第三十話「誕生日と兄の苦悩」
五月二十五日が俺の誕生日だ。
今年は五歳になるため、かなり大々的に祝ってもらえるはずだ。
この世界の乳幼児の死亡率は非常に高い。五歳が一つの目安のようで、ここまで大きくなれば、第一関門を突破したと考えるようだ。
もちろん、祝うことができる裕福な家庭や、うちのような騎士の家などの話で、普通の家庭ではほとんど祝うことはない。十五歳の成人のときだけは貧しい家でも祝うそうだが、それは独り立ちを意味するから、誕生日のお祝いとは少し趣が違う。
誕生日の朝、俺は“参照”を使って今のステータスを確認してみた。
ザカライアス・ロックハート 五歳 魔道剣術士レベル五
筋力 : 六/五〇
反射神経 :一〇/九〇
肉体制御能力:一〇/九〇
耐久力 :一三/一二〇(八〇×一・五)
魔力 :一一/一〇〇
精神力 :一二〇(八〇×一・五)
知力 :一〇〇
製作能力 : 六/五〇
容姿 :八七
魅力 :八二
HP :一四〇
MP :一一五
スキル :剣術五、体術八、交渉三十二、計算七十
魔法 :風属性六、光、水、木属性五、火、土属性四、闇、金属性二
特殊能力 :頑健、病気耐性、毒耐性、精神耐性、視力強化、死力発揮、前世記憶、参照、魔闘術
未だにスキルレベルと職業レベルである剣術士レベルが同じだ。ニコラスによれば、普通レベル三くらいからずれ始めるそうなので、祖父の教え方が良いのだろうとのことだった。
そして、一年前に比べ、HPやMPが大幅に上がっている。成長期だからだと思うが、やはり成長している様が見えるのは嬉しい。
五月二十五日は朝から屋敷の中がバタバタしていた。
各地区の代表者から祝いの言葉を受けるからだそうだが、割と頻繁に村に行っている俺にとっては、どうにも気恥ずかしい感じがする。
朝食後、父に呼ばれ、祖父の部屋にいく。
そこには祖父の他、母や兄、それにウォルトやニコラスたち従士が揃っていた。
祖父から、「一応、区切りの歳だ。祝いの品を渡そう」と、机の引出から一本のナイフを取り出す。
ナイフは飾り気の無い鞘に収められた極普通のものに見える。
「これは儂が騎士に叙された時にさる方から頂いたものだ……」
祖父の話では、以前仕えていたラズウェル辺境伯から祝いの品として授かったものの一つだそうで、刀身はミスリルで作られている業物だそうだ。
「これは閣下が死を覚悟した際に、自決用に使おうと用意されたものじゃ。閣下は儂に命を預けるという意味で、これを授けてくださった……閣下が軍務についておられる間、儂はこれを肌身離さず持っておった」
そして、そのナイフを俺の前に差し出す。
「これをお前に授ける。お前は自らを主とし、自らの生きたいように生きよ」
祖父は俺自らの生殺与奪の象徴、すなわち俺の自由の象徴として、このナイフを俺にくれたのだ。
(自分の命を絶つための道具、それを持たせるか……じい様らしいと言えばらしいな。まあ、自由に生きたいなら、それに殉じる覚悟だけは決めておけってことなのだろう……それにしても、初めてミスリルを見たよ)
俺は「ありがとうございます。大切にします」と言って受取り、深々と頭を下げる。
そして、父と母からは立派な羽ペンとインクの壷を、兄からは自分が使っていた木剣を、従士たちからも様々な品を受取った。
俺は涙腺が緩みそうになるのを必死に抑え、笑顔を作って礼を言っていく。
(こんなに心の篭った誕生日プレゼントを貰ったのは初めてだ。これだけでもこの家に生まれた甲斐があった。ここが本当に俺の家なのだと実感できる……)
午前十時頃から、各地区の代表者が祝いの品を持って館ヶ丘を登ってくる。
こちらは俺個人にというより、ロックハート家へという意味合いが大きく、食料品や酒、細々とした日用品が多かった。
そんな中、鍛冶師のベルトラムが息を切らせながら、丘を登ってきた。
家の者たちの目が気になるのか、いつもより小さい声で、「五歳になったそうだな。祝いの品だ」と、銅の取っ手付きカップと直径二cm、高さ六、七cmほどの銅のショットグラスを置いていった。
俺は笑いそうになるのを堪えながら、「ありがとう。こっちはまだ早いけど、大事に使わせてもらうよ」とショットグラスを軽く持ち上げる。
