第三十三話「心の中の昏いモノ」
前半がルナ視点、後半がベアトリス視点です。
トリア歴三〇二三年九月二十日。
今日、ザックさんに相談にいった。
冒険者になりたいと、こことは違う別の土地に行きたいという相談をしに。
本当は冒険者になりたいわけじゃない。ただ、あの人の傍にいるのが辛くなったから。ただ逃げ出したかっただけ。
自分の中にある想いがどんどん大きくなるから。自己嫌悪に陥るくらいどす黒い感じが強くなっていくから。
それまでは離れに一緒に住んでいたけど、メルさんとシャロンさんと結婚された頃からお城の方に住むようになった。あの人の幸せそうな顔を、奥さんたちの幸せそうな顔を見たくなかったから。
もちろん理由はちゃんとつけている。ザックさんたちに気を使ったということも言ったけど、モリーさんに料理を教えてもらうのにちょうどいいとも言っていて、義父様も義母様も全然疑うことなく認めてくれたわ。
「そうよね。ルナも年頃だから」と義母様は笑っていたほど。
本当はいつも近くにいたいし、声も聞きたい。でも、一緒にいると苦しくて仕方がない。
特に苦しくなるのは自分がリディアさんたちに嫉妬していると感じる時。
あの人たちが嫌な人たちならよかった。嫌いになれるから。
でも、皆さんいい人ばかりだし、私のことを本当に大事にしてくれる。それに私もあの人たちが大好き。特にメルさんとシャロンさんは本当の姉のようだと思っているわ。
そんな人たちがいなければと一瞬でも思う自分が本当に嫌になる。いなくなったらザックさんが振り返ってくれるわけじゃない。それは分かっている。でも、私の中のどす黒いモノはそんなことはお構いなしに嫌な思いを押し付けてくる。
この黒く、昏いモノが私の中にいるようになったのはいつのことだろう。全然思い出せないけど、もしかしたら、日本にいる時からずっといたのかもしれない。
気づくと、私とは別の誰かが嗤っているような気がする。自分の心なのに、自分じゃないと思いたくなるほど、この昏いモノは嫌い。
だから誰も知っている人がいないところにいきたい。ただ何も考えずに逃げ出したい。
日本の世界と合わせたら三十年以上生きているのに、子供っぽい考えしかできない自覚はある。でも、どうしてもその思いは消えなかった。
最初に考えたのは北のサルトゥース王国。ドワーフの鍛冶師が少ないし、お酒関係で村に来る人もほとんどいないから、知り合いに会う可能性は小さいはず。
でも、行く理由が思いつかなかった。それにリディアさんの故郷だから、その関係で見つかってしまうかもしれないとも思った。
次に考えたのが、ザックさんに言った冒険者の街ペリクリトル。
あの街にはドワーフの鍛冶師はたくさんいるけど、南地区の端の方にある鍛冶師街に行かなければ滅多に会うことはないらしい。
昔は冒険者たちが住む南地区の宿にスコッチを飲みに来ていたそうだけど、鍛冶師用の酒場にスコッチが出るようになってからは冒険者以外のドワーフに会うことは少ないと聞いている。これはスコッチを買い付けに来るヘンリー・ノートンさんという商人に確認したから間違いない。
それにペリクリトルは五万人の大都市だから、知り合いに偶然会う可能性は小さいはず。商人なら商業地区からあまり出ないし、護衛の傭兵も冒険者とトラブルにならないように住み分けているという話だったから。
私にはラスモア村にいる人以外に冒険者の知り合いはほとんどいない。
だから冒険者になるといって出ていけば、知り合いに会うことなく過ごせると思った。別に未来永劫会いたくないというわけじゃないわ。何年かしてこの想いが思い出に変われば、戻ってきてもいいとすら思っている。
でも今は駄目。
このままでは自分だけじゃなく、この世界も嫌いになりそうだから。別に世界を嫌いになってもいいのだけど、なぜかいけない気がしている。
何となくだけど、ザックさんがこの世界を愛しているからだと思う。だから、“この世界がなくなればいい”なんていうことは考えてもいけないと思っている。
ザックさんに相談した時、ちょっと後悔した。凄く悲しそうな顔をされたから。
