第三十二話「商人の訪問」
母、ポリー、クレアの出産も無事に終え、館ヶ丘は赤ん坊の泣き声で賑やかになっている。
メルやシャロンはしきりに赤ん坊の世話をしたがり、俺はさすがに二人とも女の子なのだなと微笑ましくその様子を見ていた。
一方、リディは赤ん坊が苦手なのか、母たちが抱かせようとしても抱こうとしない。
なぜなのか聞いてみたら、「あんなに小さいんだもの、落としたり、力を入れ過ぎたりしたらって思うと怖くて……」とのことだった。
エルフの里では滅多に子供は生まれない。小さな集落だと十数年に一度というところもあるそうだ。特にリディの場合、若くして里を出ているし、更に人間不信になっているから、ほとんど人付き合いをしていない。
巡回授業で小さな子供には慣れてきたが、さすがに乳飲み子までは相手にしていない。このため、五十年生きてきたのに赤ん坊を触ったことがないのだそうだ。
それでも、母たちがしきりに勧めてくるので、何度か抱いている。最近はかなり慣れたのか、それほどおっかなびっくりという感じではなくなっている。
特に暑い時期には、風の魔法で赤ん坊たちにそよ風を送るなど、意外と芸が細かいことをやったりしている。
兄のロッドも俺の誕生日以降、訓練に力が入っていたが、弟と妹ができたことから更に力が入っているように見える。
父が祖父に話をしたようで、あと三年したらカエルム帝国の北部のラズウェル辺境伯の騎士団に入団することが決まっている。
五月にカウム王国を襲った魔族たちも鳴りを潜め、ラスモア村に平穏な日々が戻っていた。
夏が過ぎ、九月も半ばを過ぎた頃、ここ館ヶ丘に訪問者がやってきた。
俺たちが屋敷の遊び場で遊んでいると、十人程度の護衛を伴った二頭立ての馬車が丘を登ってくる。
昼食前の午前十一時頃で、俺たちが最初にその姿を見つけた。
俺は祖父と父に訪問者がやってきたことを伝えに屋敷の中に走っていった。
「おじい様、馬車が一両上がってきます。護衛もいますから、身分のある方か裕福な商人ではないでしょうか?」
祖父は俺の言葉に訓練の手を止め、屋敷の南側に向かった。
「家紋がない。護衛も傭兵のようじゃな。恐らく商人じゃ。ようやく来たか……」
数ヶ月前、行商人の一人が石鹸を使っている村人を見つけ、ロックハート家から石鹸を買い始めていたのだ。
(騎士や貴族はうちには来ないし、何もなければ商人が来ることもない。じい様の考えも同じだろう。石鹸を買いに来た商人だろうと……)
父にもその話を伝え、すぐにニコラスを呼びに行かせる。
馬車は丘の狭い道を十分ほど掛けて登り、屋敷の前に到着した。中から上等な服を着た初老の男が降りてきた。
そして、やや低いよく通るバリトンの声で、
「マスグレイブ商会の者でございます。ご開門頂けないでしょうか」
俺はご開門っていう門でもないだろうと思い、噴出しそうになる。
(さて、いきなり商談に入るのかな? いくら貧乏騎士とは言え、領主の館に先触れも無く来るのは無礼だろう……ここは父上とニコラスにうまくやってもらおうか……)
従士頭のウォルトが門のところに行き、用件を確認している。
俺は父とニコラスのところに行き、商人への対応方法を説明していく。
まず、「マスグレイブ商会という商会をご存知ですか?」と尋ねるが、父もニコラスも知らないという。
「もし、商談に来たのなら高圧的に出ましょう。領主の館に先触れも無いのは無礼であろうと」
そういうことに無頓着な父は、「我がロックハート家はそれ程の家格ではないぞ。父上の代で騎士に叙されたのだからな」というが、俺はこれを交渉に使うつもりでいた。
「構いません。実際無礼なのですから。それにこれは向こうの出方を見るための作戦です。本来であれば、身分の下の者が訪問するのですから、先触れを出すのは当然です。相手は我が家を侮っているのでしょう。田舎の貧乏領主だと」
その言葉にニコラスの表情が厳しくなるが、俺は構わず話を続ける。
「その方が与しやすいからいいのです。それにこちらが強気に出れば更に向こうは侮るでしょう。行商人ではない自分たちのような商人を敵に回すような愚か者だと」
父は俺の考えが読めず、難しい顔をしている。
「侮らせるのはよい。だが、それでは向こうの思う壺ではないのか?」
「はい。今はそう思わせるだけです。それにもう一度出直して来いというつもりですから」
俺の言葉に「いいのか? 折角来た商談だぞ」と、父は腰を浮かしそうになる。
「構いません。放っておけばもっと来ますし。今日は用件だけ聞いて帰らせるのです。そうなれば……」
二人が俺の話に引き込まれ始めているが、執務室の扉をノックする音で話を中断する。
ウォルトが「マスグレイブ商会のエドモンドという者が参りました。どのように致しましょうか?」と尋ねてきた。
父が何か言う前に「応接室に通しておいて、それから少し待つことになると伝えておいて」と先に指示を出す。
ウォルトはそうしていいものか悩むように父を見るが、父が頷いているのを見て部屋を出て行った。
俺は笑いながら、
「三十分ほど待たせましょう。忙しいご領主様の都合を考えないのですから当然です」
二人は俺が何をしたいのか理解できないようで、俺の軽口に反応しない。
「先ほどの続きですが、今日は用件だけ聞いて出直させれば、向こうはどう思うでしょうか?」
