第十六話「帰郷」
六月二十七日。
故郷ラスモア村に到着した。
昨年の十二月十五日に出発してから半年以上。いろいろとあったが、大きな問題はなく、無事に乗り切ったと言えるだろう。
村に入ると村人たちが熱烈に出迎えてくれる。
学院にいた頃に比べると、半年間という長くも短くもない微妙な期間離れていただけだが、やはり故郷はいい。
「ようやく帰れたって感じだな」と馬上からリディに話しかける。
「そうね。やっぱりここが落ち着くわ。当分は腰を落ち着けるつもりなんでしょ?」
「そうだな。ルナの訓練もあるから、二、三年は動くことはないと思う。もしかしたら、アルスには行くかもしれないが」
リディに言った通り、これからは俺がこの世界に呼ばれた目的を果たすため、ルナの訓練を始めるつもりでいる。もちろん、基礎体力ができていない彼女に激しい訓練を行うつもりはなく、数年掛けて生きる術を教えていく予定だ。
「じゃあ、あたしらものんびりできるってことだね。よく考えたらドクトゥスを出てからウェルバーンに行って、アルスに行って、帝都に行ってと、何だかんだで一年ちょっとしかこの村にいなかったからね」
ベアトリスの言う通り、一昨年に学院を卒業してから村には一年二ヶ月しか住んでいない。
「ルナさんもまた一緒に住むんですよね?」とメルが聞いてきた。
「そうだな。メルとシャロンも一緒だし、その方がいいだろう。まあ、モリーに料理を教えてもらうこともあるだろうし、屋敷には頻繁に行くだろうがな」
ルナはロックハート家の養女待遇だが、少し特殊な扱いになる。
正式な養女となるかは彼女が十五歳になった時に本人に決めさせるということで、今はロックハート姓を名乗っていない。つまり、現状はただの平民の娘ということだ。
そのため、あまり目立たないように今日は馬車の中にいる。
一応、俺と母の提案で養女扱いだが、“様”付けはしないということになっており、村の者たちもそのことは理解している。しかし、今後はキルナレックなどの周辺の町や村から人が頻繁に訪れるので、屋敷にいると混乱を招く可能性がある。だから、屋敷で一緒に住むより離れにいた方がいいと考えている。
「ルナさんの訓練の他にはお酒の貯蔵庫作りですか?」とシャロンが聞いてきた。
「まずはそれだな。他にもあるが、おいおいできることからやっていくつもりだ」
彼女の言った貯蔵庫は丘に作る地下室のことで、ビールやワインを保管するためのものだ。館ヶ丘には試験的に作ってあるが、ドワーフフェスティバルや戦勝記念祭などの祭に合わせて大量に保管する必要があり、他の丘にも作るつもりでいる。
他にも考えていることはあるが、こちらはまだ研究段階であるため、言った通りできることからやっていくことになるだろう。
村人たちが歓迎する丘の間を過ぎ、館ヶ丘が見えてきた。初夏ということで木々の濃い緑とスコッチの貯蔵庫と防壁のレンガ色が美しいコントラストを作っている。
開け放たれている門をくぐり、丘を上がっていく。
細い道を馬で上っていくと、いつも通りの訓練の声が聞こえてきた。
祖父ゴーヴァンは当主が戻る日でも訓練をやめる気はなかったようだ。それがロックハート家らしくて何となく心地いい。
屋敷の前に到着すると、祖父が家宰となったウォルト・ヴァッセルを従え、出迎えてくれた。その後ろには内政官のニコラス・ガーランドと武官のヘクター・マーロン、更にその後ろには従士長になったウィル・キーガンがいる。
更に訓練によって汗だくになっている自警団員たちが肩で息をしながらも満面の笑みを浮かべて並んでいた。
ダンとシャロンの父、ガイ・ジェークスとバイロン・シードルフの姿がないが、ガイは東の森に偵察に出ており、バイロンは守備隊長としてキルナレックにいるためだ。
「無事で何よりじゃ」といって祖父が父の腕を軽く叩く。
「長らく領地をお任せし、ご迷惑をお掛けしました。陞爵に関する手続きはすべて終わり、これでようやく落ち着けます」
祖父たちと簡単なあいさつを交わした後、屋敷に向かう。
新たに従士になったブレット・ハーツに愛馬となった黒馬の手綱を渡す。
「凄い馬ですね」と言って驚いている。
