第七十八話「宰相への回答」
最初は一人称、途中で三人称になります。
二月二十五日。
陞爵の式典、晩餐会、フィーロビッシャー領の蒸留酒計画立案などが終わり、多少は余裕ができると思っていたが、その後も貴族たちからの誘いが多く、どうしても断れない晩餐会や園遊会が毎日続いた。そのため、俺も毎日どこかの宴会に参加している。
元老たちよりランクは落ちるものの、侯爵家や伯爵家といった上級貴族が相手であり、当然気を使う。
俺にはなかったが、ラドフォード子爵夫人ヴィクトリアが懸念した通り、セオとセラに婚約者をという話が多く舞い込んだ。また、ダンやシムにも伯爵クラスの令嬢との結婚の話が何度も来ている。
そのすべて断っているのだが、父と母はその対応に苦慮した。
ダンの場合、ヴィクトリアの作戦が功を奏し、比較的簡単に引き下がったが、シムへの申し込みを断るのが大変だった。
そこで急遽、アンジーことアンジェリカ・コールリッジ男爵令嬢との婚約を考えているという話を持ち出した。この後、ウェルバーンに向かい、そこでコールリッジ男爵に結婚を申し込む予定でいるから、作り話でも何でもない。
しかし、相手が田舎の男爵令嬢ということでねじ込もうとする伯爵家が多かった。
結局、ロックハート家の家臣の妻となるには武術の心得が必要であるという理由をつけ、実際にアンジーの腕を見せて納得させた。
その見せ方だが、彼女と同じ年齢の帝国軍の兵士と模擬戦を行うという方法だった。
アンジーは自分よりレベルが高い騎士を相手にロックハート流の激しい攻撃により勝利し、シムの妻の座を勝ち取っている。
俺はその試合を見ていて思わず感想を漏らしていた。
「これからが大変だな。うちの家臣に嫁ぐには剣術ができないといけないってことになると……」
俺の呟きにメルが笑いながら頷いている。
「確かに弟が知ったらビックリするかもしれませんね」
「そうだな」
「でも、ライルなら上手くいけば問題にならないかもしれません。けど、それ以前に相手に振り向いてもらえるかの方が心配です……」
彼女の弟ライルはセオやセラと同い年で、祖父の厳しい訓練を受け、弟たちに匹敵する腕を持っている。
メルの情報では、ライルはセラに気があるらしく、そのまま上手くいけば問題はない。しかし、当のセラは恋愛に関心がなく、その点が心配だと言いたいようだ。
この三人の他に同じ年に生まれた者がいる。
それはシャロンの妹ユニスとイーノス・ヴァッセルの娘ロビーナだ。この二人も祖父の訓練を受けており、アンデッドとの戦いでは前線で剣を振るい、貴重な戦力となっていた。
ちなみにセオはユニスに気があり、ロビーナはセオに魅かれているらしく、三角関係になっていることも教えてもらっている。
そのセオたちの婚約の話だが、シムと同じ理由で断っている。
面倒な話になると身構えたが、こちらは意外にあっさり引き下がっていった。
理由だが、兄と俺を見てのことらしい。
俺の妻たちはもとより、辺境伯令嬢であった兄の妻ロザリーですら、厳しい訓練に参加している。そのため、ロックハート家の家風だと言われれば納得するしかない。
それでも申しこんでくる数が尋常ではなく、その相手ごとに一から説明をしなくてはならない。言葉だけで簡単に引き下がる方が多かったが、まれに納得しない者もいた。そんな連中にはセオたちの訓練を見せる必要があり、俺たちは辟易していた。
この話だが、俺にとってもいい流れだった。
エザリントン公爵令嬢との結婚の話が徐々に立ち消えになったからだ。
令嬢たちとのことは、元々ロックハート家を守る策としてエザリントン公が考えたものだ。
皇太子派、レオポルド皇子派の過剰な勧誘を防ぐという当初の目的は達しており、二人の令嬢との話を無理に進める必要はなくなっていた。
そのため、どうやって令嬢たちの評判を落とさずにこの話を断るかという問題があったが、それが上手く解決したのだ。
更にこれはダンの婚約の話にも使え、何となく自然消滅しそうな感じだ。
問題があるとすれば、俺が家風に反して二人の令嬢をたらし込んだという話が広がっていることだが、帝都でそんな話が広がろうが気にしないので一向に構わない。
ただ貴族たちが過剰に反応し、晩餐会や園遊会に招待されて行ったにも関わらず、令嬢たちと話をするだけで露骨に嫌な顔をされるようになった。
嫌な顔をされるだけならいいのだが、言葉を交わすだけでも“傷ものになるからやめてくれ”と露骨に言われるとさすがに傷つく。
リディにそのことを零すと、
「いいんじゃないの。この先も楽になって。あなたもこれ以上増やす気はないんでしょ。それに私よりよっぽどマシよ」
と言って取り合ってくれない。
リディはできるだけ晩餐会などに連れていかないようにしているが、それでも貴族街を歩いている時によく声を掛けられている。
相手が冒険者なら露骨に嫌な顔をすればいいのだが、上級貴族とどう係わっているか分からない相手に極端な態度は取りにくい。そのため、一人で外に出ることなく、屋敷に篭っていることが多かった。それで結構ストレスを溜めている。
