第七十三話「後継者への課題」
三人称です。
二月十八日の午後五時頃。
ザカライアスがアレクシス・エザリントン公爵の執務室を出た後、公爵はそれまで浮かべていた笑みを消した。
彼は不安を感じていた。
二十年に渡りフィーロビッシャー公が宰相職として盤石の体制を築いていたため、エザリントン公を含め、今の体制が不変のもののように感じている。
そのため、彼としては通常より慎重に引継ぎが行われると思っていた。しかし、ザカライアスの話を聞き、危機感を募らせている。
(宰相職を引き継ぐのは構わないが、閣下がこれほど急ぐことが気になる。ザカライアスが言った理由だけでないことは明らかだが、もしかしたら体調がよくないのではないか? そうだとすれば由々しきことだが……)
そのことを直に確かめたいが、嫡男であるジェレマイアに漏らしただけであり、直接確認しにくい。ジェレマイアが後で咎められる恐れがあるためだ。
(いずれにせよ、何か手を打たねばならないのであれば、その相談は必要だろう。その時に確認してみるのが一番自然だな)
公爵はそう考え、勝利した後について協議するという名目で宰相の執務室に向かった。
フィーロビッシャー公は今日の執務を終えたところで、機嫌よくエザリントン公を迎え入れる。
「珍しいの、この時間にアレクシス殿がここに来るとは」
「いえ、お帰りになられるところ申し訳ないのですが、少しばかりお時間をいただけないでしょうか」
エザリントン公が真剣な表情でいうと、宰相も「構わぬよ」と言って椅子に座り直す。
「で、話は何かな?」と言ったところでフッと表情を緩める。
「と聞きたいところだが、何となく分かっておるよ」
その言葉にエザリントン公は宰相が最初から仕組んでいたと気づく。
「ジェレマイアから何か聞いたのであろう? あの者なら自分で考えるより、アレクシス殿に相談した方がよいと考えるはずじゃからの」
エザリントン公は「閣下には敵いませんな」と言って表情を緩めるが、
「確かにジェレマイア殿からも伺いましたが、それだけではございません」
その言葉が意外だったのか、「はて、他の誰からかな?」と首を傾げる。
「ザカライアス・ロックハートからです」
そこで宰相は小さく首を振る。
「あの愚か者は帝国に仕えぬと公言しておる者に、これほどの重大事を漏らしたのか……」
そう言って僅かに怒気を見せる。
「そのことはともかく、ジェレマイア殿からもザカライアスからも、閣下が宰相職の引継ぎを早めるおつもりだと聞かされました。お会いして何となく目的は分かりましたが、お身体の調子が悪いというようなことはございますまいな」
そこで宰相は「フハハハ!」と笑い、
「いたって元気じゃよ。あと十年や二十年は生きられるほどに」
エザリントン公は表情を再び引き締め、しっかりと宰相の目を見つめる。
「では、ジェレマイア殿をお試しになられたということでよろしいですかな?」
「その通り。我が息子はいささか頼りない。危機感を募らせたら、どう行動するかを見たかったということもある。もちろん、アレクシス殿に早期に引き継げるなら、それに越したことはないが」
「閣下もお人が悪い」と言って小さくため息を漏らした。
「それでザカライアスは何を言ってきたのだね? そちらに興味があるが」
「面白い策を思いついたようです。彼が言うには……」
エザリントン公はザカライアスの策を説明していく。
「……皇太子派のお二人に楔を打ちつつ、ギャビストン公の支持を取り付けるというものです。なかなかよく考えられた策だと思いますね」
「面白いことを考えるものじゃな。聖将を引き摺り出すという策は検討に値する。今の総大司教ベルナルディーノ・ロルフォは聖王シルヴァーノ二世と上手くいっておらぬ。その間隙を広げ、彼の国に更なる混乱をもたらすことは帝国にとって益のあることじゃ」
光神教の総大司教ロルフォは三年前のラスモア村封鎖事件とロックハート家異端認定事件によって教団の最高権力者に上り詰めた。
一方、世俗トップの聖王シルヴァーノ二世は前の総大司教サンティーニと良好な関係であったため、サンティーニを引き摺り下ろしたロルフォに対し、よい感情を持っていない。