それでも今のままよりいいから何とか話をしたけど、予想通り反対された。反対というより保留という感じなんだけど。
ザックさんの言っていることはいつも正しいと思う。
今回のことも何の伝手もない十六歳の女の子が一人で大都会に出れば、危険だということはよく分かる。日本みたいに法律が整備されていても危ないのに、この世界は自分の身は自分で守らないといけないからもっと大変なはず。
それでも私は出ていきたい。だから、どう皆さんを説得するかを考えている。
そこで思いついたのはベアトリスさんを説得することだ。意外なのだけど、四人の中では一番私に甘いから。
リディアさんは普段はあまり何も考えていないように見えるけど、あの人のことになると物凄く勘がよくなる。だから、私が何を考えているかを気づく可能性がある。というより、多分もう気づいている。
シャロンさんは優しい人だけど、リディアさんに近い感じ。それにザックさんのことになるとリディアさんより怖い気がする。
メルさんも候補の一人だけど、ベアトリスさんに相談することにした。これが一番自然に見えるから。
こういう考え方も最近するようになった。日本にいる時よりずるくなった気がするのは、精神的に年を取ったからなのかもしれない。でもそれは精神的に成長したわけじゃない。それは分かっている。
こんな打算的な考えがすぐに浮かぶ自分が本当に嫌になる。
相談すると決めたけど、ベアトリスさんが一人でいる時間は少ない。夕食前の装備の手入れをしている時間を狙うしかない。
そう考え、気合を入れてから部屋に向かった。部屋に入ると予想通りベアトリスさんは槍の手入れをしていた。
「相談があるんですが……」というと、
「どうしたんだい?」といって槍を片付けながら椅子を勧めてくれた。
「冒険者になりたいんです。どうしたらいいですか」
ストレートに聞いてみた。
「薮から棒だね」と笑っているけど、すぐに真剣な表情になる。
「ザックには相談したのかい?」
「はい。さっき相談に行きました。でも、若い女性が冒険者になるのはいろいろ難しいから、ベアトリスさんに相談してはと」
「そうかい。でも本当に突然だね」
「自分の力でどこまでやれるかを試したいんです。ここにいたら皆さんに頼ってばかりですし……」
「そうだね」と頷いてから、「あたしの経験でよければ教えてあげるよ」といつも通りの笑顔で話してくれた。
「ザックが言う通り、若い女が一人っていうのはお勧めしないね。あたしも最初は結構苦労したからね……」
ベアトリスさんがフォルティスで傭兵になってから冒険者になった話は聞いていたけど、細かいことは聞いたことがなかった。
「……あたしみたいにガタイがデカくて目付きの悪い女はそうでもないんだけどね、あんたくらいの若い娘にはいろんな男が寄ってくる。体目当てもいれば、騙して娼館に売り飛ばそうって奴もいるんだ。だからって一人で依頼を受けるのは難しい」
「どうしてですか? ベアトリスさんは一人だったって聞きましたけど」
「ソロっていうのは実力がなけりゃ無理だ。あたしだって最初はいろんな奴と組んだんだよ」
意外だったので、思わず「そうなんですか?」と聞いてしまった。
「あたしにだって若い頃はあったんだよ」と言って笑う。
そう言っているが、ベアトリスさんが老けて見えるわけじゃない。四十歳を越えたはずだけど、ザックさんの治癒魔法を使った“エステ”が効いているから、見た目だけなら三十歳くらいにしか見えない。
そんなことを考えていたら、ベアトリスさんは真面目な表情に戻っていた。
「よく考えてごらん。一人で森に入るとして、跡をつけられたらどうなるかを……」
そこで自分が何も考えていなかったことに気づく。
「……酷い奴だと盗賊とつるんで襲ってくるんだ。そうすりゃ、自分のオーブには何も残らないから。他にも魔物を嗾けておいて、恩を着せてくるような奴もいる」
確かにその通りで、仲間がいなければ森に入ることすら難しいことに今更ながら気づいた。
「仲間はどうやって見つけるんですか? ギルドで斡旋とかはしてくれないんですか?」
