第三十四話「風呂」
九月三十日、麦の収穫も終わり、明日は収穫祭という日。
前夜祭の音楽が微かに聞こえる午後七時頃、ニコラスの娘ジーンが出産した。
初産ということで、皆心配していたが、無事に女の子を出産した。
そして、俺の気になっていた“運命の子”についてだが、やはりというかジーンの子からは何も感じなかった。
俺はこの村では生まれないと考えていた。なぜなら、俺が五歳というこのタイミングで俺の近くに生まれても、俺が主体となって守ることは現実的ではないからだ。
ならば、どこか別の場所で生まれ、俺に力がついた段階で出会うはずだ。
ジーンの娘はシェリーと名付けられ、俺の弟セオと妹セラ、メルの弟ライル、シャロンの妹ユニスと一緒に育てられる。
俺とメル、ダン、シャロンのことを祖父たちは“ザック・カルテット”と呼んでいるそうだが、彼らも将来“セオ・クインテット”とか“セラ・クインテット”とか呼ばれるのだろうか。
そして、十月一日の収穫祭当日。
収穫祭はこの村一番のイベントだ。とは言っても、流れの吟遊詩人が来るくらいで、面白そうな出し物はほとんどない。
七月一日の夏至祭と同じで、村人が奏でる楽器の音が祭らしさを醸し出す。
去年の収穫祭は蒸留器の設置や魔法の訓練でバタバタしていたため、あまり楽しめなかったが、今年は母たちの出産も終わり、改革プランもある程度成功したことから、のんびりと祭を楽しもうと思っていた。
改革プランについてだが、トイレ改革で始めた堆肥作りがどうやら成功したようだ。
どうやらというのは、堆肥の施肥量が分からず、効果が上がっているのか判断がつかないためだ。
ニコラスの畑が試験農場となり、数区画に分けて試しているが、うまくいった施肥量で来年も同じ結果が出るかを試す必要がある。
あとは排泄物にいる寄生虫や病原菌などが堆肥と共に撒き散らされないことを気にすればいい。これについては調べようがないし、堆肥は発酵によりかなり高温になっているから、全滅とは言わないが、ある程度は死滅しているだろう。そもそも、家の周りに排泄物が放置されていた状態――最初は家の周りの草むらに放置され、酷いところでは水場近くにもあった――よりはかなり改善されているから、安全を考えるなら、絶対に火を入れる食べ物、穀物類の肥料として使えばいい。
俺には知識も道具も不足している。百パーセント安全な方法は所詮素人の俺には無理な話だ。それならば、よりリスクを下げることを考えるべきだろう。
堆肥の効果にしても、寄生虫の発生にしても、結果は数年単位でないと出ない。工学系の俺には結果がすぐに出ない農業というのは、やたら時間が掛かるものだと思えてしまう。
農業についてだが、有輪式重量犂も順調に配備され、現在三台が運用されている。
プロトタイプを改良し、使い勝手も徐々に良くなっているようだ。
教育についてはリディの巡回授業もうまくいき、少しずつだが大人たちも興味を示し始めている。ニコラスの妻のケイトが大人向けの授業を始めたが、農閑期はニーズが多く、かなり忙しそうにしている。
そして、俺の一番の関心事である酒造りだが、順調に蒸留は進んでいる。
樽の数もかなり増え、スコットの醸造所の倉庫がかなり手狭になっている。
そろそろ貯蔵庫を作る必要があると考えていたら、父から、
「石鹸の製造法の売却益で蒸留酒の貯蔵庫を作る。どういったものがいいかはお前しか知らんから、ニコラスと考えてくれ」
俺にとっては思ってもみない展開だが、村の優先順位としては他にあるはずだと、
「貯蔵庫はもう少し先でもいいです。醸造所が一杯なら屋敷においてもいいわけですから。もっと緊急のことに使ったほうがいいのではないですか?」
「私もそう思ったのだが、ニコラスが今は緊急でやるものがないというのだ。蒸留酒はこの村の特産品になるから、その貯蔵庫は先行投資に値すると言っていたしな。それに……」
父が何か言おうとして言葉を切ったため、「他に理由があるのですか?」と尋ねると、
「ああ、これはニコラスが言ったのだが、蒸留酒作りはお前が一番力を入れている。これをやればお前が喜ぶからと言っていたのだ」
俺はどう言っていいのか分からず、言葉がでない。
「まあ、将来のことを考えて、必要なものがあれば計画書を出してくれ」
今のところ、無理に作るべきものは思いつかない。
もう少し予算があれば、街道の整備とか、東の森の開墾などに金を掛けるかもしれないが、予算規模が小さいため、やりようがない。
今のところ思いつくのは製粉機の改良くらいだ。
