第十五話「新しい蒸留所」
最初は三人称、途中からザック視点の一人称です。
六月十三日。
鍛冶師ギルドの匠合長ウルリッヒ・ドレクスラーを始め、多くのドワーフであふれ返っている。
数十人は下らない人数でありながら口を開く者はなく、そして驚くべきことに誰一人として酒を飲んでいなかった。
そんな彼らは真剣な表情で一点を見つめていた。
彼らの視線の先にあるものは磨き上げられた赤銅色の装置と一人の中年男性だ。ドワーフたちは敬虔な信者のように、その男性の動きを瞬きもせずに見つめている。
その男、ラスモア村の蒸留責任者スコット・ウイッシュキーはドワーフたちの視線を気にすることなく、いつも通りの表情で流れ出る透明な液体を見つめている。
そのスコットの手が突然動いた。その動きにドワーフたちの首も動く。
彼はその透明な液体をグラスにとると、すぐに香りを確かめるべく鼻に近づける。
その表情はゆっくりと満面の笑みに変わっていった。
「成功です。よい新酒が出来上がりました」
そう言って、手もとのレバーを切り替える。
次の瞬間、ドワーフたちの歓喜の叫びが蒸留所の建物を揺らす。
「「オオ!!」」
ザカライアスたちは予め耳栓を着けていたので鼓膜を破られるようなことはなかったが、それでも物理的な衝撃を感じていた。
ザカライアスはすぐにスコットの右手を取り、大声で労いの言葉を掛けた。
「よくやってくれた!」
スコットにその言葉は聞こえていなかったが、意味は通じたようで何度も頷いている。
今日はアルス近郊にあるスレイ川沿いの蒸留所の操業開始の日だ。ザカライアスはその立会いを頼まれ、ロックハート家の面々とともに蒸留所に来ていたのだ。
記念すべき日に居ても立ってもいられないと、ウルリッヒ・ドレクスラーらアルスの鍛冶師たちだけでなく、鉱山や製鉄所で働く数百人のドワーフも駆けつけている。
それだけの人数が蒸留所に入りきるはずもなく、主要なメンバー以外は外で見守っていた。
蒸留所の中の歓喜の声が聞こえた後、総本部の蒸留酒製造責任者であるジャック・ハーパーが外に出て成功を告げた。
「樽詰めを開始しました! ついにアルスでも蒸留酒の製造が始まりました! 皆さん、ありがとうございました!」
感極まったジャックはそれだけ叫ぶと膝を突いて嗚咽を漏らし始める。しかし、数百人のドワーフの歓喜の声にその嗚咽は掻き消される。
ドワーフたちとジャックが落ち着いた頃、ザカライアスとスコットが蒸留所から出てきた。その後ろにはウルリッヒが続いている。
三人は用意された壇の上に立った。更にジャックもその後ろに迎え入れられる。
「今日は記念すべき日じゃ! ここアルスで我らのスコッチが初めて作られたのだ!」
ウルリッヒの言葉に再びドワーフたちの歓喜の声が響く。しかし、ウルリッヒが両手を大きく広げると、その声はすぐに鎮まっていく。
「それではスコット・ウイッシュキー殿にあいさつをいただく」
それだけ言うとスコットに場所を譲る。
スコットは少し恥ずかしげな表情を浮かべてからザカライアスを見た後、壇の中央に立ち大きく頭を下げる。
そして、ゆっくりと顔を上げた。
「今日はこのような晴れやかな日にお招きありがとうございました。そして、操業開始、おめでとうございます。ラスモア村に続き、ここアルスでも蒸留所ができました。ですが、これは始まりに過ぎません。これから先、よりよい酒を造るため、様々な試練が待ち構えているでしょう。初めての土地での難しい樽の管理。味の決め手となるピートによる香り付け。他にも思いもよらぬことが起きるはずです。ですが私は楽観しています。ここには厳しい修行をやり遂げた優秀な職人たちがいます。そして、酒を愛する皆さんがいらっしゃるからです!」
そう言ってもう一度大きく頭を下げた。
彼のあいさつにドワーフたちが「「ジーク・スコッチ!」」と言って応える。
その声は森をこだまし、止まることはなかった。