「世話は後で俺がするから、厩舎に連れていって汗だけ拭いてやってくれ」
「私がすべてやっておきますが?」とブレットが言うが、
「こいつは俺が世話をしないと機嫌が悪くなるんだ。まあ、今後は誰かにやってもらうことになるが、今日は俺がやっておくよ」
この黒馬は俺以外を乗せようとしないだけでなく、触られることも嫌がることが多い。リディやベアトリスといった家族ならいいのだが、旅行中も従士や自警団員が世話をしようとすると、鼻息を荒くして嫌がることがあった。
別に馬の世話が嫌いというわけでもないのでいいのだが、身体がでかい分、汗を拭いたりブラシを掛けたりする手間が大変だ。
ちなみにこの馬の名だが、“コクヨウ”号と決めた。というより、いろいろと提案したが気に入ってもらえず、この名で落ち着いたと言う感じだ。
この“コクヨウ”は漢字で書くと、“黒曜”もしくは“黒耀”となる。輝くような黒毛を黒曜石に例えて、“コクヨウ”としたのだ。
最初にコ○オウ号という名が思い浮かび、どうしてもその語感が消えなかったというのがその名にした一番の理由だ。
もう一つ理由があるとすれば、一度冗談で“コ○オウ”と呼んだところ、その名が気に入ったのか、なかなか他の名に納得しなかったということもある。
「黒曜石には魔よけの意味がある」というと、何となく納得してくれたのか、ブルッと嘶いて認めてくれた。
屋敷に入り、侍女長となったウォルトの妻モリーがいつも通りのエプロン姿で出迎えてくれる。彼女は騎士の奥方になったものの、今まで通り厨房に入り続けている。
「お帰りなさい、ザック様。今日は腕によりを掛けて作りますね」
「楽しみにしているよ。モリーのパンが食べられなくて寂しかったから今日は楽しみだ」
こんな会話をするほど昔と変わっていない。帰ってきたと思えるから変わらないほうがいい。
俺たちが住む離れに行き、装備を外して祖父の待つ大広間に行く。
父と母、リディたちも集まり、簡単な報告を行った。
報告を聞いた祖父はしばらく考えた後、
「では、基本的にはこれまで通りでよいということじゃな。宰相閣下には適宜情報を送るというだけで、それ以上のことは求められぬと」
「その認識でよろしいかと」と父が答える。
「総督閣下の方も何とかなりそうなのじゃな」と俺に聞いてきた。
祖父は主君である北部総督、ラズウェル辺境伯のことを気にしていたようだ。
「詳細は追って分かると思いますが、エザリントン公爵閣下の大勝利によって、早ければ夏に入る頃には北部総督府軍も帰還するでしょう。資金難で相当苦労されていたようですが、秋には一息つけると思います」
「それは重畳」と祖父の表情が緩む。
「キルナレックの今後の統治についてですが、当面は私とニコラスが交替で駐在するつもりです。父上にはまた留守をお任せすることになりますが、よろしくお願いします」
父がそういうと、祖父は気にした様子もなく、小さく頷く。
「それについては構わぬ。今はザックもおるし、ロッドもすぐに戻ってくる。それにキルナレックは遠くはないしな。カエルム馬ならば二時間もあれば着くのじゃ。問題はなかろう」
以前決めた通り、ロックハート家はラスモア村から離れない。
但し、新たに領地になったキルナレックについては、ロックハート家の統治に慣れるまで父か兄が常駐する。周辺の三つの村も父と兄が定期的に巡回することにしていた。
その兄だが、ウェルバーンに残って盗賊と魔物の討伐を行っているため、あと二、三ヶ月は戻ってこないだろう。そのため、内政官であるニコラスが代官として派遣されることになっている。
本来なら次男である俺が行くべきだが、ルナのことがあるため村に残る。
何もせずに残っていると不自然だが、俺の場合、鍛冶師ギルドの熟練者コースの特任講師であるため、村を離れられないという言い訳ができる。
祖父への報告を終えると、ようやく自由な時間になる。
コクヨウ号にブラシを掛け、飼葉を与えてから離れに戻る。
リビングにはリディ、ベアトリス、ルナがいた。ダンとシャロン、そしてメルはそれぞれの実家に戻っているらしい。