これも村のためというより自分のためで、主食であるパンの品質を上げたいというだけだ。
あとは新たな栽培作物の導入などがあるが、これも個人的な理由であるため、金を掛けるつもりはない。
いろいろ考えることはあるが、今日は年に一度の収穫祭なので仕事を忘れて楽しむことにした。
リディに祭り会場に行くかと聞くと、「うーん、人が多いところはまだ苦手」という答えが返ってきた。
「二人の彼女が待っているから、いってらっしゃい。その代わり帰ってきたら、私と一緒にいるのよ」
メルたちと出かけることにはお許しが出た。
いつものようにメル、シャロン、ダンの三人と共に行動する。
祭り会場は、唯一の酒場のある村の中心部。
今年の祭りは去年作った“スコッチ”も出され、村人たちは興味深げに手を出していく。
さすがにストレートはきつすぎるのか、水割りで供されている。
あとで評判を聞いてみたが、ニコラスの最初の反応と同じであまり芳しいものではなかった。販売戦略を考える必要がある。
ちなみ、昨年の十二月にベルトラムがカウム王国の王都アルスに送った結果だが、彼の予想通りドワーフたちには大好評だったそうだ。ドワーフたちから“すべて買い取るから、遠慮せずに作れ”という話が出ているそうで、蒸留器をフル稼働させている。
今の生産量でもカウム王国に輸出すれば充分採算が取れそうだが、何分、輸送の面での問題が多い。
アルスまではここから約三百km。荷馬車で半月ほど掛かる計算だ。輸送コストが嵩むため、販売価格がかなり高額になる。
更にカウム王国内は山道が多く、荷馬車の振動が馬鹿にならない。陶器の瓶で輸送するなら、イタリアのキャンティワイン――昔の物。最近は巻いていない物の方が多い――のように麦藁などで作った緩衝材を巻く必要があるが、それでもかなりの数の破損を覚悟しないといけない。
水のように酒を飲むドワーフ相手なので、樽売りをしてもいいのだが、高級路線を取りたい俺としては、樽売りは最後の手段としたい。
やはり、主要な町に販売所を設置し、そこで瓶詰めする方がいいのではないかと思っている。
祭り会場は、食べて飲んで騒ぐという独特の雰囲気に包まれている。
俺たちも会場を練り歩き、ご馳走を手に入れながら、牧草地になっている東が丘の斜面に向かう。
祭り会場の音楽が聞こえるが、騒がしい感じはなく、のんびりとした時間が流れていく。四人で他愛もないことをしゃべりながらご馳走を食べ、空腹が満たされたところで、館ヶ丘に戻っていく。
その帰り道、ダンの提案で寄り道をすることになった。
北が丘の東を回って北上し、ため池を見に行くことにしたのだ。
元々は館ヶ丘と北が丘の間がアーン川から流れ込む支流によって湿地となっていた。その湿地を農地にするために、川の流れを堰き止めたため、直径百mほどのため池が出来たのだ。
このため池なのだが、農業用の貯水池として利用されることはほとんどなく、丘の間を流れる用水路の水源として使われている。
館ヶ丘の南側を流れる用水路の水は水源に近いこともあり、かなりきれいで夏場の水遊びの場にもなっている。
ため池自体に子供だけで近づくことは禁じられており、俺たちもそこまで行く気はない。
ため池の出口から流れる水に草舟を流し、それを追いながら館ヶ丘に帰っていく。
俺はその水を見ながら、屋敷への風呂の設置について考えていた。
屋敷は丘の頂上にあり、生活用水は井戸の水と天水に頼っている。
このため、風呂に使うほどの水はなく、屋敷に風呂を作ることを躊躇っていた。
俺はこの水を使えないかとずっと考えていたのだが、屋敷までの三十mの標高差をくみ上げる方法を思いつかない。
用水に水車を設置し、それを動力源としたポンプでポンプアップするか、風車を使うかなのだが、用水の水量では安定した力は得られず、風力も大掛かりになりすぎる。
(揚程三十mか……吐出圧〇・三MPaのポンプっていうのが、ネックなんだよな。水車も風車も基本的には低速の動力源だし……できないことはないけど、結構コストが掛かるんだよな……)
そんなことを考えながら、館ヶ丘の入口に到着した。
(屋敷がこの辺りにあればポンプアップの必要はないのになぁ……そうか! 別に屋敷に風呂を作らなくても、館ヶ丘の麓に風呂を作ればいいんだ。少し遠いが、銭湯だと思えばそれほどおかしな話じゃない……いっその事、公衆浴場にしてもいい。幸い、燃料の石炭は比較的豊富にあるし、水も十分にある。ボイラーと浴槽、簡単な建物があれば……)
俺は館ヶ丘の南側に風呂を作ることにした。