以前、スコッチの話をした時に、小さめの細身のグラスで飲んでいたと言ったことを覚えていてくれたようだ。
「早く飲める歳になれ。あの酒を更にうまいものにしなきゃならんからな」
にやりと笑いながら、それだけ言うとすぐに自分の工房に帰っていった。
嫡男でもない俺がここまで祝ってもらえるのか不思議に思い、母にそのことを尋ねてみた。平民出身の母は少し首を傾げながら、
「私も良く分かっていないのだけど、騎士の家では長男が十歳になるまでは誰が家を継ぐかは決まっていないそうなの。ロッドはまだ九歳でしょ。だから、あなたもこの家を継ぐ可能性があるわけ」
長男が十歳になると、その家の後継者としてお披露目されるそうで、それまでは次男以降も後継者となる可能性が充分にある。特に長男が病弱とか、武術の才能がないとかの場合は、十歳の誕生日にあえて、後継者として披露しないこともあるそうだ。
ただ、これは昔の風習であって、今は形式として残っているだけとのことだった。
(俺はこの家を継ぐつもりもないし、兄様は健康で剣術の腕も同年代と比べれば十分高い。このままじい様に育ててもらえれば、この村を守るだけの才能は十分あるだろう。まあ、父上も母上も兄様に継がせる気でいるから、気が楽なのだが……)
その後、メルとシャロンから両方の頬にプレゼントのキスを貰った。
その瞬間、俺の母、メルの母ポリー、シャロンの母クレアの三人が一斉に吹き出していた。
俺は恥ずかしさもあり、“三人ともあんまり笑うと、そのショックで陣痛が始まるぞ”と心の中で毒づいた。
夕食はいつもより豪華で、イワナに似た川魚のポアレ――油(今回はバター)を使って両面をこんがりと焼く調理法――が出てきた。魚は村人からの差し入れということで、以前、イワナ――特にオンブリエ・シュバリエが最高――のポアレが好きだと言ったことをモリーが覚えてくれていたようだ。
夕食の後、俺が部屋に戻ると、リディがやってきた。
彼女は微笑みながら、「良かったわね。美人二人にキスの祝福を受けることが出来て」と俺の顔を覗き込んでくる。
「そうだな。確かに滅多にない祝福だったよ」
俺が真面目な顔でそう言うと、少しむくれた顔になる。
俺がたまらず噴出すと、リディも釣られて噴き出す。
笑いが収まった後、目を伏せるような仕草で、「プレゼントよ」と、俺の小さな手に何かを押し込んできた。
手を開くと、そこには俺の指には大きすぎる銀色の指輪があった。
「もう少し大きくなってからって思っていたんだけど、どうしても我慢できなくて……これは私の家、デュプレ家に伝わる指輪なの」
リディの説明では、この指輪を嵌めると対になった相手の状態――生死、大きなケガや病気など――が分かるそうだ。
詳しく聞くと今では作ることができない魔道具の一つだそうで、これだけで一財産になるものだった。
俺が驚いていると、彼女は自分の指に嵌めてある指輪をひらひらと見せ、「私のとお揃いよ」と笑う。
俺は「いいのか、大事なものなのだろう?」と声に出すが、少し動揺しているのか、声が震えていた。
リディは俺の動揺に気付かなかったのか、そのままの調子で話を続ける。
「馬鹿ね。あなたに持っていて欲しいのよ。今はまだ大きすぎるから、これに通して首に掛けておいて」
銀色のチェーンを指輪に通して、俺の首に掛けてくれた。
俺は「大切にするよ」といって、その指輪を握り締める。
「それにしても男の方から渡すもんじゃないのか? 指輪っていうのは」
俺が照れ隠しにそう言うと、
「そうね。じゃあ、楽しみに待っているわ」
「そうだな。何年先になるか分からないが、楽しみにしておいてくれ。必ず渡すから」
俺がリディとそんな話をしていた時、兄のロッドはかなり悩んでいたようだ。
誕生日の翌日、俺は父に呼ばれ、執務室に向かった。
そこには深刻な顔をした兄と、苦虫を噛み潰したような顔の父がいた。
父が話し始めるのかと待っていたが、なかなか口を開かない。
焦れた俺が、「用事は何ですか?」と尋ねると、父がようやく口を開いた。
「ロッドが家督をお前に譲ると言い出したのだ。自分より才能のあるお前の方がロックハート家の当主に相応しいとな」
俺はその言葉に目を丸くする。俺は素の言葉にならないように気を付けながら、