一分ほどした後、ウルリッヒが両手を上げて彼らの興奮を鎮める。
「では、ザカライアス・ロックハート殿にこの蒸留所の名を付けてもらおうと思う。ザック、頼んだぞ」
事前に話があったのか、ザカライアスに戸惑いの表情はなく、スコットと入れ替わるように中央に立つ。
「それでは僭越ながら本蒸留所の名を発表させていただきます」
その瞬間、ドワーフたちが一斉に息を飲む。
「蒸留所の名は“スレイサイド蒸留所”です!」
「「オオ!」」という声が響くが、ザカライアスが話を続けようとすると、すぐに鎮まった。
「スレイ川の横にある蒸留所という捻りも何もない名です。この何の変哲もない名がすべてのスコッチを愛する者の憧れとなるでしょう。つまり、将来この名がアルス産スコッチの代名詞となるのです。そこで初めて“スレイサイド”という名に価値が出るのです。ジャックさん、そして職人の方々はそのことを心に刻み、皆さんにより愛される酒を作り続けてほしいと思います」
ザカライアスの言葉に「さすがはザックじゃ! スレイサイドは儂らの誇りじゃ!」という声が掛かる。
「ありがとうございます。この先、ここには多くの蒸留所ができ、スレイサイド地区と呼ばれるでしょう。その先駆けとして、この蒸留所は常に先頭を進んでほしいと思います」
それだけ言うと大きく頭を下げた。
その後、ジャック・ハーパーのあいさつがあったが、感極まった彼はほとんど言葉にならなかった。
午後から操業開始を祝うパーティが行われ、多くのドワーフたちに出来たてのニューポットが振る舞われた。
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スレイサイド蒸留所操業開始の式典を終え、アルスに戻っていく。
既に日は大きく傾き、俺たちと一緒に多くのドワーフが歩いていた。
アルスの城門をくぐり、宿である金床亭に戻るが、その途中、多くの市民から「ジーク・スコッチ!」という声が掛かった。
最初は鍛冶師たちが使う言葉をまねているのだと思っていたが、それにしては小さな子供までが同じように声を掛けてくるので違和感を覚えた。
そのことをスコットに聞いてみると、「あれですか」といって苦笑いを浮かべる。
「あれは“獅子たちの凱歌”という本の影響ですね。昨年のアンデッドの大軍を御舘様たちが倒された後に作られた詩を基にして作られた本だそうです」
王宮にあいさつに行っていた父も宿に戻っており、「詩ではなく本なのか?」と質問する。
「はい。カトリーナ王妃様が私費を投じて活版印刷で大量に印刷されたそうです。聞いた話では商業ギルドも関与しているらしく、今後は全世界で売られるとのことでした」
俺たちが首を傾げていると、「私も一冊いただいておりますので」といってその本を持ってきた。
彼が手にしている本は革張りのしっかりとした装丁のもので、“獅子たちの凱歌”と流れるような文字が金色の絵の具で書かれている。
「これは貴族向けのものだそうです。一般向けのものは表紙も紙でできているそうで、一冊一クローナで買えるそうですよ」
手に取るとずっしりとした重みを感じるほどページ数が多い。ざっと見た感じ二百ページほどあるようだ。紙も木属性魔法で改質された最高のものが使われており、これだけで百クローナ以上すると言われてもおかしくないほどの出来だ。
更に中をぱらぱらと見ていくと、版木で刷られた挿絵が入っている。色こそ黒のみだが、細かい部分まで彫られており、この世界の書籍にしては非常に出来がいい。
「王妃様がおっしゃるには有名な画家に依頼されたそうです」
俺たちが呆然としていると、スコットは更に話を続けていく。普段寡黙な彼にしては珍しい。
「この本を初めて読んだ時、年甲斐もなく興奮しました。私の知っている話と違うところもありますが、現地にいた私ですら興奮し、最後には涙を流すほどの傑作だと思います。そのクライマックスに“ジーク・スコッチ”という言葉が出てくるので、アルスの皆さんも御舘様たちを見て、思わず声を掛けたのだと思います」