(ボイラーと建物は仕方がないとして、浴槽は俺の土属性魔法で作ろう。土属性のレベルの上がりが遅いし、スコッチの貯蔵庫用のトンネルを掘る練習にもなる……)
土属性魔法には、石の礫を飛ばすなどの攻撃魔法の他に、土壁を作る、穴を掘る、土を石に変えるなどの攻撃以外に使えるものも多い。
実際、大きな街の城壁には、魔法で作られたものがあると聞いたことがある。但し、現在では土属性の魔術師の数が少なく、大規模な土木工事に魔法を使うことは稀だそうだ。
俺の土属性レベルなのだが、リディが使えないこともあって、上がりが悪い。
それに得意な属性を伸ばしたほうがいいということもあって、あまり積極的に使っていなかったことも原因のひとつなのだが、この先、蒸留酒の貯蔵庫を館ヶ丘の地下に作るためには土属性のレベルを上げておいたほうがいいと思っている。
俺は屋敷に戻ると、早速風呂の図面を書き始めた。
(大きさは家族で入れるくらいにしたいから、七、八人が入れる大きな浴槽にしよう。いや、いっその事、自警団の訓練の帰りに使えるようにしても良いかもしれない……ボイラーも岩で作った大きな水槽に直結するようにして、洗い場と浴槽に送れるようにする……建物も屋根をつけるだけの半露天式にすれば、コストは抑えられる。目隠しは垣根にすれば……)
簡単な案を作り上げ、翌日、父に説明に行く。
風呂の設置の目的、おおよそのコストなどを説明していく。
父は風呂というものにそれほど魅力を感じていないようで、コストと手間を考えてあまりいい顔をしない。
「……今ひとつ、風呂の必要性が分からんな。浴槽など王宮か公爵家のような大貴族の屋敷にしかない贅沢なものだぞ。我が家には分不相応なものだ」
俺は風呂の魅力を知ってもらうため、小さめの露天風呂を作ることを提案する。
「父上に試してもらうため、簡単な風呂を作ろうと思います。館ヶ丘の南側に浴槽を作る許可をお願いします」
「それは構わんが、お前の説明では釜がいるのだろう? どうするのだ?」
「焼いた石を水に入れて沸かします。多少湯が汚れますが、気分を味わう分には支障ありません」
その日から俺の魔法の訓練は風呂作りを兼ねることになる。
まずは、草が生えている場所を旋風の刃で刈っていく。
そして、土属性魔法でブロック状にした石を作り、それを積み上げていく。
五歳児の力ではあまり大きな石を積み上げられないが、リディが手伝ってくれるため、レンガくらいの大きさの物を作り上げ、それを積んでもらう。
更に繋ぎ目に土を入れ、そこも石化させ石垣状の壁を作る。それを四面立てていき、底面の土も石に変えて浴槽を完成させる。
これで二m×一m、深さ五十cmの浴槽が出来上がった。
更に用水路の水を引き込むための水路を魔法で掘り、借りてきたベルトラムのポンプを設置する。
と、簡単に書いたが、これだけの作業に二十日間掛かっている。
魔力保有量が百三十くらいしかなく、石を作る魔法“石生成”を連続で使えない。一つ当たりのMP消費量はそれほどでもないのだが、それでもブロック状の石を五十個ほど作ると、MPが底をつきそうになるのだ。
このブロックなのだが、水圧に耐えられるよう壁になる部分に厚みを持たせたため、七百個近い数が必要となり、それを作るだけで十五日ほど掛かっていた。
魔法についてだが、今回のような永続的に姿を維持するものと風の刃や火の玉のような現象を発生させるものでは、魔力の消費の仕方が異なる。
土を石に変えたり、水を発生させたりする魔法は、発動時の消費MPが大きい。一方、火を出したり、風を発生させたりする魔法は発動時にはそれほどMPは消費しないが、現象を継続するためにMPを消費し続ける。
今回の石生成魔法はコンクリートをイメージしたため、割と楽に石を作れているようだ。それでもMP消費量が馬鹿にならない。
コンクリートについてだが、石灰があるのでそれでセメントを作り、それを使って風呂を作ろうと最初は考えた。だが、砂や石灰を運ぶ手間を考えると、魔法の訓練も兼ねて石を作りだした方が手っ取り早いと考え直したのだ。
ポンプの設置も終わり、ようやく風呂が完成した。
翌日、昼寝の時間を使って、風呂の準備を始める。
ポンプを使い、浴槽に水を張っていき、その間に横で焚き火を熾して、石を焼いていく。
水を張り終わったところに、ベルトラムに借りた火バサミを使って良く焼けた石を入れていく。
ジューという音を立てて、水が湯に変わっていくが、やはり澄んでいた水が白く濁り、更にはところどころに灰が浮かび、見た目が良くない。
お湯が適温になったところで、表面の灰をきれいに掬っていく。
