第十七話「インフラ整備」
十月一日。
今日は収穫祭、村は朝から賑やかだ。
六月の末に村に戻った頃はバタバタとした感じもあったが、八月に入り兄ロドリックと兄嫁ロザリンド、そしてシム・マーロンと彼の婚約者アンジェリカが村に帰ってきた頃にはすっかり平穏になった。
兄たちが参加した北部域での討伐作戦は順調に進み、多くの盗賊と魔物を討伐している。
その効果により、治安低下が原因で経済が停滞していた北部域もある程度息を吹き返した。ただ、ファータス河の北側、アウレラ街道にはびこる野盗についてはまだ手を付けられておらず、完全復活とまではいっていないらしい。
それでもいい方向に着実に進んでいる。ルークス聖王国に出征していた北部総督府軍が帰還を始めたのだ。
最新の情報では最後の部隊が西部の前線基地ラークヒルを出発したということで、トラブルがなければ今頃すべての部隊が北部の領都ウェルバーンに到着しているはずだ。
軍が戻ればアウレラ街道の正常化も図れるから、本格的に正常化されるだろう。
この他の大きなニュースとしては、皇太子ジギスムンドとアレクシス・エザリントン公爵の凱旋がある。
イグネイシャス・ラドフォード子爵から届いた情報では、帝都において二日間に渡り盛大な祝勝会が行われ、元々人気がなかった皇太子はともかく、帝都市民のエザリントン公に対する評価は絶大なものになった。
噂に過ぎないが、今年の年末にはフィーロビッシャー公から宰相職を引き継ぐという話も出ているそうだ。
これについてはレオポルド皇子派であるラングトン大公らが反対したらしいが、大きな戦果を上げられなかったレオポルド皇子に比べ、同じ戦力でエザリントン公は聖王国のナンバースリーである聖将を討ち取っている。
また、聖王国が最強の戦闘集団と宣伝していた聖騎士団をほぼ壊滅した実績も高く評価され、ラングトン大公も強くは言えなかったらしい。
そして、エザリントン公に完膚なきまでに叩きのめされたルークス聖王国だが、帝国の思惑通り内部抗争が始まった。
商業ギルドを通じて集めた情報では、以下のような状況になっているらしい。
光神教の指導者、ベルナルディーノ・ロルフォ総大司教は世俗のトップである聖王シルヴァーノ二世に激しく糾弾された。教団の聖将モンテメンツィが率いて敗北したのだから、総大司教は引責辞任すべきと聖王は迫った。
ロルフォは軍事の所掌は聖王府にあり、モンテメンツィを総大将として認めたのは聖王であると反論した。
この辺りの情報はすべて伝聞であり、どの程度正確なのかは分からないが、相当醜い言い争いだったと聞いている。
聖王は糾弾したものの、縁戚でもあるモンテメンツィを推挙した負い目があり、ロルフォを追い落とすため、枢機卿マリノ・ペルディーサを利用することを考えた。
ペルディーサはアバドザックの戦いで恐慌に陥り、友軍を見捨てて城門を閉めた男だ。そのことで総大司教を始めとする聖職者たちから激しく非難された。
彼自身、自らの行いにやましさを感じており、このままでは総大司教に敗戦の責任を押し付けられて死罪になると思い込んだ。彼は生き残るため、敵であったはずの聖王の誘いに乗ってしまった。
聖王は今回の敗北の責任は聖将ガスパーレ・モンテメンツィと彼に助言をしていた聖職者たちにあるとペルディーサに証言させる。ペルディーサは賞罰を決める軍監であり、聖王の言う通り、聖将と聖職者たちに責任があると証言した。
更に聖王は教団内部に亀裂を入れるため、他の枢機卿にも調略の手を伸ばした。
光神教には五人の枢機卿がおり、聖将を含む第七階悌である六人が総大司教を選抜するほどの権力を持っている。聖王はペルディーサを除く四人のうち、二人に接触した。
総大司教ロルフォは危機感を抱き、逆襲に転じた。彼は聖王より直接的な方法、すなわち暗殺という手段を選択した。
六月九日、聖王シルヴァーノ二世は突然崩御した。
このタイミングでの突然死であること、それまで健康での不安は一切なかったことから、誰もが暗殺と思った。
更に総大司教派に不利な証言をしたペルディーサも不審な最期を迎えた。愛人を囲っていた館で心臓麻痺を起こしたのだ。
今まで聖王国内で権力闘争は頻繁に行われていたが、暗殺という手段を公然と使ったことはなかった。もちろんばれないように使ったことはあるのだろうが、暗黙の了解があった。
