第三十一話「出産」
母ターニャの出産が近づいてきた。
メイドのモリーは出産準備を始め、屋敷内は少し慌しい感じがする。
祖父を含め男たちはいつもの日常通りなのだが、モリーに釣られてなぜか忙しい気になっていた。
その頃、キルナレックから来る行商人から、ラクス王国の軍隊がカウム王国に向かったという話を聞いた。
ラクス王国が侵略するのではなく、魔族がカウム王国の砦を突破したため、援軍として向かっているということだった。
魔族の話は風の噂で聞いていたが、実際に増援の軍隊が送られると聞くと、この辺りが大丈夫なのかと心配になる。
祖父にその話をすると、
「トーア砦からここまで数百kmある。それにカウム王国軍は防衛戦が得意じゃ。ここまで侵略されることはあるまい。仮に近くを通ったとしても街道を通る。ここには影響はないじゃろう」
祖父はそう言って笑うが、俺は出産が近い母や俺たち子供を気遣って、無理に笑っているように思えた。
六月八日。
昨夜遅くからラスモア村の天気は大荒れで、強い風と大雨が屋敷の屋根を叩いている。
早朝から父と祖父は嵐の対応に追われ、従士たちも村の中を駆け回っている。
家の中では嵐の音にも負けず、モリーとトリシアが奏でる調理の音が響いていた。
臨月を迎えた母は、少し動くのも辛そうな感じだが、今は食堂に置いたゆったりとした椅子に座って編み物をしている。
俺と兄、リディの三人はすることもなく、母の横で本を読んでいた。
午後になるが、一向に嵐が収まる気配はなく、父たちもひっきりなしに来る被害の報告に頭を悩ませながら対応していた。
そんな時、母が産気づいたのか、苦しそうな声でモリーを呼ぶように言ってきた。
「ザック、モリーを呼んで頂戴。生まれそうな気がするの」
俺は頷く時間を惜しんで厨房に走っていく。
「モリー! 来て! 母上が! もうすぐ生まれそうだって!」
モリーは俺の言葉を聞くと、ゆっくりとエプロンで手を拭き、「大丈夫ですよ。そんなに急には生まれませんから」と俺に微笑んでから、母の下に向かった。
モリーは母の様子を見てから、娘のトリシアにゆっくりとした口調で、「外にウォルトがいるからドロシーさんを迎えに行くように言って頂戴」と、治癒師のドロシー婆さんを呼びに行くように指示を出す。
普段はおしゃべりで陽気なモリーだが、今日はとても冷静で頼もしく見える。
彼女は母をゆっくりと立ち上がらせると、腕を回すようにして付き添い寝室に向かう。
兄のロッドが父に伝えたのか、父が慌てて食堂に入ってきた。
「今夜くらいだと思いますわ。今、ドロシーさんを呼びに行かせましたから」
モリーにそう言われると、父は彼女の反対側に立ち、母を支える。
三人がいなくなると、食堂には俺と兄、リディの三人が残されるが、何もすることがなく、微妙な空気が漂っていた。
俺は何かしゃべろうと、「兄様は僕が生まれた時のことを覚えていますか?」と兄に話を振る。
「あんまり覚えていないけど……何かみんなが忙しそうにしていたかな? うーん、やっぱり覚えていないや」
話題も途切れ再び微妙な間が食堂を覆う。
することもないので再び本を読み始めるが、どうにも落ち着かない。
(子供が生まれるところにいるのは初めてだな。兄貴のところに子供が生まれた時も、行ったのはかなり後になってからだったな……本当に子供に縁が無かったからな……)
トリシアが戻り、すぐにニコラスの妻ケイトと彼女の娘ジーンが屋敷にやってきた。
普段ならメルの母ポリーやシャロンの母クレアも手伝いに来てくれるのだろうが、二人とも出産が近いため家で待機している。
ジーンも妊娠七ヶ月とかなり腹が大きくなっているが、いい経験だとケイトに連れてこられたのだろう。
ケイトたちも準備を始め、再び俺たち三人が蚊帳の外状態となる。
俺が「リディには声が掛からないね」とちょっと意地悪く言うと、
「私はお客様扱いだから。それに生まれる時までは役に立たないし……でも、生まれる時には役に立つから……」
ドロシー婆さんは治癒師なのだが、七十前の老婆ということもあり、治癒魔法はあまり使えなくなっている。この村にいる他の治癒師は、彼女の娘のカミラとその夫のエルマーなのだが、今回は嵐の最中であり、突発的なケガ人に対応するため、うちには来られない。
ここでリディの治癒魔法が役に立つ。