そんなことがあったが、帝都でやらなければならないことはこれでほぼなくなった。
あとは宰相アービング・フィーロビッシャー公爵からの宿題に対して答えるだけだ。しかし、それが一番厄介というか、面倒だと思っている。
上手く答えられなければ宿題は残るし、答えがよくても更に難題を吹っ掛けられるかもしれないのだ。
そして今日、宰相から呼び出しがあり宰相府に向かっている。
宰相の執務室に案内されると、そこには宰相以外に彼の嫡男ジェレマイア・フィーロビッシャーとアレクシス・エザリントン公、そして彼の嫡男スティーヴン・エザリントンの三人もいた。
「今回の件は皆にも聞いてもらおうと思ってな。で、答えは考えておるのであろうな」
以前のような芝居がかったところはなく、淡々とした口調だった。
「素案ではございますが、考えております」と答えると、宰相は小さく頷き、先を促す。
「では、ご存じのことも多いかと思いますが、現状認識から説明させていただきます。ルークス聖王国でございますが、実質的な支配者である総大司教ベルナルディーノ・ロルフォと名目上の支配者である聖王シルヴァーノ二世は犬猿の仲と言われております……」
ルークス聖王国の政治体制は聖王を筆頭する聖王府と総大司教を筆頭とする光神教団による二重支配構造になっている。
国の成立から関与している教団の力が強く、聖王はルークスの名目上の支配者にすぎず、政策の決定権などは総大司教が握っていると言われている。しかし、実際には聖王府が財政や軍事などの実務面を担っており、聖王の存在が小さいわけではない。
この二重構造は建国時から続いているが、必ずしも弱点とはいえない。
なぜなら、政策の失敗があった場合、行政府である聖王府に責任を取らせることで、国民の不満が教団に向くことはなく、宗教による支配という点とあわせて、非常に強固な支配体制となっているのだ。
実際、無謀な戦争を仕掛け、多くの兵士を失いながらも、光神教による支配が揺らぐ兆しすら見られない。これは敗戦の責任を聖王府に押し付け、神の名によって聖王の首を挿げ替えることにより、教団の権威を守ることができるからだ。
話を戻すが、元々聖王と総大司教の関係はよくなかった。それに輪を掛ける事件が起きた。そう、ラスモア村封鎖事件に始まったロックハート家異端告発騒動だ。
前総大司教イグナツィオ・サンティーニは聖王シルヴァーノ二世と比較的良好な関係を築いていた。
しかし、ロルフォはこの騒動を機にサンティーニを追い落とし、自らがその地位に着いた。そのため、聖王と総大司教の関係は今までになく悪いという話だ。
「……今までなら教団に打撃を与えることは難しいと思われますが、今回の戦争では教団が前面に立つというミスを犯しております。更に一時的とはいえ帝国軍を引き上げさせたことから、今まで以上に教団が口を挟むことは間違いありません。その点を突きます」
「もう少し具体的に説明してくれぬか」と宰相が先を促す。
「はい。今回は第二軍団、第四軍団、北部総督府軍という大軍勢がルークスに攻め込みます。この情報は商業ギルドを通じて聖都パクスルーメンにも伝えられるでしょう。そうなった場合、次期皇帝陛下たる皇太子殿下を討ち取れる絶好の機会であると、調子に乗った教団本部が考えることは必定。前回と同様に聖職者を派遣することは間違いないでしょう……」
前回は司教や司祭が軍監として参戦し、逃げ腰になった兵士を殺して前線に向かわせ、見た目上の勝利を得ている。その成功体験を基に、前回以上の階梯である大司教以上、恐らくは枢機卿クラスを派遣する可能性が高い。
更に教団の力を使って大軍勢を揃え、自分たちの力を誇示しようとするだろう。
俺がエザリントン公に提案した策を採用するなら聖将だが、今回はその点には言及しない。
「……枢機卿ともなれば聖王国軍の将軍よりもはるかに権力を持っていますし、前回より多くの司教、司祭クラスを連れていき、各部隊に派遣することが考えられます。そうなれば、実質的な指揮官は枢機卿であると兵たちは考えるはずです。恐らく十万を超える軍勢を用意するのでしょうが、それでも帝国軍の勝利は揺るぎません。そして、敗北し逃げ帰った兵士たちの不満は教団に向くでしょう」
「兵士、すなわち民衆の不満が教団に向かっても、奴らならば痛痒に感じぬのではないか?」
それまで黙って聞いていたエザリントン公が質問する。
「教団の支配がすぐに揺るぐことはないでしょう。神は絶対であり、その神をいただく教団も無謬の存在であると民衆に刷り込んでいるためです。しかしながら、聖王府の役人や聖王国軍の将は教団が絶対の存在であるとは考えていません。教団に対する民衆の不満を役人たちが利用しようとすれば、聖王国で大きな政変が起きるはずです」
「つまりじゃ。聖王府の役人たちが民衆の不満を武器に教団の力を削ごうとするということじゃな」