これらの事実により、帝国では眉唾物とも言われていた暗殺部隊の存在が明らかになった。
ロルフォは自らに近い人物を聖王に選んだ。
新聖王はアウグスティーノ一世で、その後、聖王府の上層部から前聖王派が一掃された。役人たちはその強引な方法に驚愕するが、総大司教が敵対勢力を物理的に一掃しようとしていると考え、沈黙するしかなかった。
しかし、総大司教もすべての前聖王派を粛清することはできなかった。粛清を強行すれば行政が滞ることは必定で、前聖王派の下級官吏を残さざるを得なかった。
七月に入るとその前聖王派が蜂起した。彼らは聖王府を掌握すると直ちに教団本部のある大聖堂に軍を向けた。
この時、総大司教派は暗殺部隊こそ持っていたが、有力な実戦部隊を持っていなかった。唯一の実戦部隊である聖騎士団はアバドザックの敗戦で崩壊寸前だった。もっとも敗戦がなくとも元々実力はなく、世俗騎士たちに対抗することはできなかっただろうと言われている。
総大司教はここでも大胆な手を打った。今までは世襲制であった聖騎士団に、世俗騎士を加えると宣言したのだ。特に光属性魔法を使える者は優遇するとしたため、世俗騎士の多くが教団の権力を欲し、総大司教派に寝返った。
この策が功を奏し、聖都で起きた反乱劇はわずか三日で幕を閉じた。
この後も混乱が続いたようだが、まだ情報は入ってきていない。
今回のことでルークス聖王国の指導部は大きな傷を負った。ロルフォが暗殺という手段を講じたことで、教団上層部は“次は自分ではないか”と疑心暗鬼に陥った。更に世襲制を否定したことから、ロルフォの支持層であった保守層が離れ始めているらしい。
一方で、長年聖王国に混乱をもたらしていた教団と聖王府の二重支配という構造が崩れたことは大きい。今後、強力な指導者であるロルフォに権力が一元化されたことは、ルークス聖王国という国にとってプラスに働く可能性は否定できない。
ロルフォの強引な手法の影響がどう出るかは分からないが、少なくとも宰相フィーロビッシャー公とエザリントン公の思惑通りに進んでいる。
大きな政治の動きはこんな感じだが、この他にもニュースはあった。
兄嫁ロザリンドの懐妊だ。来年の夏前には甥か姪が生まれることになる。
更にベルトラムの妻、ミーナことヴィルヘルミーナも懐妊していた。春前にはベルトラムにとって待望の第一子が生まれるだろう。
もう一つのいいニュースはシム・マーロンとアンジェリカの結婚だ。
ウェルバーン近郊のコールリッジ男爵領に向かい、結婚の許可を取り付けたシムは村に戻り、父に報告した後、結婚式を挙げている。
他にも色々なことがあったが、俺はもっぱらルナの指導を行っていた。しかし、上手くいっているとは言い難い状況だ。
まず魔法についてだが、魔力を感じることは比較的簡単にできたが、肝心の魔法への変換が上手くいっていない。
精霊に魔力を与えるというプロセスが上手く行えないのだ。
俺が元の世界の例を上げてイメージを伝え、彼女自身も理解できているようなのだが、心理的なブロックでもあるのかどうしても上手くいかなかった。
これについてはリディやシャロンを交えていろいろと試しているところだ。もっとも通常の魔術師の訓練では年単位の時間が掛かるのが当たり前なので、あまり焦らないようにしている。
一方身体の方は比較的順調だ。
食糧事情が劣悪な辺境のティセク村で育ったせいで、ラスモア村の子供より小柄だったが、この二年で食事が劇的に改善したことと、最近では適度な運動を始めたことが良い影響を及ぼし、身体能力は確実に上がっている。
それでもロックハート流の訓練に参加できるほどではないため、館ヶ丘の中を走ったり、鉄棒やロープを使ったりして基礎的な力を付けているところだ。
彼女自身、魔法については残念がっているが、身体能力向上の方は納得していた。
「日本にいた時より身体が動く気がします。といっても子供の時に木登りなんてしたことはなかったんですけど」
こんな感じで明るさだけは保てている。これについてはメルとシャロンの存在が大きいようだ。
二人はルナと一緒にいることが多く、また、彼女の趣味である菓子作りも一緒にやっている。そのため、仲のいい姉妹に見えるほどだ。