水を張り始めてから二時間。ようやく風呂を沸かすことができた。
(水を汲み上げるのも結構大変だし、このサイズの浴槽でも結構な時間が掛かった。十人くらいは入れる風呂にするには、セメントを使ったほうがいいかもしれないな……)
父を呼びにいき、風呂を見せる。
父は「これに浸かればいいのだな」と言って服を脱ぎ始める。
十月の下旬の澄み渡った青空の下、素っ裸になった父が浴槽に身を沈めていく。
父は「ふぅぅ」と息を吐き出し、目を瞑る。
「父上、どうですか? 気持ちが良いものでしょう」
俺がそう言うと、「そうだな」とだけ答え、腕を上げて伸びをする。
「確かに気持ちがいいものだが、やはり手間を考えれば、作る必要はないかな」
父はまだ風呂の魅力に目覚めていない。
だが、ここまでは俺の予想通りだった。そのため、俺は秘策を用意してあった。
十分ほど湯に浸かっていた父が風呂から上がる。
そして、父が体を拭っている時に、「これを飲んでみてください」と、魔法で冷やしたビールを差し出す。
父も喉が渇いていたのか、それを受取ると一気に煽った。
大ジョッキほどのビールを一気に飲み干すと、プハァーという感じで息を吐く。
俺は父の表情が変わっていることに気付いていた。
「どうです、父上。私のいたところでは、“風呂上りのビール”と言って、これに勝る飲み方はないと言われていたのです」
父はまだ飲み足りないようだが、
「確かにうまいな。それに疲れが取れた気がするぞ。これが風呂の効果なのか?」
疲れが取れた気がするのは、ビールのおかげだと思うが、俺は黙って頷き、
「風呂には血の巡りが良くなるという効果があります。適温の湯にゆっくりと浸かれば、疲労回復や病気の予防などさまざまな効果があるのです」
父はしばし考えた後、
「風呂の設置を許可する。自警団の連中や村人も使えるものを考えてくれ。資金は五千C(=五百万円)。ニコラスとイーノスを使っていい」
石鹸製造法の売却益があるからだろうが、父も俺の“風呂上りのビール作戦”で一気に乗り気になったようだ。
我が父ながら単純だと思ってしまうが、俺も初めて風呂上がりのビールを飲んだ時にはやめられないと思ったから、人のことは言えないかもしれない。
実はこの作戦のために、火属性魔法の冷却を考え出していたのだ。
そう冷却の魔法は“水属性”ではなく、“火属性”なのだ。
最初は氷の針を作る魔法、“アイシクル・ニードル”で氷を作って手っ取り早く冷やそうと思ったのだが、まずはビール自体を直接冷やせないか試してみた。
手始めに小説でよくある方法、分子運動を抑える方法を試してみたが、無数にある分子の動きを抑えるイメージが出来なかった。
次に液体を凍らせる魔法を考えてみたのだが、物理現象として考えてしまい、うまいイメージが掴めない。空気中の水分が凍るイメージ、雪の結晶が出来る微速度撮影の映像をイメージして水を凍らせてみた。氷は出来るのだが、ビールで試すと部分的に凍る感じでうまそうじゃない。
最後の手段として氷を作りだし、その氷をたらいに入れてジョッキごと浸すという方法もあったが、木製のジョッキでも素早く、適温に冷やす方法を編み出したかった。
そこで、ペルチェ効果――異種金属間に電圧を掛けることにより接合点で吸熱と放熱を発生させる熱電効果――をイメージして液体から熱を奪っていくことにした。火属性は熱に関する属性であるため、熱の移動もできるのではないかと考えたのだ。
ビールの中に吸熱源をイメージし、ビールの外に放熱源をイメージする。そこに精霊の力を流すことによって、擬似ペルチェ効果を作り出す。結果は完璧でうまく魔力を調整すれば、五秒ほどで、常温だったビールをキリキリに冷やすことができた。
実際のペルチェ冷蔵庫は効率が悪かったはずだが、この魔力式は効率がいいのか、素早く冷やせるし、魔力の使用量がかなり少ない。何より水っぽくならないところがいいため、大変重宝している魔法だ。この魔法を魔道具に出来れば、冷暖房や風呂に応用できるのではないかと思っている。
冷却の魔法が成功したあと、“我ながら酒をうまく飲むための努力は惜しまないな”と苦笑していたが、ビールで味をしめた父が、酒を飲むたびに頼んでくるようになった。
今も、“氷も作れるし、冷却もできるから、街でバーテンダーをやっていけるな”などと思いながら、リディのワインを冷やしてやっている。
風呂上がりのキリキリに冷えたビールでウンと言わないはずはない!
相変わらず酒をおいしく飲むことには努力を惜しみません。
(まだ自分では飲めないですが)




