒を飲んでいた。
御館様は執務机で書類を見ておられた。
「ザックからの手紙の件か」とおっしゃられた。僕のところだけでなく、御館様のところにも届いていたらしい。
よく考えたら当たり前のことだ。
僕はロックハート家の家臣として生きると宣言し、ザック様たちから離れたんだ。その僕に手を貸してほしいと手紙を書くのであれば、当主である御館様に話を通すことは自然なことだ。
こんなことに気づかないほど、僕は動揺していたらしい。
「で、お前はどうしたいのだ」
御館様はいつもより硬い感じで尋ねられた。
「正直に言いますが、どうしていいのか分からないのです」
「そうか」とおっしゃられるが、それ以上お話しにならない。
「父に相談しましたが、ザック様が私を呼ぼうと考えるほど状況が悪いのではないかと。そうであるなら、私が行く、行かないという話ではなく、ロックハート家の家臣としてどうすべきかを相談しなければならないと言われました」
「ガイがそう言ったのか……そうだな。確かにロックハート家全体、いや、この世界に生きる者すべての問題だ。もし、アンデッドの王、ヴラドほどの敵が現れたなら、ロックハート家だけが動いても厳しいだろう」
そこで僕はザック様が御館様に何を伝えたのか気になった。ただ、それを聞いていいものか迷っていた。
僕の迷いが伝わったのか、御館様は手紙の内容を教えてくださった。
「ザックは敵があのヴラド・ヴァロノスに匹敵すること、更に大魔が配下にいたこと、他にも眷族がいる可能性があることを伝えてきた。その上で村の周囲の警戒を強めろともな。そして、ダン、お前を貸してほしいと。但し、私がそうしてもよいと考えた場合と付け加えてあった」
「では、私はザック様のところに行った方がよいのでしょうか? それとも村の警戒に当たった方がよいのでしょうか?」
僕の問いに御館様は明確にお答えにならなかった。
「ペリクリトル周辺もそうだが、この辺りは今、とても落ち着いている。アルス街道でも大きな被害は出ておらんし、森もアクィラの山も静かなものだ。これはお前が一番知っていることだな」
僕は大きく頷く。
「はい。魔物の間引きも上手くいっていますし、問題はないと思います」
「私も同じだ。この状況で積極的に何かをする必要はない……」
森には毎日のように入っているが、異常は全く見当たらない。特に去年の夏頃にペリクリトルやリッカデール周辺で魔物が下りてきたという話があってから、今まで以上に警戒を強めているが、それでもこの辺りはいつも通りで、魔物による被害はほとんど出ていなかった。
御館様の話は続いていた。
「……私はここよりペリクリトルの方が気になっている。もっとはっきり言えば、ルナがいる場所で何か起きるのではないかと。お前も覚えているだろうが、ヴラドが襲ってきたのはルナがいたからだ。彼女を狙ってアンデッドどもは山を下りてきた。だとすれば、次に狙われるのはペリクリトル。そして、その手前にあるリッカデールだろう」
「私もそう思います」
「ザックは自分たちだけで何とかしようと考えている。この村に危険が及ばないように……万全を期すなら、ルナをペリクリトルからここに移し、ザックを含め、ロックハート家の総力を挙げて守る方が安全だ。だが、それについては一言も言ってきておらん」
御館様はそうおっしゃりながら、窓の方に向かわれた。
「あいつはこの村が好きだからな。この風景を本当に飽きることなく見ていた……」
そこで僕の方に顔を向けられた。
「お前には悪いと思うが、ザックの手助けをしてやってくれんか。頼む」
そうおっしゃると僕に頭を下げられた。
僕は慌てた。
「顔をお上げください!」
「お前が苦しむのは分かっている。だが、ザックを、息子を守るためにはお前の力が必要なのだ。私も他の方法がないか考えた。しかし、何も思いつかなかった……」
僕はそのお言葉で踏ん切りがついた。
敬愛する主君である御館様のためにできることをやろうと。
「分かりました。リッカデールに向かいます」
「済まぬ」とおっしゃられるが、その表情は苦悶のため歪んでいる。
僕は御館様のお気持ちを和らげるため、無理に笑顔を作る。
「リッカデールから戻ってきましたら、僕はエレナと結婚するつもりです。もちろん、メイスフィールドのご両親にはあいさつに行きますが……御館様にはぜひとも僕たちの結婚式でごあいさつをいただきたいと思っています」
いつもなら“私”というのに、その時だけは久しぶりに“僕”という言い方をしてしまった。
御館様も僕の思いが分かったのか、表情を和らげられ、「最高のあいさつをしてやるぞ」とおっしゃられた。
執務室を出た後、先代様のところに向かった。
先代様はウォルトさんと一緒に訓練場で自警団の訓練を見ておられた。
もうすぐ七十歳になられるはずだが、僕が子供の頃と同じく、自警団に厳しい視線を送り、少しでも弛んでいると大きな声で一喝されている。
訓練が終わる時間だったので、僕はそのままそこで待つことにした。
僕の目の前では五歳くらいの子供たちが必死に木剣を振っていた。先代様の厳しい言葉が飛び、涙目になっている。