「モリーさんに弟子入りして料理人になってもいいかなって思うこともあります」
時々、そんなことを言うが、すぐに「でも、この世界では戦えたほうがいいですよね」と言ってその言葉を否定する。
内心では戦う技を覚えるより、料理や菓子作りに専念したいのだろう。
「まあ、魔法は便利だからな。俺を見れば分かるだろ」といって茶化している。そうでもしないと彼女の使命について黙っていることが辛くなるからだ。
「そうですね。でも、ザックさんくらいお酒と料理に魔法を使う人って珍しいんじゃないですか?」
「よく言われるよ。“そんなことに魔法を使うのか”ってね。だけどそれを言われたらいつもこう言って反論するんだ。“こんなことに使わなくてどうする”とね」
そう言うと大きな声で笑う。それで少しだけ俺の心の負担も軽くなる。
ルナの指導以外だが、自らを鍛えることと、村のインフラの整備などを行っている。
鍛える方は今まで通り、祖父の指導を積極的に受けるだけだが、村のインフラ整備はいろいろとやっている。
まず、元々やるつもりだった酒の地下貯蔵庫の設置だ。
館ヶ丘には帝都に向けて出発する前、北側斜面に十メートル四方くらいの地下室を作ってあり、一部を氷室にしていた。
氷は冬の間に溜め池に張ったものを切り出しており、魔法の力を借りない方式だ。
これは今回のように俺やシャロンが不在になっても対応できるようにすることが目的だ。
この地下室にはシーウェル侯爵から毎年贈られるワインの樽を保管している。あまり冷えすぎないように氷室とは区切られた部屋に入れてあり、体感的には十度程度のところに保管している。
これは俺がいつ村に戻れるか分からないため、発酵が進み過ぎないようにしたためだ。
そのワインだが、旅の間に作っておいたボトルにすべて詰め、収納魔法と地下室に保管している。地下室に保管してあるのはインベントリで時間を加速させたもので、三年物から十年物までを百本単位で置いてある。
これはインベントリの存在を隠すダミーであると共に、地下室での熟成を確かめるためでもあった。
ちなみに地下室の方だが、酒だけではなく、冷蔵庫としても活用している。これによって肉類の保存が可能になり、今までのようにすぐに燻製などの保存食に加工する必要がなくなった。
父の許可と住民たちの合意を得て、他の丘の北斜面にも同規模の地下室を作っている。今のところ心配していた農作物への影響はなく、収穫した作物の貯蔵にも使えると好評だ。
今年は間に合わなかったが、来年以降は氷室用の地下室も併設する予定だ。これは村で消費するビールを冷やすためのもので、研修所にいるドワーフだけでなく、三つある宿の主人からも要望が出ているためだ。
俺とシャロンが旅に出た後、ビールが冷やせなくなり、ドワーフたちと自警団員たちから風呂上がりに冷たいビールが飲めなくなったとぼやく声が絶えなかったそうだ。
現在ある地下室には十月に行う戦勝記念祭用の酒が保管されている。これは本格的に暑くなる前に近隣で作られたものだ。今回の祭に訪れるドワーフの数は昨年ほどではないため、充分な量の酒は確保できたと思っている。
この他にも村のインフラの整備に着手している。
それは下水道の整備だ。
現在のラスモア村は汲み取り式のトイレを採用しているが、俺が改革を始めた頃に比べ、人口が一・五倍以上になっている。そのため、家畜の排泄物と混ぜて発酵させる方法では限界となりつつあった。
また、以前より外部から来る人の数が増えており、疫病が発生するリスクも大きくなっている。
そのため、本格的な下水道を整備することにしたのだ。
この世界の下水処理だが、意外なことに垂れ流しではなかった。
それも非常にユニークな方法で、魔物である不定形生物を用いたものだった。
帝都プリムスを始め、帝国の城塞都市ではこのスライム式下水処理システムが標準装備となっている。
実を言えば、このことは結構昔から知っていた。学術都市ドクトゥスに住み始めた当時、下水は垂れ流しかと思い、調べてみるとスライムを利用した下水処理システムがあることが分かったためだ。