ニコラスが「こちらが石鹸の製法を売る気がないと思うのでは?」と答える。
俺は「惜しいね。相手になったつもりで考えてみないと」と彼に笑いかける。
「向こうはこっちが商売の常識を知らない騎士だと思っているんだ。売る気がないなら、出直して来いとは言わないと考えるはずだよ。そして、それでは何でこんなに強気に出るのかと考えるはずだ……」
俺は二人が話に付いてきているのを確認しながら話を続ける。
「……このことに気づいた商人がいるのではないか。もしかしたら、自分たちの他にも引き合いが来ているのではないかと、考えるのでは?」
父とニコラスは俺の言葉に頷く。
「時間があるので出直してきてからの話もしておきましょう。最初の予定通り最低一万C(=一千万円)で売ることにします。ですが、これは相手の反応を見てみないとなんとも言えません……」
俺は少なくとも一万Cで売れると確信しているが、実際の価値については分かっていない。俺が思っている以上に価値がある可能性は高い。
今回の商人の反応を見ながら、適正な価格がどの程度なのか探りを入れたいと考えている。
「……それと、他の業者にも売ること、この村では自分たちの消費する分は作り続けることも合わせて話します。ですが、最初は向こうの話を聞くだけにして下さい」
そこで言葉を切り、二人の理解状況を確認する。
(二人ともここまでは理解できているな。さて、この先の話まで理解してくれればいいのだが……)
「そして、向こうの条件があまりにも酷い場合、例えば千Cとかであれば、一個当たり二Cで売れば僅か六百個で儲けが出る。そんな馬鹿な条件では話にならないと伝えてください」
二人には目的が分かっていないようだ。ニコラスが疑問を口にする。
「相手は石鹸の原価を知りません。ですから、儲けが出るかは分からないのではないでしょうか?」
その疑問に俺はニヤリと笑い、「その通り」と頷く。
「今の会話で一個二Cでも六百個売れば千Cの利益が出ると相手に分からせる。その上でどの程度の数字を言ってくるかを待つんだ」
ニコラスは理解できたのか笑顔で頷いている。
俺は商人にあえて原価を教えてやるつもりでいる。それは相手が適正な価格を言い易いようにするためだ。
原価を知らなければ、それを想定して儲けを弾く必要がある。販路については目星をつけているだろうから、売れる個数は計算できるだろう。あとは一個当たりの利益を弾かせてやれば、俺たちの知りたい製造法の価値を向こうが教えてくれるはずだ。
ニコラスも俺の意図が分かったようで、
「ようやく分かりました。こちらが馬鹿な振りをして、訳も分からず情報を流しているように見せかけるのですね」
俺は「その通り」とニコラスに笑いかけ、二人に向かって、
「ニコラスには商売が分からない役人を、父上には金に執着している頑固な領主を演じてもらいます。強気に出ているのは商売を知らないからで、向こうもまともな交渉ができないとなれば、妥協点を出してくるでしょう」
父は何となく嫌な顔をしているが、「分かった。お前に任せる」と頷く。
「私についてなのですが、五歳児が交渉の場に行くことは不自然です。ですが、好奇心の強い田舎の領主の息子が商人を見たいと言えば、それほど違和感はないと思います」
「交渉の場に入り込んだとしても、発言はできんぞ」
「もちろん、直接発言する気はありません。ですが、合図を送ることは可能でしょう……」
俺はニコラスに交渉させ、彼に対してサインを送ることを考えていた。
「ニコラスに交渉してもらいましょう。そして、私がニコラスに合図を送るのです。座る位置を商人の正面に父上、横にニコラスとして、私はニコラスの対面側に座ります。そうすれば、商人からは私の動きが見えませんから、ある程度合図を送ってもばれないでしょう。もちろん、見られたとしても誤魔化せるような動きにするつもりですが……」
父もニコラスも俺の考えがうまく理解できていないようだ。俺は分かりやすいように戦いを例に出す。
「ニコラス、戦場で味方に指示を出すことはないのかい? 例えば離れた兵士に太鼓や旗で指示を出すようなことは?」
ニコラスは何のことかと首を傾げ、「ございます。太鼓、銅鑼などの音や旗、狼煙などで……」と言った後、手を打つかのように「分かりました! これも戦いなのですね。商人との」と顔を明るくする。
「ああ、敵は手練の交渉人だ。それに対して、俺を含め、こちらは全て素人だ。ならば、全員で当たるしかないだろう」
その言葉に父も納得の表情を見せる。
そして、サインについて説明していく。
「“了”と“否”が基本だが、これは戦だから、“攻勢に出ろ”と“引け”も必要だ。“了”の場合は足をブラブラさせる。“否”の場合は伸びをする……」
俺はこの他にもいくつかの合図を決め、父とニコラスに覚えてもらう。
「……思わぬ質問や状況になることは十分に考えられる。その時はニコラスに臨機応変に対応してもらう」
ニコラスは「私にできるでしょうか?」と不安そうな顔をする。
俺は「大丈夫。信頼している」と笑い掛けると、父も頷き同意する。
三十分後、商人が入ってくるが、打合せ通り、用件を聞くだけで引き取らせる。
その後、明日の交渉本番に向け、父とニコラスの役割分担や売却価格の交渉方法など、実際の交渉について三人で決めていった。