(懐かしいな。そう言えばもう十五年以上前になるんだな……)
僕が初めて訓練に参加した時のことを考えていた。もう当時の記憶はないが、先代様が怖くて仕方なかった記憶だけははっきりと残っている。
訓練が終わったところで、先代様に声を掛ける。
「ザック様から手紙が来ました。私に来てほしいという内容でした」
先代様は手紙のことを知らなかったようで、「いつ来たんじゃ」と尋ねられる。
「先ほど届きました。御館様には既に報告しています」
「そうか。リッカデールに大物が出たということじゃな」
「はい。大魔を従えている魔族のようです。ザック様もベアトリスさんもヴラドと同じくらい強いと感じたそうです」
「ほう、あのヴラドと同じ程度の強さか……」と唸るように呟かれた。
「儂らにもできることがあればせねばならんな」とウォルトさんに向かっておっしゃられた後、
「済まんがザックたちのことを頼む。それとは別に頼みがあるんじゃが……」
そこで先代様にしては珍しく口篭られた。
「ザックは儂らに迷惑が掛からぬよう自分たちだけで解決しようとするじゃろう」
「はい。私もそう思います」
「そこでお前に頼みなのだが、儂らに適宜情報を送ってくれんか。ロックハート家の斥候であるお前なら客観的に状況を報告してくれる。それを見て、儂らに何ができるか考えることができる。そのためにもお前の報告がぜひとも必要なんじゃ」
先代様のおっしゃるとおり、ザック様はご自分だけで解決しようとされる。それは素晴らしいことだけど、それで命を落とされたらみんなが悲しむ。
「承りました。私が知った情報は適宜送るようにします」
「頼んだぞ」
そうおっしゃられ、僕の肩を軽く叩かれた。
父に御館様と先代様に報告したことを話すと、「そうか。では悔いがないようにやれ」とだけ言われた。これはいつものことなので気にしていないがもう少し言いようはあるような気がする。
翌日、その日の偵察や訓練を免除してもらい、エレナがいるキルナレックの街に向かった。
キルナレックは新たに領地に加わった街で、御館様とロッド様が交互に滞在されており、今はロッド様が領主代行をしておられ、ロザリー様の侍女である彼女もここにいるためだ。
ジェークス家の紋章――剣と弓を持つ獅子の紋章が入ったマントを着けているため、街に入ると多くの人から声が掛かる。それに手を上げて応えながら、領主館に向かう。
館に入るとすぐにロッド様にあいさつをし、リッカデールに向かうことを伝える。
「そうか。私も行きたいのだが……」
そう言って顔を曇らせる。
「私にお任せください。ザック様もロッド様がご領地を守ってくださると信じているから安心して戦えるのだと思います」
「そうだな……」とロッド様は答えるが、何かを考えているようだった。
ロッド様のところを後にし、ロザリー様のいる私室に向かった。
ロザリー様は一昨年末にお生まれになった長女のレティーシャ様をあやしながら、三歳になられたディーン様と一緒におられた。
その後ろにはエレナがアンジーさんと一緒に立っている。
リッカデールに向かうことを告げると、ロザリー様はエレナの驚く顔を見て悲しそうな表情を浮かべた。
「エレナが不憫ですわ」とおっしゃられるが、すぐに小さく首を横に振られ、
「でも、あのザックさんがあなたを呼ぶということは、それしか方法がないということなのですね」
そして、僕の目をしっかり見る。
「エレナとはきちんと話をしてから出発するように。頼みましたよ」
エレナと二人きりで話す機会を作ってくださった。
別の部屋に移るが、エレナは目を伏せて僕の目を見ようとしない。
「必ず帰ってくるよ。そうしたら、結婚式を挙げる。勝手に話を進めたけど、御館様にあいさつをお願いしてあるんだ」
「でも……」と何か言いかけるが、僕は彼女の肩を抱きながら、その唇を奪う。
そして、少し強く抱き締めながら、「心配はいらないよ。僕が愛しているのは君だから」と囁いた。
それで少し落ち着いたのか、青い瞳は少し潤んでいるが、背筋をまっすぐに伸ばしていた。
「分かりました。私も騎士の家の娘です。婚約者を、いえ、夫を待つのも騎士の家の女の仕事と心得ています」
「どのくらい掛かるかは分からないけど、春には終わるはずだ。そうしたら予定通りメイスフィールドに行こう」
そこで僕は唐突にあることを思い出した。
(戦いの前に結婚の話をするのって“フラグを立てる”っていうんじゃなかったっけ? そんな話をザック様から聞いた気がするな……)
フラグというのは、その言葉を言うとあることが起きるジンクスみたいなものらしい。
(このことをザック様に言うと叱られそうだな。何でフラグを立ててくるんだ!って……)
そんなことを考えたが、すぐに目の前の婚約者に意識を集中する。
「リッカデールはそんなに遠くじゃない。それにザック様やリディアさんがいるから、普通に森に行くより安全だよ」
僕の嘘は見破られているが、それでも彼女は「そうですね」といって微笑んでくれた。
この笑顔を見るために、必ず帰ってこようと心に誓った。