「でも、兄様は剣術の腕あるし……立派な領主になれると思います」
兄は「そんなことはないよ……」と小さな声で言った後、
「僕より剣術のレベルが上がるのが早いし、魔法も……それにおじい様やニコラスと普通にしゃべっているんだ。絶対に僕より……」
最後の方は悔しさが込み上げてきたのか、目に涙を浮かべている。
確かに優秀な弟がいて、自分はその弟に何一つ勝てない。そして、その歳の離れた弟に負けないように努力しても徐々に追いつかれていくとなれば、自信もなくなるだろう。特に多感な年頃だ。思い詰めて後を継がないと言い出してもおかしくはない。
(そこまで思い詰めているとは思わなかったな。普通なら虐めたり、無視したりするのに、兄様はそれらしい素振りすら見せなかった。素直ないい少年だと思っていたんだが……このくらいの歳になると結構考えるようになるんだな)
俺は父に“どうするつもりですか”と目で聞くが、父も困ったような顔をするだけで、何も答えない。
一番良いのは俺の正体を打ち明けることだが、九歳の子供に理解できるのか不安はある。
その辺りを考えて、父も困っているのだろう。
重苦しい空気が流れる中、父がゆっくりとした口調で兄に語りかける。
「ロッド、ザックに家督を譲るというが、お前は何をどうするつもりなのだ?」
兄は答えを考えてあったのか、
「おじい様のように、軍に入りたいと思っています」
「軍? ああ、北部総督軍のことだな……お前は一兵士として生きていくつもりなのか?」
父の問いに兄は「はい」と大きく頷く。
「十二歳になれば、騎士団に見習いで入れると聞きました」
父は小さく首を横に振り、「そこまで考えていたのか……」と呟いた後、兄の眼をしっかりと見つめ、
「お前が考えなしに言い出したのではないということは分かった。お前もロックハート家の長男だ。今から大事なことを話す。本当はお前が成人したときに話すつもりでいた。だが、そこまでの覚悟があるなら、今ここで話しておこう」
父は俺の秘密を兄に打ち明けることを決めたようだ。
兄が居住まいを正して頷くと、父が話を始める。
「ザックのことだ……お前もうすうす気付いているだろうが、ザックは普通の子供ではない……神に遣わされた子なのだ」
兄はその言葉に大きく目を見開き、俺を見つめた。
「ザックの魂は別の世界から送られてきたのだ。それも父上と同じ歳の大人の魂が。父上やニコラスと普通に話せていたのはそのためだ。だが、こいつにはしなければならないことがある」
兄は父に視線を戻し、「しなければならないこと?」と口に出していた。
「そうだ。神に命じられた仕事があるのだ。だから、剣の才能も魔法の才能もあるのだ。普通の人間である私やお前とは違う。父上や私はザックの仕事を助けるつもりでいる。父上が剣を教えていることもその一つなのだ」
兄の視線は父と俺の間を行ったり来たりし、「僕はどうしたら……」と戸惑っている。
(九歳の子供にそんな難しい話をしても困るだけだよな。理解できないだろうし、ちょうど、英雄に憧れる年頃だ。どうして自分じゃないんだとぐれるかもしれないな)
俺のそんな考えとは別に父は兄を真直ぐに見つめ、「お前は兄として、どうすべきだと思う?」と問い掛ける。
兄は「分かりません」と首を振るが、その顔には戸惑いと困惑が浮かんでいた。
「では、よく考えてみるのだ。ロックハート家の長男として、ザックの兄として何ができるのかを」
兄は父の部屋を後にした。
残された俺は、「良かったのですか? 兄上にはまだ早いと思うのですが?」と父に尋ねる。
「そうかもしれん。だが、幼くともロックハート家の嫡男だ。この程度のことは受け止めてくれると信じている」
父も言葉ほど自信を持っていないようで、苦しそうな表情が垣間見えていた。
俺も父の部屋を辞去し、今のことを考えていた。
兄がどのような決断をするかは別として、俺の存在が僅か九歳の子供の心に負担を掛けさせた。俺がもっと考えていれば、今回のようなことが起こらなかったかもしれない。
俺は自分のことだけを考え過ぎていたのかもしれない。
転生の事実を知り、焦っていたことは否定しないが、自分の生き方を決める時にもっと周りのことを考えるべきだった。