出産の経験は無いが、治癒師としては一流であるリディの腕に期待しているのだ。
「とは言っても、ドロシーさんの言うとおりにするだけなんだけどね」
リディはぺロッと舌を出して笑っている。
夕食の時間が過ぎても生まれる気配は無い。
外の嵐は相変わらずで、北のアーン川と西のフィン川の水量がかなり増え、更に東のため池の水位も上がり、村人の男たちが総出で対応している。
今のところ大きな被害は出ていないが、それでも家畜を避難させたり、家の補強をしたりと、村はてんてこ舞いになっている。
(生まれてくる日にこの嵐か……嫌な予感しかしないな。これが神の敵の仕業かも知れないと、つい考えてしまうな……)
夕食から三時間後、俺の寝る時間はとうに過ぎているが、この状況では寝るに寝られない。父は嵐への対応を祖父に任せたのか、寝室に入ったまま出てこない。
更に二時間ほど経った頃、俄かに寝室が慌しくなる。
「トリシアはお湯の用意を。ケイトは手を洗う桶と石鹸を持ってきて頂戴。ジーンはそこからきれいなシーツを出して」
モリーのテキパキとした指示が飛んでいく。
俺が出産の時には、特に清潔にするよう言っていたのを覚えていたようで少し安心している。
(生まれてくる子供もそうだけど、母上の産後の肥立ちにも関わってくるはずだ。うまく伝わっていればいいが……)
実は今回の出産のために、四回蒸留のアルコールが用意してある。
少なくとも五十パーセントくらいにはなっていると思うのだが、計るすべが無いので正確な度数は分からない。気休めかもしれないが、使い方をモリーたちに教えてある。
日付が変わる頃だと思うのだが、リディがモリーに呼ばれ、母のいる寝室に入っていった。
俺はその頃、半分寝ているような状態で自分の部屋のベッドに横になっていた。
体は睡眠を求めるのだが、頭がそれを拒否しているような状況でかなり辛い。
父も部屋から追い出されたようで、俺の部屋でうろうろしているのもすっきり寝られない原因の一つだ。
(こういう時、男にすることがないというのは、どの世界でも同じなんだな……)
それから何時間経ったのかは分からないが、廊下の方が慌しくなり、その音で目を覚ました。
その直後、赤ん坊の元気に泣く声が屋敷の中にこだまする。
父はその声を聞き、慌てて俺の部屋を出て行った。俺も寝ぼけ眼でそれに続く。
廊下には同じように出てきた兄と、執務室から出てきた祖父がいた。
ロックハート家の男子が全員廊下で立っているという光景だが、誰も笑う気にはなれない。
赤ん坊の泣き声が聞こえてくるのだが、一向に中に入ってもいいという許しが出ない。俺たち四人に不安が広がり始めたとき、再び赤ん坊の泣き声が聞こえた。
(俺の空耳じゃなければ、二人分の泣き声だよな。もしかしたら……双子なのか?)
父が何か言いかけた時、寝室の扉が開かれた。
満面の笑みを浮かべたモリーが、
「元気な双子です! 男の子と女の子。奥方様も問題ありません!」
父はすぐに寝室に飛び込み、祖父がその後に続く。
俺と兄は入っていいものかと悩みながら、モリーを見ると彼女は大きく頷き、「可愛い弟君、妹君を見てあげてください」と笑顔で招き入れてくれた。
俺は母と弟たちが無事と聞き、安堵の息を吐く。だが、その直後、神に遣わされた者という単語が頭の中に浮かび、再び不安になる。
(もし、どちらかが“運命の子”なら……俺は何を感じるのだろう……)
不安を抑えつつ兄の後について、部屋に入っていく。
父が母に労いの言葉を掛け、更にドロシー婆さん、リディたちにも感謝を伝えていた。
(父上は母上を本当に愛しているんだな。ほとんど泣きそうな顔になっているよ。さて、運命の瞬間だが……)
母の横にくしゃくしゃの顔をした小さな赤ん坊が布に包まれている。
正直、どっちが弟で、どっちが妹かも分からないくらいだが、生まれたばかりの赤ん坊ならこんなものなのだろう。
(あれ? 特に何も感じない。いや、母上が無事で嬉しいとか、双子だから大変だとかは思ったが、神の啓示という感じはしない。神の話じゃ出会えば分かると言っていたが、運命の出会いという感じはない……この二人は違うのか? よく分からない……)
そして、俺を見つめる父と祖父の視線に気付く。
俺は首を横に振って違うと伝えると、二人は息を吐くような感じで安堵の表情を浮かべていた。