「久しぶりの我が家はいいね。宿もいいところばかりだったけど、やっぱり違うよ」
ベアトリスが大きく伸びをしながら誰に言うでもなく言っている。
「そうね。気を使わなくていいっていうところがいいわ」とリディがそれに答える。
「誰かに気を使っていたのか?」と俺が聞くと、
「そうよ。私でもちゃんと気を使うことくらいあるんだから」と膨れる。その表情が面白かったのか、ルナが小さく噴き出していた。
しかし、すぐに表情を硬くし、「これから私は何をしたらいいんでしょうか」と聞いてきた。
ルナに神々の敵のことを話すわけにはいかない。もし、知ってしまったら生まれ故郷であるティセク村が全滅したのは自分のせいだと考えてしまうし、神が恐れるような敵と戦うことに怖気ついて何もできなくなるかもしれないためだ。
「そうだな。とりあえず身体は鍛えよう。馬に乗るようになって少しは力が付いたと思うが、何と言ってもこの世界は身体が丈夫じゃないとな」
「そうね。魔法の訓練もした方がいいわ。あなたは精霊たちに愛されているのだから」
リディもそう言ってフォローする。このやり取りは事前に打ち合わせてあったので自然な感じだ。
「そうですね。魔法はよく分かりませんけど、セラちゃんと比べると全然力はありませんし、剣は無理でも弓が使えたら少しは役に立てると思いますから」
ルナは日本にいる時、弓道をやっており、弓なら使えそうだと言っていた。ただ、日本の和弓とこの世界の弓は構造や使い方が違うそうで、上手くできるか自信がないとも言っている。
「どちらにしても明日からだな。今日は久しぶりに大浴場でゆっくり汗を流したい」
「あたしもおんなじだよ。この旅で一番辛かったのは大きな風呂がなかったことだからね」
風呂好きのベアトリスが大きく頷き同意する。
その後、風呂でゆっくりと汗を流し、モリーの愛情が篭った手料理に舌鼓を打った。
(こういう時間が続けばいいと本当に思う……)
翌日、館ヶ丘の正門の前に村人を集め、父が演説を行った。
「今回の帝都で我が家は正式に子爵家となった!」
そこで村人たちから万歳と拍手が沸く。父が両手を広げて鎮め、話を続ける。
「以前にも皆に伝えたが、ロックハート家はラスモア村とともにある! しかし、我が家の領地にキルナレック、バルドック、ウーズリー、シフェレスが加わった。この地を治めるためにこの村を空けることが多くなる……」
この話も事前に伝わっており、特に混乱はない。
「……聞いておると思うが、我らはフォルティスの国境でルークス聖王国の手先の襲撃を受けた……」
そこでどよめきが起きる。その事実も既に伝えられていたが、ルークスに対する怒りが声となって湧き上がったのだ。
ここの住民の多くは光神教によるラスモア村封鎖事件のことを覚えており、元々光神教及びルークス聖王国に対し非好意的だ。それに輪を掛けるように暗殺という手段を使ったルークスに怒りを抑えられなかったのだ。
「……ルークスの者どもは狂信者だ。彼らが手を引くかは全く分からない。我々にはアクィラの魔物という強力な敵がいる。それにルークスの狂信者たちも加わるかもしれぬのだ。皆も今まで以上に気を引き締め、村を守ってほしい!」
俺も父もルークスがこれ以上ロックハート家に手を出してくるとは考えていないが、ロックハート領が更に発展することで村人たちの気が緩むことを懸念した。特に新たに領民が加わることで厳しい訓練を厭う可能性があり、今回は光神教の狂信者たちを利用して気を引き締め直したのだ。
村人たちの反応は凄まじいものがあった。
「御舘様を守るぞ! 村を守るぞ!」という声が草原を響き渡る。
村人にとってここラスモア村は非常に住みやすい。税は安いし、窮屈な思いをさせる領主もいない。そんな土地を狂信者たちに滅茶苦茶にされたくないと心の底から思っている。
(やはりこの村にいる方が安全だな。これだけ村を愛する人たちがいるのだから。あとはここでルナを守りながら、神々の敵と戦える力を付けさせるだけだ……)
黒馬の名が決まりました。
黒曜号です。語感はコク○ウ号とほとんど同じですが、許される範囲でしょう(笑)。