「基本的にはギルドは何もしないよ。まあ、職員と仲がよくなれば話を付けてくれることもあるがね……」
その話も意外だった。冒険者ギルドは冒険者の互助組織だから、いろいろと斡旋してくれるのだと思っていたから。
「……だから、基本的には全部自分でやらなきゃいけないんだよ……」
そんな話を続けていくと、自分が考えていたことが無謀であると分かった。
「難しいんですね……」と思わず呟いてしまった。
ベアトリスさんは私に微笑みながら、「そうなんだよ」といい、私の肩に手を置いた。
「最初は気のいいベテランと組んでから、よさそうなパーティを紹介してもらうのが一番さ。その最初が難しいんだがね」
「そうですか……」と答えながら、この先どうするかを考えていた。
一番いいのはベアトリスさんに一緒に来てもらうこと。でも、それは難しい。多分、ザックさんたち全員が一緒に来てくれるから。
そうなるとあまり意味がない。やっぱりこの辺りでもう少し力を付けてからにした方がいいかもしれない。
そんなことを考えていると、ベアトリスさんが「一度経験した方がいいかもしれないね」と呟いた。
何のことだろうと首を傾げると、
「すぐには難しいかもしれないけど、一人になってみるっていうのもいいってことだよ」
「そうですか……」と曖昧に答える。
「だがね、これだけは覚えておくんだ。一人で生きていくってのは本当に辛いことなんだってことを。一年や二年ならいい。十年以上続くとそれが普通って思ってしまうんだ。一生自分一人で生きていくってね。だから、仲間を見つけることは大事なことなんだ」
ご自分の体験を語ってくれたようだが、その次の言葉に驚く。
「まあ、この村にいればそれはないんだが、あんたの場合はここにいても辛いだろうしね……」
この人にまで私の想いが知られているとは思わなかった。そのことに驚いていると、私の頭を優しく撫でる。
「あたしも同じだったからね。ドクトゥスであの人と知り合った頃はどうしてもっと早く出会わなかったんだろうって思ったもんさ」
私はその言葉を聞き、相談に来たことを後悔した。
この人はあの人の中に自分の居場所を見つけることができた人。でも、私は違う。
また、少し自分の中のどす黒いモノが大きくなった気がした。
■■■
ルナがあたしの部屋に来た。
リディアから聞いていたから何となく察したが、あれは相当思い詰めていると思った。
ルナはザックと同じ世界から来ただけあって頭は悪くない。
もちろんザックやシャロンほど深く考える方じゃないが、それでも“想像力”って奴はこの世界の普通の人間より持っている。
そんな彼女があたしの話を聞いて驚いていた。
確かに経験していないことを想像するのは難しいが、それでもあたしらの話から冒険者稼業の難しさはある程度分かっていたはずだ。
それが全く考えていなかったんだ。
危なっかしいと思ったね。周りが見えていないって感じだった。あたしの経験から言わせてもらえば、こんな時は必ず大きなミスをする。
だから、まだここに居場所があると教えてやりたかった。
あたしが見つけたように、あんたにも見つかると、そう教えたかった。だが、どうやらそれは失敗だったみたいだ。
最後のあの子の表情には憎しみとまでは言わないけど、決していいものじゃないものが含まれていたから。
明日にでもザックには話しておきたいが、どう話したらいいのか悩む。だって、あたしにそんなことを上手く伝えることができると思えないから。
だから、ルナがやりたいことを考える。
あの子はここから、いや、あの人から一時的でいいから離れたいと思っている。だけど、そのための方法が“冒険者になること”しか思い付かなかった。
だったら、あたしが教えてやればいい。
あの人と離れて暮らすのは嫌だが、それでも二人の関係がこじれてしまう方がもっと始末が悪い。
特にザックが傷付く姿は見たくない。だから、あたしが少し我慢すればいい。
離れているといっても半年くらいなもんだ。それなら何とか我慢できる。
そう考えたところで少しだけ肩の荷が下りた気がした。




