第三十七話「初戦闘」
六月一日。
初夏の晴天の中、朝の稽古の時から、メルたちは落ち着かず、絶えずソワソワしていた。
今日はダンとシャロンの父、元冒険者の従士ガイ・ジェークスの引率で西の森にいくことになっているからだ。
俺以外の三人にしたら、小学校の遠足のようなものなのだろう。
何を持っていくとか、お弁当は何かなとか話しているので、まさに遠足前の小学生のようだ。さすがに稽古中は真剣な表情を崩さないが、訓練が終わった途端、ダッシュで家に戻っていった。持っていく荷物をもう一度確認するのだそうだ。
俺は昨日と同じ装備のため、すぐに準備が終わる。
午前八時に出発するため、集合場所であるガイの家に向かった。ガイの他に若手従士のイーノス・ヴァッセルとウィル・キーガンが同行するが、今日は偵察というより、俺たちの訓練を目的としているそうだ。
ガイが浮かれている三人に厳しい口調で注意事項を説明していく。
「森には危険がたくさんある。館ヶ丘の林や北が丘の北の草原と違って何がいるか分からない。勝手な行動はするな。俺の言うことは黙って聞くんだ。分かったな」
三人は「「「はい!」」」と声を合わせて返事をする。
ガイは本当に大丈夫かという顔で三人を見るが、すぐに出発の合図をした。
メルは皮のジャケットに皮の帽子を被り、細めのショートソードを腰に差している。
ダンも同じように皮のジャケットに皮の帽子だが、俺と同じようなダガーと練習で使っているショートボウを手に持っている。
シャロンは布のジャケットに麦藁帽子のような鍔つきの帽子を被り、手には一mほどの木の棒を持っている。
全員、背嚢を背負い、楽しそうに村の中を歩いていく。
ザックカルテットが揃ってどこかに行くのが気になるのか、村人たちの中には農作業の手を止め俺たちを見ている人もいる。その中には、手を振ってくれる人もいるので、俺たちも手を振り返しながら歩いていた。
西の森に入ると、街道から三百mほどの場所を街道に沿う形で並行に進んでいく。
街道自体人通りが少ないので、危険の度合いは森の奥と変わらないのだが、緊急時に場所を特定しやすいため、このルートを取ることにしたそうだ。
森の中に入ると、三人も表情を引き締め、周囲を警戒し始める。
三人とも両親からくどいくらい注意されていたようで、遠足から一気に訓練に雰囲気が変わっていた。
(凄いな。こんなイベントなら、どれだけ注意されても落ち着きを失くすはずなのに、稽古の時と同じ真剣な表情になっている。これが平和な国の子供と、兵士の子供の差なんだろうか……)
俺も三人に負けまいと、周囲に気を配っていく。
時折、物音がするが、鹿だったり、ウサギだったりで特に危険な動物とは遭遇していない。
そして、元冒険者のガイから、動物の足跡のレクチャーを受けたり、罠を仕掛ける場所などを習ったりしながら、森の中を進んでいく。
森の中は平和そのもので、鳥の鳴き声と木の枝を揺らす風の音だけが聞こえてくる。
休憩を入れながら、三時間ほど歩くと、一旦街道に出て行く。
そこには休憩場所に使うのか、ちょっとした広場になっており、すぐ下にはブラック川が流れている。
「ここで休憩にする。川には子供だけで近づかないように……」
ガイが注意事項を話し終わると、シャロンが持ってきた二m四方の布を広げて、
「ザック様、ここに座って。お母様にハーブティを淹れてもらったの」
そう言って、水筒から木製のカップに茶を注ぐ。
普段、のほほんとしているが、こういう時は本当に気が利く子だ。
メルとダンもそのシートに座り、お弁当タイムが始まる。
シャロンの母クレアが気合を入れて作ったようで、サンドウィッチだけではなく、酢漬けの野菜や茹でたイモなども入っていた。
サンドウィッチだけのメルが若干悔しそうな顔をするが、シャロンはメルにも自分の弁当を勧め、結局いつものように四人仲良く和気藹々と食事を取っていく。
ガイが何やら微妙そうな顔で俺とシャロンを交互に見ていたが、俺は彼と目を合わさないようにしていた。
(尊敬する先代様の孫とはいえ、可愛い娘を取られるような気になっているんだろうな。まあ、シャロンも可愛い盛りだし、分からないでもないが)
シャロンは肩まである薄い金色の髪を三つ編みにして垂らし、白い肌に水色の大きな瞳のかなりの美少女だ。おっとりとした雰囲気と相まって、白いワンピースでも着せれば、どこかの貴族のお嬢様と言っても通用しそうだ。