父は驚きながら本を読み始めた。そして、時折こめかみを押さえて首を振っている。俺も気になったので宿の主に本を置いていないかと聞いてみた。
「もちろんございます。何といってもこの宿はロックハート家の皆様にいつもご利用いただいているのです。私は常々そのことを誇りに思っておりますので」
そう言うと宿の従業員に「本をあるだけ持ってきなさい」と命じた。従業員はすぐに奥に向かい、二十冊ほど抱えて戻ってきた。
「貴族用のものはさすがに大量には購入できませんでしたので、一般用のものを買い込んでおります」
「これほどいるものなのか」と思わず声に出してしまった。
「お泊りのお客様にお貸しすることも考えておりますし、従業員に読ませるためでもあります。お客様からいろいろと聞かれることも多くございますので」
俺はその一冊を借りると、部屋に戻って読み始めた。
物語はダンがアンデッドの群れを見つけたところから始まった。
彼が決死の覚悟でアンデッドの群れの情報を手に入れ、それを聞いた祖父と父が守りを固めるしかないと覚悟を決める。
その後はアンデッドとの戦いのシーンが続き、ロックハート家が徐々に危機に陥っていく。
第二章になると、話はアルスに変わる。シムが伝えた情報が鍛冶師ギルドの総本部に入り、即座に救援に向かうことが決まった。
その後はアルス街道の住民たちがドワーフたちを支援し、三千にも及ぶドワーフが街道を駆け抜けていく話だった。
人数を倍増させているが、その他に誇張はなかった。
この章で気になるのはカウム王家が支援した話が出てこないことだ。カトリーナ王妃が常にドワーフと共にあったこと、役人であるオットー・エルウェス卿が宿場町で食事や酒の手配をしたことが全く出てこない。
王妃が作らせたなら王国と鍛冶師ギルドとの関係を考え、ロックハート家を共に助けたという話を入れると思ったのだ。
第三章の舞台は再びラスモア村に戻る。
オーガクラスのスケルトンや首なし騎士、更には死霊魔術師が攻撃に加わり多くの戦死者をだした。それでもロックハート家は死力を尽くして戦い、勝利を得られるかに思えた。
その話の中には俺たちザックセクステットやウォルトら当時の従士たちの活躍が丁寧に描かれている。更にベルトラムらドワーフの活躍も勇壮に描かれていた。
第四章ではアンデッドの王、ヴラド・ヴァロノスが登場し、ロックハート家が再び窮地に陥る。
祖父が決死隊を指揮し、最後の決戦に向かった。この辺りの話はよく調べられており、実際にあったことに非常に近い。
そして、祖父が身を挺してヴラドを封じ、俺たちが力を合わせて倒した。その後、アルスのドワーフたちがラスモア村に到着し、王を失ったアンデッドたちを次々と倒していく。この点は実際と異なるが、読んでいる分には全く違和感を抱かないほど自然な流れだった。
最終章はロックハート家とドワーフたちの友情を称える話になる。
ヴラドとの決戦にギリギリ間に合わなかったとウルリッヒが謝罪するが、父がドワーフたちとの友情に感謝するという言葉を述べ、最後は俺の結婚式のシーンを、未来への希望という感じできれいにまとめてエンディングを迎えた。
一時間ほどで読み終えた後、俺は立ち上がる気力を無くすほど脱力していた。
(誇張はあるが、完全なフィクションでもない。それはいいんだが、なぜ毎回“ジーク・スコッチ”という言葉が出てくるんだ? アルスを出発するシーンはいい。だが、何で俺たちまで“ジーク・スコッチ”と叫びながら戦っているんだ? 最後のシーンはいるのか? 俺とリディとベアトリスの結婚のシーンで神に感謝じゃなく、“ジーク・スコッチ!”と叫んで終わるのはいくらなんでもおかしくないか?……いや、確かにそうだったかもしれないが……これが全世界に広がる……やめてくれ……)
俺の隣ではリディたちも本を読んでおり、俺と同じように表情がおかしい。