宰相の問いに「御意にございます」と答える。
「不満は溜まるが、その程度で教団に叛旗を翻す役人がおるとは思えぬ。その点はどう考えておる」
「閣下のご懸念はもっともなことかと。役人たちも愚かではありませんので、成功する可能性がなければ動かないでしょう。ですので今回は商業ギルドを利用しようと考えております」
「商業ギルド? 確かにギルドは教団に煮え湯を飲まされ続けているが、ルークスが滅びれば次は自分たちの番だと考えるのではないか? そうなればルークスの支配体制が揺らぐような事態に手を貸すことはないと思うが」
ジェレマイアがそう言ってきた。
「ギルドは同じ目的を持った者が集まった組織ですが、彼らは国家ほど長期的な視点を持ちません。ギルドを構成する商人たちの中にはルークスの後は自分たちだと考える者もいるでしょう。しかし、ルークスが滅びるとしても帝国が完全に支配するには十年や二十年では難しいと思います。宗教による支配ですから、世代が変わりきる五十年ほどは掛かるのではないかと。商人たちも同じことを考えているはずです。つまり、ここで多少不利な手を打っても挽回する時間はありますし、万が一影響を受けるとしてもそれは自分ではなく、次の世代だということです」
「そこまで利己的なものなのだろうか」とスティーヴンが口を挟む。自然に口を突いたようで、すぐに目を伏せてしまった。
「人は利己的なものですし、見たくない未来を無意識に無視することが多いと思います。特にそれが遠い未来であれば、この先、情勢が変わって何事も起きないと考える者も出てくるはずです。そうなれば利害関係が複雑な商業ギルドでは、短期的な視点で考える者が必ず現れます。その人物を利用し、ルークスで政変を起こさせるのです」
その後、具体的な方策を更に話した。すべて話し終えた後、三十秒ほど沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは宰相だった。
「よい話を聞かせてもらった。下がってよいぞ」
特に何も要求されず宿題が終わったことに、俺は安堵の表情を浮かべそうになった。
それを無理やり抑え、「ありがとうございました」と真剣な表情で言って頭を下げ、宰相の執務室を後にした。
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宰相はエザリントン公に笑いかける。
「どう思ったかな、アレクシス殿は」
エザリントン公も笑みを浮かべて、それに答えた。
「面白い考えだと思いましたね。特にギルドのことをあれほど理解しているとは思いませんでした」
「儂も同じ思いじゃ。さて、今の話を聞いてどう動くつもりじゃ、ジェレマイア」
ジェレマイアは眉間にしわを寄せた難しい表情で、
「先の商業ギルド帝都支部を利用した策と平行して、戦後のことも進めていきます」
「具体的にはどうするのじゃ?」
「聖将を引きずり出す策については、ダニー・クラークを使います。戦後についてはウィルス・スペンサーを使うのがよいのではないかと思いますが、今少し時間を頂きたいと……」
宰相はそれに頷き、「戦後のことはアレクシス殿が出征してからでもよい」と承認する。
「お前もジェレマイア殿を助けるのだ、スティーヴン」
エザリントン公は息子にそう伝える。
「私が……はい、微力ながらお手伝いさせていただきます」と言って頭を下げた。
「儂の方でもペリプルスを使って商業ギルドに圧力を掛ける。こうしておけば、アウレラの商人どもも動かざるを得ないじゃろう」
宰相の言葉に「そうですね。ただ、ペリプルスにあまり餌を与え過ぎることは危険ではないでしょうか」とエザリントン公が懸念を示す。
「そのことについては、後ほど話し合おう」と言って締めくくる。
そこで表情を緩め、「それにしても惜しいの……」と宰相が再び話し始めた。
「……あれほどの逸材を逃さねばならんとは。そうは思わぬか」
それに対し、エザリントン公が「確かにその通りでございますな」と言って大きく頷くが、表情は楽しげに見えた。
「しかしながら、あの者は政治に縛り付けるべきではないでしょう」
その言葉にジェレマイアは頷くが、宰相には理解できない。
「どういうことかな?」
「閣下もあの者の差配した酒と料理を楽しむべきですな。まさに酒神の申し子、政治ではなく、美酒と美食に関わらせた方が世のためになると実感されるでしょう。ハハハ」
宰相は彼が冗談を言っているのか本気なのか掴みかねるが、ジェレマイアとスティーヴンが大きく頷いていることから何となく事情を察した。
「それほどまでとは……儂も行っておけばよかったかもしれんな。フフフ」
その笑いにジェレマイアたちも釣られて笑い出す。
普段は笑い声など滅多に聞こえない宰相の執務室に四人の男の笑い声が響いていた。
これで帝都での仕事は終わった。
送別会が残っていた!……最近、宴会話が多いので自重せねば……