もう一人の少女メルは、ニンジン色と言っていいほど明るい茶色い髪をポニーテールにまとめ、少し日に焼けた顔に、大きな茶色い瞳の健康的な美少女だ。稽古の時以外は絶えず動き回っており、くるくると周りを回る遊び盛りの子馬のようで見ていて楽しい。
ダンは父のガイと同じような麦の穂のような金髪を短く刈り、鼻の上にそばかすが目立つ少年だ。やや自信無げな表情を浮かべることが多いが、努力家の彼らしく結構いい筋肉をしている。
(俺にとっては三人とも子供みたいなものだから、取るとかそういうことを気にしなくていいと思うのだが……)
食事を食べ終わると、再び森の中に入っていく。
太陽が中天を超えたところで、村のほうに戻り始める。場所は村からアルス街道までの半分くらいの場所で距離的には二・五kmほど森の中を歩いていたことになる。
来たルートより、やや北側、森の奥側を歩いていく。
さすがに三人とも疲れてきたのか、足取りがやや重い。
俺が休憩をガイに提案しようとした時、
「イーノス、ウィル! ザック様たちを安全なところへ! 野犬がいるぞ」
ガイがそう叫ぶとイーノスとウィルが手に持っていたショートスピアを構えながら、俺たちを後ろに下げていく。
「ザック様、下がってください。あの木を背にします」
イーノスが五mほど先にある一本の楢の大木を指差し、俺たちを誘導する。
ダンが弓を構えようとするが、「止めておけ」と俺が止める。
彼が納得いかない顔をしていたので、
「ここで下手なことをすると、ガイの邪魔になる。近寄ってくるまで手を出さないほうがいい」
ダンが頷くのを確認し、シャロンとメルを自分の後ろに下げる。メルは剣を抜いて俺の前に出ようとするが、俺が庇うように更に前に出ると少し嬉しそうな顔をして、素直に後ろに下がってくれた。
その間にも野犬たちがガイに接近していく。
野犬は十頭ほどで、大きく口を開け、ダラダラと唾液を垂らした獰猛そうな顔付きの犬だ。土佐犬とかマスティフに似ているが、その飢えた表情は犬というより、戯画化されたハイエナのような感じがする。
飢えて狂っているような見掛けだが、ガイに脅威を感じているのか、かなり慎重に接近してくる。そして、ガイを睨みつけるものの、狙いは俺たち子供に定めていた。
野犬たちの群れはグルグルという唸り声を上げながら、俺たちを囲むように広がっていく。
ガイは剣を目の前の地面に突き刺すと、長弓を構えて矢を放ち始めた。
鋭い風切り音がしたと思うと、先頭を進む野犬の口に矢が突き立っていた。
野犬はギャンとゲホッとも聞こえる悲鳴に似た鳴き声を上げて跳ね上がると、その場に倒れ動かなくなる。それが合図になったかのように野犬たちは駆け出し、一気に距離を詰めてきた。
ガイは矢を放って野犬を追い払っていくが、二匹の野犬に矢を当てたところで、接近を許してしまった。
俺はダラダラとよだれを垂らす野犬の口と、怒りに燃えているような赤い目を見て、
(恐ろしい……俺を食い殺そうと狙っている……何とかしないと……)
俺は初めての実戦で恐慌に陥っていた。
赤く燃えるような野犬の目が恐ろしく、何も考えられない。もし、ガイたちと一緒ではなく、一対一で野犬と対峙していたら、間違いなく俺は食い殺されていただろう。
俺は崩れそうになる膝に力をいれ、最も得意な燕翼の刃の呪文を唱え始める。初めての戦闘で恐怖を感じているのか、口がうまく回らず呪文が中々出てこない。
「あ、数多の風を司りし風の神よ。て、天を舞う刃の燕を我に与えたまえ。我が命の力を御身に捧げん、舞え、す、燕翼の刃」
何度も詰まりながら、何とか魔法を完成させると、俺の右手から出た透明なツバメが前に立つイーノスの横を抜けて、野犬に突っ込んでいく。
野犬はそのツバメが何か理解できないのか、威嚇の声をあげて噛み潰そうと逆に突っ込んできた。俺はツバメを何とか操作し、大きく開けた野犬の口の上、右目にぶつけることに成功した。
魔法のツバメが野犬の顔面に突き刺さった瞬間、血飛沫が激しく飛び散る。目を潰された痛みに野犬は悲鳴を上げて跳ね上がるが、俺の魔法が脳に達したのか、足をもつれさせるように崩れていった。
その間にも俺たちの前に野犬は接近してくる。五匹の野犬が俺たちの周りを半包囲すると、シャロンが小さく悲鳴をあげていた。
俺ももう駄目だと眼を瞑りそうになるが、気力だけで眼を開け続ける。俺の眼には野犬の大きな口が地獄の入り口のように見えていた。俺は足が竦み、次の魔法を準備することすらできなかった。