今もそうだ。
兄だけではない。メルもシャロンもダンも俺の影響を受けている。
今のところ悪い影響とはいえない。むしろいい方向に影響を受けていると思う。
だが、それがこの世界の子供として当たり前のことなのか、本当にいいことなのかと問われると自信はない。
だからと言って、他に方法があったのか。
周りを気にして自分の力を弱めても良かったのか。
その問いの答えを俺は持ち合わせてはいない。
少なくとも、自分が考える最もいい方法を選んでいたとは答えられる。
今更だが、俺はどうしたら良いのだろうか。
俺が悩んでいると、巡回授業に出かける準備を終えたリディが声を掛けてきた。
「どうしたの? 何か悩んでいるみたいだけど?」
俺はどう答えようか悩んだが、父の部屋でのこと、今考えていたことをリディに話していく。
彼女はうーんと考え、
「ロッドは自分で考えられる歳になったのよ。どういう選択をするのか分からないけど、それがロッドの選んだ道なら、私は応援するわ」
俺はリディの言葉に驚く。
確かに兄が自分で選んだ道なら、尊重すべきだろう。だが、兄はまだ九歳の子供だ。彼の判断力はあてにはならない。それでは間違った道に向かうのではないかと考えていた。
「兄様はまだ九歳の子供だぞ。間違ったら正してやるのが大人だろう」
リディは少し首を傾げ、
「そうかしら? 間違ってもいいんじゃない? 戻るところさえ残してあげれば。だって、誰だって間違うことがあるんだから。それに大人の考えがいつも正しいなんて分からないんじゃない?」
その言葉に俺は殴られたような衝撃を受けた。
確かに大人の意見がすべて正しいとは思わない。今、間違っていると思えても本当は正しいのかもしれない。
いつの間にか、俺は元の世界にいた頃と同じ考え方に陥っていた。
安全に……確実に……失敗を恐れて……そして、身動きが取れなくなる。
俺が自分の考えに沈み込んでいると、彼女が話を続けていた。
「……あなたのことだけど、“あなた”という存在がいる限り、ううん、誰でもだけど、誰かが存在している限り、周りに影響を与えるものよ。私もあなたに影響を受けているし、あなたも私の影響を受けている。それを考え出したら、生きていけなくなるわ……昔の私はあなたと同じことを考えていたわ。でも、今は違う。あなたと一緒に暮らし始めて、人と付き合うことの楽しさを知ったから……」
「考えすぎていたようだな。昔の悪い癖が出たのかもしれない……ありがとう、リディ」
「いいのよ、そんなこと気にしなくて」
笑顔でそう言いながら、巡回授業に向かった。
俺は彼女の言葉に救われた。
そして、兄がどのような選択をしても、それを受け止めようと心に誓った。
翌日、再び父に呼び出される。
どうやら、兄が結論を出したようだ。
既に兄も父の部屋に来ており、昨日とは打って変わって晴れやかな顔をしている。
「父上。僕は十二歳になったら、騎士団に入ろうと思います」
俺と父はやはり兄は後を継ぐのを止めたのだと考え、表情を暗くする。
兄はそんなことには気付かず、話を続けていく。
「でも、それはザックを、弟を守るための力を付けるためです。ロックハート家を継いで、ザックの手伝いをします!」
兄は一日考えて、俺を守ることを選んだ。更に自分の力不足を補うため、外に出て修行をすると宣言したのだ。
俺は驚き、父を見た。父も俺と同じように驚いていたが、すぐに笑顔になり、
「そうか……分かった。それではそのことは父上に話しておく」
兄も嬉しそうに頷き、「それでは訓練に行ってきます!」と元気に部屋を出て行った。
「お前のおかげかもしれんな。ロッドがあのように前向きなのは」
俺は父の言葉に首を横に振る。
「いいえ、それは違いますよ。元々、兄上は弟想いの立派な少年でした。普通なら俺のような弟がいれば嫉妬するでしょうし、いじめもするでしょう。ですが、最初から一切そんなことはなかったのです」
父も、「そうだな」と頷く。
俺は父の部屋を後にし、リディに会いに行く。
そして、兄の結論を話す。
彼女は何も言わず、俺の話を聞いてくれる。
すべて話し終わっても、彼女は何も言わず微笑んでいた。
俺も彼女の意見は求めなかった。
そう、俺には聞く必要がないから。