(二人ともやっぱり心配していたんだな。やっぱり自分の子供や孫には平凡でもいいから幸せな人生を送って欲しいと思うものなのだろう。平凡じゃないのは俺だけで充分だし……)
その後、母におめでとうと伝え、弟たちをじっくりと見つめた。
まだ目も開いておらず、誰に似ているとかは正直分からないが、俺は自分の家族が増えたという幸福感に包まれていた。
父が二人を抱きあげると二人は一斉に泣き出し、屋敷は幸せな騒々しさに包まれていく。
気付けば、知らない間に外の嵐も収まっていた。
双子にはそれぞれ、セオフィラスとセラフィーヌという名が付けられた。二人はセオとセラと呼ばれることになる。
双子の誕生でロックハート家は一気に賑やかになる。モリーとトリシアは母と双子の世話に追われて大変そうだが、二人とも楽しそうに働いている。
七月に入ると、ポリーとクレアが相次いで出産した。
ポリーには男の子が、クレアには女の子が無事に産まれ、母を含めた三人が一緒にいることが多くなる。
さすがに双子に乳をやるのが大変なのか、それとも別の考えがあるのかは分からないが、三人で四人の赤ん坊を育てているような感じになっている。
ちなみにポリーの子がライル、クレアの子がユニスと名付けられた。
そして、俺にとって最も気になる“神に遣わされた者”かどうかだが、どちらも特に何の啓示も無かった。
後は九月に生まれるジーンの子だけだが、関係が深い三人から生まれなかったため、この村で生まれないのではないかと楽観視している。
初めてできた弟と妹だが、父と母の血を引いているため、どちらも美形になりそうな可愛い赤ん坊だ。身贔屓という可能性は否定しないが、客観的に見てもそうだと思う。
七月の中旬、ポリーとクレアの出産の直前に、ある二つの情報がラスモア村に届いた。
キルナレックから来る行商人が伝えてくれた情報なのだが、一つ目は村の南にあるカウム王国の東部で起こった大規模な魔族の侵攻の続報、二つ目は冒険者の国ペリクリトルで大規模な魔物の討伐が行われたという情報だった。
魔族の侵攻の概要は以下の通りだ。
五月十二日、カウム王国の最前線、トーア砦に数千にも及ぶ魔族軍が押し寄せてきた。
トーア砦には千名ちかい守備隊が常駐していたが、飛行型の魔物などの攻撃もあり苦戦する。カウム王国は各国に支援を要請し、自らも二千名の兵士をトーアに急行させた。
五月二十五日、魔族軍七千は損害をものともしない攻勢を掛け、ついにトーア砦を陥落させた。
カウム王国の援軍二千は砦から撤退してきた兵士からの情報で、自分たちが間に合わなかったことを知る。そして、数で劣る自軍が各個撃破される危険を考え、一旦退いて各国からの援軍を待つことにした。
カウム王国軍は巧みな撤退戦を展開し、大きな損害を出すことなく魔族軍を翻弄していく。
一ヶ月に及ぶ撤退戦で、カウム王国軍は主要街道であるアルス街道近くまで押し込まれており、街道の宿場町バルベジーの東、約二十kmにあるアクリーチェインと呼ばれる山の麓に陣を張っていた。
六月二十三日、傭兵の国フォルティスとラクス王国からの援軍を得たカウム王国軍は、それまでの消極的な作戦から一転し、大攻勢を掛けた。
カウム王国軍の司令官は、援軍と共同で大規模な挟撃戦を展開することを企図。フォルティスからの援軍千五百とラクス王国からの援軍千名に対し、アクリーチェイン山の背後に隠れ、追撃してくる魔族軍の背後を突くよう依頼する。そして、自らは撤退する欺瞞行動で囮となり、魔族軍を引き摺り出すという作戦だった。
魔族軍六千は、撤退するカウム王国軍の追撃を開始するが、防御戦の巧みなカウム王国軍は遅滞行動を取りながら、アクリーチェイン山の麓をゆっくりと西に撤退していく。
その日も防御に徹するかと魔族軍が思い始めた日没前、カウム王国軍が突如反転攻勢を掛けた。それを合図に魔族軍の背後にフォルティスとラクスの援軍が現れ、魔族軍に動揺が走った。
勢いに乗ったフォルティスの傭兵たちが魔族軍に突入していくが、数に勝る魔族側は何とか踏み止まり、逆に各個撃破を目論んだ。
魔族軍は援軍側を先に倒すことに決め、数の少ないラクス軍を標的に選ぶ。だが、ラクスの傭兵隊の粘り強い戦闘で魔族の動きが止まった。