ドクトゥスではやることが多過ぎて本格的に調べる時間がなく、文献を読む程度のことしかできず、村に導入できなかった。さすがに魔物を使う方法であり、ためらいがあったのだ。しかし、今回の帝都行きで専門家から直接話を聞くことができ、導入に踏み切ることができた。
専門家に出会えたことだが、これは全くの偶然だった。
フィーロビッシャー公爵領に蒸留所を建設する計画を立てる際、帝国の工務局の役人モンタギュー・アンダーウッドと知遇を得たことが大きい。
工務局は道路や城塞などのインフラを整備する部署で、当然下水道も所掌している。そのため、彼に専門家を紹介してもらい、そこで知識を得ることができたのだ。
このスライムを使った下水処理場だが、基本的には簡単な構造だ。
地下にスライムを入れるための浅い水槽をいくつか用意し、その一つに汚水を流し込んでいく。汚水が一定量溜まると浮きが付いた棒が上がり、鐘を鳴らす。そこで職員が次の水槽に手動で切り替える。
スライムたちは入ってきたゴミや汚物を溶かしていく。一定時間経ったところでゴミや汚物がなくなったことを確認し、下流側に放水する。
この処理場だが、雨水も一緒に入ってくるため、大雨に対応した直接海や川に放水するオーバーフロー用のバイパスラインがある。そのため、完全に処理された水だけが放水されるわけではないが、処理できないほどの雨水で希釈されているので、問題にならないらしい。
ここで使われるスライムだが、一応十級相当の魔物と言うことで、人を襲うことがある危険なものだ。また、不定形ということで鉄格子のようなものでは外に出ることを防ぐことはできない。
そこで使われているのが、灯りの魔道具だった。スライムは光を嫌う性質があり、強力な灯りの魔道具を出入口に配置することで逃げ出せなくなっている。その灯りの魔道具も何重にも設置されており、スライムが逃げ出したことはないそうだ。
下水処理システムに詳しいわけではないが、非常に良くできたシステムだと思う。
このスライム式下水処理システムを館ヶ丘に試験導入した。
スライムだが、今までは脅威とみなされておらず放置されていた。そのため東の森に行けば比較的簡単に見つかる。
見つけたスライムは重さ十キログラムほどで、某ゲームのような玉ねぎ型ではなく、ドロドロのまさに不定形物体だ。動きは非常に遅いが、近づくと触手を伸ばしてきて体に取り込もうとする。
スライムの体内には溶解液が含まれており、有機物を溶かして栄養としている。また、この溶解液には殺菌の効果もあるようで、排水が原因で病気が発生することはまずないそうだ。もっとも帝国の技術者は殺菌という概念をもっていなかったが。
溶解液は強酸ほどの溶解力はないため、短時間であれば革手袋でも充分に防護できる。防護した上で陶器の壷に入れて蓋をすれば安全に持ち帰ることが可能だ。
下水道はメンテナンスを考え、人が歩けるほどの大きさにしてある。但し、館ヶ丘は城塞でもあるので、放水用とオーバーフロー用のラインは人や魔物が容易に侵入できないよう、土管程度の太さのものを複数本用意し、外の下水道に繋いでいる。また、通常はゲートを下ろして閉止する運用とした。
なぜこの点に言及しているかというと、帝都の下水処理システムの話を聞いた時、侵入者防止対策が結構いい加減だと思ったためだ。
帝都では放水量が多いため、高さ三メートルほどの放水ラインとなっている。一応出口に鉄格子を設置して外部からの侵入防止を図っているが、ほとんど警備を行っておらず、危険だと感じた。
この点についてアンダーウッドに聞いてみたが、迷路のようになっていることと、臭いも耐えがたいので下水道を使って侵入することはないだろうと楽観的だった。
処理場自体は館ヶ丘の地下に作り、放水先は少し遠いが村の西側を流れるフィン川の下流にした。
そのため、総延長で二キロメートル以上のトンネルを掘ることになり、地下室の設置と合わせて、村に帰ってきてから使う魔法はほとんど土属性魔法だった。そのおかげもあって、土属性魔法のレベルが六十三に上がっている。
下水の管理だが、城塞都市であるキルナレック市の下水管理者に指導を受けた者が行っている。
今のところトラブルは発生していないので、時間を見て村中に設置しようと考えているところだ。
構想から十二年、ようやく下水処理ができるようになりました(笑)。