ルークス聖王国の支配体制は聖王を筆頭とする世俗と、総大司教を筆頭とする教団の二重支配だ。そして、この二つの組織が常に主導権を握ろうと競い合っている。
建国当初は互いに競い合いながらも、帝国打倒という共通の目的に向かって協力し合い、よい結果を生んでいた。しかし、時代が進むにつれていずれの組織も腐敗し、今では互いの足を引っ張り合うことの方が多い。
そんな状況の中、今回の懲罰戦争で聖王府は後手に回り続けていた。
教団はその状況に付け込み、戦争での敗北は軍を統括する聖王府の不手際と非難し続けている。
しかし聖王府の役人たちは、原因はそれ以前に行われた教団の謀略の失敗の結果であり、自分たちの責任ではないと主張し、互いを非難し合っていた。
その責任のなすりつけ合いは軍に更なる混乱を与えた。
教団は自らが戦争を主導するとして、独自に強硬な聖職者を派遣した。派遣された聖職者たちは手段を選ばない狂人たちで、怯えた味方を見せしめに殺し、一時的にではあるが、帝国軍を撤退に追い込んでいる。
しかし、この手法には選民意識の強い聖王国軍の幹部ですら、非難の声を上げるほど陰惨なものだった。更に虎の子の獣人奴隷部隊を無為に消耗し、聖王国の継戦能力を著しく低下させている。
これらの軋轢により、ルークスの支配体制はこれまでになく混乱していた。
「奴のことじゃ。それを分かった上で提案してきたのであろう。この策は成功せずともルークスに更なる混乱を与えられる」
「その通りですな」とエザリントン公が頷く。
「このまま敗北すれば、聖王の退位は免れえぬ。だから、責任を押し付けることができる聖将の出陣は聖王府にとっても渡りに船。それに聖将が出陣するなら教団が兵を更に集めることは必定。少しでも勝率が上がるならと聖王府の役人どもなら考えるであろうな。もっともどれだけ兵を集めようとも、帝国の勝利は揺るがぬが」
宰相もエザリントン公らと同じく、敗北する可能性は考えていない。
「確かにそうでしょう」とエザリントン公は頷くが、僅かに顔をしかめている。
「しかし、ルークスの民は哀れですね。聖将が出陣すれば多くの農民が徴兵され、我が軍の手に掛かるのですから」
「哀れではあるが、だからといって同情して負けてやるわけにもいくまい」
それでこの話題を終わらせ、「では、この策を誰に実行させるつもりかな?」と宰相が確認する。
「ザカライアスと言いたいところですが、これ以上関わらせると、商業ギルドに対する影響力まで持つことになります。できれば、ジェレマイア殿にお願いしたいのですが」
「配慮痛み入る」と宰相は頭を下げるが、その顔には苦笑が浮かんでいた。
彼は自らの嫡男が謀略に疎いと考えており、この機会をその経験の場として提供してもらったことに感謝の意を表したのだ。
ちなみに失敗のリスクは残るが、この策だけではなく、別の策も用意してあるので問題はないと考えている。
二人は謀略の詳細を詰めていった。
その夜、ジェレマイアは蒸留所建設計画と、蒸留酒の品質に関する法律の提案について、父親であるアービングに説明するため、屋敷の書斎にいた。
ミューアヘッドらが作成した計画書を見せながら、計画の骨子を説明すると、アービングは「見事なものだ」と言って小さく頷いた。
その仕草にジェレマイアは安堵するが、父親の鋭い視線を受けて表情を引き締める。
「いかに天才であっても僅か十六の子供に遅れをとってどうする」
ジェレマイアはこの計画のことだと思い、
「確かに原案はザカライアスの手によるものですが、ミューアヘッドらが帝国の実情に合わせて作り直したもの。その努力は認めていただきたいと……」
その言葉にアービングから「そのことではない」と即座に否定される。
「儂がお前に課したことじゃ」
そこでジェレマイアはエザリントン公の宰相就任の話だと気づく。
「先ほどアレクシス殿がザカライアスの策を儂のところに持ってきたのだ。ルークスの政治構造を熟知し、商業ギルド内の軋轢まで考慮した恐ろしい策じゃ」
「それはどのような」と聞くと、アービングはエザリントン公から聞いた話を正確に伝えていく。
「……ザカライアスめはルークスの二重支配構造、総大司教派と聖王派の権力抗争を念頭に、商業ギルドのアウレラと帝都の利益の違いを巧みに利用しようと考えたのじゃ」