その機を逃さなかったカウム王国軍とフォルティス軍が攻勢を掛け、魔族軍は三方向からの攻撃により潰走した。カウム王国軍は執拗に追撃を掛け、六月三十日、遂にトーア砦を奪還したという話だった。
冒険者の国ペリクリトルでの出来事については、ここラスモア村も絡んでいた。
事の発端から説明すると、二月の末にキルナレックからもたらされたオークとオーガの群れの情報だ。
すなわち、ロックハート家が伝えた情報が発端だった。
キルナレックの冒険者ギルド支部からペリクリトルの総本部にその情報は届けられた。
総本部でもキルナレック支部同様、情報の信憑性が疑われたが、念のため、近隣の支部に警戒情報として伝えていた。
例年、雪解けの三月中旬頃から冒険者たちの行動が活発になる。そして、ペリクリトルの南部の街でも同じように冒険者たちが春に動き出す魔物を狩りに森に入っていった。
四月の中旬、キルナレックの冒険者ギルド支部は念のためオークたちの行方を追う調査依頼を出した。それを受けた冒険者パーティがキルナレックから北に足を伸ばす。そして、その先の森で大規模な魔物の群れを発見した。
彼らの発見した群れは二百近いオークの群れであった。場所はキルナレックから北に約三十km、ペリクリトル南東に約百五十kmの位置で、そこに集落を築いていたというのだ。
更に続報が入る。
四月の下旬、別のパーティが巨大蜘蛛の討伐依頼を受け、ペリクリトルの南東にあるティセク村から森に入った。そして、村の約二十km東で巨大な足跡を発見した。
それは身長三mを超える巨人、オーガの足跡だった。
直ちにその情報はペリクリトルの総本部に伝えられる。そして、二ヶ月前に届けられたキルナレックからの情報と照らし合わされ、大規模な魔物の移動があったと結論付けられた。
総本部はペリクリトルにいる冒険者に大規模な調査を命じた。
召集された冒険者たちは、オークとオーガの痕跡を追って、アクィラ山脈の麓の森を調査していく。
五月十五日、オークの群れは発見された集落から北に移動したようで、ティセク村の南東約二十五kmのところで再び発見された。オーガも同様に北西に移動しており、ティセク村の北約十五kmの位置で発見された。
総本部は両魔物の討伐を行うため、緊急召集を掛ける。
五月二十日、冒険者千名が召集され、ティセク村に移動。
五月二十五日、北のオーガと南東のオークを殲滅すべく、五百名ずつに分かれて進撃を開始した。
圧倒的な物量でその日のうちに二百匹のオークと十四体のオーガを殲滅。更に周囲を一ヶ月以上に渡り索敵するが、大規模な群れは発見されなかった。冒険者ギルドの迅速な行動により、被害を発生させることなく解決した。
この話には続きがあった。
この二つの話は繋がっているのではないかというのだ。
魔族の侵攻に合わせ、オークとオーガを後方に放ったのではないかというものだ。
偶然キルナレック支部がオークの情報を得たこと、更に総本部がそれに迅速に対処したことから、時期がずれてしまい侵攻作戦に連動できなかったのではないか。もし、五月に入ってもペリクリトル周辺のオークとオーガが発見できなければ、どこかの村が襲われただろう。そうなれば、それに対処するため、ペリクリトル周辺の討伐に戦力が割かれた可能性があるというのだ。
指導者たちは今回のオークとオーガの動きには、不自然なところが多いと考えていた。
本能のままに動くはずのオークやオーガが、なぜ進路上の村や町を襲わずペリクリトル周辺まで移動したのか。ティセク村という小さな村を囲むように移動したのはなぜなのか。
そして、ここ数年動きを見せなかった魔族が突然侵攻してきたのはなぜなのか。
各国やギルドでも議論されているようだが、結論は出ていないと行商人は言っていた。
俺はその話を聞いて、神の言っていたことを思い出していた。
(この侵攻が神の敵が仕掛けてきたものだとしたら……侵攻自体が目的じゃなく、神に遣わされた者、“運命の子”を始末しに来たものだとしたら……辻褄が合わないでもないな。だが、魔族といえども闇の神を信奉する者たちだ。十二柱の神の一柱、闇の神が命じるとは思えない。だとしたら誰が……)
俺は更に考え込むが、
(情報が無さ過ぎて推論すら出来ないな。無責任なようだが、少なくともこの村が標的じゃなかった。ならば、俺がどうこう考えても仕方がない。少なくとも今は……)