だが、俺の前にいるイーノスとウィルは全く動揺しておらず、機械的ともいえる正確さで槍を繰り出していく。彼らの槍が突き出されるたびに、野犬は急所を貫かれて倒れていき、更に剣を手にしたガイが後ろから参戦したことで、あっという間に野犬を駆逐していた。
(本当に強いな。野犬程度とはいえ、若いイーノスとウィルでも全く問題にならなかった。それにしても初めての戦闘だ……ただ守られていただけとはいえ、命を狙ってくる敵というのは恐ろしい……)
ガイが俺たちにケガがないか聞いてくるが、俺を含め誰も声が出ない。
何とか最初に立ち直った俺が、「大丈夫。イーノスとウィルが近づく前に倒してくれたから」と声を絞り出す。
そして、俺はガイに無断で攻撃を掛けたことを思い出し、彼に謝罪した。
「勝手に魔法で攻撃を掛けてしまった……済まなかった……」
俺は最大限の謝罪を込め、深々と頭を下げる。
「ザック様は間違っていません。あの場合、近づく敵は一匹でも少ない方が良かったですから」と笑いながらフォローしてくれた。
しかし、俺の心は晴れなかった。
(ガイから明確な指示がなかったとはいえ、勝手に攻撃を仕掛けたことで混乱を招いたかもしれない。ダンには偉そうに“手を出すな”と言ったのに、俺の方が先に我を忘れてしまった。こんなことで俺はやっていけるのか……)
ガイが俺たちの安否を確認している間に、イーノスとウィルが倒した野犬から、魔晶石を取り出していた。
魔晶石は人や魔物など魔力をもつ存在が持っている宝石のような結晶で、魔道具の材料となるものだ。俺たちはその様子を眺めながら、襲い掛かってきた野犬の死体を遠巻きにしていた。
イーノスが「やってみますか?」と言ってくれたので、恐る恐る俺が倒した野犬に近づいていく。野犬の右目は完全に抉れ、かなり深い穴が開いていた。やはり、俺の放ったツバメは脳に達していたようだ。
俺が野犬の横に立つと、イーノスは野犬の死体を見ながら驚きの表情を隠さなかった。
「魔法で一撃ですね。それも正確に急所を貫いています。お見事です」
俺は彼の言葉に何も答えず、魔晶石の取り方を聞いた。
「どこにあるんだろう? どうやって取ったらいい?」
イーノスは前足の付け根辺りを指差し、
「魔物によって場所は違うんですが、大抵心臓の辺りにあるものなんです。この辺りですね」
そして、手をかざすようなジェスチャーを加えながら、
「魔物の体に向かって手を当てるようにして念じるんです。魔晶石よ、出て来いと」
俺は彼の言うやり方で魔晶石の採取に挑戦する。
心の中で魔晶石を浮き上がらせるようなイメージで野犬に手をかざしていく。
魔力を使うわけでもないのだが、野犬から魔力らしき流れを感じ、ゆっくりと何かが近づいてくる。更に念じていると、急にその流れがなくなり、手に生暖かい硬いものが当たる感じがした。
硬いものはすっと下に落ちる。
地面を転がるのは、直径一cmにも満たない黒い真珠のような宝石だった。
「さすがはザック様ですね。一度で完璧に取り出すなんて!」
どうやら、これもコツがいるようで、慣れるまで十回くらいは掛かるそうだ。
イーノスがその宝石を俺の手においてくれる。
「ザック様の初討伐の証です。記念にどうぞ」
こうして、俺の初戦闘は幕を閉じた。
(何も出来なかった。これが命を賭けた戦いなんだ。俺はこれから先、これに慣れることができるのだろうか……)
野犬の死体が一箇所に集められる。
集められた野犬の死体は明日の朝、自警団が処分に来るとのことだった。それまでに魔物に食われているかもしれないが、できるだけ魔物のえさにしないため早期に処分するそうだ。
そして、俺たちは街道に向かった。俺たちのことを考え、街道を使うようだ。
俺を含め、メルたちもかなりショックを受けているようで口数が少ない。特にシャロンは白い顔が蒼ざめ、足元が覚束ない。
俺はガイに許しを得て、シャロンの手を握る。
彼女は少し驚いていたが、少なくとも足取りは確かになっていた。
こうなるといつものことだが、メルが反対の手を握ってくる。狭い道だが、子供三人なら並んで歩けるので、そのまま三人で並んで歩いていく。
(ガイには悪いが、こうでもしないと、トラウマになってしまうかもしれない。こんなことで立ち直れるとは思えないが、少なくとも屋敷に帰るまでは泣き崩れたりすることはないだろう……)