その説明にジェレマイアは舌を巻くしかなかった。
(私には到底思いつかん。思いつかないという点だけが予想通りだったな……)
そんなことを考えていると、
「自らがすべて考える必要はない。いや、領主たる者、家臣に任せねばならんところは任せるべきじゃ。しかし、それは丸投げしてよいという話ではない。まして、ザカライアスは家臣でも盟友でもない。そのような者にこれほどの重大事を任せきるという神経が儂には信じられん」
父親の叱責にジェレマイアはどう反論すべきか考えるが、言葉では敵わないと思い、謝罪するだけにした。
「申し訳ございません。以後、このようなことがないように気をつけます」
その言葉にアービングに諦めに似た表情が浮かぶ。
「なぜ反論せぬ。自分の打った手でよい方策が得られたのだ。なぜそのことを主張せぬのだ」
それでもジェレマイアは口を開かなかった。
「儂は宰相である間、領地を発展させるような施策をあえて行わなかった。それは公私混同の誹りを避けるためじゃ。しかし、今後は違う。お前の代でフィーロビッシャーを発展させねばならんのだ。幸い、ミューアヘッドら優秀な若手が育っておる。それを使いこなすのが、領主たる者の勤め。そこがそなたの一番分かっておらぬところじゃ」
ジェレマイアはそれでも反論しなかった。
「まあよい。先ほどのザカライアスの策はそなたが実行するのだ。これはアレクシス殿とも話し合った結果。失敗すれば、帝国に混乱をきたすが、今動けるのはそなたしかおらぬからな」
ジェレマイアは自分が商業ギルドの商人を使って、ギャビストン公をエザリントン支持に変えなければならないと知り、愕然とする。
「そのようなことは私には不可能です!」
「この程度のことなら十六の女子でもやれることじゃ。そなたも二十年にわたって帝国の中枢におったのじゃ、やれぬはずはない」
「しかし……」
「そなたには新たに使える家臣が増えたではないか。その者たちを使ってみよ。先ほどの計画を立てられるほどの者たちなら、お前の力になってくれるはずじゃ」
アービングはジェレマイアに腹心といえる人物がいないことを気にしていた。
元々、フィーロビッシャー家は他の公爵家に比べ領地が狭く、家臣の数も少ない。エザリントンやインゴールスロップであれば、数名の伯爵が家臣に名を連ねるが、フィーロビッシャーでは子爵が筆頭家臣である家宰を勤めたことがあるほどだ。
「あの者らを足がかりに多くの者を登用せよ」とアービングはいい、
「アレクシス殿に相談することは構わぬが、ザカライアスに話すことはまかりならぬ。もちろん、シャロン・ジェークスにもじゃ」
ジェレマイアは困惑の表情を浮かべたまま、黙って頭を下げ、書斎を後にした。
自室に戻ったジェレマイアは父親からの課題に頭を悩ます。
(父上のお考えは分からんでもないが、私にできるのか? とにかく、ミューアヘッドらを明日の朝にでも呼び、今後のことを協議せねばならぬ……)
翌日、彼はレナルド・ミューアヘッド、ウンベルト・レンフィールド、モンタギュー・アンダーウッドの三人を呼び出し、蒸留所建設計画と蒸留酒の品質に関する法律の提案について、承認が得られたことを伝えた。
レナルドらは安堵の表情を浮かべた後、大きく頭を下げた。
「これもジェレマイア様のおかげです。ありがとうございました」
そして、ウンベルトが満面の笑みを浮かべて今後のことを話す。
「今日の午後にも鍛冶師ギルドへの訪問についてザカライアス殿と協議します。スティーヴン様には我らからお伝えすることでよろしいでしょうか」
「うむ。卿らから伝えてくれ。その方が彼もうれしかろう」
三人は了承した上で立ち去った。
ジェレマイアは商業ギルドへの工作について切り出さなかった。
(あれほど今の仕事に情熱を傾けておるのだ。専念させてやるべきだろう……私が直接動かねばならんということだが、どうしたものか……)
そこでフィーロビッシャー家に仕える家臣たちのことを思い浮かべる。
(他家のスティーヴン殿が彼らを見つけ出せたのだ。嫡男である私に見つけ出せぬはずはない……)
そして、信用できると考えた数人の家臣を呼び出した。