「これってもう売られているのよね」と表情が抜けた顔でリディが呟く。
「なあ、あたしはこれから“ジーク・スコッチ”っていいながら槍を振り回さなきゃいけないのかね」
ベアトリスも呆然とした感じでそう呟いていた。
「やっぱり僕だけ二つ名がない……」とダンが落胆している。
そういう問題じゃないだろうと思わないでもないが、セオとセラにも“双子の若獅子”という表現があるが、ダンには“優秀なる斥候である”としか書かれていない。父であるガイには“鷲獅子の目”という表現があったので、作者も困ったのだろう。
ちなみに祖父と兄はそれまでにつけられた二つ名“獅子心”と“巨人殺し”が使われ、父は“不屈の獅子”となっていた。
ウォルト・ヴァッセルは“獅子の守り手”、ニコラス・ガーランドには“静かなる剣士”、ヘクター・マーロンには“剛弓”、バイロン・シードルフには“剛剣”という形容詞が付いていた。
もちろん、俺たちには元々あった二つ名が使われていた。当然、俺は“真闇の魔剣士”と呼ばれている。
(世界的に広がるのか、この名が……まあ、“全方位のハーレム王子”じゃないだけマシだが……)
その日の夜、カトリーナ王妃にチョコレートを渡すことになっており、その場で本を作った真意を問い質した。
王妃はチョコレートを上品に食べながら平然と答えてきた。
「折角のよいお話があまり歌われない詩にしかなっていないのは、もったいないと思っただけですわ」
この王妃様がそれだけの理由であるわけがなく、俺が黙ってみていると、諦めたように話し始めた。
「ザックさんには敵いませんわね。では本を作らせた目的をお話しましょう。まず一番の理由は鍛冶師ギルドとカウム王国がよい関係であることを世に知らしめることです。街道沿いの民が自ら進み出て鍛冶師方の支援を行ったということが広まれば、他国も王国に手は出しにくいでしょう……」
カウムの民がドワーフたちに酒を与えたという事実が広まれば、カウム王国に手を出そうとする者はドワーフを敵に回す覚悟がいる。彼らは酒の恩義は決して忘れない種族だからだ。
王家としなかったのは自分たちで広めたのでは信憑性がなくなるからだと答えている。
その点はいい。だが、それだけとは到底思えなかった。
「……本当の理由はロックハート家を守ることです。これについての説明は不要ですわね」
「確かにそうですが……」としか言いようがない。
カウム王国に住むすべてのドワーフがロックハート家救援に向かったことになっている。
事実としてはアルス在住の鍛冶師たちが中心だが、情報が行き渡っていたらそうなった可能性は否定できないので事実ではないとは言い難い。
つまり、ロックハートはすべてのドワーフと連帯しているということを全世界に発信することになる。そうなれば、ロックハート家に手を出す者はドワーフに戦いを挑むことと同義とみなされる。
そこまでは理解できたが、勝手に進められたことに一応クレームをつけておく。
「当家にとって悪いお話ではありませんが、ひとこと言ってほしかったですね。特に内容については言いたいことが山ほどあります」
そう言って少し強めの視線を送るが、王妃は涼しい顔で答えた。
「お忙しそうでしたから、こちらで仕切らせていただきました。入念に取材するよう命じましたから事実に基づいておりますし、創作部分も政治問題になるようなところがないことは私自らが確認しておりますわ」
間違っていないので反論しにくい。
(俺が広めた活版印刷がこんなところで……因果応報ということか……)
この後どうなるのか気になるが、いい未来は一つも思い浮かばなかった。
本日は台風のため、私は会社を休んでいます。皆さんのところは大丈夫でしょうか?
蒸留所は計画通りに建設が進んでいます。この調子でいくとラスモア村の生産量を超えるのは時間の問題ですね。
後半部分は第四章第六十七話「獅子たちの凱歌」のオチに当たります。ようやく書けました(笑)。




